本薩摩の黒もんが一番好き。
火山土と鉄の溶けあう芸術。
(2024年正月2日、乗り初め)
この海は源平の古代から中世
にかけて「青木瀬戸」と呼ば
れた。
瀬戸とは狭い海峡の事をいう。
広島県三原市には沼田(ぬた)
という土地がある。
ヌタはガタや水にまみれた泥
地の事を指す。
現在の三原に三原という地名
が存在しなかかった戦国時代
末期まで、沼田周辺こそが古
代から中世末期までこの地方
では最も栄えた場所だった。
現在の沼田(ぬた)川河口から
10数キロ内陸の元河口付近の
エリアだ。
そして、今の三原市の場所は
源平合戦時に平氏ながら鎌倉
勢の源氏軍に馳せ参じて軍奉
行をつとめた相模国相模原の
土肥實平(どいさねひら)がこ
の現在の三原の地に赴任し、
小早川氏の祖となった。
関東から来た者が現在の三原
市の土地(現在の市街地西部)
を拓いて治めたのである。
その一帯は沼田(ぬた)と呼
ばれた。
上掲リンク地名解説によると
以下。
「ヌタの地名に関して問題に
なるものに『日本書紀』仲哀
天皇二年六月条の渟田門(ぬた
のと)がある。同書によれば、
神功皇后は、熊襲鎮圧のため
西行した天皇を追って角鹿(つ
ぬが/現在の福井県敦賀市)を
出帆したが、途中、渟田門で
鯛が船の廻りに寄って来た。
そのこで酒を注いだところ、
鯛は酔って海面に浮上、それ
以後、六月になると渟田門の
鯛は海面に浮いてくるという。
一般に渟田門は福井県三方群
の海域に比定されるが、瀬戸
内海航路に位置する三原市幸
崎町・須波町と豊田郡高根島
との間の青木瀬戸にあてる説
もある。しかし角鹿から穴門
(あなと/現在の山口県)へ行く
のに日本海ではなく瀬戸内海
を航行するのは不自然である。
『芸藩通志』によると、青木
瀬戸西方の能地堆(のうじたい)
では、春になると鯛が海面付
近を浮いて泳ぐ浮鯛現象がみ
られ、浮鯛漁が行われるとい
う。現在幸崎町の漁家に「浮
鯛系図」なるものが残る。江
戸期のもので内容は前期神功
皇后伝説を主とする。かつて
出漁の漁民は「浮鯛系図」で
身分証明をし、漁業権を保障
されたという」
神功皇后の西行の伝説として
現在三原市の糸崎(備後國)
がある。神功皇后に水を献上
した海路保水地ゆえ井戸崎と
よばれ、それが転じて糸碕、
糸崎となったという説。
また、三原糸崎のある場所の
郡名の御調郡(みつぎこおり)
も、「水を注ぐ」から転じた
とする説もある。
神功皇后は実在が証明されて
いない人物だが、瀬戸内海の
三原エリアには神功皇后に関
する伝承譚が多く残されてい
る。
江戸期の浅野広島藩の史料
『藝藩通志』に出て来る「浮
鯛」現象は、今でも見られる。
だが、現代のそれは真鯛では
なく、黒鯛だ。西日本地方で
はチヌ(茅渟、海鯽)と呼ばれ
る。
温かい日にゆらゆらと海面付
近をクロダイ=チヌの群れが
浮くいて漂うように泳ぐのだ。
青木瀬戸。2024年10月25日。
海面までチヌが浮かぶよう
にうようよいる。
陸には青木観音という石碑
あり。
漁業史は私は詳しくないが、
もしかすると真鯛のみを鯛と
は呼ばず、チヌ=クロダイの
事もかつてはタイと呼んでい
たのではなかろうか。
この海域は沖に出ると船から
真鯛も湧くように釣れるのだ
が、クロダイもいる。
だが、関東と異なり、瀬戸内
海のこの地方の人たちはチヌ
などは喜び好んで食べない。
まるで雑魚のような扱いだ。
それは真鯛が豊富に獲れる地
方だからだろう。
私個人はチヌは好きだが、地
の人たちはチヌが獲れても現
代では喜ばない。
しかし、魚=すべて食材であ
った時代にはチヌも喜んで食
していたのではなかろうか。
クロダイとして鯛の仲間のよ
うな呼称も存在するので。
そして魚種としてもクロダイ
はスズキ目タイ科クロダイ属
のタイの仲間だ。
クロダイは西日本ではチヌと
呼ばれ、磯臭いので広島県の
瀬戸内海地方では敬遠される
傾向がある。
だが、料理の仕方次第で、真
鯛と同じく美味しく食べる事
ができる魚だ。特に出汁には
非常に良い味が出る。シメ処
理をきちんとした魚体は刺身
にしてもとても美味だ。私な
どは真鯛よりも黒鯛のほうが
料理によっては好きだったり
する。
何でも「真鯛が一番」とする
視点は、私は好きではない。
備前刀第一主義のような偏頗
さを感じ取るからだ。
クロダイ=チヌは美味いと私
は思う。
クロダイの海面近くへの浮遊
現象は、中世末期に埋め立て
によって街が登場した三原市
街地城下町の河川でも現在も
みられる。
元々潮位は人間は変えられな
いので、三原市内の河川とい
うものは、満潮時には川が逆
流するような流れで海水が遡
行する。驚くほどの速度で。
市街地内部の川はほぼ埋め立
てた土地の掘割であるので、
満潮時には海水で満たされる
のだ。
そして、クロダイが浮き上が
るように街中の川の川面(かわ
も)に群れを成して浮上する。
しかし、岡っぱりをやっても、
これがまたなかなか釣れない。
難しい。
浮鯛現象にみられる鯛の浮遊
は、捕食活動とは別な目的の
動きなのではなかろうか。
市内市街地だけでなく、青木
瀬戸の沿岸部には陸からの釣
り人がずらりといつも並んで
いるが、浮鯛現象の時に釣れ
ているのは見た事が無い。
あえてその時期に狙い釣りを
するスポーツフィッシングは
面白いかもしれない。
誰もが釣れない時にスナイパー
のようにヒットさせる。
それはかなり面白いと思う。
無論、餌釣りではなく疑似餌
で。
瀬戸内海においては真鯛は簡
単にバカスカ釣れるが、黒鯛
はまるで鱒族のようにセンシ
ティブであり、真鯛よりも釣
れない。釣れそうで釣れない。
アイナメ狙いの釣りのように
釣れない。
チヌが真鯛よりも釣れすぎる
から下魚扱いされているので
はない、まだ社会学的には明
らかになっていないこの地方
独特の魚種に関する精神的背
景、もしくは文化的意識の連
面性が何か存在するのではな
かろうか。チヌは相手にされ
ないというよりも意識的に回
避、嫌うが如き風潮が存在す
るからだ。フグやサメがかか
った時と同じような扱いをチ
ヌはされているのだ。
関東人からするとそれは奇異
であると同時に、瀬戸内海で
も釣れ難い魚種であり、関東
と同じく希少であるのに、そ
の釣果の多寡とは別な次元で
チヌはなぜか下魚扱いされて
いる、という現象が瀬戸内海
にはあるのである。
そこには、何か民俗学的にも
歴史的な謎が秘められている
予感がする。
瀬戸内海。
豊かな海である。
どうかこの海を抱く人々の心
も豊かで幸せであるように。
「適応温度10~30℃のフライト
ジャケットとして誕生したL2の
なかで、セージグリーンでおな
じみのL2-Bに変わる前のエアフ
ォースブルーを纏っていたのが
このL2-A。MA1と似たデザイン
だが、中綿が入っていないので
普段の着こなしに取り入れやす
いのがポイント。」
とのことです。
価格設定すげ~(笑
ルイヴィトンのビリヤードテー
ブル1卓2,400万円、てやつみた
い。
でも売れるからこの価格帯なん
だろうなぁ。
絵画でも、なんで1作が何十億
円もするの、というのあるもの
な。
日本刀でも1口(ふり)が国宝級
ならば億を超える金額、とか
さ。
国宝、重要文化財クラスは個
人が勝手に売買できずに国の
許可を得ないとならないとい
う制度ではあるが。文化財保
護の制度として。
ただ、物の販売価格というの
は中身がいろいろあるよね。
被服にプレミア価格を乗せて
いるのは、内実としてはほぼ
虚構。
特に文化遺産的価値との接点
が無い場合、プレミア観を出
す演出が独り歩きしている。
仕掛け人たちによって。
でもそうした物は、売れなけ
れば金額を値下げする。
値下げしても利益は出る。
ならば最初からその値下げし
た金額で販売すればよいのに
と思うが、利鞘を乗せ過ぎて
いるとそのようは発想は生ま
れない。損益分岐点による販
売価格設定などは丸無視だ。
そのような販売形式に依存す
る流れでの経済活性化は内実
に乏しく、国全体の経済繁栄
の土台とはならない。
貴金属や書画骨董などはまさ
しくそれにあたる。
また、プレミア観を以て金額
を設定する被服についても然
り。
ビリヤードキューにしても同
じだよ。
アメリカンカスタムの巨匠た
ちの作品は、1980年代には一
般勤め人でも買える価格帯だ
った。
だが、今では故人作というだ
けで値段が暴騰している。
誰が1本のキューで1,500万円
する物をプレーに使うのさ。
この現象は貴金属と同じよう
に仮想価値が投資家という仕
掛け人たちによって仕組まれ
た事を背景として1990年代か
ら撞球界では登場した。
仕掛けたのは日本人と台湾人、
中国人たちだ。米国人もその
流れに瞬発的儲けのうまさを
見てドップリ乗った。
結果、どうなったか。
たとえ故人作でも流通してい
て、プレーヤーの多くが競技
に使用していたキューがまる
で貴重なお宝貴金属のように
されてしまい、一切プレーの
場で使用されなくなった。
つまり、プレーに使われる為
に職人が製作したビリヤード
キューは富裕層の高額コレク
ションアイテムとなり、飾り
物に転落した。
ほどほどの価格帯で誰もが買
えたアメリカンカスタムキュ
ーという存在は完全に消滅し、
「高級品」を所有する事によ
り精神的満足や虚栄心を満た
す物体に玉撞き棒が変化させ
られた。
作れば高額卸値で販売業者が
引き取るから、製作側もその
流れに乗って、「使わない道
具」を多くの人間が作るよう
になった。
だが、本質的なところでは、
年間たかだかキューを5本作っ
て悠々自適の生活、というの
は、それは根本的に何か違う
と思える。
日本刀でも、多くの人に所有
してもらって、日本刀の良さ
を広め知ってもらうのではな
く、高額作品としての所有満
悦を満たすのを目的化するよ
うな「作家先生」も多くいる。
その流れにある製作者は、例
えば居合等の真剣刀術という
伝統武芸に自分の製作の日本
刀を使われる事を蛇蝎のよう
に嫌い、忌避し、そして武芸
に使う日本刀群を著しく蔑視
する。
なんかね、大元の根本から何
か大きな間違いをしているの
ではと思うよ。
飾り皿でも作っているのか、
という感じで。鍛冶屋ではな
いのか、刀鍛冶では、と。
「鋼のオブジェ作家」と肩書
を変えたほうがよいのでは、
と。
映画「嘘八百」を3作連続で観
ていて、ふとそんなことを思
った。
細川護熙氏が作った粉引のぐい
のみで日本酒を飲みながら。
日本刀の本質はこれだよ。
武士がいなくなり、日本刀
の本来の目的は消滅しても、
いにしえの武士の士魂を偲
んで日本刀を生んだ日本の
心に現代にあっても触れる。
それだよ。
フライトジャケットも同じ
事。
今はもう軍用航空機搭乗員
には着られなくなった服だ
が、善悪是非は別次元とし
て、かつてその服により生
死に関わった人たちが着た
服。
今ではそうした任務とは無
縁の一般民間人が着用する
被服となったが、かつてそ
のような熾烈な時代に生き
た人々が着ていた服を現代
において現代人が着ている。
人々の深い歴史と生き方、
死に方に人が関与した物品
をコレクションアイテムと
して高級貴金属感覚で接す
るのは、どうなのかなぁと
私は思ったりもするのよね。