【辞任】ワークマンにライダー
の声を届けられなくなりました
やはりSNS中毒はクズが多い
な~。
バイク転がしの連中にもかな
りネトカスが多いのが驚きだ
が、まあ現代の病気なのだろ
う。
ともかく、SNS中毒、インター
ネットストーカーなど、カス
が多すぎ。
誹謗中傷という犯罪が生き甲
斐なんだろな。
人間のクズ。
切れない刃物で玉ねぎを切って
涙が出るのは、それは人にとっ
ても刃物にとっても実は悲しい
涙であると多くの人に知ってほ
しい。
それは、食を通しての人の幸せ
を遠ざける事だからだ。
だから、悲しくもないのに涙が
出るように天が人にしている。
ふと気づかせるために。
人は、それに気づかない事が多
い。
人の笑顔は食から。
そして、よく切れる刃物から。
人類が発明した一番古い生活の
ための道具。それは刃物だ。
私たち人は刃物と共にずっと生
きている。
二輪というのは競技車両で
なくば二人乗りは当たり前。
欧米ではタンデム走行は常
識だ。
日本では二人乗り走行を嫌
う人も多いが、誰でも乗せ
る・乗るのではなく、命を
預かる預ける心構えのある
人でタンデムするのがよい。
タクシーのように誰でもど
うぞ、ではなく。
私もことしの夏には87才の
母を後ろに乗せて往復80数
kmをベスパで走った。
食事したイトコの飲食店では
「ベスパ・・・老婆の休日だな」
と母はいじられてたが(笑
イトコの息子は今密かにバ
イクの免許を取りに行って
るらしい。もうおっちゃん
なのだが。家でニタニタし
ながらブーツ履いたり脱い
だりしてるので、親である
イトコから「おまえなんし
ょーるんな(何やってる)」
と言われたらしい。
母を乗せて二輪で走るのは
1980年以来だったが、一応
乗せる前にタンデム者の注
意点は説明して理解しても
らった。
二人乗り可な二輪には後部
座席が必ずついている。
二人乗りを前提として車が
作られているのだが、走行
設計においては一人乗りで
本来の機能を発揮させるよ
うな設計車両がほとんどだ。
タンデム走行ではタンデム
独自の走法理論がある。
ただ、基本は遠距離ツーリ
ングなどで重たい荷物を積
載した時と同じだ。
後部乗車者にも体重移動な
どは一切させず、荷物にな
ってもらう。でないと曲が
れない。
そして、ブレーキ時にはス
テップを踏ん張る事をタン
デム者には必ずやってもら
う。正規のステップの使い
方、正規の重心制御のやり
方をタンデム者にやっても
らう。
運転者は腕突っ張り運転な
どでは走行はおぼつかない。
運転者も正しい正規の乗り
方ができる人でないとタン
デム運転は不可能。
だからかも知れない。
最近タンデムを嫌う人たち
が多いのは。一人乗りでも
運転が不確かでおぼつかな
いのに、二人乗りなどでき
る要素が無い。一つも無い。
注意点は、積載により重量
が増すので、ブレーキの利
きが悪くなる事と、フロン
トが寝るので曲がりにくく
なる事だ。
これだけは押さえておいた
ほうがよい。
世界一安全な二人乗り。
世界一の二輪操縦技能師で
ある無冠の世界チャンピオ
ンとも呼ばれたランディ・
マモラによる二人乗り。
マシンコントロールは世界
チャンピオン以上だった。
だが、いつも世界2位(笑
ひょうきんな人だったから
かGPライダーの中ではダン
トツ人気だった。
私も一番好きな人だった。
今こんなことしたら、コン
プラ世界警察いい子ちゃん
ぎゅうぎゅうじめ管理者に
よってGP出場停止になるだ
ろう。
二輪には二人乗りについて
も物理特性に合わせたメソ
ッドがある。
そういうのは頭脳で座学で
学んでも意味は無い。
正しい物理特定を知悉して、
そして自分で実践するのだ。
まずは「正しい動き」を
「正しく正確に克明に」把
握する走行知能の発揮から
開始される。
二輪走行というものは、すべ
て知力と技能でこなすもので
あるので、その定理は不動。
時代を超える永遠不滅の不朽
性を持つ。
バカは二輪の運転はできない。
1960年代初期から二輪では
ハングフォームが世界グラ
ンプリでは登場していた。
約20年後の1983年。
ハングフォームを積極的に
使い始めたのは1972年の
WGP250チャンピオンのヤ
マハのヤーノ・サーリネン
だった。ハング自体は60年
代初期に既に存在したが、
完全に膝を路面にこする走
り方は彼ヤーノが最初。
そして、その後WGP250で
デビューしたアメリカの若
きAMA覇者のケニー・ロバ
ーツが完璧なハングフォー
ムを完成させた。
ケニーが活躍した1970年代
中期~後半はまだWGPでも
ハングフォームは一部の選
手しか使っていなかったが、
彼が不動のチャンピオンに
なる1970年代後半からは全て
のライダーがハングフォーム
を取るに至った。
私はハングフォームの存在と
手法を知っていたので、サー
キットだけでなく公道走行で
も1976年からオートバイでは
ハングフォームを使っていた。
私の高校でハングでコーナー
を回るのは私ともう一人しか
いなかった。聖秀吉みたいな
体型と性格の奴。だが、奴は
後に国際A級まで上がり、マン
島を走った。
ビデオまでポニーから出ていた。
四輪車でもハングフォーム(笑
1965年の園児の頃(笑
神奈川県藤沢さいか屋の屋上。
この約10年後は追いかけられ
る側になる。
私は旋回する時にヌペーッ
とメリハリ無く車体を倒し
ていく事は殆どない。
コーナー立ち上がりはほぼ
スロットルを開けて行くが、
そのコーナーに入る時まで
は開けて進み、一気に適切
速度まで減速して旋回する。
その時に、そのまま寝かし
込むのではなくタックイン
をする。コーナーターンエ
イペックス手前で。
クリッピングポイントはポ
イントを舐めるように加速
して抜ける。
クリッピングポイントが回
頭地点=旋回軌跡の頂点で
はない。
多分だが、私の後ろを走る
人は、私の車体がコーナー
進入時にカクンとした動き
で急激にペタンと転ぶかの
ように倒れるような動きに
見えると思う。
自分で自分を後ろから見た
事はないので分からぬが、
たぶんそうかと思う。
カクンの度合いが少ないR
のコーナーの旋回でもギュ
ーッと寝かせて行ってスッ
と倒れ込むようになってか
らフロントがインに向いて
グイグイ曲がって旋回する
様子が見られるかと思う。
直線などは誰でも開けられ
る。マシン任せで。
快速走行の違いが出るのは
旋回速度だ。
しかも、それはきちんとコ
ーナーを曲がる=回頭させ
て回って行かないと実現は
無理。
コーナー途中で開けるなど
というのは更に無理。転ぶ
のがおちだ。
すると見えて来る。
直線なり直線のような緩い
S字ではしっかりとスロット
ルを十分に開けて後軸に荷
重させて速度を乗せ、コー
ナー手前ではしっかりと確
実にブレーキングする。
キャスターを立てて十分に
フロントサスを沈めてフロ
ントのトラクションを得て
回る。
かつて峠を走りまくりの頃
の私の2スト車は2ヵ月でフ
ロントブレーキパッドが無
くなった。
直線後の急旋回コーナーな
どではほぼフロントフルボ
トムあたりまでブレーキン
グして、ブレーキングしな
がらコーナーに入って行く。
ブリッピングシフトダウン
しながら。時々まとめて。
つまりクラッチを切ってい
る区間の滑走エリアがある。
そして車体が完全に寝る前
にブレーキをリリースする
のと同時に回頭させる。そ
の時期は早目だ。かなり早
い段階で車は頭を曲げる。
フロントサスは沈み込んだ
まま伸びたりはせず、その
まま旋回Gをサスが沈んだ
状態で処理する。
リアブレーキはパーセンテ
ージでいったらほぼ使わな
い。リアは車体姿勢制御の
ためだけに使い、制動目的
では一切使わない。リアブ
レーキはスイングアームを
上下させたり定位置で固定
させたりするための装置だ。
そういう乗り方を48年以上
前の1970年代中期からやっ
て来たが、ほぼ完成形に近
づくメソッドを得たのは故
柳沢雄造氏からの直の細か
い助言によって自己認識と
して獲得できた。「馬鹿野
郎。乗るのやめちめえ!」
と耳タコ説教くらいながら。
後軸を外に出す乗り方など
もそうだ。それはリアステ
アなどという不存在の事項
ではなく、ジオメトリーの
微細変化に対応する乗り方
だ。
その理論と実践。
コースだけでなく公道の速
度領域でも、十分にその二
輪の特性は現出する。
現出するものはそれをそれ
としてきちんと正確に把握
して、自分の掌中に収める。
公道車では新しい車には新
しい車なりの乗り方がある
のかも知れないが、私が所
有する6台の二輪はベスパを
除いて全て1990年代終焉以
前の車なので、まったく私
の乗り方は問題なく最適合
している。
今の車は、もしかすると、
上体を起こしてガチガチに
硬直させて頭も高く顎も出
し、ステップにもただ足を
載せるだけで一切マシンホ
ールドもせず、スマホを眺
めながらインカムや動画撮
影でくだらない事を延々と
しゃべり続けながらのなが
ら運転で、左側を超低速で
トロッコのように走る為の
バイクなのかも知れない。
新型車に載っている人たち
の大多数がそれやってるの
で。
私の知るオートバイの乗り
方とは全く違う。
まして、操縦や操作とかに
は今の人たちは一切興味が
ないようで、オートマ車の
四輪での行楽移動の代替物
として二輪を運行させてい
るみたいだし。
どう言ったらいいかなぁ。
そう、バスケ大好きですぅ、
バスケットいつもやってま
すぅ、バスケ得意ですぅ、
とか言いながらドリブルを
見たら手からボールがポン
ポン離れて、手で叩いてい
るような事をやっているみ
たいな感じ。
バスケをやる人のドリブル
はボールが手に吸い付くよ
うになっているのが本物。
人はね。
見ればわかるよ実力は。
今の人たちでも、数は圧倒
的に80年代よりは減ったが、
確実に「乗れている」若い
人たちはいるよ。
コースではなく公道に。
をインにずらすのは、できるだ
け車体を深く傾けたくないから
だ。
イン側の膝を開くのは身体構造
からくるバランス取りのためで
あり、路面に膝をこするのが目
的ではない。
なお、どのコーナーでもハング
フォームを取って膝を開くわけ
ではない。
それらの技法には意味がある。
適所でそれを用い、使わずに走
るコーナーRやシチュエーション
ではハングフォームは使わない。
それでも、イン側の前下には重
心は移動させて旋回する。見か
け上はリーンウイズであろうと
も。
適所で適合させる乗り方を私は
やる。
こうした使い分けとその技法の
多岐は、実は大したことではな
く、経験値ともまた別の正しく
整理されて収納する抽斗が自分
に用意できているか否かだけの
事だ。
オートバイは知力が無いとまと
もには乗れない。
それは学校教育での学力とは別
な次元の二輪走行知力。
人間の能力のうちの識別力に属
する。
居合斬術 -斬鉄剣二代目
小林康宏刀での斬り-1992年
「上に置くとか切れないよ」
と周囲で言われた直後に切っ
ている。
東京多摩至誠館道場での一刀。
生まれて初めて自分の斬鉄剣
小林康宏作で切った康宏使用
人生初切りの瞬間だ。
それまで全剣連初段前から斬
稽古はやっていた。
使用刀は備前長船則光で。
別名丸太斬則光。
居合においても、初段前から
真剣を私は使用していた。
居合稽古の最初の年には私は
1日500本を半年抜いた。
ゴルフでいう「下手固め」で
はなく、正しい刀法と身体の
動きを実践する事を通して。
打ち込み稽古もこなし、立木
が枯れた。
この動画はいわゆる畳表の刺
しではない置き据えの切りだ。
畳表巻きというのは巻き藁の
代用物として小林康宏刀の試
刀家でもあった先輩先達の新
陰流の方が1970年代に考案し
た。1980年代から代用品とし
て畳表巻が横浜鶴見を発信源
として関東に広まった。その
後全国的に普及した。
その源の系列にある私たちは、
正しく「畳表」もしくは「表」
と称した。
識別力ゼロのように畳表の事
を「巻き藁」とは呼ばない。
藁とは稲の茎の事であり、畳
の内部に使われる。
だが、畳の表面に打ち縫われ
る畳表はイグサである。全く
の別物。
太陽を月とは呼ばない。
現在、きちんとした日本の近
代武術の歴史を知らぬ無知な
者たちは、畳表巻の試斬が大
昔からあったかのように思い
込んでいる。
そしてその認識不足は更に
悪弊を発生させている。
而して曰く、畳表巻を指して
「巻き藁」と。
自称「藁斬り」と公表してい
る者も出る始末。ほとんど巻
藁などは切っていないのに。
それって、「二輪乗り」と自
称公開拡散させていながら、
実は三輪車しか乗っていない
人間みたいだ。
とりわけ武技においては、識
別力無き事態は本来は死を招
くのに、その危機感の自覚さ
え無い。
それは武人ではないからだ。
置斬(おききり)は、きちんと
刀法を会得している者ならば
難なく切れる。当たり前の事
だ。日本刀を腰にたばさむ刀
術者であるのだから。
連盟の段位などは一切関係な
い。
高段者でも真剣刀法が一切で
きない人間などはごまんとい
る。
要するに、学業=学術と同じ
で、何事もできる者はきちん
とできるし、できない者はで
きないだけの事なのである。
これは剣を使う道だけでなく
どの世界にも共通している。
オートバイの適正乗車と走法
も全くそれであり、できない
者はいつまで経ってもできな
い。学校の勉強と同じと考え
れば分かりやすいだろう。
学校の勉強などは同じ術系で
も簡単なもんだ。脳だけを駆
使すればよいから。
境界知能を超える平均値の知
能を有していれば、やり方次
第で学力などはどんどん上が
る。小学校の時の訓練と手法
のキモを押さえさえすれば。
IQ160などは学業には必要な
い。
本当は他の分野も同じだ。
ただ、術技が超上級者となる
と上級者同士が集まった世界
では極めて質の次元が高い分
野が構成される。
これはスポーツなどでは全く
全てがその世界となる。
誰でも大工さんにはなれるが、
本当に腕の良い大工などは国
内でも一握りだ。
それと同じ。
術系で一番簡単なのは学術で
はなかろうか。
頭で理解して把握する事で学
術学問勉学の全領域がまかな
える。こんな簡単な事は無い。
それに身体運動とかが加わる
としたら非常にできるできな
いの範囲は人間においては狭
められて来る。
それゆえ、頭だけでなく身体
を使う運動系の技術は、でき
る者とできない者の開きが発
生する。
ただし、それもまた学業と同
じで、教え方次第、学び方次
第ではグングンと実力がつく。
俯瞰するに、何事も「できな
い人」というのは、できるよ
うになろうとする脳の意志が
乏しい。100mを全員が10秒
台で走れ、と課題化されてい
るのではない。
だが、100mを10秒台で走る
には、それを目指すところに
自分がまず立たないと、どん
なに先天的な才能があろうと
も、それは結果などは生まれ
ずにゼロだ。
そして、「できない人」の多
くは、そのスタートにさえ立
とうとしない。
それは「できない」くせに自
分ができると誤認して世間に
触れ回る人間と内実は等しい。
武術の世界ではできない人間
であるのにできるかのように
拡散させて集客集金しようと
している族がここ10数年程で
非常に多いが、武術というの
はさほど困難な道ではない。
誰でも一定程度の遣い手には
なれる。真面目に素直に稽古
していれば。
ポケットビリヤードにおいて
も、こんな事は簡単な事なの
だ。
技法として「超絶技法」の類
には属するのだろうが。プロ
でもプロ全員ができる訳でな
い、という事実の点において
はいわゆる「高度な技法」な
のかも知れない。
引き玉 〜ドローショット〜
ナインボール(9番が点玉)の
マスワリからブレイク後の配置
で、黄色1番玉が一直線で手玉
ネクスト出しの振りがない。
そこをマッセジャンプショット
でロングドローさせて手玉を
次の青色2番をポケットできる
位置まで引いてくるショット。
この手のショットは私はよく
使う。マッセマンであるとい
うのもあるが、立てキューで
のドローとかはプレーヤーと
してはごく普通の当たり前の
事だ。一般的には超絶技法の
ように世間では言われるが、
私らの撞球師界隈のレベルか
らすると、ごく普通のありき
たりの通常日常ショット技術、
シュート技術、手玉コントロ
ール技術でしかない。イチロ
ーのレーザービームのように、
できる者にとってはいわゆる
アベレージのプレーでしかな
い。
このワンショットにしても、
「できない人」や「素人」か
らしたら「超絶技法」に見え
るのだろう。
最近ネットで多くて呆れるの
が、できない人や素人向けに
ごくごく当たり前のしかも低
レベルな常識的な事を動画等
で拡散させて、大衆の耳目を
集めようとする人間が滅多
矢鱈と多い事だ。
それはオートバイの乗り方で
も然り、武術(特に真剣を使
用した刀術)でも然り。
特に日本刀を使った刀術にお
いて多い。
見る人が見たら一目で判る武
芸ド素人丸出しなのに、偉そ
うに先生ぶっていたり、素人
を周囲に集めて「凄い」と言
わしめたり、真の達人が条件
がひど過ぎるので断ったテレ
ビ出演を安請け合いして無様
なまるで「切れてない」姿を
曝して、素人騙しで達人ぶっ
たりしているのも登場しはじ
めた。
「浜の真砂は尽きるとも
世に盗人の種は尽きまじ」
とはよく言ったもので、見る
に堪えない低次元の業を見せ
る破廉恥ぶりを映像化したり
している。
これは、本当に武人として恥
ずかしい限りなのだが、本人
は達人であるかのように自認
している御仁の多い事よ。
あまりに術技のレベルが低す
ぎて話にならないが、刀法に
おいて、危険な所作も発信し
ているので、由々しき事態だ。
さしあたり咥えタバコのまま
偉そうに日本刀を振り回すと
かはやめておいたほうがよい
だろう。いくらド素人を騙す
にしてもだ。それはあまりに
も日本人として、無い。
世の中、「できる人」と「で
きない人」がいる。
できない人の多くは、できる
能力があるのに、自らそちら
に向かおうとはしていない。
そして、基本的にできる人た
ちはできるようになろうとす
る意識性はあまりない。
ごくごく自然に素直な心と頭
をまっさらにして邪念を一切
抱かず、その物事に集中して
取り組んでいるだけだ。さら
りとしながら。
そして、できるようになる。
「できる人」になる。
学業も各分野の技術系も、凡
そ「技」「術」に関する事案
はそうしたものだ。
自転車に乗れるようになるか
ならないか、の違い程度の事
でしかない。
ただし、できるようになるに
は、心が清く正しくまっさら
でないと、絶対に「できる」
という領域に人間が進む事
はない。
これだけは確実だ。
それは真に「できない人」の
多くが人並み以上に邪心を有
する者たちで占められている
のが反証的に事実を現出させ
ている事からも明らかだ。
心やましい者は、要は何やっ
ても実はダメ、というやつね。
「盲信の正義感」で大量殺人
をする独裁者とか典型てやつ
ね。
ああいうのは「できない人間」
の典型。
私は1970年代はずっとアライ
使用だったが、後にNOVA→
SHOEIに移った。
今でも一番ショウエイのメット
が好きだ。
実は1960年代末期~1970年代
末期の学生ウンドのにーさん
たちはショウエイドカヘルを
被る人たちも多かった。
元々は工事現場の安全帽屋だ
ったから、1970年代にもショ
ウエイのメットは多く出回っ
ていた。ウンドのメットとい
うのは年代物が多く、1970年
代末期でも10年前の残存ヘル
をまだ使うというケースが非
常に多かった。
そして、たとえば、銀ヘルで
あろうとも、剥げたら下地に
赤が出て来たり、黒がさらに
その下にあったり、その下に
は青があり、全部色が剥げた
ら実は白ヘル、なんて事もザ
ラにあった。他セクトとの戦
利品を10年以上使いまわし、
というように。
そうなると安全帽の意味ない
のだけどね(笑
1960年代末期物は、帽体の
周囲の縁に紐が5センチおき
くらいで縫われた物で、こ
れが1960年代の定番だった。
紐でインナーと連結させず
に外周がつるんとしたドカ
ヘルの登場は1970年代中期
以降だ。
そのため、1960年代末期の
国内状況を描く映画などに
登場させるウンドメットは
現物がもうないだろうから
外周を太めの丸紐で縫う加
工をしないとリアル感は描
写できない。インナーの頭
部保護のフロート部は全部
布紐が1960年代末期ドカヘ
ルの定番でもあり、樹脂製
の平べったいライナーは無
い。基本的にサイズ調整が
全くできないのが1960年末
期に東大安田砦前に集合し
た学生たちのドカヘルの定
番だった。
その後、インナーは布紐の
まま、帽体の外周に紐縫い
ではないツルンタイプが70
年代に登場し、やがて完全
に樹脂の平板物ライナーに
変化して、それがほぼ完成
形として現在に至る。
ドカヘルにも歴史あり。
(ジョン・レノン)
ショウエイは私が高校の頃
に二輪専用の独自メーカー
として本格的に展開しはじ
めた。
当時の二輪界での印象は決
してトップクラスの一流ど
このヘルメットメーカーで
はなかった。
レース用のヘルメットは海
外製が圧倒的に良質物で、
日本では唯一アライのみが
新井商店時代から研究開発
が進められて良質製品を作
っていた。
1980年代に入ると、様相が
一変する。
アライを使う世界グランプ
リライダーが爆発的に増え、
世界グランプリレースで新
進気鋭のショウエイも幅広
くライダーへ供給し始めた。
日本製の車両が世界一にな
る時代には、日本製の周辺
製品も格段に良質化し、ジャ
パンアズナンバーワンの時代
を築いた。
国産ヘルメットの雄はアライ
とショウエイという図式とな
ったのだった。
アライとショウエイのヘルメ
ット造りのコンセプトは異な
り、同じ安全性を確保するに
も、SHOEIヘルメットは一般
公道ユースにも焦点を絞って
レース用とは別物路線として
アライよりも広範に展開して
いる。
1980年代には、世界グランプ
リでも被れるレース用を公道
でもごく一般的にごく多くの
ライダーも被っていた。
これはアライもショウエイも。
だが、現在はレース用は特化
させて金額もかなり高額にな
っている。
そして、一般公道用はそこそ
こリーズナブルな金額には
押さえているが、それでも今
の時代にはヘルメット1個が
6万円~8万円ほどはする。
1980年代はWGPで使えるヘル
メットでさえ3万円程だった。
1988年で月給30万円だった
勤め人が現在月給が75万円に
なっているだろうか。否だ。
国民平均所得は1980年代より
増えるどころか低下している。
少子化であるのにだ。
だが物価は上昇の一途。
現在の物価上昇は異常である。
というか、先進国では日本だ
けが経済が低迷している。
つまり経済対策は全く国にお
いて出来ていないのが日本。
無策。
いや、支配層は策は都度弄し
て来た。
アベノミクスのような出鱈目
が実現させたのは経済格差を
広げ、国内で大企業や富むべ
き層のみ富ませ、圧倒的大多
数の人数の国民勤労者は苦し
みあえぐ状態にした現実しか
無い。
ヨーロッパなどは日本人の
平均収入の遥か上を行く。
欧米の勤労者の月給平均など
は70万円~80万円だ。
通常、そうなっていないとお
かしい。国の運営としては。
誰がこんな日本にした?
それはそれ、日本国民たちが
大好きな政権与党と政財界の
お歴々がそのような国にして
いる。
つまりは、日本国民が自分で
今の状態を選んでいるという
事。
くそみたいな人間が選挙で返
り咲いたり、情報操作で洗脳
された愚者たちが何が何だか
も自分の頭で考えられずに選
挙権を行使すると今のような
世の中になる。
なるべくしてなった。
国民の生活が世界先進国レベル
で日本が異常な数値で苦しいの
は、それは日本人のせいだ。
馬鹿を選ぶとバカな国になる。
これ、当然の天の理。
二輪車両のほうは価格抑えは
メーカーさんは頑張ってると
思いますよ。人件費削減の為
に海外拠点に生産基礎を置く
という資本主義≒帝国主義的
生産構造では限界あるけど。
理由は第三世界が発展して先
進資本主義国化したらさらに
ほかの発展途上の国に移動し
て生産、という繰り返しをや
ってどうにか命脈を保つのみ
が基本構造なので、全世界が
豊かな国になったら、そのよ
うな経済侵略システムでは
たちゆかないから。
資本主義というのは高度に発
達すると帝国主義段階に入る
のだけど(現行はそれ)、そ
の国家体制は軍事的ならびに
経済的な弱者国家への侵略と
搾取収奪によってしか成り立
たない。
これは19世紀に産業革命が新
興して以降の列強各国の社会
構造の鉄板として現在まで存
在する。
そして利権の分捕り合いが帝
国主義国家段階に移行した国
家間で必ず起こる。システム
としてこれはもう必須必至の
現象として発生する。水利争
いのようなものの大国家規模
での国家間利権争いが戦争と
いう手段での解決をみようと
して必ず起こる。
だからWW2という世界泥棒
合戦が発生したが、この先も
同じ構造にさらにタチの悪い
偽赤国家や元偽赤国家とイス
ラム教圏が混じって利権争い
が確実に軍事的な形態を伴っ
て発生する。主義主張とかで
はなく構造として。
そのうちWW3は起こるでしょ
うね。
資本主義というのはそろそろ
もう限界。
ただし、マルクスが予想した
ような事にはならない。
資本主義国家群の首脳たちが
過去を学んで自己回避力と手
法を見つけたから。
それは平和や経済援助や環境
保護を名目にした新侵略方式
というものを。
最近では偽赤帝国もそのやり
口を模倣してアフリカを足掛
かりにアジア全域に根を張ろ
うと画策し、あらゆる手段で
その方針を実行している。
日本などは国土そのものが
どんどん買い取られているが、
国も全く手を打たない。
今、それらが化け物となって
欧米のみならず地球上を席巻
している。旧体制の西も東も
ない。すべて同族だ。世界支
配を狙う者たちとして。
苦しむのはいつも被支配層の
人民だ。
だが、被支配層は自分らが支
配されているという階級意識
さえ消滅させられ、一から十
まで洗脳漬けである事を自覚
もできない。
万国の労働者、半ケツせよ!
とかやっても、それらのネオ
支配層勢力には多分負けるだ
ろう。
半ケツはとても大切なんだけ
どね。
半ケツ。