駅馬車 | ジョン・ウェイン | カラー化 | 日本語字幕
これすごいよ。
1939年の名作「駅馬車」の
デジタルカラー化。
ところどころ色飛びはある
が、あの名作が総天然色(笑)
で観られる。
古いフランス映画とかはモノ
クロのほうが味があるが、西
部劇だきゃあカラーのほうが
いい。
なぜならば、広い青空と荒野
の風景はカラーのほうが映え
るからだ。
それと黒い拳銃。実は銃は
ブルーイングなので深い青
だというその色合い。
それはカラーならではだ。
今風の言葉でバエってやつ。
ジョン・ウェインはコルト
SAAを使うのは巧かったが、
ブーツを履くと2mを超える
大柄なので、小さな拳銃だ
と映えが悪いのでライフル
を使うのが定番になったと
いう。
ジョン・ウェインに「君は
俳優としてやって行った
ほうがいい」とアドバイス
をしたのは、ワイアット・
アープ実物本人だったとい
う逸話がある。
ジョン・ウェイン(1907-1979)。
アイオワ州ウィッターセント
生まれ。本名マリオン・ロバー
ト・モリソン。
この写真は1930年。ワイアット・
アープ本人と出会って後、ワイ
アットが亡くなった翌年。
晩年のワイアット・アープ。
(1848-1929)。本名ワイアット・
ベリー・スタップ・アープ。
西部劇を観るには、テーブル
の上にごろんと無造作にピー
スメーカーを置いて観るに限
る(笑
俺の東京の友人のバイク乗り
の西部劇好きの奴は、西部劇
観る時には本物の実銃用ウエ
スタンガンベルトを締めて、
ホルスターにピースメーカー
をブッコんで西部劇風椅子に
座ってバーボンウイスキーを
飲みながら映画を観るという。
やりすぎだっつーの(笑
そういえば、今94才になる西
部劇好きの私の居合の師匠も
ガンベルトとモデルガンを買
って持っていた。道場の片隅
の棚にゴロンと転がってた。
どうして銃とガンベルト?
と尋ねたら、「だってカッコ
いいでしょ」ですと。
好きですね~、皆さん(笑
今は亡くなった居合の先輩も、
家にはSAAがあって、カリン
カリンにチューンしてたし。
西部劇ファンはハマりんぼが
かなり多い。
そうだ、そういえば俺もだ。
今は相当数を減らしたが、コ
ルトピースメーカーは80丁位
持っていた。
アホやで。
つーか、子どものメンコ集め
の感覚(笑
持ってるやつは全部気に入っ
てるが、一番手にしていじく
りまわすのはいつも一丁とい
うパターン(笑
玉撞き棒と一緒で。
サイトなんていらねえのす。
でもさ~。
思うに、1800年代後半~末期
のアメリカの西部開拓時代っ
てのは野蛮だよなぁ。
南北戦争時代のすぐあとが戊
辰戦争で、日本でも西部開拓
時代の武器が多用されたけど、
新政府樹立後は最初は暗殺や
テロも横行したが、すぐに
治安国家体制に日本はなった。
1877年の最後の内戦の西南戦
争以降は。
アメリカがまだフロンティア
が消滅せずに西部では無法が
横行していた銃暴力の時代は、
日本ではもう自由民権運動が
始まってた時代でしょ?
暴力ではなく言論で民権を確
立しようと壮士たちが奔走し
て。「腕力はやめたまえ。官
憲横暴!」とか民主人士が叫
んでさ。
アメリカ西部なんて「やかま
しいわ、ドン!」と銃をぶっ
放して人殺しするのがまだ
横行していたのだから。保安
官が人殺しして逆に自分の指
名手配書回ったり。ワイアット・
アープとか。
そのアープ実物本人に俳優業
を勧められたジョン・ウエイ
ンが1939年の映画『駅馬車』
では本物のアープが1880年代
に追っていたリンゴ・キッド
を演じるというのは、何とも
歴史の皮肉。
独協大で新左翼のモロ本職活
動家だった根津甚八が後年よ
ど号ハイジャックの日航機機
長を演じた時のようなものか。
(ゴルフクラブで学内に潜入
した公安デカを見つけ出して
スボコにしっぱたいちゃった
のは、あれは確か根津さんの
グループだったのでは)
まあ、それにしても、日本の
ほうが1880年代末期のタイム
リーには、法治国家として熟
成度もアメリカに比べると先
進国だったぜ、こりゃ間違い
なく。
日本は戊辰戦争の丁度100年後
に今度は大荒れに荒れたけど
ね。100年後の志士たちによっ
て。