
巷間人口に膾炙されている
話ではあるが、ピアジオ車
の標準タイヤは意外とプア。
接地感が掴みにくいのと、
寝かし込んで行くとタイヤ
の滑り出しがかなり早い。
三段逆スライド方式のオッ
トットだ。
真っすぐにただゆっくり走
っている分には問題ないけ
ど。
タイヤ、よく喰いつくやつ
に替えるかなぁ。

どっこい大作 第01話[公式]
私がよくいう「どっこい大作」
とはこれのこと。
「OK牧場」みたいな感じで言
ってる。
この1973年放送の「どっこい
大作」ではオープニングにい
くつかの蒸気機関車が出て来
る。
D51 593
D51 234
D52 140
D51 593(再)
SLマニアには堪らないの
ではなかろうか。
なぜならば、史料としての
日本にある国鉄蒸気機関車
全リストにも載っていない
個体が出て来るからだ。
私の世代は小学生時代には
まだSLは現役でバンバン走
っていた。
SLの現役最後の運行はJR九州
のSL人吉を牽引する58654号
機で、ことし2024年3月23日
に101年におよぶ運行現役を
終了した。
現在も観光限定路線で乗れる
SL列車がいくつかはある。
鉄道マニアの方だけでなく、
他の方々も機会があったら
蒸気機関車牽引列車に乗っ
てみてください。
電車やディーゼル車とは全く
異なる趣があるから。
鉄道の原初に触れる旅にぜひ
どうぞ。
最初、動き始めの時に動輪が
周ってガッタンと音がして
列車が動き出す。
そして汽笛が鳴り響き、煙
もくもく。
トンネルでは窓を閉める。
鉄橋も通る。
ずっと鉄道が生まれてから電
車が登場するまでは人類の鉄
道といえばSLだった。
私も何度も乗ったが、これ
までで一番良かったのは埼
玉の秩父を走る蒸気機関車
だった。
1990年代初期に居合の先輩
と三峰神社に行ってみよう
という時に乗ってみた。
たまたま列車待ちの時に来
たのがSLだったので驚き二
人で喜んだ。ラッキー、と。
最高のちょい旅となった。
日本刀を道着を入れたケース
とバッグを脇に抱えてさ(笑
小学生の頃は学校でSLがプチ
ブームとなった。
マニアみたいに詳しい奴が
結構いた。
私が一番好きだったのはC11
だ。ちっこくてかわいい奴。
昔から国内ではなぜかD51が
デゴイチという愛称で好きな
人が多かった。
個人的にはD51よりもC62が
魅力的だったが、好きなのは
C11だった。
自動車やオートバイと同じ
で、蒸気機関車を設計した
り製造したりするのは夢が
あったろうなぁ。
あと飛行機と船も。
いいぜ、蒸気機関車。
来年の春には三原市内の
佐木島に原付で桜の花見
ツアーに行こう!
という話が持ち上がって
いる。
近場のちょい原付散歩だが、
佐木島の千本桜は見事らし
い。
私も見た事無いので、今か
ら楽しみだ。
広島県に転住した時、花見
の様子が東京とは全く異な
るのでびっくりした。ガラ
リと違う。
東京は大量の人出で大宴会。
そこらじゅうでシート敷い
て車座でのどんちゃん騒ぎ
で、警察も出動する乱痴気
喧嘩騒ぎ勃発も常だった。
広島県の花見は静かで厳か
で、まるで武士たちの花見
のようであたしゃたまげた。
所かわれば人の気質も風習
も変わる。
火事と喧嘩は江戸の花、と
いう気風は新都東京にも残
されていた。
ま、なんてのか東京もんは
今でも喧嘩っぱやい。基本
バカだから(笑
でもあとくされも腹にも何
もない。
山口素堂が幕末に狂歌で詠
んだ。
江戸っ子は 五月の空の吹き流し
口先だけで はらわたは無し
と。
ちなみに素堂の子孫の弁護士
に私が割り当て担当事務職と
して就いた事がある。数代前
の戦前の人は戦前に都内某区
の区長で自宅は今も大邸宅大
豪邸だ。
自宅整頓で休みの日に呼ばれ
て手伝いに行ったら、某区の
住宅街の一角の通りの端から
端まで屋敷の敷地でおったま
げた。野球場みたいな広さの
宅地が都内23区内にある。
なんだここ?だった。御苑か
よ、みたいな。
もうね、こんな感じ。
「なんだ?この家?」(BY 長介)
東京の花見は派手だ。
最近はコンプラ警察がうる
さくて都内も静かみたいだ
けどさ。
花見原付ツアーもいいかも
しれない。
お弁当作るか買うかして持
っていってさ。
お酒はだめだけどお茶で花
見。
いや、まじでいいかも~。
朝6時台におばちゃん買い物
バイクで朝原。朝原付走り。
ちょいと近所のコンビニまで
コータバ買いに。
近いので歩ってけるが、だり
ーから原付外出。
すっかりと朝は寒くなった。
JOGポシェよりビーノのほう
がずっと直進安定性や旋回
能力が高い。これは乗り比べ
ると実感する。
同じエンジンだけど、この違
いはシャシやステアのアライ
メントの関係だろうなぁ。
正直、乗って走るのは2スト
VINOのほうが良質走行性能
を示す。
母親のJOGは私が完全整備し
ているので調子はド快調な
のだが、乗ってみるとVINO
のほうが何かと走りは上だ。
2ストVINOは私の所有時代
にはやはり私自身が整備し
て超快調でポンポンとウイ
リーマシンに仕上がってい
た。
キャスターはやや立てたセッ
ティングというのも旋回力
が高かった背景にあるかも
しれない。
タイヤは前後とも真横のエ
ンドまで潰れ減る乗り方で
も車は安定している。
リアが上に伸びた関係から
センタースタンドもSUSの
丸棒3センチ溶接増しでス
タンド高を上げた。
ゆるキャン△でビーノが有名
になる前から2ストビーノは
良い車と原チャ乗りたちには
言われていたが、やはり思う
に2ストビーノは走り自体が
かなり良い。乗り手にもよる
が。
スイングアーム方式チェー
ン伝導駆動のオートバイと
は後軸方式が異なるので、
オートバイとは挙動が異な
るのがスクーター。
こうした車では後輪ブレー
キも積極的に前後同時制動
として使っていきます。
また、手の指でレバー操作
するので、ブレーキペダル
を鈍感な足で踏み込み操作
するのとは全く異なる繊細
な後輪制動操縦が可能です。
新選組血風録
(栗塚旭 島田順司 左右田一平 対談)
これは凄い番組だ。
超基調映像。
こちら1965年の不朽の名作
テレビ時代劇ドラマ。
新選組血風録 第01話[公式]
私も家族も当時タイムリー
に見入っていた。まだ園児
だったが、本作品は克明に
覚えている。
現実に新選組の池田屋斬り
込みはこの作品の約100年
前の1864年7月8日(旧暦6月
5日)に実行された。
司馬遼太郎の原作を読んだ
のは12才、1973年の中1の
春だった。
司馬遼太郎作品の「新選組
血風録」は唸った。「燃え
よ剣」はまだ未読だった。
私は司馬遼太郎作品は1973
年に「燃えよ剣」から入っ
た。
丁度日本刀を本格的に研究
し始めた翌年だった。
「菊一文字」と「兼定」に
ついては、実際の歴史とは
違う脚色だと原作を読んで
初めて気づいた。実刀も
異なる。実際の土方歳三の
差料の会津兼定と関の名刀
二代目之定はまるで別物だ
というのは中1の時に知った。
原作では「虎徹という名
の剣」の項はかなり面白い
し良い話だが、実話の鴻池
との関係と一件も元ネタに
なって原作では描かれてい
る。
原作小説にある江戸の愛宕
下日蔭町の刀屋が近藤を騙
す下りは創作だが、非常に
面白い物語となっている。
土方が刀屋を呼び出し、偽
物を売ったとばれて首を刎
ねられると家族に水杯の上
参上したが、土方に礼を言
われ、目を上げると眼光鋭
く見つめる土方に怖れおの
のいて刀屋はひれ伏す。
そこに土方が言う。
「お主は商売人だな」と。
沖田総司の差料の入手譚の
「菊一文字」の項は完全な
司馬遼太郎の創作だ。鎌倉
御番鍛冶の備前則宗が現実
の沖田総司の差料だった筈
もない。現代ならば国宝級
の作者だ。
私は一度正真備前則宗を観
た事があるが、その時の価
格は5,500万円だった。
なお、司馬遼太郎『新選組
血風録』の原作で中学の時
に一番感動した項は「沖田
総司の恋」だった。これは
実は実話が元ネタになって
いる。そのあたりの悲嘆は
新選組関係者に実際に取材
した昭和初期の子母澤寛の
著作に詳しい。
沖田が恋した京の町医者の
娘は近藤と土方が嫁に貰い
受けようと医師に迫ったが、
医師のほうで新選組と恐怖
し、理由をつけて断った。
破談となったのを知った沖
田は「そんなのじゃないの
に」と言いながら涙したと
いう。
ただ、実際には謎の「沖田
家縁者の墓」という墓碑が
京都に残されており、これ
は沖田総司の内縁の妻の墓
ではないかとの説がある。
そしてTV時代劇版の本作
『新選組血風録』でのその
編は、町医者の娘役の女優
さんが後年の『夏子の酒』
(1994)の頃の和久井映見さ
んにそっくりな女優さんで
実に可愛かった。1965年
撮影時の当時の国内の女性
の言葉で「いけませんわよ」
「~でなくってよ」という
台詞を話している。なぜか
京なのに江戸弁(笑
1965年の実写版では原作の
うちの2話を1話に結合させ
て「総司の恋」編にしてい
る。京の町医者とその娘と
の沖田総司のやり取りが見
所の良編として実写版では
作品がまとめられている。
実に爽やかで、プラトニック
な清涼感ある小編の仕上がり
になっているのが「菊一文
字」の編だ。
刀の命は七百年経とうが生
きている。沖田は医者から
余命いくばくもないと告げ
られていた。
だが、総司は飄々と達観し
ていて、そうした中で町医
者の娘との関わりに冷静か
つごく自然に、ほのかな幸
福感に似た思いに浸ってい
たのだ。ドラマのほうでは
沖田と町医者の娘との別れ
は描かれてはいない。
『新選組血風録』は原作も
実写ドラマも新選組の人間
像が小説らしく「~譚」と
して描かれている秀逸な作
品である。人と人の心の在
りかを描いた作品。
実写ドラマ版は脚本が傑出
した良作であり、まだ新人
だった新劇出身俳優たちの
つたない演技もごく自然で、
返ってそれがリアル感があ
り、とても良い。
「作り物」的時代劇ではな
い日常語を話す時代劇とい
うのは、実は歴史上『新選
組血風録』が初めてだった。
そういう意味でも歴史的な
金字塔作品が本作実写版だ。
原作のほうはいうまでもな
く、司馬遼太郎の代表作だ。
元ネタは実際に生き残って
いた新選組関係者の取材調
査をまとめた子母澤寛の作
品三部作に基づいて司馬遼
太郎が構想を膨らませて纏
め上げた戦後の名作である。
司馬遼太郎の『燃えよ剣』
は土方歳三の生涯を描いた
大作だが、私は珠玉の名作
は間違いなく『新選組血風
録』だと思っている。
書籍は初期単行本、文庫本
含めて6冊ほど持っている。
予備の保存用も含めて。
特に挿絵のある単行本、文
庫本が最高の紙面編集だ。
及ばずながら私がその挿絵
作画者のタッチを模して描
いた絵。こういう空気の絵
が「血風録」には挿入され
ていた。
「20両で虎徹」は無理だが、
現代価格にすると幕末の20
両は約60万円だ。実勢価格
は現代では虎徹は1口1,500
万円程。映像劇中の山南敬
助の言と奇しくも一致する。
現実では池田屋の時の近藤
勇さんの実刀は虎徹ではな
かったが、その後は正真虎
徹を何口か所有していたの
も事実だ。
近藤氏は最後は正式に幕臣
旗本の陸軍奉行並になった
が、非業な最期を遂げた。
私は縁あって、近藤氏を
弔った寺の住職に請われて
毎年近藤勇さんの遺品の短
刀を手入れしに参内してい
た。
無銘だが備前物の古い短い
短刀だ。
手入れをしていると涙がい
つも溢れて来た。
「さぞやご無念だったでし
ょう」と。
私の血脈は新政府軍側だっ
たが、個人的な一介の人士
としての気持ちは、いつも
今でも佐幕側に心を寄せて
いる。
これ、さりげなくサクサク
入れてるように見えるけど、
実はこの3球はかなり高等
技術を使って絶妙な事をや
っている。
こういうのは解る人でない
と観ても判らない。
オートバイのライディング
もそうで、極めて安全で的
確適切な操作と運転と走行
をしているのに、ものが見
えない人間はそれを見て危
険だ危険だと騒ぐ。
識別力のレベルが低すぎる
から事の真実がわかってな
いのだ。