夕方釣りに来たら変な鳥に
出会いました。
かわいい。
カツオドリのヒナ。
充電不良診断の落とし穴
アドレスV125編
CF46A CF4EA CF4MAなど
こういう動画は本当にために
なる。
車両に何らかの不具合が発生
した時、見立てが誤っていた
ら、四輪車もだが、バイク等
のトラブルは全く直せない。
この動画のような誤診をして
しまった事まで詳細に解説し
て解決方法を開示してくれる
のは、とてもありがたい。
1990年代、学生時代の後輩
が通勤の足やチョイノリで
使いなよ、とスズキアドレ
スV100を一時期貸してくれ
た。本人曰く「都内最速」
との事。
めちゃくちゃ速かった。
この機種は別名「通勤快速」
とも呼ばれ、朝の都内の通勤
レース出場者の多くがこれに
乗っていた。爆速。
2ストローク 9PS/6000rpm。
原付50と変わりない小さな
車体にハイパワーエンジン。
いやぁ、これは凄かった。
歴史的に20数万台売れた人気
機種で、「原付2種スクータ
ー」という市場を確立させた
車両でもあった。
やるね、スズキ。
私が「原付2種スクーターっ
てこんなに面白いの?」と
覚醒したのはスズキのアドレ
スV100によってだった。
当時、その通勤快速アドレス
V100の話をバイク仲間の友人
たちとしていたら、そういえ
ば、と話題になった。
思い出すに、国内ではすでに
爆速超絶原付2種スクーター
が1980年代前半に存在してい
たのだった。
それがヤマハのトレーシィ
CZ125だった。
16PS/7000rpm。
考えられないハイパワーだ。
「スクーターのRZ」とまで
言われた超速スクーター。
1983年6月リリース。
ヤマハRZが二輪界を支配した
ような時代で、そこにヤマハ
撃墜でスズキがRG250ガンマ
を発売して世界中を驚かせた
時期だった。
ヤマハのトレーシィ125は伝説
の原付スクーターだった。
「速い事は正義」「軽い事は
正義」「ハイパワーは正義」
の時代の乗り物だった。
超速バイクの宿命、現在、乗
り尽くされ、使い切られて中
古車個体は市場には無い。
小排気量車のハイパワーマシ
ンは寿命も短い。
EXHAUST SOUNDS "Tracy (CZ125)" 1983
【緊急】ホンダとヤマハの原付
【走行中転倒の恐れ】65万台リコール。
原付専門動画チャンネルの
原チャンねるは迅速配信で
今回の原付大量リコールに
ついての解説動画を公開し
た。
こうした解説動画は原付ユ
ーザーとしては助かるだろ
う。
今や新車では一切販売されて
おらず、絶滅危惧種となった
原付の黄色ナンバー車が貴重
だ。
道交法と運行法では車種区分
の呼称が異なる。
免許上は「自動二輪小型」枠
であっても、車両区分は125
までは「小型自動二輪」では
なく「原動機付自転車2種」
となる。
原付2種の交通法規は法定速
度も右折方式も普通・大型
二輪車や普通四輪車と全く
同じ。
60km/h法定速度であり、標
識が70km/hの一般道では70
まで速度を出せる。日本国内
には自動車専用道ではないの
に80km/hの制限速度の一般道
路も各地に存在する。高速道
路である通称「しまなみ海道」
の全線70km/h規制よりも高い
速度だ。
「速度規制の目的と現状」(警
察庁資料)によると、一般道の
うち、道路構造の水準が高く
事故などの危険が少ない走行
性の高い道路については原則
規制速度を時速70kmまたは時
速80kmにすること、と記載さ
れている。
原付2種は原動機付自転車区分
であるのに、そのような道路
では原付で80km/hまで出して
も違反にはならない。
「原付」には普通四輪免許を
取得すると自動的に運転でき
る二輪50ccまでの「原付1種」
と51cc~125ccまでの「原付
2種」が存在する。
さらに原付2種は二つに区分け
されていて、51~90ccまでの
エンジン搭載の原付二輪は
黄色ナンバー、91~125ccま
での原付二輪は桃色ナンバー
となっている。
新車では黄色ナンバー車両は
現在はメーカーからは販売さ
れていないので、イエローナ
ンバーは極めて貴重な車両と
なっている。
行政が徴収する二輪の税金
(2021年時点)
私のこの原付2種の車両は
実排気量が125ccぴったり
という変わった原付車種。
0.1ccでも排気量が増えたら
高速道路走行可能の軽二輪
車に分類される。
その後、この機種は124cc
にエンジン構造がバージョン
変更された。
私は1970年代の16才高1の昭
和時代に自動二輪免許を取っ
た。
1975年、日本の二輪免許制度
が大変更された。
それまでは「原付、小型自動
二輪、自動二輪」の三種の免
許があり、その枠組みは改正
後も変更がなかった。
だが、自動二輪枠の免許の中
に1975年10月から「自二車
は中型に限る」という400cc
までの限定条件付と限定無し
の排気量無制限免許が設定さ
れたのだ。
これは法制史上も歴史的な
「事件」だった。自動二輪の
限定無の免許=限定解除は教
習所では取得できない仕組み
に国が制度を変更したのだっ
た。
同じ自動二輪免許の中で二分
化させるシステムだった。
この排気量無制限の限定無し
免許は、警察の免許センター
の一発試験でしか取得でき
ない。
免許取得は超絶難易度を極め
た。もろに戦中の軍隊方式だ。
まず、服装や言葉遣いが悪い
と審査前から不合格。敬礼の
角度と同じく、後方確認の首
曲げ角度が少しでも試験官の
意に沿わないと不合格。
とにかく100%ロボットのよ
うな体の動きをしないと不合
格。とにもかくにも不合格。
晴れて免許を取得できるまで
10回20回は当たり前、という
「合格させない為」の免許制
度となった。
そのため、白ジェットヘルメ
ットに黒手袋に黒いブーツ着
用は「限定解除法第1条」と
まで揶揄された。現実にそう
だった。新任警察官のように
身だしなみも態度もピシッと
していないと実技以前に不合
格にされた。
10回以内で限定解除となった
ならば優秀なほうだ。私の知
る人では30回以上受けてよう
やく合格した人もいる。
この1975年免許制度の改変に
より多くの若者は400cc以下の
限定条件付対応機種に乗るよ
うになった。
現在の大型二輪とは異なり、
16才から二輪限定解除試験は
受験資格が国民には認められ
ていたが、完全なる「国家統
合の政策」として二輪の免許
制度は改変されたのだった。
国民に受験資格は認めても、
まず簡単には免許は与えない、
むしろ積極的に不合格にさせ
る事を趣旨とする、という制
度改変が1975年の二輪免許制
度改定だった。
この時期の限定付自動二輪
免許は乗れる二輪の排気量
が400ccまでだが、いわゆる
民間で俗称される「中型免許
=中免」というものは存在し
ない。中型免許という免許そ
のものが実在した歴史は無い。
126cc以上可はすべてが「自
動二輪」という免許だった。
1995年以降に初めて小型、
普通、大型という新設定免
許が登場した。
1975年~1995年(改正以前)
までは、自動二輪の限定付
免許で401cc以上を運転した
らただの「条件違反」だった。
1995年以降は無免許運転で
一発取り消し扱いとなった。
1975年以降からの二輪免許と
95年以降の二輪免許は法的に
も別物なのだ。
現在は401cc以上の二輪に乗
れる二輪免許は「自動二輪限
定無し(=限定解除)」ではなく、
新設の「大型自動二輪免許」
区分枠に変更されている。
かつての限定付き自動二輪免
許は「普通自動二輪免許」に
分類されるようになった。
ここにおいて自動二輪は完全
に三種類の免許、小型、普通、
大型という独立免許制度にな
った。従前のように自動二輪
免許の中に排気量限定条件付
き⇔限定無しという区分では
なくなった。普通自動二輪免
許で大型二輪を運転する事は
初めて「無免許運転」という
規定に変更されたのだった。
過去に取得した自動二輪限定
解除は自動的に現行の「大型
自動二輪」に区分されて免許
証の種類欄に「大自二」と記
載される。
従前に取得していた限定付自
動二輪免許(=自二車は中型限
定)は、現行法では別個に「普
通自動二輪(普自二)」と免
許の種類欄に別枠で現在は記
載される。
現行は従来の自動二輪免許と
は別免許扱いなので、それぞ
れは別免許として記載される。
四輪車で大型と普通があるの
と自動二輪も同じ扱いとなっ
た。
なお、昭和や平成時代初期に
取得した四輪免許(普通免許)
は、総重量8トン以内の四輪
中型車(いわゆる旧称4トン
車)までを運転できる特別な
免許に分類される。現在この
限定付四輪免許を新たに取得
する事はできない。
新たに総重量8トンまでのト
ラックを運転するには、普通
四輪免許では運転不可で、新
たに中型四輪免許を取得しな
いとならない。
この四輪免許の従前の普通免
許で8トンまでのトラックを
運転できる措置は、運送業者
のうち、普通免許で4トント
ラックで小配送をしている
職業運転手への失業を回避す
るための措置だろう。
私も大昔は引っ越しなどでは
普通免許で4トンロングトラ
ックをレンタルして引っ越し
等していたが、現行の四輪
普通免許では運転できない
仕組みになった。
今の新設普通四輪免許しか
持たない人が4トン(総重8
トン未満)のトラックを運転
したら、違反となる。
【CB250】DREAM CB250T G5を買う【HONDA】
バブではない。
その前の1970年代前半に登場
したCBセニアの後継機種のド
リームツイン。
動画では1973年式と言ってる
が、1970年に登場したホンダ
の250ツインはCB750Fourに
似せたデザインで人気が出た。
1972年にはセニアとしてフロ
ントがディスクブレーキ化さ
れた。マフラーは水平タイプ。
1973年型はセニアと呼ばれた
頃からの水平マフラーが後端
上がりとなり、細部が見直さ
れてドリームCB250T/360Tと
して登場した。
いわゆる族たちにバブと後年
呼ばれた機種は1977年に登場
したホークCB250Tの事だ。
ドリーム250Tの事ではない。
ホーク250は最初はヤカンタン
クと呼ばれた丸形タンクだっ
たが、不評ですぐに角タンク
に変更された。
高校時代にCB250Tを所有して
いた。
いろいろな機種を手放したり
乗り換えをしたが、CB250T
のみは大学4年次まで持って
いた。
1978年の高3の夏前に東京か
ら広島の親の家に移送した。
親が東京から転住した広島の
家に休みに行った時の街乗り
用で。
結構このホンダドリームで広
島県内も高校大学の時には走
った。学生の時にRZ350を購
入しても、休みのたびに広島
に行けばこのCBがあったの
で面白かった。
決してRZのような快速爆速
バイクではない。
だが、実に味わい深いオート
バイなのだ。
学生時代の後輩がとても欲し
がったので譲った。
例によって私のアルアルで、
その譲った後輩と同じ高校の
先輩(私と同学年)の人が今うち
のMCブラザーにいる。たまた
まの偶然だ。
高校時代には快速スポーツ
タイプが大人気で、このCB
は「とっつぁんバイク」とか
同級生たちには揶揄されてい
たが、これはこれで味のある
オートバイだった。
爆速疾走とは別向きの二輪と
みるべきだろう。1950年代に
はこうした直立二気筒が標準
であり、レーサーでもそうだ
ったのだが、四半世紀過ぎる
と古い形式のエンジン搭載の
オートバイとして位置した。
乗り味は、振動はあるものの
どこまでも走って行けるよう
な感じを与えるオートバイ。
いろいろ整備して完調にさせ
て乗っていた。ポイント点火。
きっちりセットを出さないと
左右でキャブや点火の同調が
崩れる。
360モデルと全く同じフレーム
と仕様だが、乗り比べてみたら
非力な250のほうが存外面白か
った。
うちらの時代には「25T(ニー
ゴーティー)」と呼んでいた。
1978年夏。都内の小学生
のイトコが広島に遊びに
行った時。跨って喜んでいる。
私が18高3の夏休みの時だ。
この時は、マフラーは集合
からノーマル2本出しに戻し
ていた。タイヤは前後TT100。
タンクはノーマルのオレン
ジメタリックライン物を自
己塗装でライトブルーに仕
上げていた。
ガンによるウレタン塗装。
78年春先頃に板橋区の志村
付近のガソリンスタンドで
給油した記憶があるので、
1978年前半時点ではタンク
は塗っていた筈だ。天井か
ら給油ホースが下りて来る
形式のガソリンスタンドだ
った。
プチカフェ改造していた頃。
FフェンダーはCJ250タイプ。
まだタンクとサイドカバーは
ノーマルのオレンジ色の頃。
於:荒川土手。
玉数が少なすぎて手に入ら
なかった。
だが、ヨーロピアントラディ
ショナルスタイルのCBのほう
で良かったと思っている。
ドリームCB250T。
このいじり方は頗るカッチョ
イイ。
湘南だけでなく、全国に海が
眼下に広がる住宅街がある。
景観も良く、心休まる場所な
のだが、全国的に住む人の頭
を悩ませる事項があると居住
者たちは語る。
それは塩害だという。
海が見えるかなり高台の住宅
地に住む人によると、海から
離れた高台であろうと海際で
あろうと、塩害によりかなり
四輪車や二輪車が傷むのだと
言う。それは内陸部では想像
もできない程に。
オートバイなどでは、メッキ
部分も浸食されてやがては赤
錆と化すというのが実情のよ
うだ。
海のそばに住めるなんていう
のは内陸部からすると夢のよ
う、とかよく言われるが、実
際に住んでいらっしゃる方々
によると、潮風の被害にどな
たも悩んでいるようだ。
海までちょいなんて、環境は
最高なんだけどね。
しかし、結構、深刻なじわり
じわりと車や家屋を蝕む潮風
による自然災害のようなもの
が存在するらしい。
それ、言われてみると分かる
気もする。
先日、ほんの短い距離をフェ
リーに原付で乗船しただけで、
バイクのセンタースタンドの
鉄部分に白く点々で潮噴いて
いたから。直接波が車両にか
かってなくとも。
海沿いに家があるのは良い面
とネガな面もあるのが現実の
ようだ。
私は馬鹿なのか?という程に
峠や平地ワインディングを走
って来たが、私はローリング
族ではない。
走り屋というのとも異なる。
ワインディングをスーッと
流して通過するだけ。
気に入ったロードレイアウト
ならばある程度の距離の区間
を行ったり来たりする事もあ
るが、特定コーナー限定で往
復する事は無い。
ただ、通過で流すだけ。
私は峠の流し屋だ。
ホンダがやった。
内燃機関が消滅させられよう
としている今、ホンダが来た。
世界初の電動過給機を搭載し
たV型3気筒エンジンを開発し
た。革命的なブイスリャーだ。
大型二輪に搭載される予定。
ここにきて、ホンダが大革命
をやった。
これは、走行性能も完璧なら
ば、歴史的な車が登場するか
もしれない。
ただ、シャシはエンジンに一
部フレーム機能を持たせる構
造であり、必要なしなやかな
よじれがオミットされる設計
のため、ステムとリアとのバ
ランス統合において、またも
や転倒必至のマシンとならな
いかという懸念はある。
二輪車はどんなに素晴らしい
エンジンが搭載されようとも、
シャシのトータルバランスが
単に高剛性を求めるだけだと、
乗ったら転ぶドン突き二輪に
なってしまう。
四輪やF1等の設計思想を二輪
設計に持ち込むと、造られた
二輪はどんどん「人間が運転
できない物」になっていって
しまう。二輪は二輪のみの設
計思想が必要なのだ。