『ロストブレット -窮地のカーチェイス-』
(2020)
オープニングシーン。
やめろ!バカチン!と思う。
監督も演出も役者も製作陣も。
フロントガラスに厚い難燃保護膜を
被せないでこんなことしたら、フロ
ントガラスは溶接スパッタで穴だら
けになる。120%なる。
こんなことをする自動車整備士や
カスタム技術者はいない。
自動車とは、普通自動車だろうと
大型貨物だろうと。
これが「腕の良い自動車整備士」です
と。
ふざけるにもほどがある。
いい加減な作りの物、最近多いなぁ。
クリームソーダ/ピンクドラゴン
の故山崎眞行さんの残した名言が
ある。
な位置での発生から連綿とした定
式がある。
はない。
ダサダサになる。ミリベレと同じ
なのだ。
ではなくトラッドなのである。
着る。
ほど格好悪いものはない。つまり
ダサい。
すぎる「分かっていない」モデル
が腹パンパンの様子で革ジャンを
来て「おしゃれでスタイリッシュ
な」などとコピーがつく。
ンディではない盤石の定番がある
のだ。








と着るのである。
肩キツキツで身動きできないよ
うな着方はしないのだ。
着こなしと身のこなしも併せて。
第一歩は、動きが阻害される型
紙の革ジャンは着ない事だ。
ジャンのカットデザインと着
こなしのキモなのである。
ほしい。小林旭にしろジミーに
しろマックイーンにしろビート
ルズにしろ、肩が落ちる程の
着こなしている。
防寒軍服であったことに由来し
ている。
機乗りのウエアが化学素材に変
更される頃に二輪乗りたちによ
って継承された。
キツキツなどを着たらマシンの
操縦は不能になる。
ながら、腰元は締まるような
カットのレザーウエアとして存
在してきたのが革ジャンなのだ。
というのは、革ジャンの何たる
かを解っていない。
「今はこれが若者にはウケるか
ら、これを批判するのは感性
が古い」と考えるとしたら、
それこそまるで革ジャンの事
を解っていない。
同じく、不動の定番があるので
ある。
の定理が見えないまま語るとし
たら、それはダサい。
が変わる視点でしか革ジャンを
見られていない時点で革ジャン
への理解はほぼ不能になる。
由ではないか」などというのは
自由のはき違えだ。
とは通用しない。「俺式」など
は入り込む余地はないのだ。
革ジャンも然りなのである。
定番の中で自分なりの個性を工
夫して出す。
の中の装束」という領域の中に
ありながら武士たちがさりげな
く工夫して個性を出す粋さを
個性発揮の真髄がある。
ションには暗いといえる。
ナブル」や「お洒落な」とか
「トレンド」を唱えても、それ
は内実空っぽのダサダサでしか








話は変わるが、このニット帽はクリーム



戦国武者たちのやってる事はゲバヘル学生























ほんとにこういう風景なのよー。






聖地巡礼とまではいかないけど、映画や


でホローグラインドではない
ナイフを一部並べてみる。
さい事か。
いのだが、かなり使い勝手
が良い。
売された国産のUFブッシュ
クラフトナイフは、ブレード
イレブン=11センチだ。大型
ナイフと中型ナイフの良い
4.3インチ。
ってくる長さとなる。
ファルクニーベンはブレード
長は10センチだ。
用感は大きく変わる。
すい長さは8センチが一つの
目安となるだろう。
したならば、エイトは多少短
過ぎることを感じるだろう。
使ってみないと自分の中で
のモノサシ=規矩が出て
こないという現実がある。
フは使いにくいと思ってい
る。
包丁は力を加えないとなら
ないので使いづらい。
私は使いにくいと感じる。
が良いのは、その絶妙な適度
な重量感がもたらす安定性だ。
し、重きに過ぎる刀は手さば
きが悪く、戦闘武器には不適
格だ。一発試し切り用のよう
な妙な刃物になってしまう。
「適度な重さ」というのは、
実に実現が難しく、日本刀の
ような一品注文品ではない量
産品のナイフでそれを実現さ
せるのは、相当な設計とテス
ティングの練りが必要となっ
てくる。
は申し分ない。
ALTEMAに至っては、本歌バー
クリバーよりもバランスと重
量配分が良い。
身幅もスリムながら肉厚もあ
り、信頼できる。
まれたナイフなんだなあ」と
感じる。
が、亡くなる前に病床でファ
ルクニーベンF1に抱いた
気持ちは、「生き残る」
という事への活力をファル
クニーベンF1に見たのでは
なかろうか。
『山猫は眠らない 5』(2014)は、
とてつもなくつまらない映画作品だ
った。
ベケットの息子もヘタレだし、親父の
ベケット(トム・べレンジャー)も、
動きがしどすぎるし。あるシーンでは、
索敵中なのに腹が出過ぎているから
ズボンがずり落ちて来て、股下から
数十センチ下にパンツの股がある(笑)。
ないわ。
動けるわけないだろが。兵士では絶対に
ありえない。
軍パンがすべて股上が異様に深いのには
意味がある。
ただ、このおっさんがとてつもなくいい
味出してるよ~。
役どころとしては、いてもいなくても
よいキャストなのだが、役者の演技が
どう見ても兵士の動きを忠実に再現して
いた。
銃のバッグを担いで岩山の村を行く
シーンは、まるでフォークランド紛争
の時の英軍兵士そのものに見えた。
脚をちゃんと上げているでしょ?
それと足の爪先。行軍や通常歩行や
ラッシュでは爪先外向けの外足には
絶対にしない。爪先開きは直立敬礼
の時だけだ。
動体能力を出さねばならない時には、
爪先は真っすぐに前を向ける。
これは戦闘兵士の鉄則だ。
軍事経験がないとしたら、演技でこの
ように本物の兵士の臭いを出している
ならば、大した演技力だ。
これなんて、もうモノホンの傭兵だも
んね(笑)。空気が。
こういうの見ちゃうと、『エクペン
ダブルズ』がどんだけチャチなのか
よく分かる。
『山猫は眠らない 5』も、この俳優さん
が出演していなければ、救いようがない
映画だった。
映画『ワイルドギース』(1978)では、
トッシュ役のユーリを見ていて「あ。
この人、本物」とか思ったら、調べる
と本当にマイク・ホアー中佐の部下の
元傭兵だった俳優さんでしたという、
笑えないオチがあった(笑)。
それと、劇中、どう見てもこの人
モノホンという人が何人もいたが、
テロップでは氏名さえ出てきていな
かった。イアン・ユーリは現役を引退
していたが、1978年時点で本物の現役
傭兵が多分多数エキストラで出演して
いたのが映画『ワイルドギース』だっ
たのだろうと思う。
『山猫は眠らない 5』(2014)
かつてアフガンでの作戦に参加した
将兵たちが次々と殺害された。
伝説の米軍スナイパーのトーマス・
ベケットもローマで殺害されたと
された。
最後の生き残りの標的はシャープ
少佐のみとなった。
それの狙撃を阻止すべく、トーマス・
ベケットの息子で同じスナイパーの
ブランドン・ベケットは単独で戦地
に乗り込む。
そのブランドンの上司としてビッド
ウェルという少佐が登場する。シリア
の麻薬犯罪組織掃討作戦の援護をする
狙撃部隊の指揮官だ。
そこで不思議が二つ。
このビッドウェル少佐がかぶるベレー
だ。
彼は、Royal Army Medical Corps =
英国王室陸軍医療軍団のベレークレスト
を着けたRAMCのネイビーブルーベレー
をかぶっているのだ。
なぜ?(笑)
救護部隊だぞ。どうして率先して戦闘
参加や狙撃指揮をするのか?
しかも英軍兵士がベケットの上司?(笑)。
謎である。
ビッドウェル少佐は、狙撃用の偽装服
を脱ぐとまるで傭兵のような恰好を
している。風貌は1960年代コンゴ動乱
~1980年代初期頃までのアフリカ、東南
アジア・環太平洋、中南米での本物の
傭兵風味をたっぷりと出しているが、
米軍の大佐の指揮下で働く正規軍兵士
設定だ。国連平和維持軍でもない。
設定がよく分からない。
これは本物の英国RAMCの部隊。
英軍公式サイトから。
ちなみにこのRAMCの部隊徽章の
杖と蛇は有名なギリシア神話に
基づいている。
この杖は「アスクレピオスの杖」
と呼ばれるものだ。
ギリシア神話に登場する名医師の
アスクレピオスが持っていた杖
に蛇が巻き付いたもので、欧米で
は医療の象徴として多くの公的
機関で使用されているシンボルだ。
日本を除く世界各国の救急車に
描かれていたり、軍隊の医療班や
軍医の徽章として使用されている。
WHO(世界保健機構)や米国医師
会のマークもこれである。
日本でも陸上自衛隊の衛生科の
クレストマークとして採用されて
いる。
この蛇は「クスシヘビ(薬師蛇)」と
日本では呼ぶ蛇で、ヨーロッパに生息
する。ナミヘビ科の無毒の蛇。
なぜギリシア神話の名医の杖に蛇
かというと、話せば長い悲しい物語
がある。半人半馬のケンタウロスも
登場して絡む神話だ。
蛇は古代ギリシアでは健康のシンボル
として大切に扱われていた。日本にも
古来より蛇は家の守り神としての信仰
があったが、古代ギリシャでは人の
命と密接である神聖な生物とされた。
アポロンの子として生まれたアスク
レピオスの育ての親はケンタウロス
の賢者のケイロンだった。成長して
ケイロンに師事したアスクレピオスは、
医術をもって多くのかけがえのない
命を救うようにまでなっていった。
しかし、命を救うことは自分らの
世界の秩序を壊すもであるのとして、
冥界の者どもがゼウスをそそのかした。
ゼウスは、命を救うことをする
アスクレピオスの行為や、互いに
助け合いをすることをよしとしな
かったためこれを聞き入れてアスク
レピオスを雷(いかづち/カミナリ)
で殺してしまった。
怒ったのは子を殺されたアスクレピ
オスの父アポロンだった。
アポロンはゼウスの武器である雷を
作っていた手下の巨人族で一つ目の
キュクロプスたちを全員皆殺しに
したのである。
結局、冥界に巣くう者の意地汚い嫉妬
と偏狭な自己利益保身というさもしさ
がもたらした惨劇、というのがアスク
レピオスと蛇の杖の物語なのである。
命を救おうとする者を偏狭者たち
は死に追いやったのだ。
細かい登場者や象徴物まで含めて、
今の世の中、どこかで丸ごと聞いた
ような話だ(笑)。
心がクリアではない連中はそそのかし
や陰口による入れ知恵が大好きで
あるのは、ギリシア神話の時代から
この下々の蟻のような人間たちの世
だけでなく、天上界にもよくある話
だったのかも知れない。
この映画作品には、伝説の狙撃手の
トーマス・ベケットとその息子の
ブランドンが登場する。
親子をめぐる惨劇に絡む寓話的表現
としてアスクレピオスの杖をシンボル
とするRAMCのベレーとバッヂを登場
させたのかどうかは不明だ。
