渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

大阪府警でクラスター

2021年01月24日 | open



会食せず、厳重注意していてもクラスター
が発生している。
ほんとに新型コロナはタチが悪い。
ただ、渋谷の人出は本日以前にも増して
大勢の人たちで賑わっていた。
この新型ウィルスは殺人ウィルスであるの
に。
自分だけが死ぬのではない。自分が人を
殺すかも知れないのに。

街頭インタビューで意味不明な映像をよく
見る。
きょうも渋谷の報道で見られた。
街頭でインタビューを受けた若者たちの
多くは言う。
「こんなに人手があって、みんな気が緩ん
でるのかな、と思います」
「外出は控えたほうがいいのに、人が多
くて怖い」
おまいたちはリモートでの取材なのか?
と思う。
そこはどこだ、君はどこにいて、どの口
でそれを言っているのか、と。
今の日本人の感覚を正確に伝える適切な
報道だと思う。
「他人事」なのだ。

製品

2021年01月24日 | open


友人が長年使っている愛用の焚火台。
同モデルは廃番になったのか、販売店の
サイトではどこでも完売の表示がされる。

気づいていたが、アウトドア用品も以前
から釣具やゴルフ用品と同じ商業方針を
採っている。
それは、自動車業界と同じ手法だ。
いわゆる「2021年モデル」等の新型新製
品を発表して、どんどん買わせる=消費
させる方式だ。
本来、野外器具などは革ジャンと同じで、
壊れるまで使える耐久性を持つ。壊れる
までもたないアウトドア用品も革ジャン
も使えない。一年で買い替えなければ用
を足さない物品ではない。
電球ではないのだから、それは当たり前
の事だ。

しかし、商業主義的な販売展開では、どん
どん古い物を捨てさせて新しい物を買わせ
て消費者に大量消費させて収益を得ようと
する。電球方式だ。
まだまだ使える物どころか、買ったばかり
の用品を「それはもう古い」と人々に思わ
せようとする。

この高度経済成長時期に確立した資本の
大量消費作戦に洗脳されてきた日本人が
実に多い。
バイクも車も物品も、古い物に愛着を持っ
て大切に長く使う事がまるで恰好悪い事、
時代遅れであるかのように思い込む事に
疑問を抱かない。
旧車を愛する人々が多くいるバイクの世界
でさえ、「今時・・・云々」と古い物を
大切に使っている人を馬鹿にする人さえ
いる。
毒されているというよりも洗脳されてい
る。

大量消費と最新物品が良い事、良い物で
あると感じてしまい、同方向を向く集団
性。
そうした思考性は、本来、アウトドア活動
の楽しみの本質、深い教えを捨象する。
どんどん本質的な野外活動の楽しみと乖離
して純化が濁って行くのだ。
キャンプやブッシュクラフトがもたらす
ものは、実は大量消費型の商業資本主義
とは対立する。
グランピングや豪華主義的製品展開に乗る
購買関係とも対立する。

アウトドア関係のYouTuberたちが面白く
ないのは、それは圧倒的大多数の人たち
が新製品紹介の宣伝者に自分が任命された
かのように勘違いして、次から次に新製品
を紹介するだけの金太郎飴の暗愚な動画を
配信しているからだ。
CM代行者なのか、本式の自分自身がアウト
ドア人なのか分からないような動画群が
今溢れている。
自分で何かを作り出したり(ブッシュクラ
フト)、自分の工夫を紹介したり、斯界の
楽しみを広めたりというスタンスで動画を
配信している骨のある人は極めて少ない。
そして、ほぼ全員が広告を挟んでいる。
つまり、YouTubeは儲かるための場所で
あり、そのためにアウトドアをやってい
たり、そのためにバイクに乗っていたり
するような逆転がみられる。
視聴者は収益の為の集客でしかない。
広告収入狙いの動画配信者はすべて「儲け
る」為にやっている。
素人がやっている「仕事」なのだ。プロ
なのである。プロなのにしょぼい動画が
多いが。

そして、キャンプ等のアウトドア動画配信
者は、さも自分が長年キャンプをやってき
たベテランのオーソリティーであるかのよ
うに動画を配信する。
まだ使ってもいないナイフについて蘊蓄を
垂れている動画もあり呆れる。

しかし、私自身は心惹かれるアウトドア
動画も結構ある。
見ていて、「ああ、こういうのいいな」
と思う動画はそこそこある。
その全てが、発信者が自己のアイデンティ
ティを出している動画だ。
工夫したり、物を大切に長く使ったり、
「おばあちゃんの知恵」的な物を伝えて
くれたりする。軽佻浮薄ではない。

なんとなく感じるのは、YouTubeの時代
の今、大量消費使い捨てのような潮流が
また訪れているのかな、という感想だ。
特にキャンプ「ブーム」によって。
好みの問題だろうが、自分のスタンスが
ないまま流される潮流を見ていると、
何だかなあ、と思うのだ。

ナイフなどには本来「今年度モデルの新
製品」などの概念は立ち入れない。
このナイフは8才年上の剣友が1990年代
初期に私にくれたナイフだ。
心の支えのようなナイフで、今でも大切
に使っている。もう30年近くになる。


私のスタンスとはそういうもの。これは
オートバイについても同じだ。
だから、「今時」1988年製と1997年製
のオートバイに乗る。完調状態に整備し
て。
そもそも、日本刀がそうだ。
私は500年前、450年前の日本刀を大小
で差料にしているのだ。
そうした、新作が良い物で古い物はポイ、
ではないところに本当はアウトドアでの
豊かな喜びの根っこがある。野外活動は
日本刀の持つ不朽性の命と通じる。

キャンプで見つける楽しみってなんだろ
う。
決して、次から次に新製品の道具を買い
揃える事を続ける中では見つからないと
思う。
「見つけた
何を?
永遠を
海と溶け合う太陽を」
という光を見る事は、一体いつ始まるの
か。
素朴な原点に戻って、自然の中で自分を
見つめ直す時に初めてその扉は開かれる
と私は思うのだ。

映画『2012』(2009)

2021年01月24日 | open


ただただCGが凄い映画。
主人公は絶対に死なない。
大統領が死んでも死なない。
ある種アメリカ的な映画。
2009年作品。
中華人民共和国が地球絶滅の際に地球人
の一部を超巨大な「ノアの方舟」で救う。
しかし、中国人幹部や群衆が乗船するシー
ンは無い。
救出船乗船場面に出てくるのは全員アメリ
カ人と中国兵2名。
んなアホな。

あと、あらゆる動物を方舟に移送して乗せ
ている。キリンや猛獣まで。
ノアの方舟のつもりだろう。
なんだかねえ・・・。


マルティーニ

2021年01月24日 | open


フィンランドを代表するマルティーニ。
このナイフ、どうしてこんなに切れるの
だろう。
新鋼材カービノックスT508。
セミステンレスのD2に近い成分のようだ。
純ステンレスではないので鯖には十分に
注意してください、と購入の際に販売業者
に注意された。

このナイフ、とてつもなく切れる。
超マイクロベベルは私が再度私の好みの
エッヂアングルで付けている。
しかし、最初からとんでもなく切れた。
ただ、ちょいと小さい。

ワッチキャップ

2021年01月24日 | open

ワッチキャップはいくつか持って
いるが、一番気に入っているのは、
これだ。

タイガー迷彩(笑)


帽子被らないと寒いじゃん(笑)。
夏は熱中症予防にもなるし。
軽作業するのでも、帽子一個被るか
被らないかで防護だいぶ違うのよ。
帽子大切っす~。

烏帽子とシルクハットは持ってない。

 


シャーリーズ・セロン 映画『ミニミニ大作戦』(2003)

2021年01月24日 | open



映画『ミニミニ大作成』(2003)での
27歳のシャーリーズ・セロンが可愛い。
まるで、『ロマンシング・アドベンチャー/
キング・ソロモンの秘宝』(1985)での
シャロン・ストーンみたいだ。あの映画
が撮影された時、シャロンも27歳だった。



色っぽく、かわいい。


かわゆす。


この『ミニミニ大作戦』(2003)にはドナルド・
サザーランドが出演している。
主人公のシャーリーズの父親役だ。


ドナルド・サザーランドは、最近の人は
『ハリー・ポッター』の校長先生として
の印象が強いだろう。
しかし、私が強烈な印象を持つのは、
1970年公開の映画『戦略大作戦』での
戦車隊長オッドボール役のドナルドだ。


「ヘイヨー、ファッツアップマーン?」
とすぐ言いそうな感じでいつもとぼけて
いる。
第二次大戦中に米軍もドイツ軍も欺いて
何兆円という金塊を盗む米軍脱走兵の
ケリー(クリント・イーストウッド)に
一口乗せろと群がるならず者たち。
その中の一人がオッドボールだった。
史上最高の娯楽戦争映画であったのだが、
ビデオもDVDも原本とは異なって、連合軍
司令部を欺くために、ペイント弾を装填
してさも真面目に銃撃戦をやっているか
のように偽装した最高のシーンがメディア
版ではカットされている。
そのため、オッドボールのシャーマンが
ドイツ軍のタイガーに対して本気で砲撃
する時の一発目にペイント弾のまま発射
してしまうシーンだけ残っており、辻褄
がメディア版では分からなくなっている。

クリント・イーストウッドのケリーは
元将校だったが、ミスにより部下を全滅
させたために階級はく奪の二等兵とされ
た役どころで、膨大な量の金塊をドイツ
軍が占領している銀行にあることをつき
とめ、それを強奪しに行く計画を立てて
実行するのが『戦略大作戦』だった。
最高に面白い映画だ。
「戦争?そんなもんクソくらえだ」という

連中ばかりが集まって事を起こす。

その中で特にドナルド・サザーランドが
演じたオッドボールは大人気となった。
もうチキチキマシン猛レースの犬の
ケンケンにしか見えないような性格俳優
ぶりを爆発させている。


Oddballはとことん人を食ったキャラだ。


『戦略大作戦』(1970)でも『ミニミニ
大作戦』(2003)でもドナルドは金塊を
巧みに強奪する大泥棒の役だ。


『ミニミニ大作戦』はまるで日本の
「ルパン三世」のような映画だが、
この2003年版は1969年版の第一作
のリメイクというよりも、史上最高
の痛快泥棒映画の『黄金の七人』
(1965)をベースにしていることが
作品を観ていると分かる。オマージュ
も表現演出でまるで地雷のように埋め
られている。製作者は遊び心の人だ。

映画『黄金の七人』は、日本のモンキー
パンチ氏がその作品からヒントを得て
劇画『ルパン三世』を完成させた。
『ルパン三世』は原作漫画もアニメ
も『黄金の七人』の丸パクリである
ことは、『黄金の七人』を観れば一目
瞭然であるし、モンキー・パンチ氏も
自身で『黄金の七人』をベースにルパン
三世という作品を思いついたとインタ
ビューで答えている。

映画作品たちの大泥棒が人気を博すのは、
貧乏人や庶民からは泥棒を働かないから
だ。大富豪や国家から大金を奪取する。
そこが大衆に好かれる要因だろう。
鼠小僧次郎吉のように。
現実の次郎吉は大名屋敷等からの泥棒
が多かった。
しかし現実の次郎吉は義賊ではなく、
盗んだ金をすべて遊興に消費した。
死罪を言い渡したのは時の奉行榊原
主計頭(かずえのかみ)で、徳川家康
四天王の一人、榊原康政の直系子孫で
幕臣旗本だった。
だが次郎吉に判決を宣告した榊原主計
は織田家からの養子だった。
その直系子孫は戦時中に陸軍士官学校
の生徒会長=校長を任じた大佐だった。
後中将で南京事件に関与して東京裁判
により戦犯として巣鴨に収監された。

幕末の先祖の所有していた差料の鍔
を子孫から直に私は見せてもらった事
があるが、
柳生鍔であるので、御家の
流儀は新陰流
であったことを察する
事ができた。

また、榊原車と呼ばれる源氏車を透か
しにした鉄鍔もあった。
劇画の中では榊原主計頭は拝一刀に
勘定奉行時代に暗殺されたことになっ
ているが時代が合わない。ただし、
代々官位としての主計頭は任じていた
ようだ。
家は幕末には佐久間象山が漢詩を扇子
に書いて当主に進呈したりしていた
間柄だったようだ。

映画『ミニミニ大作戦』では、ドナルド・
サザーランドの演技をもっと観たかった
のだが、物語開始早々に仲間の裏切りに
よってスイスの雪山のダム湖の橋上で
射殺されてしまう。
とても残念だ。
というか、物語だから仕方ないのだけど。

そして、娘のシャーリーズ・セロンが
35億円の金塊を奪い返すことで父の仇
討ちをしようと決意する、というお話。

かわいいす。


焚火用具

2021年01月24日 | open


簡単簡易、最高の焚火缶はこれだす。
20ℓのペール缶。
これの下の方にぐるりと全周穴を開けて
空気口を作るだけ。
かなりキャンプでは使えます。

よくドラム缶で薪を炊いたりして広場で
冬に暖を取る事があるでしょう?
最近はあまり見ないのかも知れませんが。
以前は、よく年末のお寺の境内や正月の
神社の広場で燃やしていたりした。

あのドラム缶での薪燃やしと同じように
ペール缶は使えます。
大きな金網を敷けば煮炊きも出来るカマド
にもなる。
但し、ブリキ製だともって2回程度の使用
しか出来ません。ガンガン燃やすと。
最近では焚火用にステンレスの缶もある
ようですが、かなり高額だし、あえてペー
ル缶でステンにするのはどうなのかなあ
と。
同じ金額ならば焚火台を購入したほうが
いいようにも思えます。
ペール缶は「代用品」としてのところに
工夫を凝らす意味があるのだし。
それに、ガソリンスタンド等で空缶を貰う
事も出来ます。缶は畳表と同じく廃棄処分
なので、スタンドや車屋さんなどでは無料
でくれたりします。交渉次第で。

問題は大きい事。
バイクでのキャンプツーリングには持って
行けません(笑)。
キャンツーには専用の折り畳み焚火台です
ね。

日本刀を見るという事

2021年01月24日 | open


これは日本刀と全く同じ作り方で作った
ナイフである。
形が刀剣ではないだけで、製法は日本刀、
しかも斬鉄剣康宏伝だ。

よく刀が見えない人は、研ぎ師が細かい
粒の砥石で描いて白くした地帯を「焼刃」
だと思っている事が多い。
もっとひどいのは、刃文とは焼刃の頭の
部分の事だと知らないので、白い部分全部
を「刃文」だとか思い込んでいる。
刃と地の境目が素人目には判然としない
相州伝のスッピンなど見たら、もしかした
ら「この刀は刃が無い」とか言い出しそう
だ。
焼刃は土落ちで焼き崩れが発生したり、丸
焼けになっていない限り、刃部として存在
する。
それが素人には見えない=刀身上の鋼の
熱変態の現象の現れを見ることができな
いから、研師があえて白くこすって化粧
を施しているのだ。
それを刃取りと呼ぶが、刃取りをしない
拭いっぱなしの研ぎは差込と呼んで、刀
の素顔がよく見える研ぎとなる。備前伝
の透けるような熱変態の結果を見せる刀
などは差込研ぎにすると映える。
しかし、コンクールなどは、地を黒く金肌
で拭い、刃を真っ白くペンキを塗ったよう
に花魁か歌舞伎役者のような研ぎにしない
と入選しない。
なので、現代では、品の無い花魁研ぎが
あたかも日本刀の研ぎの主流であるかの
ような仕上げにする物が多い。

日本刀などは特に、見えない物でも、見る
目を持っていたら見えてくるのだが、その
焼刃どころか、地刃の熱変態の働き=錵(に
え)、匂い、映り、地斑(じふ)、金筋、砂
流し(すながし)等々が出ているのに、それ
を見えない人が非常に多い。
木々の葉っぱは、一葉一葉すべて色合いが
違うし、また、一葉の中でも塗装の色見本
のような同じ色が広がっているのではな
い。
日本刀はまさにそれで、刀身の中に様々な
鍛錬と熱処理によって現れた現象が存在し
ているので、それを見るのだ。
日本刀の鑑賞、見方とは、鉄の景色を観る
事なのである。

上掲の私のナイフは、光に透かすと見える
のだが、日本刀が見えない人は、焼刃を
見る事が困難であろう。
刀剣業界でいうところの「眠い」刃である
からだ。
これはあえて眠く沈む刃を狙ったので、
狙い通りだ。鑑賞刀などは作らない。例え
それがナイフであっても。

さて、その私の刀身に水をかけてみる。
するとどうなるか。
見ての通りだ。
くっきりと焼刃部分が浮き上がる。
返しを三原の虎の尾よりも深く取った事
さえも判別できる程に水が刀身上で分離
する。
これは何故か。
それは、素人目には見えないような状態
の姿の刀身であっても、そこには何かが
存在しているからだ。
つまり、焼刃がある。深い返しまで。
火炎帽子の様子もよく現れている。
これは水を垂らさなくとも、日本刀が見え
る人には焼刃は見える。
見えない人は「刃が無い」「刃文が無い」
と目に映るのだろう。
刀が見える、見えないとはそういう事なの
である。
明らかにそこに在るのに見えない。見よう
ともしない。
日本刀を見るという事は、真実、事実を
見る、という事であるのだ。存在をきちん
と見る事が日本刀を見る事なのである。
脳内妄想族や自己絶対主義者には、これ
また不思議な事に、日本刀が見える人は
一人もいない。
それこそ見た事ない。
存在しているのかも知れないが見えない。
禅問答のようだが、そこに在る真実と事実
を見ようとしない人には日本刀は全く一つ
も見えて来ないのだ。これ不思議。
刀など見ても、ただの銀ピカの長い物に
しか見えていないのだろう。どれも同じに
見えて。

日本刀を見る事に関して、見えるように
なる一つのヒントがある。
それは、日本刀は人の顔なのだ。
同じ顔の人はクローンでない限りいない。
人の顔は記憶に残る。判別もつく。
日本刀を見るのはそれと同じなのである。
但し、どこかの国のように顔面改造のねつ
造が「美」であるとして誰も同じ顔の金太
郎飴にしてしまう文化を中心に持つと、
ねつ造創作が常となり、真実は見えて来
ない事だろう。
当然、何事も自分の都合よく解釈するの
で、真の姿や歴史の実像も見る事ができな
くなる。
そうした土壌では、日本刀のような鐵の
文化は育たないし、歴史も刻まない。
「日本刀を見る」という事は、かなり大切
な事を人間に教えてくれるのだ。



ナイフ・シース

2021年01月24日 | open


この銃のホルスターのような仕上げ。
痺れる。
銃とナイフ。
文化として根付いたアメリカの伝統の形
が、このナイフシースの仕上げ一つとっ
みても理解できる。
日本の革製品の仕上げの色彩感は、何だ
か浮世絵のようにノッペリとしている。

日本のシース。
ランドセルみたいだ。


日本のシース。
私が手染めで革の質感を銃のホルスター
近づけた。


ホライズン・シース

2021年01月24日 | open



ベルトに横抱きのシース。
こういうのが欲しいんだよ。
しかし、ノーマルでは日本ではゼロ(笑)。
一品物のカスタム・シースにしかない。
そりゃあ、ワンオフならばどんな物でも
作れるさ。

ナイフ自体はとても良い物を作る日本の
ナイフ産業ではあるが、やはりレザー物
において未発達部分がまだある。
というか、みんなラブレスの真似しかしな
い。