晴れてコロナが明けた日にゃ、
ぜってーに浜松まで弾丸走りで
ウナギを食ってやるんだぜ、と。
片道500km強。往復1000km超。
帰り途中、大阪あたりで寝ちゃい
そうだけど。
コロナ明けには相方と久しぶりの
ドカーン走り決行だ。
待ってろ、浜名湖ウナギ。
敷石 ~shikiishi~
Le pavé
auteur/compositeur/interprète kelu
vocal/guitare kelu
guitare Q
J'ai fait cette chanson en me souvenant d'un chanteur
Quartier latin, Paris,1968
か、鳴き声が異なる。ゲコゲコとケロケロ。
高等女子師範=広大附属も市立三原小も、
うちとは縁深い学校だ。戦前から。
まあ、なんというか、いわゆる「地元」
なのだろう。
別場所の高い木のほうはまだ熟れてない。
二階くらいの高さの梢には熟れた実が
ことしはモッコウバラも他も花が早い。
ナデシコは可憐だ。
昭和初期の広島縣御調郡三原町。
同位置、平成初期。
城の周辺は江戸初期から昭和30年代まで
三原八幡宮から山陽道を東に見る。
糸崎の海岸線国道。
ドラマ『猫侍』(2013)のドラマシリーズ
第一話で、主人公班目(まだらめ)久太郎
(北村一輝)が江戸市中で釣りをするシーン
がある。江戸っ子に多かった趣味の為の釣り
ではなく、食うに困っての食材確保の為の
釣りだ。
そこでザリガニが釣れる。
ザリガニを持って帰る町中で宮仕えの
侍たちに「ザリガニ侍」と馬鹿にされる。
釣れたのはいわゆるマッカチン。
アメリカザリガニだ。
日本では昭和初期に日本に食用に輸入
された。
戦後の昭和中期~昭和末期には、国内
の田園から用水路から沼池、どぶ川まで
大繁殖した。
昭和高度経済成長期に育った人たちは
誰でも子ども時分にザリガニ釣りを
やった経験があるのではなかろうか。
真水に数日浸せば食用になる。
だが、昭和高度経済成長期には、食用
ではなく、主として遊び釣りの対象だ
った。
江戸期には日本には蝦夷地と北東北に
しか在来種のザリガニはいない。
だが、灰色の在来種がいたために、
アメリカザリガニの大きなハサミを
持つザリガニの事を真っ赤チンと
呼んだのだろう。
このシーンは、江戸にはザリガニは
存在しなかったが、江戸期のスイカ
はすべてウリのように単色だったのに
時代劇では時々昭和時代新開発の縞
スイカが出てくるようなものだ。
きっと、幕末に薩摩の武士たちが
スイカ売りに化けて黒船にゲリラ戦
をしかけようとした時も、そのスイカ
は色が濃い単色ウリ(キュウリとナス
を合わせたような色)のようなスイカ
だった事だろう。
ザリガニ釣りはご愛敬。江戸にはいない。