渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

機関部良好

2021年04月20日 | open


久しぶりに乗らせてもらった。
上が薄かったので、ピークより700rpm
あたり下までのバンド内を使って走らせ
た。峠は上下1本のみ。

ホンダって、いいエンジン作るなあ・・・。


カップそばは緑のたぬき! ん?

2021年04月20日 | open


カップそばは緑のたぬきに限る!!

む。な、なんと、緑のきつねとな!?
これは面妖な。
なに?赤と緑の合戦和睦記念なのだと?
ほ〜う。
わっけわからん(笑

あ〜!
それがしたちは両名どもに化かされておっ
たか。
これはしたり。してやられたわ。

絶望的日本

2021年04月20日 | open







現行政府の無能ぶりを嘆いても仕方ない。
総理大臣が自ら国民に外出自粛を出した
その晩に宴会やったりしているような
政府
だから、今更何かを期待しても始ま
らな
い。
政財界は自分らの利欲の事しか考えてい
ない。国民の命など何とも思わない。
 
目の前にある現実から目を逸らさないの
であるならば、オリンピックとかやって
場合ではないのでは?
しかし、オリンピックをやめたら、月額
最低200万円の給与を貰える連中が困る。
大抵は政府の紐付きなのだが、そうした
人たちが情勢お構いなしで強引に開催を
押し切った。
コロナ対策は場当たり的な泥縄の後付け
処理的なものしか打ち出せない。
 
先の戦争で国民の多くを殺した反省は、
全く出来ていない。
まあ、大政翼賛会の成れの果てが政治を
牛耳っているのだから、しかたない。
それを支持する国民は、自粛などどこ吹く
風でやっている。
感染症蔓延など、この国で収束させられる
道理が無い。
 

よく似た日本の風景 映画『砂の器』(1974年)

2021年04月20日 | open


映画『砂の器』(1974年)から。

これは映画作品で撮影された秋田県の
国鉄のとある駅の1973年撮影時の映像
だが、
私が知る1974年の埼玉県の国鉄
大宮駅
西口もまったくこのような感じ
だった。非常によく似ている。

今では埼玉県の大宮駅周辺は大都会に
なり、現在の姿からは1970年代の事
などは想像すらもできない。

これも同作品中のある国鉄の駅だが、
大宮駅のホームももろにこんな感じ
だった。広島山間部の田舎駅と東京の
ベッドタウンの人口35万人だった
国鉄大宮の駅はそっくりだったのだ。
今でも東京の山手線、京浜東北線

田端駅などはこのような風景なので
はなかろうか。
(広島県庄原市西城町「備後落合」73年)


1972年時の埼玉県の国鉄駅。
一学年上の
子たちと。


こうした事実は事実であるので、それ
の時代性をきちんと捉えないと、この
映画作品の謎解きのような地道な検証
による問題解決はできない。
事実を認識せずに脳内妄想の作り事の
思い込みに拘泥するような者には、
事実そのものや事件の真相真実は絶対に
見えてはこない。
それは、この作品が語り教えるまでも
ない事だ。

1972年当時の国鉄の駅は埼玉も東京も
広島県山間部も、つまり全国どこでも
似ていた。それが「戦後高度経済成長
期の風景」だったのである。

そして、これも、同映画作品に出てくる
ワンシーンだが、埼玉県大宮の駅前飲食
街はもろにこの感じだった。

東京五反田の東急五反田駅下の新開地
もこのような風景だったが、今は美化
整備されてしまっている。
どの駅も、首都圏はこのような小店舗

の飲み屋が立ち並ぶ駅前風景だった。


これは同作に出て来るいずも三成の
駅の1973年当時の映像。

私が1997年春に東京本社から岡山に
赴任した時の岡山市内の大元駅の駅舎
がまさにこれにそっくりだった。

現在の大元駅。


思うに、昭和時代は国鉄の駅舎も

ホームも駅周辺の繁華街も、日本
全国どこも似ていたが、ガラリと
激変したのはバブル時代だったよう
に思える。その後平成10年代から
20年代あたりに第二次激変が来る。

特に東京は第一次平成初期激変で
一気に未来都市のように
変貌した。
これはバベルの塔か?と思えた都庁
などは超突貫工事ですぐに完成した。
都庁完成後に、新宿副都心はどんどん
超高層ビル群街区となった。
それまでの1970年代は数える程しか
超高層ビルは無かった。
そして、民間地ではバブル経済による
土地の地上げが横行し、都内都心部
の一般住宅地はほぼすべて大手デベ
ロッパーの地上げ屋に地上げされ、
マンション群が立ち並ぶ街に変貌した。
寒風吹きすさぶ東京湾埋め立て地は、
仮面ライダーや特撮ドラマや刑事
ドラマの荒野のロケ地でしかなかった
のに、そこを大開発して超近代都市
のような街区が出現したのもバブル
時代だった。
東京の街の景色は1990年前後に一変
した。
昭和末期までは、日本の風景は、どこ
も似通っていた、というのは確かに
ある。

最近の事例としては、原宿駅の古い
映画ロケセットのような駅舎が
取り
壊されて全く新規ビルになった。

今の駅舎はただの官庁のようなビルで、
味も素っ気もない。一つもない。
もはや国鉄はJRとなり、いわば私鉄で
あるのに、そのあたりまだ国有鉄道
のような空気が抜けないのか、原宿
駅はまるで国の施設のようなつまらぬ
外観の駅舎になってしまった。
ここ最近のこの手の建築物建て直しで
の「ええっ?」という事例はいくつか
見られる。
東急池上線の池上駅などもそうだ。
駅ビル自体もかなり使いにくいようで、
地元民からの評判も良くないと地元の
人から私は聞く。

バブル時代に再建築された建築物群
とは異なる何かをそこには感じる。
それは、何というか、使い手の事を
一切考慮していない無機質なものを
最近の再建建造物に強く感じるのだ。
それは、建築物を建築する建築士の
人的質性の時代の中での変化が表出
しているのではなかろうか。人間不在
というような。
なんというか、自分の事しか考えて
いないような設計質性を現実の建築物
から強く感じるのである。

日本の風景は、たとえ遠隔地でも似た
風景をかつては持っていた。
それは、まるで『砂の器』の謎解きの
答えのように。


廃業 三原 レストラン「浮城」

2021年04月20日 | open


三原市内海岸線マリーナにあったレスト
ラン「浮城」が廃業した。
コロナ禍による閉店だろう。

この「浮城」の店内は神奈川県藤沢の駅前
さいか屋の最上階、富士山が見える展望
レストラン(1960年代の呼称は「大食堂」)
に店内の雰囲気が似ていて好きだった。
月に2〜3回、そのさいか屋デパートのレス
トランに家族で食べに行っていた。屋上に
は乗り物のある遊園地になっていた。

(レストラン「浮城」)


「浮城」はカツ丼が美味しい店だった。
とても残念だ。


今、生き残っている市内の飲食店では、
「天霧三原店」のカツ丼が美味しい。
砂糖まみれのベタベタではないシャッキリ
した味でピシッと基本に忠実にまとめてい
る。正統派。
おすすめ。




コンビニ限定物

2021年04月20日 | open


ここ数年のコンビニの特徴として、メー
カーとコラボによるコンビニ限定商品を
さまざま展開している事が挙げられる。
このファミリーマートのコノスル限定版
などは、たった800円で信じがたい品質
のフルボディワイン提供を実現させてい
た。味も香りも深みも良し。
現在は第二段が出ているようだ。

飲み物だけでなく、コンビニ店を展開する
各社は食品メーカーとのコラボで限定商品
を多く揃える傾向にある。
そして、それがかなり美味しいのだ。
ひと昔、ふた昔前のコンビニとは大違いな
のである。
たぶん、コンビニを40年近く使っている
人はここ数年の激変ぶりに気づいているの
では。
「これ、あんまし美味しくないね」という
のがコンビニ商品では殆ど無くなっている
のだ。
あそこのおでんだきゃ食えたもんじゃな
い、と言われていた大手コンビニのおでん
でさえ、今ではそこらの本物おでん屋より
遥かに味が良くなっている。
今の流れは、コンビニが増え過ぎた飽和
状態の過当競争を勝ち抜く生き残りの為
の策だと思われる。

映画『斬る』(1968年)

2021年04月20日 | open

『斬る』(1968年/東宝)

名匠岡本喜八監督作品だ。面白くない訳が
ない。実際に面白い。
ただ、一つも心に残らない。
なぜだろう。
中身はクロサワ『用心棒』や『椿三十郎』
によく似た物語なのだが、クロサワの両作
のように心に残らない。
そうした意識の背景に何があるのかは不明。
ただ、クロサワ作品は何度でも観たくな
り、現実として何度もこれでもかという
程に観る。『七人の侍』などは何度観た
か分からない。
しかし、この『斬る』(1968)はそうはなら
ない。
それでも、岸田森さんは良かった。

映画の持つ力というのは実に不思議なもの
だ。

ドラマ『スタートレック ディープ・スペース・ナイン』(1993年)

2021年04月20日 | open




『スタートレック DS9』(1993)

宇宙ステーションDS9を舞台に繰り広げ
られる人間(宇宙生物)ドラマ。
その後の新スタートレック・シリーズより
も人間の心について触れられており、この
DS9シリーズはかなり面白い。
宇宙連邦を中心に宇宙の異文化生命体同士
の平和と共存をテーマとしている作品だ。
1993年作なので、まだインターネットも
通信機器のデジタル化の普及も地球上に
存在しない30年近く前の時代の作品。
だが、今観ても非常に感銘を受ける。
人類のテーマの不朽性とは何であるかを
深く教えてくれる。

スタートレックで出てくる超未来の装置
で一番あったら良いなと思うのは、転送
装置だ。
離れた宇宙船からステーションまで人間
を瞬時に空間転送させる。いわば、どこ
でもドアのようなもので、宇宙船間でも
転送できる。
これは数万年後には実現しているかも知れ
ない。
それと、宇宙空間のワームホールを利用し
て、数万光年離れた空間を宇宙船で航行す
る。
これも超未来では実現しているかも知れな
い。

数万年後、理論上は地球上に存在する日本
刀の焼刃はすべて消滅する。
マルテンサイトは生きており、鋼が徐々に
元の鉄に戻って行っているからだ。それは
今も。
それまで人類が生存していて、その古代の
文化遺産を保存できていれば、人類はその
現象を確認できることだろう。
殺し合いと自滅により人類が地球上から
死滅せず、平和と共存をこの狭い地球の
中で実現できていたならば。

かもめの水兵さん

2021年04月19日 | open


巨人の王選手が「ナボナはお菓子のホーム
ラン王です」とやっていた大昔のCMは、
関東地方の人たちしか知らない事だろう。
だが、東京目黒自由が丘の亀屋万年堂の
ナボナは本当に美味しかったし、今でも
うまい。

だが、しかし。
広島県三原市にはマイナーなお菓子で、
「かもめの水兵さん」という菓子がある。
何故「かもめの水兵さん」なのかという
と、あの有名な童謡を作った人が三原出身
だったから、それにあやかってだろう。
このお菓子を食して、おいらぁたまげた。
亀屋万年堂のナボナは大好きなのだが、
正直言って「これ、ナボナを超えてるの
では?」と思ったのだ。
三原銘菓としては「やっさ饅頭」というの
がある。こちらも、「お!」という位、
かなりイケる饅頭なのだが、そのやっさ
饅頭本舗が作るのが「かもめの水兵さん」
なのです。
これね、うまし!

緑のたぬき

2021年04月19日 | open

マルちゃん緑のたぬき。
これ、結構イケる。あくまで私はね。
個人の感想なので、それをあげつらって
しのごの匿名ネットの陰に隠れてコソコソ
揶揄して喜んでも意味無いと思うよ。
カレーの辛さも人によって好みは千差万別
なんだから。
ま、人間がクリーンではないから、いつ
までもずっとそうした卑怯で汚い事やり
続けるのだろうけどさ。死ぬまで。

カップうどんは日清のどん兵衛、そばは
東洋水産の緑のたぬき、のような気がす
る、私は。
カップラーメンでは、初代ラ王が相当に
うまかった。ドラマ『高校教師』で、いつ
も教師の赤井英和が食べてたやつ。あれ
初代物。ありゃうまかった。
今は何故か味もパッケージも別物になって
いる。

食品会社のカップ麺競争って面白いよね。
いろんなのが出てきて。
勿論、個人差あるけど、これは!というの
もあれば、いまいち、てなのもある。
清涼飲料水、缶コーヒー競争と同じで、
カップ麺の市場も熾烈な闘いが展開され
ている。
食べるほうとしては、どんどんいろんな
物が出て来てくれたほうがありがたい。
そして、ヒット商品はコロコロ変えずに
定番の味を守ってほしいとか思ったりす
る。



謎の集団意識

2021年04月19日 | open






こりはなんだべ?
「ナイアガラの滝、みんなで飛び込みま
しょうイベント」みたいなもんなのか?
「ナイアガラの滝はただのシャワーだか
ら」とか言って。

ワラビ

2021年04月19日 | open


頂き物の三原のワラビで作った煮物が、
とても美味しゅうございます。
ありがとうございます。

コルト

2021年04月19日 | open


コルトの歴史的一作、ピースメーカー。
1873年の陸軍制式採用時のコルト名称
はシングル・アクション・アーミーだ。
軍用拳銃である。
開発完成は1872年。
1875年に軍に制式配備が始まる。
制式名称はM1873。
ピース・メーカーやフロンティア・シック
ス・シューター等は販売店のセールス・
ネームだが、それらの呼称は広く北米内
だけでなく、英国、ヨーロッパで親しま
た。勿論、日本でも戦後のアメリカナイ
ズの中で「ピース・メーカー」呼称が定着
した。
だが、1960年代末期までは「コルト45」
という呼び方が日本国内では一般的だっ
た。M1911A1ガバメントの事も「コルト
45」。ややこしかった。
1970年あたりから、SAAの事をピース・
メーカーと呼ぶ事が普及した。

八重桜倒れる

2021年04月19日 | open

なんとー!
知人の家の八重桜が倒れてしまったらしい。

虫食いにやられた模様。

倒れた桜の木は、宮島工芸をされる先生
が木工加工して食器に生まれ変わらせて
くれる事になったそうです。
乾燥シーズニングが必要だから、結構時間
かかるだろうなあ。

ちなみに、私の自作キューは、メイプルを
1987年から30年寝かせた。横浜で仕入れ
た材。
パパTADのストレートと同じく、バット
は一本木だ。フォアスリーブとエンドで
三分割を連結にするのが一般的だが、これ
は、古式に則りストレート。あまりに手間
かかるので、ストレート技法はマスプロ
キューでは廃れた。カスタムキューでは
まだ存在する。
曲がりは一切無い。削っては寝かし、削っ
ては寝かしを繰り返して来た。


カーリーにタイガーが混ざる。


日本刀でいうところの地斑(じふ)模様が
薄らと入る。派手派手ではなく、その
薄らとした面持ちが気に入っている。
極めて良材なのだが、それを一見すると
まるでそこらのハウスキューのように
見えてしまう。しかし、実は高質材。
そういうものが私は好きだ。一瞥すると
ノーマルに見えがちなのだが、実は高性
能、というような。


最高の反発力と復元性を持つオリジナル
ソリッドAテーパーのシャフトがあるが、
現在は別なテーパーのエフレンテーパー
ロングシャフトを装着している。それも
ソリッド。
私は、ハイテクシャフトやカーボンシャフ
トは使用しない。すべてソリッドシャフト
だ。これは好みの問題だ。
シャフトは何が優れて何が劣るかなどは
ない。全て個体差がある。好みで選ぶ。
二輪や四輪のタイヤと一緒だ。キューの
シャフトとタップは自分の好みで選ぶ。
そして、私はトビが出るソリッドシャフト
が好きなのだ。2ストエンジンのような
その性格の、ハイテクシャフトのような
小細工加工のない木のみのソリッドシャ
フトが。

エンドキャップは好みなので、初代TAD
のオールドモデルのように超ロングデル
リンにしてある。色は純白。
バットスリーブも太めの模様が薄らと入
るのが観察できる。
4年前、ようやく「自分のキュー」を作る
事ができた。
太さはパパTADと同じく細めにしてある。
このキューはとても気に入っている。
木材って、本当に面白い。


仙台国包(二代目)

2021年04月19日 | open





刀剣会の友人の鯖身で入手した刀が研ぎ
上がって来たとのことだ。
画像を観て「あ!」と思う事が2点あった。
審査に出したのか尋ねてみた。
銘とその他が正真と観たからだ。
出していないなら、審査にかけてみる事を
勧めようと思っていた。

すると、しっかり、審査に出して鑑定を
取っていた(笑

そして、研ぎについて、研ぎのキメ所を
観て、もしやと思った点があったので、
手がけた研ぎ師を尋ねた。
すると、よく知るどころか私もその先生の
研ぎ上げた刀を二口(ふたふり)持っている
という、その日本刀研磨師の仕事だった。

二代目国包、真面目な作だ。
寛文よりも慶長よりも、この寛永、正保
あたりの新刀の姿が私は好きだ。
まだ、新鋼が主力とはなっていない古式
と新法が混沌としていた時代の刀。
寛文の虎徹の頃になると、新鋼が主力と
なり、質性が激変した為、長曾祢興里は
古鉄と称して古法復元に生涯の後半を傾注
させた。古鉄はその音を残したまま、故事
に倣い、虎徹、乕徹とした。
初代虎徹がそうした古法を模索したという
ことは、寛文新刀の時代には、大阪新刀
のみならず、江戸新刀でも製品新鋼による
質性変化が一般化して古法は廃れていた、
という事を類推できる。

鉄と人は古い時代ほど良い、という日本
の現象は、すでに江戸時代初期には確認
できるような時代性を持っていた。
時代は流れるが、その定理のみはどんな
に時が経とうと不変であるという事は、
何という歴史の皮肉なのだろうか。