昨日のT子の結婚式では、もう30年以上ぶりにもなる、遠縁の親戚の方たちとも、沢山お会いしたのです。
そのお一人の叔父さん。T子の父親の兄弟のお一人なんですけれど、なにせこのおうちは、七人兄弟(笑)。もう、記憶が交錯するのです(笑)。
その叔父さんとは、もう30年ぶりどころか、聞けば
「けんちゃん、まだ、こんなだったよ。七歳か八歳か。まだ、小学校二年生くらいだったんじゃないかな。」
つまり、35年ぶりとかですね。
そして、
「皆で、旅行に行ったの、覚えてるかい?」
「はい、えっとー、・・・海でしたか、確か」
「いや、山(笑)。ほら、俺たちと皆で、スキーに行ったんだよ。」
「ですねですね!」
そのロッジは覚えているんです。風景も、断片的ですが、しっかり覚えてる。真新しい雪を踏みしめた時の音や感触も今でもそのまま、覚えてる。ハアハアいいながら、大人に混じって歩いた、夜の雪道の楽しかったこと。僕が雪やスキーが今でも好きなのは、この子どもの頃の思い出があるからです。まあ、でも、子どもの頃のことですから、記憶そのものは曖昧・・・なので、海でしたか?などと(笑)。すみません。いや、海にも行ったんですよ。
すると、そこで、奥さんが。
「けんちゃん、この人ね、本当によくけんちゃんの話をするのよ。ね、あなた、いっつもするよね」
「・・・」
無言の叔父さん。
「その冬のロッジでね、この人、まだ本当に小さなあなたと、夜、遊んであげたことがあるんですって。覚えてる?」
「・・・いや、あー、でも、あれ、なんとなく・・・」
「あはは、昔のことだもんね。」
「すみません」
やっぱり、細かいところは覚えていないのです。
子どもの頃の記憶は、9~10歳くらいからは、大分しっかりしているのですが、どうもそれ以前は、本当に部分部分というか、印象的なシーンが幾つか、という程度なのです。皆さん、同じなのでしょうか。
「この人ね、そのとき、あなたと真剣に遊んだんですって。一生懸命ね。何やったのかしら、トランプ?」
「・・・(こくん)。」
無言で頷く、叔父さん。
叔母さんの話しは続きます。
「そしたら、あなた、遊んだあとにね、、・・・『おじさん、僕と真剣に遊んでくれて、ありがとう。』って言ったんですって。」
「『僕、まだ子どもなのに、真剣に遊んでくれて、ありがとう。僕、とっても嬉しかった。』って、そう言ったんですって。覚えてる?」
・・・覚えてなかったです。僕は、そんなこと、言ったのか。
・・・なんだか、ませた子だなあ(笑)。
けど、なんだか、その嬉しかった気持ちは本当で、その心の中の出来事は、ずっと覚えていたような、そんな気がしました。
叔母さんによりますと、叔父さんは、その話を、本当にしょっちゅう、よく話すんだそうです。「けんちゃんが、あの時、こう言ったんだ」って。
なんだか、とってもとっても、嬉しかったです。
35年も会っていなかった叔父さんが、僕のことを覚えていてくれて、そうやって、僕の知らないところで、僕の話をしてくれてたんだ、って思ったら、
なんだか、泣きそうにもなりました。
そして、「けんちゃん、大きくなったなあ。でも、かわらないなあ」って。
・・・「すみません、たぶん、成長してないんですよ、全然(笑)」
と言って、「でも、こんど、また真剣に遊んで下さいね。」ってお話しました。
叔父さんも叔母さんも、テーブルの皆さんも、あはは、そうだね、と笑ってました。
人っていいものですね。
そういえば、今でも、
“むしろ、遊びこそ真剣にやりたい”
のですから、要するに、
・・・大人げがないのじゃないかと(笑)。
でも、真剣に、一生懸命に“遊んでる”時って、めちゃめちゃ楽しいんだよなって、それはやっぱり、本当にそう思うんですよ。
ではー。