
依然として、イカが好きであります。
イカは美味しいです
くコ:彡。
時に、「依然として」の依然とは、「もとのままである様」「前のとおりである様」ということでわかりやすいのですが、
同じく「いぜん」の変換ででてまいります「已然」というのは、ちょっと難しいのです。
皆さま、この「已然」、どのようなものか、お分かりになりますでしょうか。
元々、「已然形」という言葉の「活用の形」があったのですが、これについて、今から、イカに、説明文を載せたいと思います。
・・・最後まで、集中力を切らさずにお読みになることができたら、そして同時に、理解をされた方は、
たぶん、学生時代の国語の偏差値は65を超えているのではないでしょうか
。
Q.動詞などの活用形として、「未然」「連用」「終止」「連体」「命令」は現代文でも続いているのに、已然形はありません。なぜ消えてしまったのでしょうか?
A.已然形という活用形には、
(1) 接続助詞「ば」、「ど」「ども」を下に伴って、順接・逆接の確定条件を表す。
(2) 完了の助動詞「り」を下に付ける。
(3) 係助詞「こそ」の結びになる。
というはたらきがあります。
しかし江戸時代後期の話し言葉(および話し言葉調の文章)になると、
(1)の意味は、
行くので、行くと
行くけれど、行くのに、行くが
などのような形で表すようなります。
(2)の完了の助動詞「り」も、とっくに使われなくなっています。
(3)の係り結びもほとんど行われなくなりました。
というわけで江戸時代には已然形の働き場所がなくなっていったのです。
その一方で、従来「未然形+ば」の形で表現されていた「仮定条件」が、江戸時代後期になると、
もし明日行けば、
のように、「已然形+ば」の形で表現されることが多くなっていきます。
この用法は、「已然形+ば」の本来の用法の一つだった「順接の恒常条件」から発達したものと考えられています。「順接の恒常条件」というのは、
ある条件のもとでは、必ず一定の結果があらわれる
というもので、単純な例でいえば、
風吹けば、葉動く。
のようなものです。
現代語でいうと、
風が吹くと、(かならず)葉が動く。
ということで、さらに、
風が吹いたら、(かならず)葉が動く。
と言い換えることも可能です。
「順接の恒常条件」と「仮定条件」とは、けっこう近い関係にあることが納得していただけると思います。
以上の事情で、古典文法で「已然形」と呼ばれる形が、口語文法では「仮定形」と呼ばれるようになったのです。新装開店みたいなものです。
「未然形+ば」の仮定条件が完全に使われなくなったわけではありませんし、また未然形の機能すべてが仮定形に移ったわけでもありませんので誤解のないようお願いします。
さらに江戸時代でも現代でも文語調の文章では、已然形が本来の用法で使われる例もあります。
「あわよくば」については、
奈良時代以来、形容詞や打消しの助動詞「ず」を仮定条件にする際には、
恋しくは、
知らずは、
のような形が使われることがありました。「は」の部分はもともと清音です。後に濁音化したのです。
文法的な考え方としては、
イ、形容詞、「ず」の連用形に、係助詞「は」がついたもの
ロ、形容詞、「ず」の未然形に、接続助詞の「は」がついたもの
という二つの考え方があります。
かなり厄介な問題ですし、「已然形はなぜ消滅したか」という問題とはまた別の問題ですので、この辺で私の回答を終わりにします。
(以上、教えて!Goo「已然形はなぜ消滅したの?」より転載させて頂きました。)
いかがでしょうか、イゼン形が分かるわからない、などというイゼンに、
日本語の文法というものを、ほぼまるで理解していないまま、日本語を使っている自分に驚きます。
こんなですから、イゼンとして、英語の文法もわかるはずもないのであります。
言語は、文法が分かることと、話せることが、イカに別物か、ということでもあるかもしれません。
ふう、・・・お茶でも飲みましょう
。
ではー。