ホテルの部屋のラナイから見たワイキキビーチの夕暮れです。ラナイ=ハワイ語でベランダ、という意味でして、ハワイのホテルやマンションには大抵このラナイが付いています。ハワイを訪れたら、ラナイで日がなビールを飲みながら読書をしたり、好きな音楽をかけてビーフジャーキー片手にぼけーっと海を眺めたりしてるだけでも、相当オッケーなんですよね。ラナイ、ビバ度、高いです(笑)。
夕陽を見てるとき、皆さん、何か考えてますか?まー怒りながら夕陽眺めてる人なんてのは珍しいでしょうね。夕陽が沈むのを見てる人は、皆ぽーっとして見えますね。僕も、手に持ったビールのことも忘れて、ただただじーっと眺めているわけです。
なんなんでしょう、この魅力は。太陽と地球のコラボレーションだから!?大自然の一大スペクタクルだから!?何故、こんなに見ていたいのか。
でもほんとに夕陽を見ていると、「あぁ、日が沈むのってはやいんだなぁ・・・。」って思いますよね。「太陽ってものすごい速さで動いてるんだなー。」って。昼間は全然思わないのに。(ってか太陽、動いてないですけどね(笑)。ま、この場合、やっぱりそう感じるわけでして。)
そして、なんとなく人生と重ね合わせてみたり。若いうちはギランギランに輝いて、エネルギッシュで、この先沈むことなんて全然感じさせなくて。それが一旦傾き始めると、どんどん光量を絞っていって、周りをほんのり赤やオレンジに染め上げ、雄壮に、しかし静かにゆったりと海や山にその身を沈めてゆく・・・。じたばたなんて決してしない。途中で未練がましくちょっとこっそり戻ってみたりは・・・、しない(笑)。同じ速度で、淡々と、さようなら。また次なる再生への希望を残して、月へバトンタッチ。後は頼んだ、よろしく、と。理想の最後ではないか、と思えたりもします。
まぁ人生は再生するのか、前世、来世は、輪廻転生はあるのか、ってなお話は、僕には、わかりません(笑)。でも、かならずまた生命は生まれてくる。太陽がまた昇る限りは、ね。ほんとうに、恵みの太陽ですよね。朝日に思わず手を合わせてしまうおばあちゃんの気持ち、なんとなくわかる年齢になってきました。・・・しかし、あと50億年と言われてますね、太陽の寿命って。その終わり、見てみたいような、いや、ものすごく怖いような。
何かの本で、こんな小話を読んだことがあります。
年老いた男が小さな南の島へやってきます。彼はそれまで脇目もふらず一心不乱に働き続け、家族を養い、遊びらしいことなど何一つせず、ひたすら会社に貢献し、そして財を成しました。そして老齢になり、身体の自由が思うようにきかなくなったのを期に、ようやくリタイアすることにしたのです。そして今、島の浜辺にそっと腰を下ろし、沈みゆく夕陽を見ています。
そこへ釣竿と何匹かの魚の入った籠を持った島の若者が通りかかります。今夜の夕食を釣った帰りのようです。そこでここらでは見慣れぬ老人を見つけます。
「よう、だんな。そんなところで一体何してんだい?」
「あぁ、島の人よ。私は今まで都会で必死に働いていたんだよ。来る日もくる日も、忙しく働き続けてきたんだ。そして今、やっとこうして長年の夢だった、この夕陽を見にくることができたんだ。どうだね、見てご覧よ!あぁ、なんとも美しいじゃないか!」と、涙を一筋こぼしながら言いました。
すると島の人は、老人の隣に腰を下ろし、しばらく一緒に夕陽を眺めたあと、こう言いました。
「ふーん、そうかねぇ。あんなもの、俺は生まれてこのかた、毎日見てるけどねぇ。あれがそんなにありがたいなんて、あんた、大丈夫かい?」