稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

小さい 白い にわとり(昭和36年の国語の教科書から)

2019年08月27日 | 詩や短歌など




小さい 白い にわとりが、みんなに むかって いいました。

「この むぎ、だれが まきますか。」

ぶたは「いやだ。」といいました。

ねこも「いやだ。」といいました。

いぬも「いやだ。」と いいました。

小さい 白い にわとりは、ひとりで むぎを まきました。


小さい 白い にわとりが、みんなに むかって いいました。

「この むぎ、だれが かりますか。」

ぶたは「いやだ。」と いいました。

ねこも「いやだ。」と いいました。

いぬも「いやだ。」と いいました。

小さい 白い にわとりは、ひとりで むぎを かりました。


小さい 白い にわとりが、みんなに むかって いいました。

「だれが、こなに ひきますか。」

ぶたは「いやだ。」と いいました。

ねこも「いやだ。」と いいました。

いぬも「いやだ。」と いいました。

小さい 白い にわとりは、ひとりで こなに ひきました。


小さい 白い にわとりが、みんなに むかって いいました。

「だれが、パンを やきますか。」

ぶたは「いやだ。」と いいました。

ねこも「いやだ。」と いいました。

いぬも「いやだ。」と いいました。

小さい 白い にわとりは、ひとりで パンを やきました。


小さい 白い にわとりが、みんなに むかって いいました。

「このパン、だれが たべますか。」

ぶたは「たべる。」と いいました。

ねこも「たべる。」と いいました。

いぬも「たべる。」と いいました。

----------------

ここで話は終わっています。

昭和36年、小学校1年生の国語の教科書に載っていた話です。
七五調のリズム感のある文章と、納得のいかない結末の印象は強く、
今でもそのままソラで言えるほどです。
娯楽の少なかった時代だったので活字に飢えていたのでしょう。
国語の教科書は、繰り返し何度も読んでいました。

奈良女子大学文学部附属小学校の星組。担任は小川先生でした。
授業ではサラリと流されたような気がします。
大岡裁きを期待していたのに、そこの記憶が無いからです。
「あとは自分で考えなさい」ということだったのかも知れません。
当時は、なんて理不尽な! 全部自分で食べれば良いのに・・と思っていました。

それから60年近く経ってしまいました。
人生、いろんな事がありますから、その節々に「小さい白いにわとり」を思い出します。
「これはどういう意味なんだろう」などと考えることもあるのです。

世の中、理不尽なことはたくさんあります。

「なぜ自分だけが苦労しなくてはならないのか・・」という憤りだとか、
「自分の苦労など、誰もわかっちゃいないんだ」という諦めだとか悲しみだとか、
そんなことは、数えきれないぐらいに経験してきました。

しかし立ち止まって考えてみれば、自分だって「小さい白いにわとり」ではなく、
犬や猫や豚であった事もたくさんあったはずです。
ただ気が付いていないだけなのです。

それに、もしかしたら、
犬は犬で、にわとりに出来ない仕事をしてきたかも知れない。
猫も、豚も、それぞれ、他の者にはわからない苦労をしてきたのかも知れない。

そう思うと、この「小さい白いにわとり」の話は、
働く喜び、そう「端(はた)を楽にする」喜びの話のような気もするのです。

この話は「白い小さなにわとり」からの一方的な視点での話で、
犬や猫や豚の視点で見ると、また違った話になるのでは無いだろうかと思うのです。
犬も猫も豚も、鶏に劣らない働き者なのかも知れないのです。

もちろん、中には本当の「なまけ者」がいて、
まったく働かずに食うだけの者がいるかも知れません。
それでも、ここには、麦を育てパンを焼き、皆で分かち合える余裕があるのです。
皆で分かち合える余裕がある豊かな土地・・が前提条件だと思うのです。
そうであれば一見役立たずに見える「なまけ者」も、
皆を和ませる役割、潤滑剤や緩衝材のような立場なのかも知れません。

-------------------

ただ一つ疑問は、「小さい白いにわとり」は、いつも「誰が撒きますか?」
「誰が刈りますか?」「誰が挽きますか?」「誰が焼きますか?」と聞いています。
これらの仕事が「小さい白いにわとり」の専任の仕事だとすれば、
このような問いかけにはならないはずです。

そこが、ずっと引っかかっていた疑問です。

自分しか出来ない(または、自分に任された)仕事なのに、なぜ問いかけるのだろう?

なぜ、黙って刈って、黙って挽いて、黙って焼いて、最後に
「おいしいパンが焼けたよ~!」「皆でパン食べようよ!」と言わなかったのでしょうか?

そこが「小さい白いにわとり」に感じた唯一不明な部分なのです。

もしかしたら「白い小さなにわとり」は、その節々に、
「あんた達、自分の仕事をきっちりやり遂げているの?」と、
暗に、かつ厳しく、それぞれの良心に問いかけていたのかも知れません。

全員、躊躇することなく「食べる」と言ったのは、
それぞれが自分の仕事を、誇りをもって成し遂げていた、ということなのでしょう。

-------------------

とりもいぬも、ねこぶたも、
じょうだんめかして ぐち いいながら
えがおで パンをたべました。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする