稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

富雄川の湯屋谷橋

2019年08月07日 | 旅行や街角メモリー
バイクで近所の散策。
ちょこっとした散策が好きである。
街角で出会った「?」が放っておけない性格なのだ。



私の実家は奈良市登美ヶ丘。
(私の自宅は800メートル離れた奈良市西登美ヶ丘)

昭和35年に、父、貫次が近鉄の建売住宅を購入した。
大阪の心斎橋から奈良市登美ヶ丘に引っ越してきた昭和35年は、
まだ登美ヶ丘という地名は無く二名町(にみょうちょう)と言っていた。
今は一般道路の阪奈道路が有料道路だった時代で、上り下りの専用車線ではなく、
現在は上り専用の2車線を、上り下りで対面通行していた時代だ。

そして住宅地が広がるにつれ、二名町の一部が登美ヶ丘という地名に変わった。
1967年(昭和42年)、小学校6年生のことだったと記憶している。

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近鉄富雄駅から数キロ北上し、富雄川に架かる湯屋谷橋の、
湯屋谷橋西詰の交差点を右折し1キロほど東進すると私の自宅にたどり着く。



ある日、何気なく湯屋谷橋の欄干を見ると「ゆやんたんはし」と書いてある。
信号機の表示は「ゆやだにばし」、橋の名前は「ゆやんたんはし」。





さっそく、今昔マップで調べてみた。

今昔マップ。
http://ktgis.net/kjmapw/index.html

1892-1910年(明治25-43年)の地図を見ると「イヤンタニ」
1922-1923年(大正11-12年)だと「イヤダニ」、
1927-1935年(昭和2-10年)だと「ユヤタニ」になっていた。


(1892-1910年では「イヤンタニ」と読める)


(1922-1923年では「ユヤタニ」と読める)


(現在版は湯屋谷という地名が消えていた)

まあ考えてみれば、事務所のある加納も「カノウ」と読むが、
昔から住む人は「カンノ」と言うのだと聞いたこともある。

母親の旧姓は扇田だが「オオギタ」なのか「オギタ」なのか
「オウギタ」なのか、どれが正しいのかわからない。

はたして湯屋谷橋は「ゆやんたんはし」なのか「いやんたにはし」なのか、
または「いやだにばし」なのか「ゆやたにばし」か「ゆやだにばし」か。

いずれも間違いでは無いというのが日本語の大らかさなとこなんだろうか。
どうでも良いのに妙に気になってしまって調べてしまった次第。


(湯屋谷橋は二名町に属している)
コメント
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