稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

【考察】剣道形七本目の打太刀の刃先の向き

2019年08月04日 | 剣道・剣術

剣道形七本目。
打太刀の気当たりの突きの刃先の向きの件。

ほとんどの人が正しく、刃先を「やや右下」に向けて突いている。
しかし、ごくたま~に、刃先を左下で突く人がいるのだ。
わけを聞いてみると、所属団体の指導者にそう教えられたそうだ。

これは形の解説書の書き方のせいではないかと思う。

この部分の記述の変化を書くと、

  ※ 旧カナ使いは現代かな使いに書き換えた。
  ※ 稍々は「ヤヤ」、以ては「もって」に書き換えた。

●大日本帝国剣道形(大正元年十月制定)
打太刀は機を見て仕太刀の胸部を諸手にて突く。

●大日本帝国剣道形(大正元年十月制定・大正六年九月加註)
打太刀は機を見て仕太刀の胸部を諸手にて突く。
(一歩軽く踏み込み剣尖をヤヤ仕太刀の左に向け諸手をもって鎬にて摺り込みつつ突くなり)

●大日本帝国剣道形(大正元年十月制定・大正六年九月加註・昭和八年五月加註増補)
打太刀は機を見て仕太刀の胸部を諸手にて突く。
(一歩軽く踏み込み剣刃をヤヤ仕太刀の左に向け諸手をもって鎬にて摺り込みつつ突く)

●日本剣道形解説書(昭和56年12月7日制定)
打太刀は機を見て、一歩軽く踏み込み、刃先をやや仕太刀の左斜め下に向けて、
鎬ですり込みながら、諸手で仕太刀の胸部を突く。

剣尖、剣刃、刃先という語句の違いがある。
いずれも「仕太刀の左に向けて」は同じである。

まず「仕太刀の左」とはどこなのか?
下を向いているはずの刃先を「やや仕太刀の左斜め下に向けて」
とは、具体的にどのような状態なのか?

単純に打太刀から仕太刀を見て「仕太刀の左」とは前方向での左である。
素直に考えたら、打太刀の突きは、当然ながら刃先が左下になってしまう。
勘違い、混乱の元は、このわかりにくい「仕太刀の左に向けて」が原因である。

剣道で「相手の左面を打て」と言うと、
向かって左の右面を打ってしまうようなものだ。

唯一の救いは、日本剣道形審査上の着眼点だ。

●日本剣道形審査上の着眼点(昭和60年6月26日)
打太刀:刃先をやや右斜め下に向け鎬ですり込みながら正しく胸部を突いているか。

これがあるため、剣道形講習会でも、刃先はやや右斜め下で突くと教えられる。

--------------

突きの刃先の向きについては、すでにこのブログで述べた。

考察「突きにおける刃先の向き」
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20190722/

それでは「仕太刀の左に向けて」という意味は何なのか?
1)仕太刀から見て左側に向けて
2)刃先ではなく剣先の間違い
(剣先を仕太刀の左に向けると、日本刀には反りがあるので刃先は右下になる)

1)であるなら混乱の元なので改訂して欲しい。
2)は、剣尖が剣刃に変わった時点で混乱した可能性がある。

末端の指導現場では、刃先の向きと、剣先(切先)の向きを混同している者も多い。
記述は、剣尖→剣刃→刃先と変化したが、「剣尖」が「剣先」の意味とすれば、
技としての説明は大きく異なってしまう。

剣道形四本目でも同じような記述である。

●日本剣道形解説書(昭和56年12月7日制定)四本目
打太刀は機を見て刃先を少し仕太刀の左に向け(中略)右肺を突く。

「刃先を少し仕太刀の左に向け」とはどういう状態なんだろう?
いずれも、刃先と剣先(切先)を取り違えた間違いでは無いのか?

このような、わかりにくい記述が原因で、
末端の指導現場で少なからず混乱を生じていると考えられる。

語句を統一し、わかりやすい記述に書き換えて欲しいと願う次第だ。
「刃先をやや仕太刀の左斜め下に向けて」の表現は誤解を生みやすい。
すなおに「刃先をやや右下に向けて」で良いと思うのだがどうだろうか。

-----------------------

大日本帝国剣道形は、大日本武徳会剣術形を元に、約1年間の討議を経て、
大正元年(1912年)10月に太刀の形7本、小太刀の形3本の計10本が発表された。
普及が進むと解釈に異同が生じたため、大正6年(1917年)に註が加えられ、
さらに昭和8年(1933年)に増補加註されたという経緯がある。


(重岡曻著「詳解日本剣道形129頁より、左が打太刀)


(日本剣道形解説書(昭和56年12月7日制定)20頁より、刃先と切先の確認)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする