稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

押し手引き手・合気(木曜会定例稽古 2019年8月1日)

2019年08月02日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)
四條畷市立四條畷西中学校の体育館。
20時から21時20分まで。今年26回目。参加人数15名ほど。
強烈な暑さと湿気。人数が少ないのは暑さのせいなのかも知れない。

私は腕の肉離れがまだ痛むので、思い切ってお盆明けまで
防具を着けての稽古は休むことにした。素振りもしない何もしない。
本日は防具稽古は無し。私は見取り稽古。


---稽古中(素振り、竹刀打ち)でのお話---

打った時は手首が伸びるように。
振りかぶった時に首が前後に動かないように。
振り下ろしは少し鋭角に下りてきて下筋を使って打つ。

右手は横から握ってはいけない。
構えた時には切り手になっていること。

斜め45度で止めることにだけこだわっていたら間違ってしまう。
左手が利いていたら45度で止まるということ。
肩、肘、手首、胸の五角形を崩さず、そのままの形で振り上げ振り下ろす。

右手を「押し手」、左手を「引き手」と単純に憶えると間違ってしまう。
また右手を中心として左手だけで打とうとしても伸びの無い打ちになる。
試合で相手より早く打てるかも知れないが刀法の理合では無くなってしまう。

右手の中にも引き手と押し手がある。
中指を中心とし、小指薬指で引いて親指人差し指で押す。
左手も同じ。

右手左手を一つの拳として考えると引き手と押し手がわかりやすい。
(右手と左手をくっつけて握って打つと場合に顕著になる)
右手と左手の接点が中心となって、右手が押し手、左手が引き手になる。
右手と左手は連動していること。

両手の間隔を広げて握った場合でも、両手の間を中心とした大きな拳と考え、
その大きな拳の中で、押し手引き手が生まれて竹刀の打突力が生まれる。

1、2、3、4、5の稽古。(先週の復習だが私は休んだのでよくわからない)

1で、止まる。高齢者は、ここで止まらず打ちに出てしまう。
1で相手のキ(気と機)を伺うから、それが「溜め」になる。
相手の目を見ながら、すーと入る。イーチの「チ」の部分で溜め。
相手がどうしようとしてるのかという「気」を伺う。目、肩、首、全体。
相手が入ってこようとするところを攻め返す。
攻めてこようとする相手の気を見て機会の機で打つ。
相手が狙っているところに無策に入っては駄目。

礼をしたところで相手がどういうタイプか見定める。
きっちりしていない相手とは合気にならない場合が多い。

打つべき機会は合気が外れたところ、崩れたところ。
お互いに合気になるから気が外れた(気を外す)ことがわかる。
最初から合気を外していてはそれがわからなくなる。
まず合気になること。相手の気を崩すから精神的な優位性が生まれる。
女性は返し胴が打てることで精神的な優位性が身に付く。

精神的優位性は、まず構え。気迫。
いつでも打てるという気構え身構え。

日本剣道形一本目でも、仕太刀から「先に打つぞ!」
という気がわかるから打太刀が(遅れまいと)打ってしまうのである。
先には有形の先と無形の先がある。有形の先々の先と無形の先々の先がある。
一本目の仕太刀は「無形の先々の先」、反応して打太刀が止むを得ず打つ。


(竹刀打ちで手の内の稽古)


(構えた時、打った時も「切り手」になっていること)


(左手の握りが出来ていれば意識しなくても剣先は下がらない)


(合気)


(合気を外す)


【感想・反省点】

稽古には参加していないが多くの事を学んだ。
打突の強度と冴えは力では無いということもわかった。
私はまだまだ力で剣道をやろうとしていたわけだ。
だからテニス肘や、腕の肉離れという故障で苦しんでいる。

普段の稽古で出来ていないことばかりである。
稽古復帰が待ち遠しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする