尋常小学校3年生だった昭和16年に国民学校に変わったことよって、爺も心身を鍛えてお国のため、天皇のため身をささげる立派な軍人になるための教育を受けた一人である。
爺が通った国民学校の当時の校長先生は、軍部に忠実な真面目人間だったのだろう、近隣の学校では見られない徹底した軍事教育の推進者だったなと、大人になってから分かった。
高学年になると、男子は剣道、柔道、女子は長刀た教育を、遠足という名前は行軍に、日の丸弁当の日が設定され、梅干しだけの弁当での昼食会、、朝礼後は上半身を裸で乾布摩擦など。
学校行事では落穂ひろい、イナゴ取り、炭焼き,縄づくり等の奉仕活動、行軍、水泳、スキー等の体力づくり教育に徹していた。中学に入学当初は、他校出身者との学力差を痛感した。