爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

マスク生活

2022年03月25日 | 日記
長引くコロナ禍で、マスクは外出時の必需品となってしまった。一歩外に出たら、素顔の人を見ることができなくなり、時には挨拶が遅れて失礼したり、人違いして謝ったり。

 爺も、外出は通院と食糧品などの買い物だけだが、歯科の治療中以外はマスクを付けたままである。時々我が家を訪れて素顔で語り合う70代のお茶飲み仲間3人から元気を貰っている。

ネットで「顔パンツ」と言う言葉を知った。マスクを習慣的に着用するようになったことで、マスクを外したくない若者が増え、マスクを外して顔を人前にさらすのは、人前でパンツを脱ぐのと同じになったと。

マスクを習慣的に着用するようになったことで、3人に1人が体の不調を感じているという調査結果もある。人の密集していない場所では、こまめにマスクを外して鼻呼吸をと。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

笑い

2022年03月20日 | 日記
作家の五木寛之さん、講演中に聴衆の笑いを取るために話を脱線させるという。仕事柄、笑いに慣れていないのか、お坊さんと学校の先生とお医者さんのグルーブは笑ってくれないが、一度笑わせたいと。

ある学者が人の顔には笑顔を作るための表情筋が36本あって、放っておくと口元がへの字になり機嫌の悪い顔になると言う。唇の端を意識して上げることで、ニッコリ顔になるよと。

年をとるにつれて自然に表情が乏しくなるが、世間には若い時から表情筋が健全に機能していないのか笑いの表情が少ない人がいる。面白くないのかと尋ねると、そうでもない。

この頃の世の中、終息の見通しのないコロナ禍、ロシアによるウクライナへの侵攻、中国による海洋進出、北朝鮮によるミサイル発射、心の底から笑っていられないご時世である。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クラスメート

2022年03月15日 | 日記
爺が良く遊び、良く学ばなかった県北の田舎の小学校は、クラスの殆どが農家と地元の自営業の子供で占められ、爺と同じ鉄道員の子供は二人だけで、官舎もんと呼ばれよそ者扱いされていた。

戦時下だったこともあって、小学校での楽しい思い出話は浮かんでこない。学校長の方針なのであろう、クラスメートの写真も、卒業アルバムもない学校だったので、全員の顔や名前は思い出せない。

旧制中学を受験するのは、鉄道員の子と地元自営業の家庭の子だけで、農家の子供は一人もいない。中学へ進学後の爺はクラスメートとの交友関係がないまま、生死も消息も不明である。

この頃になって、今も記憶にある数人のクラスメートと偶然の出会いが無いだろうか、語り合ったら、積もる話で尽きないだろう、どんなに楽しいだろうかと想像することがある。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

80代最後の年に

2022年03月10日 | 日記
一昨日の3月8日、元気で89歳の誕生日を迎え、いよいよ80代最後の年になった。小学生時代はクラスで小さくて痩せの爺が、健康優良児だった同級生よりも長生きしてしまった。

人生の終盤に入ったのは確かである。若い頃は、せいぜい80の声を聞くまでは元気でいたいものだと思ったこともあったが、もう死んでもいいとは思わないし、ひたすら幸運に感謝している。

元気で長生きしている作家、曽野綾子氏が言うに、90歳になったら死後の世界が、「あらお久しぶり、今お着きになりましたか」と言う感じで、無人の川岸ではなく、賑やかな風景に変わったと。

爺も終着駅まで幾つ停車駅があるのか分からないが、誰が迎えに来てくれるだろうか、彼の地には会いたい人が沢山いるので、誰から会おうかと、楽しく考えるようになった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR羽越線の坂町駅

2022年03月05日 | 日記
昭和13年~28年まで過ごしたJR羽越線坂町駅界わいは、鉄道の町、鉄道の要所として栄えた地、山形県米沢と坂町を結ぶ米坂線乗り換え駅とあって、朝夕のラッシュ時は人の波だった。

爺も中学と高校時代の6年間を通学で利用した懐かしい駅である。列車が到着する度に、「小国、米沢、赤湯方面乗り換え」と繰り返す駅の案内放送を聞きながら見知らぬ地に憧れていた。

50年後になって米坂線に沿った国道113号線をドライブして、小国の道の駅「白い森おぐに」、家内の趣味である米沢の刺し子工房 創匠庵、南陽市の赤湯温泉が、憧れていた最初の訪問先となった。

鉄道官舎で育った爺、休日には一日中、駅の案内放送を聴きながら、時には寝言にまで口走った小国、米沢、赤湯の地は青春時代から爺の脳裏に保存されたまま、今も削除されていない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする