爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

77歳の教え子たち

2011年05月26日 | ブログ
平成19年7月の中越沖地震で全壊した、K市の山間にある日蓮宗S寺、昨年10月自らも被災した檀家の皆さんの熱意で再建され、小高い丘の上から静かに見守ってくれている。
現住職は家内の弟、檀家の皆さんが中学時代3年間の担任だったE先生こと、現住職の兄でもあり、S寺の住職でもあったという因縁。
昭和22年から25年まで国語と社会を担当したE先生、34人の生徒たちを個々に自宅である寺に呼んでの個別指導,教科の指導ではなく、生徒との会話を通して能力、適性を見極めながら、将来の生き方をについての指導助言だったと教え子たちが語る。
昭和25年、20代の若さで彼の地に赴いたE先生の教え子たち、60年を経た今も、先生を偲ぶ話題は絶えることなく、弟の現住職、妹の家内には、E先生を懐かしむように親しく話しかけてくる、E先生の奥様から馳走になった甘い紅茶の話しは皆同じ、当時は手に入らなかっただけに、よほど美味しかったのであろう。



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マスク

2011年05月20日 | ブログ
前方確認することもなく、携帯電話を見たり、操作したりしながら歩いている若者の姿、「歩き携帯」とも言うそうで、見慣れたせいか、珍しくも無くなったが、最近は、マスクの着用者が、やたらと目立ち、異様に感じたりする。
毎年、インフルエンザ、花粉情報と一緒に「マスク,うがい、手洗い」が3点セットで聞こえてくるが、ウィルスの侵入を防ぎ、ウィルスを外部へまき散らさないためのマスクも、顎にかけたり、口だけにかけている中途半端が気になる季節でも。
ある精神科医の言によれば、風邪でも花粉症でもなく、「人と話したくないから」「顔を見られずに済むから」と心理的理由での着用者が増殖中だとか、この心理状態を部分的な「ひきこもり」とか、伊達マスク症候群とか。
歩き携帯は、他の歩行者にも迷惑をかけるが、マスクの場合は人様に直接ご迷惑をかけていないとは言え、悪い伝染病でも発生したようで、不健康な姿を見ているのも気が滅入ってしまう。






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間借り生活

2011年05月14日 | ブログ

昭和33年5月、新婚生活の場は、独り暮らしの中年女性が住む2階での間借り、西日が当たる8畳の和室と5畳の板の間は、夏の夕食時は汗を、かきかき、一階の台所で作った食事を二階まで、終わって洗い物を一階まで運ぶ煩わしい日々。
町屋特有の奥に長い建物は隣との境は壁一つ、ネズミの往来も激しく、毎晩、屋根裏はネズミ達の家族団らんの場、近くには銭湯、八百屋、魚店、食料品店があり、位置的には便利な場所だったが。
家財道具と言えば、寝具の他に、洋服ダンス、整理ダンス、小さな茶ダンスと飯台、げた箱、電気製品はアイロンとラジオだけ、11月に完成予定の職員アパートへ転居するまで辛抱の仮住まい。
転居した職員アパートは、6畳と4畳半の和室に5畳の板の間、風呂場、台所、物置、水洗トイレ、当時の住宅事情の中では、合理的な間どり、特に風呂場のあるアパートは珍しく、周りが羨む程、ちなみに家賃は2615円と半端な金額。
   







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冠婚葬祭

2011年05月08日 | ブログ
平均寿命に近ずく年頃になると、冠婚葬祭も葬との関わりが多く,婚は、おそらく成人式を終えた年長の孫Yちゃんの結婚式まで健康で長生きするしかないようだし、今は数少ない冠と祭との関わりで喜びを味わっているところ。
最近の冠と言えば、平成2年に仲人をしたY夫妻の長男が大学生に、ご近所のHさん宅の娘さんが里帰り出産で二人目の男子の誕生、久しぶりに書くお祝いの文字、添える言葉も何でもあり、笑いながら、話もはずむ。
祭では、年賀、歳暮、孫のお年玉と言ったところ、年賀は高齢を理由に辞退届がボチボチ届き年々少なくなっているが、年賀と歳暮は、お互い元気の印として続けたいし、孫のお年玉も社会人になるまでは、孫バカになって居たいところ。
来年は、孫で高3のHちゃん、中3のR君の進学、お祝いする日が待ちどおしいが、震災被災者の中にも大勢の同じ年頃の子供達も居られるであろう、一日も早く元の生活に戻られる日を祈り続けたい。



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故人も色々

2011年05月02日 | ブログ
数年前33回忌法要を済ませた義母、一言でいえば3人の娘の婿(爺を含む)、2人の息子の嫁を大切にした人で、晩年は孫の顔を見に交互に泊まり歩くのが楽しみだったようで、「老いては子に従え」と言う諺どおりに過ごした人でも。
昭和34年頃、同じ職員アパーの2階に住むT氏、酒を飲んで帰宅の際は、決まって3階の我が家のドアをノック、施錠していない時は、玄関に入り込んだり、普段は、栄養豊かだった奥方に忠実な恐妻組合員のお一人であったが、風聞では現役時代の早めに石の帽子をかぶられたとか。
爺が職場の末席に座っていた頃の先輩と言えば、大部分が大正生まれ、偶然だろうが、ユニークなご仁に多く出会ったように思える、野球で振ったバットにボールが当たり3塁に向かって走ったI氏、調理用のボールで下着の洗濯をするH氏、就寝時には柱時計を止めてしまうO氏、あれから50年以上になるが、いずれも見ることも聞くことも無い話し。




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