爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

700回目の投稿

2018年03月25日 | 日記

家内が命名したタイトル「爺の世間ばなし」も、平成19年5月2日に初投稿してから今日で700回目になるのを機に、「ブログ百選」の編集に取り組んでいるところ、選定の難しさを痛感している。

85年の人生を通して、見たり、聞いたり、体験した話であり、日ごろ家内とのお茶飲み話の話題でもあり、思いつくままのお喋りは尽きることはない、心身に不具合が生じるまで続くであろう。

ブログ村の人気ランキングでは、読者の応援や、スタッフによる評価を得て、いつも上位にランクされることが、大きな励みになって、書き続けることができたと改めて感謝したい。

年を重ねるたびに、行動範囲も限られ、話題も少なくなってきたが、身近なところでも、歩けば棒に当たる、気楽に声を掛け合えば、病院にも、スーパーにも、歩道にも世間ばなしはある。


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家内の電話会談

2018年03月20日 | 日記

女性は横のつながりを大切にすると言われているだけに、家内も職場を去って30年にもなるのに、最近まで一緒にいたような雰囲気で、今も昔の職場仲間と電話会談を楽しんでいる。

保健師だつた家内の電話の相手は、保健師、栄養士、検査技師、精神相談員など関連した仕事仲間であり、年賀状には必ず添え書きのある仲間でもあるので、一月は年始の挨拶電話で忙しい。

先輩は終着駅へ向かってしまい、電話相手は主に後輩である、話の詳細は分からないが、この頃では、足腰の痛み,転倒ばなし、医者と薬への疑問話など年寄りらしい話題が多いようである。

気候のいい頃になったら、会う機会もあるであろう、相手は女性ばかりだが、同行する爺も顔見知りなので、気楽に話の中に入りこむ、最近の別れの挨拶は、決まって「転ばないようにね」。


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雪が消えた

2018年03月15日 | 日記

3日、嫌な雪が見えなくなって気分もさわやか、床屋さんを訪れた、オーナーから良い天気になりましたねと挨拶され、頭も良い天気になりましたと答え、店員一同を笑わせてしまった。

10日、タイヤ交換をするため、保管依頼しているK自動車店へ、事前に電話したら女性事務員が、爺の声を聞いただけで、いつも元気なHさんでしょうと言われ、気をよくしてお茶菓子を持参。

12日、お天気が良いので、気分転換にと、時々利用する郊外にあるスーパ―を利用、時間に余裕のある身ともなれば、ゆっくり買い物、自然にお気に入りのレジ係のところへ並んでしまう。

この冬の豪雪で、我が家の零細庭園で30年間を生き続けた老木のツゲの木が折れ、側溝や屋敷周りには、小枝など散乱しているが、片付ける予定日は先送りされたまま未定。


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85歳になった

2018年03月10日 | 日記

一昨日、85歳の誕生日を健康で迎えた喜びを胸に平常通り通過した、一日一回、ひと粒の痛風の薬を時々忘れながらも飲み続けているだけで、体の動きに大きな支障はないが、やや鈍くなった感がある。

8月に85歳になる家内が、何気なく言ったことが、嬉しいやら、おかしいやら、「私は一人では生きていけないから、あんたが死んだら、死んだふりをして一緒に付いて行く」と、出来ることなら連れていきたいが。

今は、夫婦ともども介護保険証は引き出しで眠ったままだが、目に見えない老化が日頃の生活動作の中で感じてきたようだし、ようやく介護の現状について関心を持ち始めたところ。

喜怒哀楽を感じながら85歳までを振り返ってみると、歩いた道は舗装道路ばかりではない、途中に砂利道もあったし、穴ぼこもあったが、おおむね無難な道を歩いてきたことに感謝している。


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昭和一けた後期

2018年03月05日 | 日記

昭和一けた後期(昭和5年~昭和9年生まれ)の人は、沖縄戦での少年兵以外は戦争に参加することはなかったが、旧制中学や青年学校で軍事訓練を受けたり、学童疎開などを経験している。

昭和8年生まれの爺も、昭和20年4月、ゲートルを巻いて戦闘帽姿の旧制中学1年生になり、8月の終戦までの4ヶ月間ほど二人の配属将校から軍事教練を受けたり、出征兵士のいる農家の手伝いに動員された。

 農家の手伝いは、除草機で苗と苗の間の田の草をとる作業で、体重30キロ程の爺には重労働だったが、小昼(こびり)と称して10時に出される塩むすびは、コシヒカリよりもずーっと美味かった。

 終戦後の配属将校たちは食糧増産の指導員に早変わり、生徒は鍬を持参で通学、グランドは、たちまち芋畑と化す、これから何年か食糧難時代が続き、学校内では弁当盗難事件が頻発した。


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