爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

婿養子のAさん

2008年03月26日 | ブログ

爺より一昔先輩のAさん(故人)  親族一同から是非にと選ばれた婿養子だそうで、「お金も着物も要らないが貴方一人が・・・・」と歌の文句どおりに迎えられた幸せ者。

Aさんとは20年前の出会い、温厚、まじめな御仁というのが印象で、聞けば同じ職種の先輩。

話好きの奥さん、家では頑固で、威張っているご主人の様子を隠すことなく喋り捲る、多少割引いても、亭主関白だったよう。

晩年は、体調が優れず、特に足腰がままならず、一人で杖を頼りに病院通い。

いつか、病院からの帰り道、自宅近くまで来た所で、電柱に寄りかかり一休みしている姿を見た爺、Aさんを自宅まで送ろうとするが、他人には甘えようとはしない、一言、ばさ(奥さん)を呼んできてくれと。

この様子を2階の窓から見ていた奥さん、直ちに迎えに行こうとしない。

日ごろのご主人に対する、ささやかな抵抗であったようだが、やっぱり大切なお婿さん、しぶしぶ、お迎えに向かう。


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年度末~年度初

2008年03月19日 | ブログ

我が家の周りは学生マンションだらけ、学生諸君、勉学に励んでいるためか、否か未確認なので不明だが日ごろは静かな環境である。

3月~4月の動きは、毎年変わらぬ風景、そろそろ卒業組みは引越し準備、ごみ集積場への廃棄作業も大忙し。

4年前に親から揃えて貰った家具、寝具、衣類、自転車など、もったいない物も見受けられるが。

4月に入ると、通学時間帯の歩道は、ゆっくりと歩く新入生達で満タン、車道は、ハンドルさばきも軽やかな自転車が、何故か、月日が経てば混雑は徐々に解消されるけど。

駐車料がもったいない新入生による迷惑駐車、「フロントガラス」にお供えした町内からの「おふだ」も効なく、最後は「赤色灯付きツートンカラーのお車」のご出座、貴重な小遣いから上納金を差し上げて一件落着。

20年近く、多くの学生諸君から若さを頂戴しているが、一人ひとり、家族にとって大切なご子息たち、話せば、みんな普通の子、爺が、声をかけた若者たちを思い浮かべる季節でもある。


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福寿草

2008年03月12日 | ブログ

福を招く、縁起の良い花,元日草とも呼ぶ福寿草、我が家では、例年よりも遅れて3月入ってからの開花。

福寿草から、連想するのが、国民学校5年~6 (昭和184月~203)担任の名前が「福壽」、当時何のことか意味もわからずに、先生の名前を覚えさせられ、寿の本字「壽」の文字を覚えるのに苦労している生徒もいる。

先生の教え方、最初に、士(さむらい)を書く、次に、カタカナでフエ、最後に

一インチ(一吋)と書くように、今も忘れることのない書き順である。

福壽先生、柔道、剣道、相撲道に力を注いだ先生でもあり、戦時下とはいえ、厳しいことでは子供心で承知済み、年に何回かは、クラス全員が一人ずつ、先生の前に出てピンタを食らうという、所謂、活を入れられる。

今代であれば、マスコミを騒がす大事件であろうが、事の是非は別として、当時は、何のことのない話題である。

爺には、格別,いやな思い出として残っていないが、何故か、国民学校の同級会、福壽先生のお呼びはなかったようで、お元気であれば,90代。


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75 years old

2008年03月06日 | ブログ

爺、健康状態も概ね良好のまま生誕75年を迎えるが、この間の睡眠期間も単純計算で約25年、随分長いこと眠ったもの。

自身の意識に格別のものは感じていないし、人生の一通過点に過ぎないが、日本政府からは、何かと手厚いご配慮をいただくお年頃。

   前期高齢者から後期高齢者という人生の年長組(現在の概算値で総人口の約10%を占める集団)へ編入。

   マイカーには「落ち葉マーク」というお守りを張り、非高齢者ドライバーから、ご加護を。

   赤字の国民健康保険から病人だらけの高齢者医療保険に隔離され特別待遇。

ブロクで紹介されていた後期高齢者が気をつけている生活習慣、「転倒しない」、「朝食を欠かさない」、「腹八分」、同感、異議なし。

家族や社会のお世話になる日を、できる限り先送りするため、「心身の健康」を第一に、毎日を大切に。


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一粒ばなし

2008年03月03日 | ブログ

月給鳥時代に出会った多くの人様の中には、思い出す「名物男」結構いる。

その1 昭和40年代~50年代に利用した食堂、60歳代と思われる爺と婆のお店だが、この爺さん、鼻の病か、調理しながら、いつも鼻水をすすっている。

麺類作り時は、湯気で鼻が刺激されるのか、垂れそうになる鼻水を手でこすりながらの調理、落ちそうで落ちない。安くて、味は、まあまあ。

その2 昭和51年、風呂嫌いを自認、公表しているH氏、当時、ライダーの憧れであり、誇りでもあった排気量750ccの、俗称「ナナハン」で、全国の国道は殆ど乗り回ったと言う御仁。

30代後半の独身、日頃から嫁さんよりもオートバイが好きと豪語していたH氏、パートでバツイチの元乙女の虜になるとは、新婚旅行も「ナナハン」で。

その3  昭和52年頃の同僚、N氏の胃袋、丈夫というか、鈍感というか、時に仲間同士の飲み会で、鯖のサシミで全員が食あたりでダウン、N氏異常なし、翌日、仲間のところへ、早速お見舞いに。

また、N氏の海水浴は、お風呂代わり、海水パンツを着用せず、夕方だけど。


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