爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

「もみじ」のオフダ

2009年01月31日 | ブログ

昨年6月から75歳以上のお年寄りが運転する車には、必ずお供えするようにと日本政府からのお達し以来、目立つようになった紅葉マークも慣れたせいか抵抗もなくなったところだが、最近、模様の変更や義務から努力にするとか見直しが検討されているようだが、口うるさい年寄りのために御手数をおかけしている次第。

爺の周りでも理由は、まちまちだが高齢による運転技能、視力の低下等で車の運転を諦める方を耳にするが自ら決断する例は少ないようで、むしろ家族からの厳しい要請で、しぶしぶ従ったと言うところだろうか。

自身の老化は認めたくないのも事実だが、80代半ばで他界のHさん、晩年はバックで車庫から出たまま50メートルも走行後、方向転換するという危険運転や、アクセルとブレーキを踏み違いなど見たり聞いたりすれば、周りから強制するのも必要不可欠では。

爺も、昨年の免許更新時の運転技能の評価は合格、自信を持ってドライブを楽しんでいるが1日の運転距離の限界300キロも徐々に短縮しながら好きな車と何時まで仲良くできるか、いつの日か家族から厳しいお達しが来るであろう,その時は、格言通り老いては妻や子に従うつもり。


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年末宝くじ

2009年01月25日 | ブログ

古くは、江戸時代に神社 仏閣の修復費用を集めるための富くじが始まりで、今は地方財政資金を調達するためにあると承知している。

宝くじにまつわる抽選前の話題は耳にするけど、高額当選した話に出会ったこともなく、爺も年末ジャンボ宝くじを買い求めるようになって20年近くになるが、当選したことはないし、9月2日は、ゴロ合わせで9(く) 2(じ)の日と称して宝くじの日とされ、ハズレくじを対象に敗者復活抽選会があるそうだが確認したこともない。

爺も、何回か市内の良く当たるといわれる銀行や煙草店に並んで買い求めたこともあるが最近は、もっぱらスーパー敷地内の宝くじ売り場を利用、「当たりますように」と一言添えて宝くじを渡す店のおばちゃんの顔は、いつも受け取ったお金を向いたまま。

何時, 何処で、何枚、バラで、連番で、等々の買い求めるまでに考える楽しみ、抽選日までは今年こそ、せめて、10000円でもと、ささやかな願いを想像する楽しみ、爺にとって1年に1回の単純且つ幼稚な夢を楽しむ、ひと時。

某ブログの中で、抽選日(12月31日)の翌日のご挨拶は「明けましておめでとう」だが、当選した人には、「当てましておめでとう」と。


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年賀状今昔

2009年01月19日 | ブログ

1949年(昭和24年)に発売された「お年玉付き年賀状」も60歳の還暦を迎えた昨今は、パソコンで作成された年賀状に一言添え書きされたものが大勢だが、墨絵、水彩画、毛筆等、個々の持ち味を発揮されたもの、稀に年賀状を書かない人、昔ながら元日に書き始める人、最近は本年を最後に遠慮する旨の宣告する人等々、様々だが、それぞれ楽しませてくれる。

毎年の年賀状の中には、転勤先で2~3年の短い縁だったにも拘らず、欠礼で中断しても翌年には必ずくる年賀状、60年続く最も長い年賀の友、N君からの宛先、本文とも自筆の年賀状、見るたびに、再会したい思いもあるが、また1年が経過してしまう。

一時期には毎年、年賀状の売り切れが、今や郵便会社総動員での販売活動とインターネット販売など、居ながらにして希望する日に届けてもらえる時代だが、原因も色々あって、販売枚数は伸び悩んでいるという様変わりである。

ちなみに、最初の賞品、特等(ミシン) 1等(純毛洋服地) 2等(学童用グローブ) 3等(学童用こうもり傘)と、これまた様変わりだが、宝くじ同様、切手以外に当たったこともなく、周りで当たった話も聞いたことがない。


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思い出す先輩(4)

2009年01月13日 | ブログ

昭和40年代、60年代と2度、職場を共にし、第2の人生で仕事引き継ぐという縁があったKさん、日ごろは温厚真面目、時にダジャレを言う程度の無口な御仁。

卓球の国体選手だった彼とは、お昼休みを利用して卓球を楽しんだものだが、もう年齢も80代、今なお後輩の指導に元気で頑張っていると漏れ聞いているKさんの普段の姿である。

お酒を飲めば格別楽しい雰囲気を作りだし、彼にまつわる飲酒時の話題笑いを誘う、何回か酒席を共にしたが、必ずご披露するのが、ラジオ体操的なリズムで踊り、説明する術がなく、読者の想像に任せるしかない。

飲酒後は必ずタクシーを利用するKさん、自宅付近で下車しているであろうが、家に入るまで長時間歩いたと、いつも話していたもの知っている友は、奥さんに自家用車での迎えを依頼する。

飲めば、奥さんの顔も忘れてしまうのか、運転している奥さんに向かって「こんなに遅い時間に女性の方から送っていただきありがとうございます」と丁重にお礼の挨拶をしたとかという幸せな婿養子でもある。


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麻雀との出会い

2009年01月07日 | ブログ

麻雀との出会いは昭和28年、赴任先のK市の職場、早速に先輩のU氏から手ほどき、一通りの説明を受けて,実戦に入るが、上達するには最初から多少でも掛け麻雀だと言われて、教授料の名目で、お支払いする日が続く。

当時の娯楽として、立てばパチンコ、座れば麻雀、歩く姿は千鳥足と言われたほどに,爺と同年代の元青年達には,徹夜麻雀なども体験しながら、それぞれ楽しんだであろう。

当時は雀荘等はなく、今は警備員の仕事だが職員二人による夜間勤務時に職場の一室を利用してのゲームが殆どで、当日の宿直要員は事前に二人の仲間を誘い、爺のような独身で下手なやつは、いつも第一候補、断る理由もなく、チリも積もれば、高い月謝を払ったもの。

職場内外での親睦行事として、盛んに行われた時代は終わったようで、30年近い麻雀歴の爺、上達することもなく、リズムに乗って「ツケば勝つ」、大勝ちも大負けもしない消極的な麻雀だが最近は、インターネット上で顔の見えない3人を相手に頭の体操を兼ねて楽しんでいるが。


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