県内各地に散在しいる仲間のところへドライブ方々、お喋りに出かけていた頃が懐かしい。お互い80代半ばともなれば、殆どが彼の地へ旅立たれたか、病院や介護施設や自宅で療養中である。
1月22日、体験したことのない雪ゼロの新潟、快晴のお天気に誘われて、車で1時間半程の青春時代を過ごした柏崎市へ、家内が看護学生時代の同期生で唯一元気なGさん宅へ向かった。
寒中見舞いを兼ねた事前の電話で都合良し、待っているよと元気な声を聞いた。今は一人暮らしの86歳のGさん、長かった看護学校講師と民生委員の職は退任して悠々自適の身である。
お昼に、何回か利用している市内のファミリーレストランでの昼食をはさんで2時間半ほど滞在して半年ぶりの四方山話、老いても、おしゃれな彼女、おしろいを塗り、口紅をつけて歓迎してくれた。
オマケの語源はお負け、商人が客との駆け引きで値を下げる行為が、のちに他の品物を追加する行為に変わったとか。近年は次回の買い物で値引きするポイント還元が主流のようである。
爺が80歳の誕生日を迎えた2013年3月8日、当時の男性の平均寿命に達した日でもあったことから、以後の人生をオマケだと思って大切に生きようと誓った。あの日から間もなく7年になる。
2020年の東京オリンピックの開催が決まった年でもあった。7年後になる2度目の東京オリンピックを見ることが出来るだろうかと自信はなかったが、楽しみが間近に見えてきた。
オマケの人生を消極的に過ごしている人も多い。爺には、平均年齢77歳の生き生きした物書き仲間8人が居る。自作の作文を発表し合い、語り合うことで新しい知識と元気を貰ってくる。
道路交通法定めによると、70歳以上のドライバーは高齢者マークをつけるよう努力することが義務付けられているが、実際に努力している高齢者は2割弱だと推定されている。
昨年12月10日、認知機能検査を受検した75歳以上の8人、同25日の高齢者講習を受講した70歳以上の11人の中で、高齢者マークを付けていたのは爺の他に一人しかいなかった。
高齢者と認めたくないとか、罰則がないからが、付けない理由の大半のようである。爺は、紅葉マークの時から高齢者であることを素直に受け止めて、安全運転の守り神だと思って付けている。
寄る年波には勝てないという諺の通り、加齢に伴って生ずる身体機能の低下は避けることは出来ない。ベテランドライバーとしての誇りを持って、堂々とマークを付けて運転を楽しみたい。
今年の仕事始めは1月6日、健康状態に不安の有る方はもとより、高齢者にとっては、医療機関が通常通りに診療開始されたことで、やれやれと一安心した方も多かつたと思う。
爺夫婦の仕事始めは、昨年中のお礼と今年の無事を祈って鎮守様へ初詣、予約した歯医者へ初通院、自家製のお節料理もなくなりスーパーでの初買い出しを、健康で済ませることが出来た。
昔々のこと、仕事始めの日は、通常は8時30分の始業時間も、10時頃から始まる所属長の年頭挨拶までにぼちぼち出勤、新年の挨拶を交わしながら所属長挨拶が始まるのを待つている。
挨拶が終わると、だるまストーブの上で焼いたスルメに、一升ビンから茶飲み茶碗に注がれた冷酒を飲みながら、ほろ酔い気分で歓談、お昼近くには三々五々退庁、のどかだった当時を思い出す。
12月10日、運転免許更新にあたり、N自動車学校で認知機能検査を受けた。75歳以上の老人が8人、検査開始30分前には控室に全員集合、みんな不安そうな顔、声をかける雰囲気ではなかった。
12月20日、公安委員会から認知機能検査結果通知書が届いた100点満点で86点とあり、偶然にも爺の年齢と同じ数である。ちなみに3年前の前回は84点だつたので認知機能は衰えていないようだ。
高齢者講習日の12月25日、70歳以上の11人が実車指導と各種視力検査を受けた。静止視力は問題なかったが、動態視力、夜間視力、視界検査では年齢相応に低下しているのは否めない。
気早な話だが、3年後の次回更新時は90歳になる。今回が最後になるのか、更新できるのか、90歳で免許更新した二人の知人を目標にしている爺、免許証の返納は頭の片隅にもない。