爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

11月19日

2010年11月27日 | ブログ
久しぶりの小春日和に誘われて、市内中野邸の紅葉を眺めに、平日とはいえ元気な老々男女で一杯、すでに盛りが過ぎ、訪れた人達と同じ色合いになっていたが、ゆっくりと散策しながら先ずは気分転換。
帰宅後、前日から続いている参議院予算委員会のテレビを眺めて、大臣達の失言や過去の発言を問い質しながらの噛み合わない政治ショー、予算内容の質問に答えられない勉強不足の大臣、10年以上前から耳にしている政治主導とは。
公務を通して村会議員から国会議員まで接する機会の多かった爺、政治に深い関心を持ちながら、中立を通した無党派層の一人、どの世界でも共通する事柄だが、勉強熱心な議員もいたし、そうでない議員も。
気楽な会話の中では、無意識に不愉快な思いをさせる失言は良くある話、お喋りも調子に乗り過ぎると失言の危険が、爺を無口だと云う人は皆無だと思うが、時に、ハットしたり、誤ったりはあっても、問責を受けることなく何とか今日まで。




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インフルエンザ

2010年11月21日 | ブログ
今年もインフルエンザ予防接種の季節、今日まで予防接種をしたことのない爺、もしかしたら、昭和32年の流行性感冒(アジアかぜ)に襲われたことで免疫が備わったのか、その後のインフルエンザウィルスの侵入を防いでいるのでは。
当時24歳、下宿生活の爺、高熱と激しい頭痛、止まらない咳と痰、当初は市販の風邪薬、頭痛薬を服用しながらウィルスとの格闘、健康に自信のあった爺も、医師の往診と一週間ほどの養生を余儀なくされた次第。
職場の先輩で新婚のk夫婦が手作りの「あんころモチ」持参で見舞いに、無理して一個をありがたく頂いた記憶はあるが、当時は、気のきいたお見舞いの品などは直ちに用意できる時代ではないが。
今は、病院の売店でも、お見舞い用品、衣類、洗面用具、新聞雑誌、食品、紅白のお見舞い用のし袋まで、何でも揃っているが、香典袋だけは置いていないのは頷ける。



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年賀状の準備

2010年11月15日 | ブログ
11月は年賀状の季節のはじまりでもあり、年賀欠礼挨拶状が届く月でもある、年寄りの特権とも言える余裕の日々、今年いただいた年賀状のコメントを丁寧に読み直したり、彼の地に移住された方を名簿から削除したり。
コメントは、お互いの健康を確かめ合うものが殆どだが、今年で最後にしたいと気力を失った仲間もいれば、今年94歳で亡くなられた独身時代の恩人Mさんからの自筆の年賀状、晩年は文字に衰えがあるものの、昭和34年から半世紀にわたり続いたものも。
お年玉付き年賀状が誕生した昭和24年から60年続いている中高生時代の同級生N君、仕事を共にした期間は3年前後の短期間にもかかわらず、爺を支えてくれた35人の後輩からの年賀状に記された短いコメントは、あらためて当時を思い出させてくれる。
年に一度、お礼と健康の証としての年賀状、今年こそ早めにと思いながら、いつも着手する日は先送り。




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駅かいわい

2010年11月09日 | ブログ
昭和13年~28年まで過ごした羽越線坂町駅かいわい、鉄道の町、鉄道の要所として栄えた地、米沢~坂町を結ぶ米坂線乗り換え駅とあって乗降客で混雑、特に通勤通学時間帯のホームは人の波だったが。
爺も旧制中学、新制高校と6年間、米坂線から乗り継いでくる仲間と利用した駅、列車が到着する度に、「小国、米沢、赤湯方面乗り換え」と繰り返す駅の案内放送が、20分ほどの汽車通学をしながら60点を目標にお勉強を。
鉄道官舎で育った爺、休日には一日中、駅の案内放送を聴きながら、時には寝言にまで出てくる生活環境、子供心に小国、米沢、赤湯とは遠くにある所だと想像していたもの、今は国道113号線を利用して日帰りのドライブコース。
ローカル線になり果てた米坂線坂町駅の時刻表を調べたら、普通列車4本、快速列車Ⅰ本、途中の小国行きが1本と一日6本、偶然に出会う列車内は、人影よりも空気が殆どだが、荒川峡谷の紅葉、車窓からの眺めは絶景であろう。


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タヌキ談義

2010年11月03日 | ブログ
このところ、動物たちの生活環境に何が起こったのか、食べ物を求めて,熊,猪、,猿、タヌキが頻繁に里で顔見世、大勢のお役人が小道具を振り回しながら、捕獲している様子は時代劇の捕物騒ぎさながらと云ったところ。
旧K町のHさん宅でも、タヌキが屋敷内の野菜や果樹を無断で戴き、馳走になったお礼と思われる糞を置いていく、タヌキの「ため糞」と云って、直径50センチ高さ20センチにもなるんだそうで、公衆便所でもあり、家族や仲間との情報交換の場でもあるとか。
最近になって確認された話だが、屋敷周りにある利用しなくなったコンクリート製用水路内に住民登録したらしい、広い屋敷内には、豊富な食べ物が、近くの用水路には飲水が、人目につかず頑丈な住み家は、危機管理上からも安住の地、永住するのでは。
タヌキと云えば、ぶんぶく茶釜やカチカチ山など、童話を通して培われた可愛い動物の想いと、被害者の想いとは、大きな格差があるようで。


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