大東亜戦争末期の昭和20年4月、田舎の国民学校から旧制中学に進学した。事前の進学指導で、将来の希望は「軍人になりたい」と答えるよう教えられ、子供心にその気になっていた。
戦後の混乱期だつた中学、高校時代、就職について真剣に考えたことは無かった。父が国鉄職員だったので、何となく鉄道員になるんだろうと思い続けていたし、両親も同じ考えだったようだ。
高校を卒業した昭和26年当時は就職難時代だつた。国家公務員初級職募集のポスターを見て何となく受験したが大勢の受験者に驚いた。合格通知も、不合格通知も来なかった。
縁故で国鉄に採用内定したが職種が気に入らず辞退、役場の臨時職員をしていたが、村長に勧められて県庁職員採用試験を受験、試験問題と折り合いが良く合格、県民の奉仕者として38年。