福岡県の中学2年の男子生徒が、友達が制服を着る自由は尊重したいが、みんな同じ制服を押し付けられたくないと、学校と市教委に私服登校を申し入れたという新聞記事を見て昔々を思い出した。
昭和14年に小学校入学から、同26年に高校卒業までは戦中戦後の混乱期だった。衣類は兄弟姉妹、親族の間でお下がり(おさがり)が当たり前、修繕しながら最後まで大切に着ていた。
70年前になる高校卒業アルバムを見たら、学生服を着ている生徒は、お下がりを着ている一部の生徒だけ、みんなバラバラ、爺は叔父さんのお下がりや親父の鉄道員服を加工して着ていた。
「欲しがりません勝つまでは」時代、服装に不満を言ったことはないが、詰襟の学生服のかっこ良さに憧れたものだが着ることは無かった。卒業式には親父の和服を加工したジャンパーだった。