県北の小さな田舎の保内村(現村上市)国民学校で6年間(昭和14年から20年)は戦時下とあって学校での楽しかった記憶はなく、卒業写真もない珍しい学校だった。
国民学校は児童の心身を鍛錬する場であったので、 身体検査と称するものが重要視されていた。検査内容は身長 体重 視力などの測定 隣の村から人力車やって来る老医師の診察である。
眼鏡を鼻の先まで下げて一通りの聴診の後、胸部をたたいて「栄養 可」、次に背中を撫でて「脊柱 正」、今度は瞼をひっくり返して「眼疾なし」、最後に「はい よし」の声で終わる診察である。
老先生の名前は丸山先生、ゆっくりと、少々震え声で唱えると先生の雰囲気に近くなる。穏やかな人柄は生徒から好かれ、特徴があるので意味も分からずに口調の物まねをしていた。