私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

目から鱗でした。

2019-06-24 07:20:46 | 日記
 昨日「欺陽」という字に付いて書いたのですが、『陽』とは「太陽」「陽気」「陽性」など、何か生き生きと活動する大変明るい感じがする字だとばかりに思いこんでおったのですが辞書を見ると、此の他に

           “そと(外)。うわべ”

 という意味が「陽」にはあるのだそうです。80年も生きてお恥ずかしい話ですが、初めて知りました。そうすると、この「欺陽」を宣長が<イツワリテ>と読んだのが分かります。それに付いて宣長は

  “陽は伴と同じくして、実には然らぬことを、うはべに然る貌<サマ>をする意の     字なり”

 と説明があります。

 漢字って、本当に、よく考えて作られたものですね。中国人の深い深い思いがその中から感じられます。アルファベットやひらかな等の表音文字と比べてみると、びっくりするほど大変な思慮深い面白い表意な文字だということが分かりますね。もっと漢字を日本人は大切に使わなくてはと思います。グローバルな現代の世界だからこそ、英語も国際語としていいのですが、日本人のアイデンティティとしてもっと漢字を大切にという思いがします。

更に、宇陀の兄宇迦斯は・・

2019-06-23 06:50:33 | 日記
 兄宇迦斯は、鳴鏑<ナリカブラ>で八咫烏を脅し追い返した後で、どうにかして、ジンムを亡き者にしたいと考え、次の策略を練ります。
 考えたのが

          “将待撃云而<マチ ウタムト オモイテ>”

 宇陀に入って来た時に嶮しい山道の両側に沢山の兵士を待機させて、急に、攻撃を仕掛けて全滅させようとする計画です。そこで、早速、宇陀の人達にジンム軍を攻撃するために集結するように要請したのですが、思うように兵が集まりません。兄宇迦斯は仕方なく次の計画を練ります。それが

          “欺陽仕奉而<ツカエマツラント イツハリテ>”

 です。「欺陽」。「陽を欺く」とはどういうことでしょうかね??????????。

「宇陀」におけるジンムたちは・・・

2019-06-22 08:43:23 | 日記
  道なき嶮しい山地を越えて、宇陀に到着します。すると、その地には

      “兄宇迦斯<エウガシ>、弟宇迦斯<オトウカシ>”

 の二人の兄弟が住んでいました。そこに至ったジンムは、先ず、八咫烏を二人の元に遣わし、
 
      “汝等仕奉乎<イマシドモ ツカヘマツラムヤ>

 「今、天神御子様がこの地にお着きになられました。あなたたち二人は丁重にお仕えしますか。」
 と尋ねさせます。すると、兄宇迦斯は

            “鳴鏑<ナリカブラ>”

 (空を飛んで行く時に雷のような音を出して飛ぶ矢)
               
を八咫烏に向けて放ちます。この矢は相手を威嚇してするために放った矢で、決して射殺すための矢ではありません。追い返す為に使ったのです。ただ大きな音を出しながら飛んでくる矢で、相手を脅すのが目的です。鎌倉時代から流行した「流鏑馬」に使われる矢も鳴鏑を使ったのです。
 ということは、「早くこの地から離れて、倭でもどこへでもに行きなさい。」という合図だったのでしょうね。????

 この兄宇迦斯の行った行為は、つい先日、イランに対して言い放った『攻撃する』と云ったトランプ大統領のニュースも、この「鳴鏑」と同じ役割をするものであったかもしれませんね?????現在の鳴鏑はネットでその働きをするのです。
 

“石押分之人”が・・・・

2019-06-21 08:38:33 | 日記
 「また“生尾人”が巌を押し分けて出てきます。だから、この人の名前が

          “石押分之子<イハオシワクノコ>”

 です、彼はジンムの「あなたは」の質問に答えます。
 「私はこの地の国神です。今ここに天神御子<アマツカミノミコ>が来られるとお聞きしたのでお迎えに出てまいりました。」
 と。この国神については、古事記には、又、小字で解説がついております。

      “此者吉野国巣之祖<コノモノハ エシヌノ クスノ オヤ>”

 とあります。この「国巣<クス>」とは現在の奈良県吉野町国栖の辺りを支配していた豪族です。そこからジンム達は道なき険峻な山坂を“蹈穿<フミウガチ>”越えて、漸く

          “宇陀<ウダ>”

 に至ります。折角、案内係の「八咫烏」がいるのにもかかわらず、ジンム達は道なき道を進んでいったのです。尤も、烏は空を飛んでいますからそんな危険な山道なんて知らんぷりして道案内をしたのでしょうか。現在の将に「ドロン」のような機械的な案内をしたのでしょうね。道があろうとなかろうと、安全であろうがなかろうが、一途に目的地橿原を目指して一直線に進んだのではないでしょうかね???
 そのことは、これ以後、八咫烏は相手との種々の連絡係として大いに活躍しますが「書紀」に詳しく書かれておりますので分かります。


ジンムは更に進みます

2019-06-20 04:54:25 | 日記
 すると、今度は

          “生尾人”

 に出合います。<オアルヒト>が

          “自井出来。其井有光”

 「尻尾のある人が井の中から出てきます。かと思うと、その井が突然にに光ります」。この不思議な現象を目にしたジンムはその人に尋ねます。
 「あなたはどなたですか???」
 と。すると

          “井冰鹿<イヒカ>”

 だと答えます。不思議ですが、前に出合った「贄持之子」もこの「井冰鹿」もジンムたちのためにどのような働きをしたのか分かりませんが、兎に角、「国神」だと名乗ったのでジンム達に何かを手助けをしたことには間違い有りません。川魚でも差し出して饗応したのでしょうか???川魚を取っていたり、井ですから水を差し上げたりしたのかも分かりませんが、先の大熊のように敵対行為をしたのとは違います。そうして、又、一行は山道を進みます。すると、今度も
          “亦遇生尾人”
 が巌を押し分けて出てきます。
 尻尾が生えた人にジンムは2度も遭遇するのです。これって、『尻尾を振る』 即ち、恭順で敵対しない積極的に相手に慣れ親しむ人達であるという事を間接的に言い表わしているのではないでしょうか???