2014年に「神戸新聞平和賞」を受賞された西灘小学校、臼井真(うすいまこと)先生作詞作曲、「しあわせ運べるように」が、全児童よる大合唱でTVから流れて来ます。
この歌を聴くと涙が流れます。
身内に被災地で教職に付く者が何名かいますが、彼等彼女達もそれぞれの学校でこの歌を指導しているに違いありません。
震災当時この子達はまだ九歳でした。
今その当時の年齢の子供達が、一生懸命しあわせを運べますようにと歌っています。
震災で亡くなった方々の分もしっかり生きていこうと歌っています。
「歌」の力と臼井先生もおっしゃっていますが、そんな優しくて暖かい歌に今日も涙を落としました。
Jも朝から震災行事に出掛けています。
北風の吹く寒い日になりました。
神戸の街もこれから雪になるやも知れません。
暖かい物を作って、夕暮れには帰る夫を待つ事にします・・・
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友達の窓
夫は今日改めて、防災教育を受けて来ましたが、よいお話だったと言っています。
このあとわたくしもしっかり内容を聞く事に致します。
神戸市の隣りになる当地は本当の被災地ではありませんでしたが、それは大変な揺れでした。
震える高齢の義母を抱いて、「おばぁちゃん、大丈夫だから」と励ましていました。
「こんなに生きて来て、こんな事は始めての体験」と母は言いました。
東の仕事を終え、沼津にいた夫とは一度電話で話しましたが、その後自宅につながらなくなり、だだならぬ心境で、大変な苦労をしか帰って来たと言います。
幹線道路の渋滞、主要道路の崩壊が苦難になりました。
最も被害の大きかった長田の親戚の家に妹が物資を届けましたが、それも苦労をしたと思います。
そんな災害に私達もまた喚起を呼び起こし、亡くなった方々の御霊や、ご苦労の多かった皆様に寄り添う日でありたいと思います。
実際に被災者でいらっつしゃる方のお話では、役立つのは「靴」だそうです。
ガラスの破片、瓦礫の中を移動するのに無くてはならない物とおっしゃっています。
体験から、今も枕元にスリッパを置いて休まれるそうです。
はなこさん、毎朝お尋ねしては拍手をして帰っています。
アイデア、実行力、はなこさんのだだ者ではない佇まいは、筆者は尊敬以外にありません。
本当ですよ、はなこさん(笑)
牢屋のように鍵の掛かり易いコメント欄にようこそお入り頂きました。
ありがたいと言うしかありません
はなこさん、今日のシクラメン、綺麗ですね!
大切にされていらっしゃるのが良く分かります。
ごはんもお花も見せて頂けるだけで幸せです
あれから日本は自然災害の多い国と言ってもいいような大きな災害に見舞われるようになりましたね。
災害にあわれた方やご家族の急な出来事はとても忘れることが出来ないでしょう。
日本にとって災害に対してのマニアルも阪神の震災以後出来てきましたが、人間は愚かなもの、段々忘れてきてしまうのですね。
20年は節目ではありますがそれを忘れずに、災害に対処できる国になっていくこと、平和な国(美しい国では無く)にしていく決心こそ、次につなげる私達の役割かもしれませんね。
今日はお屋敷に入り込めたような忍者の気分でしたよ、バラさん。