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コジキジゲン

弁官・弁韓・弁辰・金官伽耶→お伽の耳の邑

2013-09-15 14:45:18 | 古事記字源
 キュウリが五本・・・窓枠の設置作業は捗らず・・・右目の眼圧高く頭痛・・・オフクロ高熱・・・「科学と化学」の結集技術、イプシロン飛んだ・・・台風デスか・・・「科学と化学軍事兵器」・・・日常生活は「科学と化学危険物」が蔓延・・・シリアの問題・・・「戦争」で儲け、それによって「生活」している「人々」が世界中に存在させしめているシステム・・・
ーーーーー

 枕草子

 (一三六段)・・・百三十六段・壱佰参拾六段・壱参六段・陌参足陸段

          1+3+6=10=十=壱拾=足

          1×3×6=18=十八=拾捌=足捌

 「頭辨の・・・トウのベン=蔵人頭を兼務する弁官

               ↓

        蔵人(くろうど・藏人)

        律令制下の令外官の一

        天皇の秘書的役割を果たした

        唐名は

        侍中(じちゅう)・・・字中

        夕郎(せきろう)・・・籍中

        夕拝郎(せきはいろう)・・・籍は遺漏

        蔵人所は

        事務を行う場所

        内裏

        校書殿の北部に置かれた

        蔵の出納・管理を職掌とする下級官人

        倉人とも書く

        奈良時代の

        造東大寺司に置かれ

        史生・案主等の

        下位に位置付けられた

        810年(弘仁元年)三月に設置された

        蔵人も「蔵人所」が

       「校書殿(きようしよでん)」に置かれた

        ・・・「蔵人」は字面からすれば

       「蔵の番人・管理人」であるが

       「帳簿・書籍」の蔵である

       ・・・歌舞伎では

        忠臣蔵の

       「大石蔵之助」・・・息子は「主税」である・・・

        弁官・・・弁=わきまえる

        ↓

        弁=ム+廾

          異体字=辯(辩)・辨・辧・瓣・辮(辫)

              辦(办)

             花弁→花しべ→はなしべ=話し部

                 ↓

          花蕊・花蘂=カズイ・花のしべ

                雄しべと雌しべ

                花心

          王建

          蜀一国を平定

          903年朝廷より蜀王に封

          唐滅亡後

          五代十国の前蜀の高祖

          妻

         「花蘂夫人(カズイフジン)」

          名は「小徐妃」(しょうじょひ)

          女流詩人で「宮詞(キュウシ)」を作る

          また、後に

         「花蘂夫人」とは別人の

         「二花蘂夫人(にカズイフジン)」が登場

          姓は「費 or 徐」?

         --

          前蜀を乗っ取った

          孟知祥(もうちしょう)

          五代十国の

          後蜀の初代皇帝

          在位期間は明徳元年(934年)

          姓・諱は孟知祥

          字は保胤

          諡号は

          文武聖英烈明孝皇帝

          廟号は高祖

          咸通十五年四月21日

          (874年5月10日)

            ~

          明徳元年七月二十六日

          (934年9月7日)

          父は孟道

          皇后は李皇后(李克用の姪)

          陵墓は和陵

          邢州龍岡に孟道の子として生まれる

          父や叔父と共に

          後唐の荘宗の武将

          後唐が前蜀を滅ぼすと、

          荘宗より

          西川節度使に封

          長興元年(930年)

          後唐に叛旗挙兵

          長興二年(932年)

          蜀の地より後唐勢力を駆逐

          懐柔策の明宗より蜀王に封

          応順元年(934年)

          国号を大蜀とし皇帝を称し、

          明徳と改元

          即位後

          七か月で崩御

         --↓

          孟知祥

          の三男、

           ↓

          孟昶(永+日)=モウチョウ・昶)

          後蜀の第二代皇帝

         「後主」と称されている

           ↓

          行軍司馬を務め、

          明徳元年(934年)

          東川節度使に封

          旧臣の李仁罕や張業らを誅殺

          農業

          養蚕を推奨

          科挙を実施

          諫言を重用し政治改革実行

          彼の後宮に

          花蕊夫人

          晩年は奢侈に溺れ、朝政が乱れた

          広政十八年(955年)

          西北四州が後周に略奪され

          広政二十七年(964年)

          宋に攻められ

          広政二十八年(965年)

          宋に降伏し後蜀は滅亡

          亡国後は

          検校太師兼中書令、

          秦国公に封ぜられ、

          乾徳三年(965年)に

          開封で没した(趙光義による毒殺説)

          死後は楚王に追封され、

          恭孝の諡号が贈られた

          この

          孟昶(永+日)

          の寵妃

           ↓

         「二花蘂夫人」を

          宋帝国の太祖・趙匡胤が

          蜀の都・成都を陥とし、

          この花蘂夫人に惚れたが

         「貞女二夫にまみえず」

         「二花蘂夫人」は皇帝・匡胤の前で、

          亡国を偲んだ詞を詠み

          匡胤の弟の

          趙匡義が弓で「二花蘂夫人」を射殺

          ↓

ーーーーーーーーーーー

        弁える(わきまえる)・見分ける・物事の違いを識別

        理解する・心得る・善悪を判断し処理する

        弁別する=捌

        是非・善悪を区別する

        思弁

        けじめをつけて処理する

        弁済・弁償・勘弁・支弁・自弁

        弁当・駅弁・腰弁(こしべん)

        わきまふ

        区別する

        物事の道理をよく知っている・心得ている

          ↓

        房室弁

        心房と心室の境にある弁

        左房室弁を僧帽弁・二尖弁(にせんべん)、

        右房室弁を三尖弁

        半月弁

        心臓の心室から動脈への出口にある

        半月形をした三枚の弁膜

        大動脈弁と肺動脈弁の総称

        心室が収縮すると開いて血液を送り出し、

        弛緩(しかん)すると閉じて逆流を防ぐ

        三半月弁

        ↓

        弁識

        弁舌=speech

        方言=a dialect〈なまり〉

        ↓

        弁官(べんかん・辨官)

        朝廷の最高機関、

        太政官の職で

        左大弁(さだいべん)

        右大弁(うだいべん)

        左中弁(さちゅうべん)

        右中弁(うちゅうべん)

        左少弁(さしょうべん)

        右少弁(うしょうべん)

        の総称

        唐名(漢風名称)は

        尚書・通説は四等官

        律令制の官職組織の一

        和訓は弁官〈おおともいのつかさ〉

         ↓

        左弁官と右弁官は

        太政官(だいじようかん)に所属

        これを構成するおもな官職は

        左、右弁(大弁、中弁、少弁の三等・定員各一)

        と

        史(大史・少史)

         ↓

        左弁官は

        太政官に属し、

        八省のうち

        中務(なかつかさ)

        式部

        治部(ジブ)

        民部

        を監督

         ↓

        弁官=辨官

        律令制で、太政官(だいじょうかん)に属し、

        文書事務や、

        諸官司・諸国との連絡などを司どった官

        左弁官と右弁官に分かれ、

        それぞれ

        大弁・中弁・少弁が置かれ、

        その下に

        大史・少史があった

ーーーーーーーー↓

        弁韓(べんかん)

        紀元前二世紀末から四世紀にかけて

        朝鮮半島南部に存在した

        三韓の一つで

        弁辰とも言う

        弁韓十二ヶ国

        三韓時代の

        駕洛国(金官伽耶)

       「卞韓」・「牟韓」とも記録

       「弁辰」という名は、

       「半跛国」・・・「跛(ハ)」は「足なえ」

                跛行→爬行

                ↓

        以下、「差別用語」としてではなく、

       「歴史的使用言語」としてブログ記事から抜粋し、

        そのコトバを添付します

       「現存・古事記」の

        ヤマトタケルの息吹山から下山した

        三重(村)懸でのタギタギしい状況の重なりです

        ↓

        跛(ちんば)

        片方の足に障害がありうまく歩けないこと

        対になっている物の形・大きさ・色が

        揃っていないこと

        両方の端がちがう「かたちんば」

        片足が不自由で、普通に歩けないこと

        対(つい)のモノが形や大きさが揃わないこと

        めくら(視力障害者)、

        つんぼ(耳の不自由な人)

        あきめくら(字の読めない人・文盲)

        おし(口の不自由な人・聾唖者)

        どもり(言語障害者・吃音)

        びっこ・ちんば・いざり(足の悪い人)

        かたわ(身体障害者)

        がちゃ目(ロンパリ・斜視)

        ちんばの同義語

        足萎(なえ)・片ちんば・不揃い・片跛

        博多弁・・・?

        ほんらい食い違っている様子

         ↓

        ・・・「ベートーベン」の

            交響曲第9番、

           「ミサ・ソレムニス

           (misa solemnis)=荘厳ミサ(祭儀)」

        ・・・「座頭市・検校」の按摩

        ・・・「高橋竹山」の三味線

        ・・・「平家物語」を語る「琵琶法師」など・・・

         ↑

       「歴史的使用言語」として理解すべし・・・

ーーーーーーーー↓半跛国

        を中心とする

        韓の諸国の意味

        三世紀には「十二国また王あり」

        狗邪国・安邪国・半跛国が強国

        弁韓

        古代に朝鮮半島の南部に居住した韓族の名称

       「弁辰(弁辰韓)」

       「三国志・魏志東夷列伝・韓の条」による記録

        ↓

        弁韓

        弁韓(弁辰)「後漢書・弁辰伝」

        弁辰與辰韓雜居、城郭衣服皆同、

        言語風俗有異。

        其人形皆長大、美髮、衣服清。

        而刑法嚴峻。其國近倭、故頗有文身者。

        紀元前3世紀~2世紀に掛けて

        朝鮮半島の南部の辰国

        中国の春秋戦国時代に

        韓の国が蓁の国に滅ぼされ、

        山東半島に移住した韓族

        韓族が山東半島経由で朝鮮半島の南部に

        馬韓・辰韓・弁韓等を建国・・・

        弁韓

        古代朝鮮の三韓の一

        現在の慶尚南道西南部

        後、

        加羅(から)(任那(みまな))となり、

        六世紀に

        新羅(しらぎ)に併合

        朝鮮半島南部

        馬韓、辰韓、弁韓

       「弁韓」とは - 紀元前二世紀から四世紀にかけて

        朝鮮半島南部に存在した三韓の一

        十二ヶ国に分かれ

        馬韓の東で

        辰韓の南

        後の任那である・・・・・・?

        ↓

        当弁・答弁・唐弁・問う弁

ーー↓枕草子のツヅキ

御許

より」とて、

 主殿司、・・・主伝詞・取伝史

 繪

 など

 やうなる物を、

 白き

 色紙につつみて、

 梅の花の

 いみじく

 咲きたるに

 つけてもてきたり。

 繪にやあらんと

 急ぎ取り入れて

 見れば、

 餠餤・・・・・・・へいだん、べいだん、へいたん

          ↓

          餅腅

          食べ物の一つ

          阿比留、鴨の卵と

          野菜を煮て

          餠の中に入れこみ、

          四角に切ったもの

          ↓

          兵団・兵站・兵端・米談

          平談→平家物語

          

 とい・・・・問

 ふ・・・・・譜

 ものを、

 二つ

 竝べて

 つつみたるなり。

 添へたるたて

 文に、

 解文の

 やうに書きて

 「進上餠餤・・・・「真情・心情・身上・信条」兵団・平談

           ピアノ、楽器の「進上の併弾」

  一つ

  つみ、・・・・・・罪・摘み・抓み・積み・詰み

  例によりて

  進上

  如件、・・・・・如件(くだんのごとし)

          くだん・九段・句段・苦談・件(くだん)

  少納言殿に」・・章名言伝爾

 とて、

 月日かきて、・・・解通比

 「任那成行」・・・任那の成り行き・・・日本府

          南朝鮮の東端・・・辰韓・弁韓

              駕洛国(金官伽耶)

 とて、

 奧に、

 「この

  男は・・・・・・音故葉

  みづ・・・・・・自・「水=壬・癸」

  から

  參・・・・・・・まい

          サン・纂

  らん・・・・・・乱・覧・蘭

  と・・・・・・・徒・賭・渡

  するを、

  晝は・・・・・・晝(昼・ひる・チュウ)

       類字は書(かく・ショ)

          畫(画・えがく・限る・エ・カク)

  かたち

  わろし

  とて

  まゐらぬ

  なめり」

 と、

 いみじく

 をかしげに

 書き給ひたり。

 御前に

 參りて

 御覽ぜさすれば、

 「めでた・・・・目出度

  く・・・・・・句

  も・・・・・・模

  かかれ・・・・懸か例

  たる

  かな。

  をかしう

  したり」

 など

 譽めさせ給ひて、

 御文はとらせ給ひつ。

 「返事は

  いかが

  すべ

  か

  らん。

 この

 餠餤もてくるには、

 物

 など

 や

 とらす

 らん。

 知りたる

 人

 もがな」

 といふを

 聞しめして、

 「惟仲・・・・これなか・「イチュウ・ユイチュウ」

  が

  聲し

  つる、

  呼びて

  問へ」

 との給はすれば、

 はしに出でて、

 「左・・・・・よこしま(邪)・ひだり(比拿理)

  大・・・・・代

  辨・・・・・弁・偏・篇・変

  に

  もの

  聞えん」

 と、

 侍・・・・・・はべら(葉部等)

 して

 いはすれば、

 いと

 よく

 うるはしう

 てき

 たり。

 「あらず、

  私事なり。

  もしこの

  辨

  少

  納

  言

  などの

  もとに、

  かかる物

  もてきたる

  下部などには、

  することやある」

 と問へば、

 「さる事も侍らず、

  唯とどめて

  くひ侍る。

  何しに

  問はせ給ふ。

  もし

  上官のうちにて、

  えさせ

  給へるか」

 といへば、

 「いかがは」と答ふ。

 唯返しを

 いみじう

 赤き

 薄樣に、

 「みづ

  から

  持て

  まう

  で

  こぬ

  下部は、

  いと

  れい

  たう・・・・当・問う

  なりと

  なん

  見ゆる」

 とて、

 めでたき

 紅梅に

 つけて奉るを、

 すなはち

 おはしまして、

 「下部さぶらふ」

 と

 の給へば、

 出でたるに、

 「さやうのものぞ、

  歌よみして

  遣せ

  給へると

  思ひつるに、

  美々しくも

  いひ

  たり

  つる

  かな。

  女

  少し

  われはと

  思ひたるは、

  歌

  よみがましく

  ぞ

  ある。

  さらぬ

  こそ

  語ひ

  よけれ。

  まろなど

  に

  さる事

  いはん

  人は、

  かへりて

  無心

  ならん

  かし」

 との給ふ。

 「則光、・・・・・のりみつ・即効・速攻・即行

  成康・・・・・・なりやす・成りやす・名理埜素

  など、

  笑ひて

  止み

  にし

  事を、

  殿の・・・・・伝之・出ん之・伝埜

  前に・・・・・

  人々

  いと

  多かりけるに、

  語り

  まを

  したまひ

  けれ

  ば、

  いと

  よく言ひ

  たる

  と

  なんの

  給は

  せし」

 と

 人の

 語りし。

 これこそ

 見苦しき

 我ぼめ

 ども

 なり

 かし。

ーーーーー

 ・・・見苦しき、我ぼめどもなりかし・・・話例補目度摸名理可視・・・

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