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コジキジゲン

サンジのオヤツ・・・

2016-03-30 21:54:54 | 古事記字源

 ・・・「カステラ」は「文明導」で、「文化同」ではない・・・「文明=文を明らかにする・文の意味を明確にする・文の範疇、本質、内容、カテゴリー(category)をハッキリさせる」、「文化=文を変化させる・原文の文字を異文字、異文章の同意で翻訳する」・・・「原文の文字の音附を同音異字、同音異文字のコトバに変化させる」・・・以前にも書き込んでいた「カステラ」だったが・・・3時の「オヤツ」は様々ではあるが・・・昨日は「カストロ」だったが・・・本日は「三月三〇日=サンジクサンジュウニチ→纂肉纂拾似知」なので「カステラ」を再調査してみた・・・
ーーーーー
 間食(カンショク)=「おやつ」・「おさんじ」
 中食(ちゅうじき)、間食(かんじき)
 昼食と朝・夕食の間にとる
 「軽い食事=軽食(ケイショク)」を
 「小昼=こひる、こびる」・・・媚びる?
                ショウチュウ=焼酎・掌中?
                       章中・省中?
 という
  ↓↑
 おやつ=「御八つ(どき)」の時間帯
 江戸時代の
 「八つ時(午後3時頃)」・・・八つ時(午後2時~4時まで)
 江戸の刻(とき)
  ↓↑
 明け六ッ(日の出・夜明)、
 暮れ六ッ(日の入・日没)
 が基準
 一日の時間帯
 (24時間=十二刻=十二干支の時計円盤)
 それぞれを
 午前と午後に分け
 更に
 六等分したのが
 一刻
 一刻≒2時間
 半刻(はんとき)≒1時間
 四半刻(小半刻)≒30分
 数の場合(時刻を言う)
 夜九つは 24:00
 夜九つ半は 1:00
  ↓↑
 干支の場合での時間区分では
 子の刻は
 午後11時~午前1時の「二時間」
  ↓↑
 午前零(〇)時・子(ね・シ)   之刻・九つ(玖・ク)
 午前二(弐)時・丑(うし・チュウ)之刻・八つ(捌・ベツ)
 午前四(肆)時・寅(とら・イン) 之刻・七つ(漆・シツ)
 午前六(陸)時・卯(う・ボウ)  之刻・六つ(陸・リク)
 午前八(捌)時・辰(たつ・シン) 之刻・五つ(伍・ゴ)
 午前十(足)時・巳(へび・ミ)  之刻・四つ(肆・シ)
  ↓↑
 午後零(○)時・午(うま・ゴ)  之刻・九つ(玖・ク・キョウ)
 午後二(貳)時・未(ひつじ・ミ) 之刻・八つ(捌・さばく)
 午後四(肆)時・申(さる・シン) 之刻・七つ(漆・うるし)
 午後六(陸)時・酉(とり・ユウ) 之刻・六つ(陸・おか)
 午後八(捌)時・戌(いぬ・ジュウ)之刻・五つ(伍・い)
 午後拾(足)時・亥(いの・イ)  之刻・四つ(肆・つらなる)
  ↓↑
 子→丑→寅→卯→辰→巳→
 ↓
 沖(冲)の関係(対中)
 ↑
 午→未→申→酉→戌→亥→子
  ↓↑
 鼠→牛→虎→菟→龍→蛇
 馬→羊→猿→鳥→犬(狗)→猪→鼠
   ↓ ↑
   八つ刻は
 未支~申支の時間帯で
 未支(午後一時~三時の時間帯)で、
 その半ばの「二時」に
 鐘を
 八回衝き鳴らす
  ↓↑ 
 八つ刻(午後2時~4時まで)の
 「八」はカネの衝く音の回数
 「午(正午)の刻」を起点とする
  午前、午後の
 「丑→対中←未」関係での
 「鐘の音は同数」で
 「三回」+「八回」=十一回
 「三回」は余分だが、
 スベテの刻鐘の回数に
 「前鐘」として「三回」鳴らし加える
 時刻の鐘音打で「3つ」は無い
 ・・・この「3=参」の意味はナニか?・・・「惨」?
 大晦日の除夜の「子の刻」の「鐘の音」は
 「百八回(108回)」・・・108は「煩悩」・・・宿曜経の「目盛の数(促・足・亦)は108」・・・
 ・・・「3+108」=「111」?→壱百壱拾(足)壱
 ・・・「3+1+8」=「12」?→壱拾(足)弐
 ・・・「1+1+1」=「3」?→参
 ・・・「3×4」=「12」?→壱拾(足)弐
 ・・・「3×12」=「36」?→参拾(足)六
 ・・・「360÷12」=「5」?→伍(悟・吾・午)
 ・・・「参=サン=惨=纂=讃=算=産」・・・?
  ↓↑
 二代将軍
 徳川秀忠の時代に、
 鐘
 が
 本石・・・本は石(岩・磐・嵒・巖・巌・意和・違和・伊輪)
 三丁目・・・纂帖の目・山頂の目
 (日本橋
  室町四丁目)に
 江戸時代最初に設置
 宝永八年(1711)に改鋳され
 明治初期まで使用
 現在は
 日本橋
 小伝馬町・・・・小さい伝、馬(Marco)帖(調重)
              馬太福音(新約聖書)
              馬可福音(新約聖書)
             司馬遷(史記)
 十思・・・・・・「十思九徳(貞観政要で
  ↓       唐の
          太宗の側近、
          魏徴(ギチョウ)が挙げた
          十戎(心構)」
          一前後の見境もなく、闇雲に欲しがるな、
           自戒せよ
          二夢中にならず、止まって反省せよ
          三自分の立場を謙虚に自制せよ
          四自分の目線を低い位置に置け
          五限度、限界をわきまえよ
          六終始の行動には慎重に、慎め
          七虚心に部下の言葉を聴け
          八誹謗中傷を嫌い、
           自らそれらを禁じ、一掃せよ
          九過大な恩恵は避けよ
          十罰するには、過大な罰とするな
          公園内に設置保存・・・「十思公園」
 公園・・・・・・「吉田松陰」が処刑された
         「伝馬町牢屋敷」跡
 浅草寺
 寛永寺
 本所
 横川町 
 芝切通し
 市ヶ谷八幡
 目白不動 
 赤坂田町
 成満寺(円通寺)
 四谷
 天竜寺
  ↓↑
 鐘の音は捨て鐘と云って
 三つ打ってから
 それぞれの
 刻限の数を鳴らした・・・三+χ(刻)
  ↓↑
 夜明け、
 夕暮れどきの
 薄暗い時分
 夕方を「たそかれどき」・・・・誰そ彼、時→曖昧でハッキリ
 明け方を「かはたれどき」・・・彼は誰、時→判別できない
 木戸=町民が管理し
    夜四つ(午後十時)には閉め
    江戸の治安を守った・・・・・・木戸孝允
  ↓↑
 おヤツは
 八つ刻(午後2時~4時まで)の間に
 間食を
 食べる習慣があった・・・子供の
          「おやつ」などには
           魚(まな・うお)の形の
           砂糖菓子=金花糖(きんかとう)
           団子・煎餅・饅頭など
  ↓↑
 3時の「オヤツ」は「文明堂」の
 「カステラ」・・・TVコマーシャルの熊のカンカン踊り
  ↓↑
 「家主貞良」・・・哉主、歌手はサダヨシ、定量
 「加須底羅」・・・句和得留、綴等
          須=すべからく・ひげ・シュ
            須要・必須
            わずかの間・しばらく
 パオ・・・・・葉緒・馬尾(嗚・緒)
 デ・・・・・・出(乙・弟→嗚訳得徒)
 カスティーリャ
 (ポルトガル語)
  ↓↑
 鶏卵(ケイラン)を・・・刑覧・掲乱(蘭)・形濫
 泡立てて・・・・・・・・沫・粟・阿波・安房・安和
 小麦粉、・・・・・・・・背負う幕憤
 砂糖(水飴)を
 混ぜ合わせた
 生地を・・・・・・・・・記事・木地(和歌山)・基地・危地
 オーブンで・・・・王(オウ=旺・姶・鷗・横・皇・枉)文出
          枉=曲がった木
 焼いた菓子・・・・哉意他、仮詞(カシ=掛史・可視)
 ↓
 ポルトガル(葡萄牙)から伝わった
 南蛮菓子を元に
 日本で独自に発展した和菓子
 ポルトガル(葡萄牙)には
 「カステラ」
 という名の菓子はない
  ↓↑
 カステラは長崎が本場
 長崎市の
 福砂屋が元祖
 製法が同じものの総称
 正方形または長方形
 オーブンで焼いた後に
 棹型に切る
 水飴を用いて、しっとりとした食感
 牛乳・抹茶・黒糖・チョコレート・チーズ
 などを加えて味付けをする変種も多
 ↓
 釜カステラ(東京式釜カステラ・東京カステラ)
 蒸しカステラ、カステラ饅頭、
 ロールカステラ、人形焼
 など
 釜カステラは、
 「六面焼き」と呼ばれるものもある
 一つ一つの型に入れて
 オーブンで焼いたタイプで、
 水飴を用いない
 ↓
 カステラを応用した菓子
 福島県
 会津若松市―会津葵
 愛媛県―タルト
 島根県―八雲小倉
 長崎県
 平戸市―カスドース
 長崎市―桃カステラ
 長崎カステラを洋菓子化―銀装のカステラ
 料理として
 岡山県(主に倉敷市)―鮮魚カステラ
 伊達巻―カステラの調理方法を応用したもの
 宮城県、沖縄県―カステラかまぼこ(焼きかまぼこ)
 ↓
 カステラを棹型に切り揃える際に、
 切り落とし(耳)が発生し
 本来の製品よりも割安で販売
 ↓
 名前の由来
 スペインの地方名
 カスティーリャ(Castilla)
 ポルトガル語発音である
 カステーラ(Castela)
 カステラ製造過程での
 メレンゲを作る際、
 高く高く盛り上げる時
 「城(castelo)のように高くなれ!」
 と
 カステロ=カステラとなった・・・という説
 パン・デ・カスティーリャ
 (pão de Castela、カスティーリャ地方のパン)
 や、
 ビスコチョ(元は乾パン状の船乗りの保存食
       16世紀末頃、
       柔らかく焼き上げるレシピが生まれた)
 が由来・・・
 ポルトガルの焼菓子である
 パン・デ・ロー(pão de ló)
 が製法的に似ていることから、こちらを始祖とする説が有力
 原型は、
 中国の点心の一つであり、
 マレーの地名を冠する
 「馬拉糕」や、
 沖縄の
 「鶏卵糕(ちいるんこう)」
 と
 呉(ゴ)方言のような読みをする・・・呉=くれ
 蒸しカステラ類と
 共通する可能性もあるらしい・・・
 ↓
 16世紀の室町時代末期
 ポルトガルの宣教師によって
 平戸や長崎に伝えられた
 当初のカステラ
 鶏卵、小麦粉、砂糖で作った
 乳製品を用いないことから、
 乳製品を生産、常用しない
 当時の日本にも残った
 カステラの製造に重要な
 オーブンは当時の日本には存在せず、
 オーブンに代替する天火として、
 引き釜という
 炭火を用いる
 日本独自の装置が考案された
 ↓
 江戸時代
 江戸・大坂を中心に
 カステラの日本化と、
 カステラを焼くための
 炭釜の改良が進められ、
 江戸時代中期には
 現在の長崎カステラの原型に近いものが作られた
 長崎カステラの特徴である
 水飴の使用は、
 明治時代以降の
 西日本で始められた・・・
 伝来当時、
 平戸藩
 松浦家において、
 南蛮菓子としてカステラが宴会に出された時、
 その味に馴染めず、
 包丁方(料理人)が
 カステラを
 砂糖蜜で煮た・・・
 これが
 平戸名産「カスドース」の原型・・・
 ↓
 カステラの製法
 江戸時代の製菓書・料理書に数多掲載
 茶会でも多く用いられた
 カステラは鶏卵・小麦粉・砂糖といった
 栄養価の高い材料の使用から、
 江戸時代から戦前にかけて
 結核などの消耗性疾患に対する
 一種の栄養剤としても用いられていた・・・
 第二次世界大戦後の
 大量生産によって一般に普及・・・
 ↓
 夏目漱石が
 1907年に発表した
 『虞美人草』で、
 「チョコレートを塗った
  卵糖(カステラ)を口いっぱいに頬張る」
 と記して、
 「卵糖」という当て字をした
 実際にはチョコレートケーキに使われている
 スポンジケーキを指していた・・・
 ↓
 1624年(寛永元年)創業:福砂屋(長崎県長崎市)
             「カステラ本家」を商標登録
 1681年(天和元年)創業:松翁軒(長崎県長崎市)
 1747年(延享4年)創業:上野風月堂(東京都台東区)
             東京式「釜カステラ」を製造販売
 1900年(明治33年)創業:文明堂(長崎県長崎市
                 東京都新宿区など)
 1952年(昭和27年)創業:銀装(大阪市中央区)
            「紙の缶詰」という
             熱殺菌技術を開発
             カステラの
             賞味期限を延ばす事に成功
 ↓
 元亀二年(1571年)
 室町時代
 ポルトガル人が上陸
 カステラは
 スペインに栄えた
 カスティラ王国の
 パン(麺麭・麵麭)として
 長崎の人々に紹介
 幕末の志士
 「坂本龍馬」が
 慶応三年(1867)に長崎で組織した
 「海援隊」の日誌に
 「カステラ仕様の項目」があり
 「正味、玉子百目、うとん七十目、
  さとふ百目。此ヲ合テ、ヤク也、和蘭実方・・・」
 ↓
 松翁軒
 天和元年(1681)
 長崎市
 本大工町・・・本の大(太)句の帖
 に
 初代
 山口屋
 貞助
 が店を構え、
 砂糖漬けや
 カステラを作り始めた
 文久年間(1861)
 七代目
 熊吉の時、
 国学者
 中島広足
 により
 「松翁軒」の命名を受け、
 能面の翁を店印とした
 綿のようにやわらかにして、
 風味はしっとり、口に含むと、円やかなり・・・
 ↓
 八代目
 貞次郎は
 カステラにチョコレートの味を加えた
 ↓
 カステラ
 加須底羅
 家主貞良
 パオ・デ・カスティーリャ(ポルトガル語)
ーーーーー
 ・・・「かすてら」・・・再考=サイコウ=催行・・・「団体旅行などを計画どおり実施するコト」・・・「催(もよお)す、行」って「催眠術の行」?・・・
  「催」=もよおす・うながす・せきたてる・サイ
      催告・催促
      そのような気分に誘う
      催眠・催涙
      会を設ける
      開催・共催・主催
      とき
      雨催(あめもよい)=雨模様
      催馬楽(さいばら)=歌謡の一
               上代の民謡などを
               外来の唐楽の曲調にのせたもの
               笏拍子 (しゃくびょうし)
               笙 (しょう)
               篳篥 (ひちりき)
               竜笛 (りゅうてき)
               琵琶
               箏 (そう) を伴奏
               歌詞は
               律25首、
               呂 (りょ) 36首が残る
               曲は室町時代に廃絶・・・?
      催合(おもやい・もやい・もやひ
         催合い=最合い
         共同で一つの事をしたり
         一つの物を所有したりすること
         あいあい・おもやい
 ・・・ナニかを、「もよおす」って・・・トイレ・・・

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カストロ・・・城=しろ=白=皎=皎=新羅・・・試賂

2016-03-30 00:15:24 | 古事記字源

 ・・・「甘い言葉で幻想を描いた・米帝国からナニも貰うモノはない」・・・「キューバ(カストロ=Full Beard(完全な髭)=科素訳賂?・1926年8月13日~)・(人民?)独裁政治の玖馬・玖瑪・黒翡翠・瑪瑙・紅玉髄・久場」と「大陸(民?)中国(習近平・小平・毛沢東)」との、その相異は歴然としているが・・・ブログなどで調べたら、「カストロ」は、「ローマ軍の軍隊駐屯地」のラテン語が語源らしい・・・「城郭(カースル・Castle)の語源・castrum(カストルム)・castellum(カステッルム・culter(クルテル)」・・・「語根の cultr-」は「小刀」で「cultellus(クルテッルス)」であるらしい・・・コレって「狂って吊るす」?かも・・・「城(castle)をマモル・領地(Dominion・territory)をマモル・人びと(each person・people)をマモル」と云いながらの「戦争」だが、ヨーロッパの歴史での「正義(justice)である大義名分」は「宗教によるカミ」への信仰であった。だが、「宗教戦争」の本質は「ダレの城・ダレの領地・ダレの人びと」をマモルコトだったのか・・・兎に角、「人びと」は「everybody」ではない・・・「one's duty to one's country」、「one's duty to one's lord」の「one's」と「lord」とはダレか?・・・どうやら「天上界のgod=神」ではないらしく、「主人、支配者、首長、封建領主、君主、神、わが主、キリスト、卿(き よう)、(Lord の敬称を持つ)貴族」の「人間」らしい・・・
 「戦争」が勃発すれば、「戦況悪化」、「調略での裏切り」、「軍隊からの脱走」、「敵前からの逃亡」、「政治家の亡命」、「一般住民の難民」は必至で「命を確保しよう」とするのも当然である・・・そして、「工人、職人、技術者の捕虜」としての「移動・移民」である・・・古代では「帰化人 or 渡来人」、「1592年(文禄の役)と1597年(慶長の役)」では、「加藤清正」らは「朝鮮の陶工」を日本に移民、移住させた・・・
 独立戦争後のアメリカは奴隷売買を含めた「移民」である。
 日本は明治維新後は「西欧、米国の外国人」の「知識、技術者」を高給で政府公人として雇った。
 「戦争」は結果として「殺傷、破壊」と同時に「文明文化」の担い手である人びとを移動、移住させたのである。
 現代的には失業した日本人技術者が高給を保障され大量に海外へ、海外企業の技術者として移住したし、移住している・・・
 ・・・テーマは「カストロ」の「国家政策」と、その「カストロ」の語源探索であった・・・イタリアの南東部にも地名として「カストロ」が存在する・・・
ーーーーー
 「カストラカストラ(ラテン語 castra、複数形)、およびカストルム(ラテン語 castrum、単数形)とは、古代ローマにおいて軍事防衛拠点または野営地 として使用された場所または建設された建物群」とあった・・・「カステラ」は確かに「砂糖・蜂蜜・パン粉」が主要なスポンジ状の蒸して、焼いた「お菓子」ではアルな・・・ドラヤキ(鐃焼き)もこの系統だろう・・・
 カステラ王国=レオン王国(イサベラ女王・1451年生まれ・1479年カステーラ(Castela)王国女王、カステリ(地名)・ Castelli(カスティーリャ・カスティリャ・カスティリア・カスティーヤ・カスチラと日本語で音写)・・・美味しいけれど、年寄のボクには咽喉に詰まって咽(噎)んでしまう・・・
 「グァリネリオ・カステリヨーネ」と云う人物は「職人」であったらしい・・・以下は「ロカルノの信仰の亡命者について:再考(神奈川大学・吉田隆)」のブログ記事を参考、参照にしたもの・・・
 ↓↑
http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/10487/12768/1/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%A0No25-08.pdf
 ↓↑
ーーーーー
 当時のヨーロッパで
 諸工業で
 その知識と技術の技術者の
 市場ネットワークがあったらしい・・・
 スイスに於ける
 「ロカルノ人亡命者の到来は
  チューリヒの
  織物工業の復興
  諸工業の発展を育成する契機となった
  1555年3月18日
  に
  亡命者の第一陣が、
  5月12日
  に第二陣がアルプスを超え
  ロカルノから到来」
  亡命者の総計は147名
  金利生活者と大商人13名
  教師1名
  法律家1名
  医者2名
  袋物師2名
  製本工1名
  毛皮職人1名
  製革工3名
  仕立屋1名
  古物商人1名
  ビロード織工1名
  漁師1名
  総計147名
  1558年の公文書の亡命者の記録
  136名
  成人男性26名
  婦人26名
  青年8名
  男児39名
  女児36名
  下女1名
  全員ロカルノ生まれ
  であった
 これらのなかに・・・
  ↓↑
 「グァリネリオ・
  カステリヨーネ」
 が存在したらしい・・・
  ↓↑
 「チューリヒは、
  ツンフト・・・・・・ギルドの形態の一
            ドイツで、12、3世紀ごろから
            結成されはじめた
            独占的、排他的な
            手工業者の同職組合
            手工業ギルド
  の利権が強かったので
  チューリヒの手工業者は
  ロカルノ人との競争を恐れ
  締め出そうとしたため、
  ロカルノの亡命者の一部は
  バーゼルなどに移住し、
  そこでの諸工業の発展に寄与
  チューリヒにとどまった
  亡命者は、
  チューリヒに
  新しい経営システム
  問屋制、工場制
  マニュフアクチャーを導入
  市参事会が禁止していた
  ヴェネツィア
  ミラノ
  からの穀物の輸入のほかに、
  織物と香料・石鹸の輸入、
  鉄、食料品、鋼鉄、バター、
  獣脂、革、金
  と金製品の取引など他
  北部ドイツの
  麻布の輸出を行った
  1558年3月2日
  の参事会の決議には、
  亡命者たちには
  店舗の購入の禁止
  市民権授与の禁止
  経済活動の制限
  生業は一業に限ること
  市参事会の承認なしに
  新種の商工業に従事することを禁止
  を定めていた
  亡命者たちは
  地元の
  手工業者と対立しながら、
  チューリヒでの経済活動を推進・・・」
   ↓↑
 ・・・以下は「ウイッキペデア」を参照、参考・・・
   ↓↑
 「ロカルノ(Locarno)」
  スイス南部
  ティチーノ州の
  マッジョーレ湖の
  北に位置する
  基礎自治体(コムーニ)
  イタリア語圏のティチーノ州は、
  南部でイタリアと境を接する
   ↓↑
 「ロカルノ条約(1925年)10月
 (Locarno Treaties)」
 ロカルノで行われた協議を受けて、
 同年12月1日に
 ロンドンで正式調印された
 7つの協定の総称
   ↓↑
 「フランス・ベルギーの国境現状維持
  ラインラント非武装の確認(ラインラント条約)
  などが含まれ、
  基本的には
  ヴェルサイユ条約を踏襲したもの
  国際紛争を
  軍事によらず
  仲裁裁判で解決すること
  ロカルノ条約の締結により
  ドイツは
  1926年に国際連盟に加盟
  独仏の関係の緩和により、
  ヨーロッパ全土は
  相対的安定期だった」・・・らしい・・・
ーーーーー
 Castro(カストロ
 Fidel Alejandro Castro)だった・・・
   ↓↑
 丙寅(己・丙・甲)-食神(正財・食神・比肩)
  沖(己)(正財)
 丙申(己・壬・庚)-食神(正財・偏印・偏官)
 甲戌(辛・丁・戊)-比肩(正官・印綬・偏財)
 申酉=空亡
 氐宿
 金曜日
 ↓↑
 大運
 乙巳(戊・庚・丙)-劫財98歳迄
  年(刑害)・月(支合辛・刑破)  
 ↓↑
 90歳
 年運
 丙申(己・壬・庚)-食神(正財・偏印・偏官)
 月運
 辛卯(甲・ ・乙)-正官
 日運
 庚戌(辛・丁・戊)-偏官
ーーーーー
 アレッ・・・日本ハムも、日本代表サッカーも見なくちゃぁ~・・・
 ハムが(13-0)、
 日本が(5-0)でシリアに勝ったけれど、この時期に「シリア」はサッカーどころじゃないと思うけれど・・・
 で、蝦夷地の片田舎で「TV観戦」している自分の存在って何なんだ・・・
 全国各地では「安全保障関連法の施行日」に反対抗議行動が展開されているのに・・・「日本国憲法」はミンナのイノチである・・・

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