・・・「巳(み)」はトグロ(塒・蜷局)を巻き、地を這う「蛇、蝮、はぶ(飯匙倩・波布)」だが、「商業・商売の象徴」はナゼか「蛇(商業高校、大学の徽章・バッチ=batch・校旗の紋)」である・・・恐れる・恐怖は毒蛇と恐竜である。と云うコトは「蛇はカネ(商人)の儲けの象徴」であるらしい。ヘびはイヴを唆し、アダムはイヴに誘惑されリンゴ(智恵の実?)を喰ってしまった。「原罪=ゲンザイ=現在」の起源とは、この「林檎(りんご→理務語)=智恵=枇杷(びわ→備倭・備和・尾分→尾張)」は「数字(number)の勘定、計算(calculation・ computation・reckoning・counting)の加減乗除」だった?・・・アダムの咽喉仏とは異字漢字「のど=頏(亠+几+頁=音の案の頁)・臙・胭・嚨・噲・嗓・嗌」の「佛=イ+弗(ドル)=ほとけ=仏=イ+ム(邪)」である・・・「鞏(かたい・きつい・キョウ)」の漢字の構成は「巩(工+卂・工+凡・工十+乁)?」+「革(廿口十)」・・・「巩」=「工(たくみ・コウ)」の「卂(はやい・シン・ジン)=疾く飛ぶ」・・・「乁」の部首の構成類字は「丮(ケキ)」で、「訊(たずねる・ジン)・迅(はやい・ジン・シン)・汛(ジン・シン)」・・・几→「ノ+乁」→「虱=しらみ=蝨」・・・九(ここのつ)・亢(たかぶる)・冗(むだ)・凡(あまねし)・几(つくえ)→「風=かぜ=?・凮」・凩(こがらし)・颱(たいふう)・颴(せんぷう)・嵐(あらし)・凪(なぎ)・鳳(おおとり)・凧(たこ)・・・「渢楓颯飅颸颭颶颰飆颮」・・・筑(竹工凡・竹+工卂=巩?)→「筑波=つくば=築波」→「蹲(つくばい・しゃがむ・うずくまる・かがむ)=手水鉢・踞蹲)」・・・恐怖もテロ(terrorism)も、安堵も安心も・・・一時の日常性の連続(プロセス・process)・・・
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「鞏」=キョウ・きつく締まって固い
「鞏固・鞏膜」
「強」を代用字とすることがある
鞏い=かたい・しっかりしていてゆるがない
きつくしまっていて、堅固である
丈夫でこわれない
「鞏固」=意志がかたい
牢固・堅固・強固」に書き換えられる
「鞏皮症(キョウヒショウ)=膠原 (コウゲン)病
「異体字=巩(簡体字)」
キョウ(キョゥ)・かたい
「鞏志(キョウシ」)=中国の通俗歴史小説
『三国志演義』の架空の武将
後漢末期の武陵郡太守
金旋配下の従事として登場
・・・あまり知られていない日露戦争の人物だが?・・・
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「奥保鞏(おくやすかた)」
弘化三年十一月十九日(1847年1月5日)
~
昭和五年(1930年)7月19日
明治の陸軍軍人
元帥陸軍大将従一位大勲位功・一級伯爵
日露戦争での戦歴
南山の戦い
得利寺の戦い・・・・得利字の撰?
遼陽会戦
沙河会戦
黒溝台会戦
奉天会戦
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「鞏金甌」
宣統三年(1911年)10月4日
清国政府による国歌
六日後に
武昌蜂起が発生し、
辛亥革命が勃発
翌年に宣統帝の退位で、
清朝崩壊・・・
作詞は厳復
作曲は溥侗
採用時期 1911年10月4日
採用終了 1912年2月12日
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鞏金甌 金甌(金の瓶・壜)を鞏(かた)め
承天幬 天幬(テンチュウ)を承(う)け
民物欣鳧藻 民物鳧藻(フスウ)を欣(キン)し
喜同袍 同袍喜びて
清時幸遭 清時幸遭(コウソウ)す
真熙蔯 真に熙蔯(キコウ)たり
帝國蒼穹保 帝国蒼穹(ソウキュウ)を保たん
天高高 天高高(コウコウ)と
海滔滔 海滔滔(トウトウ)と
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鞏(キョウ)
つかねる
かためる
かたい
かたくする
かたくしばる
しめる
鞏い=かたい
しっかりしていてゆるがない
きつくしまっていて、堅固
丈夫でこわれない
鞏固(キョウコ)=意志が固い
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「鞏皮症(キョウヒショウ)」
膠原病の一
指・手・顔の皮膚が硬化し、
萎縮が末梢より体幹へ移行する
全身性疾患
「強皮症」とも書く。
「鞏膜(キョウマク)
眼球の角膜以外の部分をおおう、
白くて堅い繊維質の膜
眼球の前面では白目の部分
「鞏膜炎」
「強膜」とも書く
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「工(たくみ・コウ)」は
巫(みこ)がもつ呪器
手で強く持ち、高く掲げる形
呪器を挙げて祈り、神意を求める
鞏固(強固)の意、
恐懼(恐れ入ってかしこまる)の意
革でかたくしばる
おそれる
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・・・恐れる・懼れる・怖れる・畏れる・・・おそれる=怕・怐・吓・・・オソレよりもカクゴである・・・