・・・やっとヒカリをみせてくれたネッ・・・一般的にはスポーツは勝っても、負けても、「楽しんでやる」のが自然体である。「階級国家」を背負って、「金メダル」を狙うコトのみを目的にしてはナデシコの本来の「笑顔」は消えてしまうのは当然である・・・カッテの「世界チャンピオン」の「結果としてのナデシコの笑顔」は、大震災、大津波、原発事故で苦しみ、モガイテいた東北に住んでいた人びとに対するプレゼントであったし、この地球上に苦悩しながら生きている人間に対するプレゼントでもあった・・・「国家エゴの名誉のタメ」ではない、「カネを稼ぐタメ」でもない、「命を賭ける見世物」でもない?・・・それは、勝っても、負けても、その「フェア(fair)な勝負」で「一所懸命に躍動した姿」を感動的な「希望」として、震災、津波、原発の悲惨さを背負った「小さな女性達」の活躍として世界の人びとにアッピールしたのである・・・彼女らの笑顔のサッカーは現実的には「プロ生活者」としてのモノではなく、好きだからヤル、と云う「アマチュア(amateur)精神」だったハズだ・・・だが、「王様の期待」を背負ってしまうと「なでしこの笑顔」は別なものになってしまうのは当然である・・・
・・・撞球(billiards)の「映画のハスラー(hustler)」は「玉突き技の名人」だったが・・・「ワザの名人」だけでは喰ってはいけないのも、この「現実社会」である・・・「プロの勝負師」とは生活をかけての「ワザ」である・・・「アマ」では喰ってはいけない現実がある・・・そして観衆は「プロの勝負師」にカネを賭ける・・・
「撞球(ドウキュウ・billiards)」の漢字の「撞(つく・さしさわる・ドウ・シュ」は「扌(てへん・手)+童(わらべ・立里)」である。熟語は「撞着・撞木(突棒)」童を部首とする漢字は、「憧(あこがれ)・瞳(ひとみ)・鐘(つりがね)」・・・「釣鐘(つりがね・チョウドウ)」、「撞鐘(つきがね・シュドウ)」・・・
「自己撞着」=辻褄があわないこと、矛盾していること
自分 で自分の言行に反することをすること
「自家撞着・矛盾撞着」
人間は常に
「矛盾する状況」で生活をせざるを得ない・・・?
「宮本武蔵」の「活殺剣」・・・?
・・・昨夜の未明にTVでの映画「ハスラー(The Hustler)」を観た・・・放映の度に何度も観たが、「1961年製作のアメリカ映画・ロバート・ロッセン監督 作品・ポール・ニューマン」・・・「ハスラー(The Hustler)、本来はギャンブルで相手を騙して金を巻き上げる勝負師」・・・ナゼ、この映画監督はエディの恋人を自殺させてしまったんだろ・・・そもそも、アメリカ社会は1960年代も、1986年代も、そして、今現代も「ハスラー(The Hustler)社会」である。云いかえれば、成り金上がりの社会、「トランプの社会」である。「負け犬」とはダレのコトなんだか・・・「2011年3月11日」は、大震災、津波、原発事故・・・その6日後、「2011年3月17日」は・・・
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最近のブログ炎上は「保育園、落ちた日本死ね!」である。「待機児童問題」と云うよりは、「女性」を家庭の子供養育から引き離し、「(非正規)労働市場」に投入しようと云う問題である。決して「女性の経営者、管理者」になるコトを期待してのコトではない。昔から「女将(おかみ)」と云われる女性はいた。経営能力には「男女の差別」はなかったが、その「法的身分秩序」には差別があった。
戦前も戦後も、「女性」は社会で働いてこなかったのか?「共稼ぎ」をしてこなかったのか?そんなコトはない。働かざるを得ない女性、主婦はワンサカいた・・・
戦争中は特に「女性」は働いてきた、と云うよりも「働かされてきた」。しかも、「少年少女」もである。これは日本だけのこととではない。「戦時経済体制」下の「国家」は「主婦、成人女子、子供の女子、男子」を労働力として動員したのである。
共稼ぎ、戦後も豪農家でない限り、農業、農家は殆んどが共稼ぎであり、豪商家でない限り、都会の商店、小売業は共稼ぎであった。中小企業の町工場の経営者は夫婦共稼ぎがホトンドだったろう。
今現在も同じである。確かに「労働市場の正規雇用」で働いてきた「女性」は限られていたが・・・
バブル期、女性の投機家が活躍していたのが「ミセス・ワタナベ(Mrs.Watanabe)・キモノ・トレーダー(Kimono Trader)」である。「ミセス・ワタナベは個人の小口外国為替証拠金取引(FX)投資家を意味する俗称で、語源は日本人の主婦を中心とした女性投資家。欧米の報道機関により名付けられた」・・・「アメリカの株式相場を動かしていた」のは、「日本の主婦・ワタナベ女性軍である」と云われたのである。
「2011年3月11日」は大震災、津波、原発事故であった・・・
「2011年3月17日」はナニが起こっていたのか?・・・
「ウイッキペデア」には、
「2002年から2005年までの3年間にFX取引で約4億円の所得を申告せずに、約1億3000万円を脱税し、所得税法違反容疑で東京都世田谷区の50代主婦が、2007年に起訴されて有罪判決が言い渡される事件が報道されると、FX取引は日本の主婦の間でより大きな注目を集めるようになった」、
「ミセス・ワタナベはマーケットを動かす大きな力として認識され、相場の取引が薄くなり少ない注文でドルが下落する(円高になる)時間帯を狙い、ストップロスを狙う動きをミセス・ワタナベ狩りという。2011年3月17日に一時1ドル76円台に高騰した円高ドル安は、投機筋にミセス・ワタナベ狩りと言われ。また、ミセス・ワタナベは高金利通貨の豪ドル、NZドルも好んで買う傾向があると言われた」のだ・・・家庭の主婦が「博打市場」を動かし稼いでいたのだ・・・
「男女平等」は「家庭の家事労働」のコトではない。「労働力」の確保である・・・男女共、平等にハスラーになっても、博打うちなっても、なんら「問題のない社会?」なのである・・・「カネ」さえあれば、問題は解決される社会なのだが・・・
「保育園、落ちた日本死ね!」とは・・・カネ、生活費に苦しい人間、夫婦の問題である・・・国家が収奪した税金の再分配の問題である・・・
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「ハスラー2(The Color of Money)・1986年制作・ポール・ニューマン、トム・クルーズ出演の映画」、前作「ハスラー」の25年越しの続編・・・
「Hustler」には「勝負師という意味の他に、売春婦、男娼という意味がある」らしい・・・
前作の「ミネソタ・ファッツ」と死闘から25年後の「ハスラー、エディ(ポール・ニューマン)の50代の物語」・・・「若者ヴィンセント(トム・クルーズ)と出会い、アトランティックシティでナインボール大会の参加を目指す・・・エディはヴィンセントにゲームの勝ち方、負け方、そして負けて金をかせぐ方法などを伝授したが、アトランティックの大会では別々に参加し、2人は大会の準々決勝で対戦することになったが・・・
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・・・「ゲームの勝ち方、負け方、そして負けて金をかせぐ方法」が必要な、自由(?)な「国家」であり、「社会」なのだ・・・「就職」も、「待機児童」であることも、待機であろうが、無かろうが「選択の自由対象」なのだ・・・だが、目的の「選択対象」は限られている・・・