・・・ウシナワレタ「11=十一=拾壱=足壱=XI」・・・バラかキクか?・・・「マグダレナ・ソフィア・バラ」?・・・ダレ?・・・バラ=茨=いばら・・・茨木・茨城・荊木・棘木・・・井原西鶴?・・・バラに刺あり・・・キクにミミあり・・・茨の冠・・・キクのハナには・・・???・・・ハラにヘソあり・・・臍(毘)には「ごま=胡麻・護摩・独楽・駒・狛・高麗」・・・
-ーーーー
バラか、キクか、ウシか?
↓↑
尼寺を設立・・・・・・・天寺・蛙目出等・鴉目出等
冶承四年(1180年)・・・事象・自性・自照・自笑・字象
↓↑
平家追討の兵を挙げた
朝日将軍
木曽義仲
↓↑・・・源 義仲=信濃源氏の武将・河内源氏の一族
源義賢の次男
源頼朝・義経兄弟とは従兄弟(いとこ)
木曾 義仲=「朝日=あさひ=旭」将軍
木曽=当時は美濃の国
義仲が匿われていたのは
東筑摩郡
朝日村(朝日村木曽部桂入周辺)
後白河天皇の第三皇子の
以仁王=源以光の
「以仁王(もちひとおう)の令旨
治承四年(1180年)」で
平氏打倒の挙兵
寿永二年五月十一日(1183年6月2日)
倶利伽羅峠の戦い
(くりからとうげのたたかい
倶梨伽羅峠の戦い
「砺波山=礪波山」の戦い)
で
平維盛に勝利し
京へ向けて進撃し、同年七月上洛
平家は、
↓↑ 安徳天皇を伴って西国へ落ち延びた
元暦元年一月・・・1184年4月16日~1185年8月14日?
↓↑ 甲辰・戊辰・丙戌
元暦二年七月九日(1185年8月6日)京都地震
地震のマグニチュードは M7.4 と推定
法勝寺など巨大寺院群が崩壊
乙巳・癸未・癸未
文治元年(元暦二年)乙巳(1185)
↓↑ 元暦二年三月 壇ノ浦に平家滅びる
西暦の元の暦の元の年の一の月?
庚申・戊子・己卯(申酉=空亡)
猿 鼠 兎
↓↑
粟津原・・・・粟の津の原・・・アワのツのハラ
足神源・賊心原・続震源?
粟=覀+米
あわ・ゾク・ショク・ソク
↓↑ 異体字は「𠧼・䅇・𥟫・𥸫・𥹟・𥻆・𥾄」
で最期を遂げ
宮菊・・・・ミヤのキク
菊=艹+勹+米(丷+十+八)
という一歳違いの
異母妹
「吾妻鏡・文治元年(1185)の条」・・・吾の妻の鏡?
文辞・文字・文事・分字 後歳(差異)の加賀見?
頼朝の妻
政子は・・・政子=尼将軍
宮菊を
「やしない子(養女)」にし
都に居た菊姫は
将軍の息女ということで
周囲にいた者たちが
菊姫の名前を騙(かた)って
役に立たぬ古文書をあげたり
不知行の荘園を寄付したり
菊の使いだといって
官位が高く権勢のある家柄の
荘園の年貢を横取りしたりした
これが
頼朝の耳に入り
頼朝は
菊姫を捕らえて
鎌倉に連行するように命じた
菊姫は自分は一切知らないと弁明し
政子がとりなし
頼朝は、兄
義仲は朝敵として討ったが
菊姫に罪はないとし
その境遇に同情し
『美濃国
遠山の荘の一村』
を与え
義仲恩顧の御家人である
小諸太郎光兼らに命じて
菊姫の面倒をみさせた
遠山の荘の一村とは
↓↑
馬籠
のこと・・・島崎藤村の「夜明け前」・「破戒」
・・・???
ーーーーー
キリスト死後の墓参の女性
↓↑
マルコ16章=マグダラのマリア
ヤコブの母マリア
サロメ
の三人
マタイ28章=マグダラのマリアと
もう一人のマリア
の二人
ヨハネ20章=マグダラのマリアだけ
ルカ 24章=マグダラのマリア
ヨハナ
ヤコブの母マリア
一緒にいた他の婦人たち
↓↑
イエスの母マリア
マグダラのマリア=ベタニアのマリア
ヤコブとヨセの母マリア
クロパの妻マリア=イエスの母の姉妹
↓↑
ゼベダイの子らの・・・ゼベダイの妻の
母の名は
「マリア・サロメ」・・・ヘブライ語で
「サロメ=平和」の意味?
↓↑
ゼベダイ(Zebedee)=ヘブル語の
「主の賜物・授けられし物」
ゼベダイの妻「サロメ」・・・Salome
↓↑ サロメ(Salomé)=さるめ=猿目=猿女?
↓↑ ↓↑
同名の別人は
オスカー・ワイルドの戯曲の『サロメ』
(新約聖書マタイ伝14章、マルコ伝6章より)
1891年フランス語で書かれ、1893年にパリで出版
↓↑ ↓↑
サロメの
義理の父は古代
パレスチナの領主
ヘロデ・アンティパス
実母はその妃
ヘロディア
養父は
サロメ=ヘロデ・アンティパスに
祝宴での舞踏の褒美として
「好きなものを求めよ」と言い
サロメの母
ヘロディアの命により
「洗礼者ヨハネの斬首」を求めた
新約聖書には
サロメの名は記録されていない・・・?
同名の異人だからか?
「マリア」=「サロメ」は個人名か?
↓↑ 「罪深い女」=ヘロディアの娘「サロメ」?
ゼベダイの妻
「サロメ」は
イエスの母マリアの姉妹
カペナウムの裕福な漁師
使徒ヤコブとヨハネの父
ヤコブが兄、ヨハネが弟
↓↑
「マグダラのマリア」
「ベタニアのマリア」
「罪深い女(ルカ(7:36-50))」
同一人物であるとしたのは
591年
ローマ教皇
グレゴリウス1世(Gregorius I)
540年?~604年3月12日
在位は、590年9月3日~604年3月12日
問答者グレゴリウス(Dialogos Gregorios)
ロマの「パパ」
問答者聖グリゴリイ(鍵括弧原典ママ)
大聖グレゴリウスとも
典礼の整備、教会改革の教皇
↓↑
グレゴリウス13世(Gregorius XIII)
1502年1月7日~1585年4月10日
辛酉(庚・ ・辛)⇔乙酉(庚・ ・辛)
辛丑(癸・辛・己)⇔庚辰(乙・癸・戊)
癸巳(戊・庚・丙)⇔壬午(丙・ ・丁)
午未=空亡
↓↑
グレゴリオ暦
(伊語 Calendario gregoriano
英語 Gregorian calendar)
ローマ教皇
グレゴリウス13世が
ユリウス暦の改良を命じ
1582年10月15日(グレゴリオ暦)
から行用されている暦法
彼は
1572年
サン-バルテルミの大虐殺で
新教徒の殺害を喜び、ミサをあげた
1585年
日本からの
天正遣欧使節の
少年使節たちを謁見
↓↑
グレゴリオ暦
325年ニケーアの宗教会議
復活祭の日を決定する必要上
春分の日を毎年
3月21日と定めた
ユリウス暦を使っていたので
1582年
には実際の
春分の日は
3月11日
になっていたので・・・ズレを修正
暦改革
↓↑
1582年10月 4日の翌日を
1582年10月15日とした
↓↑
キリスト降誕(紀元)年数が
4の倍数の年を閏年とし
ただし
紀元年数が
百の倍数(当然4の倍数)である場合には
4百の倍数でない限り
平年とする」と定めた
↓↑
我らの「11日」を返せ
イギリスの新暦
新教国であったイギリス
その殖民地アメリカ
はグレゴリウス暦を拒んだ
1751年
イギリスで
元国務大臣
チェスターフィールド卿が
2年にわたって大衆紙や貴族を説得し
新暦の採用が議会を通過
その法令により
1752年から
1月1日を年の起点とした
(それまでは3月25日だった)
旧来の
ユリウス暦で積み重なった
誤差を正すために
9月 2日の翌日を
9月14日とした
これで
1年のなかで「11日」が消えたので
「我らの11日を返せ」
という抗議行動が起こった・・・
「11=十一=拾壱=足壱=XI」・・・
↓↑
聖母マリアの受胎告知の日(3月25日)
イギリスでは
3月25日が
1年の始まりだった
↓↑
1689年2月13日
名誉革命
ウィリアム3世
メアリ2世
が即位し
当時は1年の始まりが
3月25日だったので
2月13日は
前年の
「1688年の革命=名誉革命」
とされる・・・
↓↑
・・・神殿「売春婦」
ミュリッタ=新バピロニア王国
(紀元前625年~紀元前583)では
「神殿売春」
「エフェス遺跡は紀元前11世紀
イオニア(古代ギリシャ)人により建設
アルテミス神殿を中心にした都市国家」
そこに存在する
「12000冊以上の蔵書」を有する
「セルシウス図書館」は
「アルタミラ神殿」に隣接
その看板は「足型」
「この足型より小さい足の人は、売春お断り!」
↓↑
ヘロドトスは
古代エジプトに存在した「神殿娼婦」を
『歴史』の中でその慣習を記録
↓↑ ↓↑
首都アテネから北西へ約180km
デルフィ遺跡
ギリシア中部パルナッソス山麓にあった
ポリス(都市国家)
紀元前8~前6年ごろは
全世界の中心と呼ばれ
「汝自身を知れ」
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
の
予言の神アポロンが崇拝されていた
神殿北側の丘の上に
天然の岩山を削って造られた
円形劇場
紀元前4世紀に造られ
2世紀後にローマ人によって復元された
35段の大理石の階段席
↓↑ ↓↑
西暦4世紀にキリスト教を奉じる
ローマ帝国皇帝
コンスタンティヌス1世が
女神の神殿=イシュタル
イシス
イナンナ女神
を破戒し、キリスト教化
↓↑ ↓↑
ヒエロス・ガモス(Hieros Gamos)
または
ヒエロガミー(Hierogamy)
は「聖なる結婚=ギリシア語由来の言葉」
神婚、聖婚、聖体婚姻
聖婚=神話や儀礼などの男女二神の交合
神と人の婚姻
天の神と地母神の交わり
男神と女神
神と人の結婚の祭儀
中世ヨーロッパで
修道女=神の花嫁
語源はギリシャ語
「hieros=holy(神聖な)
=gamos
=marriage
=coupling(婚姻、媾合)
デーヴァダーシー(Devadasi)
「神の召使」を意味
バラタ・ナーティヤム
オリッシー
といったインドの伝統舞踊を伝え
神殿売春を強要される因習の被害者・・・
↓↑ ↓↑
「神聖儀礼」だった「売春」行為、
売春婦そのものが
「罪深い女(ルカ(7:36-50))」
ではない・・・?
では、ナニが、ダレが・・・罪深いのか?
「ヘロディア」と、その娘「サロメ」・・・「猿女」?
↓↑
イエスの母は
カナでの婚礼の後
イエスと行動を共にする(ヨハネ2:12)
カナの婚宴
(ラテン語: Nuptiae in Cana factae))
イエス・キリストの最初の奇跡の地
(ヨハネ福音書2章1-12節)
三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、
イエスの母がそこにいた
イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた
カナ(Cana)
は新約聖書に登場する
ガリラヤ地方の町の地名である
↓↑
旧約聖書に
アシェル族の町
カナが記録
ツロの南東10kmにある現在の「カーナ」
「ベツサイダ(Bethsaida)」
新約聖書に登場する町の名前
「漁師の家」
という意味の
アラム語を音訳した地名
イスラエル共和国の
古跡「エッ・テル」
イエス・キリストの
最初の弟子になった漁師
アンデレ、ペテロ、ピリポの故郷
ガリラヤの町
イエスは盲人を癒し
また、町の人々の不信仰に嘆いた場所
↓↑
ヘロデ大王の子
ピリポが再興
↓↑
皇帝アウグストゥスの娘
ユリアにちなんで
ベツサイザ・ユリアス・・・別(捌)歳座(差)
と呼ばれた町
↓↑
イエス=マリアとローマ兵との間の私生児
ーー↓↑ーー
バラのナマエ・・・
「薔薇の名前
(イタリア語
原題:Il Nome della Rosa
イル・ノーメ・デッラ・ローザ)
ウンベルト・エーコの
1980年に発表された小説」
・・・「薔薇(ばら)の斗の数の命」
・・・「紫薇(さるすべり)の斗の数の命」
・・・「百日紅の斗の数の命」
・・・バラバラのバラ違い ・・・「バラバ=バラバ・キリスト
=ギリシャ語=Bαραββᾶς
ラテン文字転写
=Barabbas」
・・・「新約聖書に登場する
ユダヤ(猶太)人の犯罪者、囚人」
で、「イエス」の代わりに
恩赦を受け、釈放された
・・・「バラバ=アッバス(父=アバ)+子(バル)」?
↓↑ ↓↑ ↓↑
アッバース(アラビア語:Abbās)
アラビア語の男性名
アッバスは長母音の省略
預言者ムハンマドの叔父の名
バンダレ・アッバース=イランの都市名
西アジアのイスラム王朝
建国者アブー・アル=アッバースの名に由来
750年
ムハンマドの伯父アッバースの子孫
アブー=アッバースが
ウマイヤ朝を倒し
クーファで即位
アッバース(アラビア語:Abbās)
アッバース=「顔つき・表情」
「厳粛な・厳格な」
「渋面・獅子」
↓↑
フグ(河豚・鰒・鮐・魨・鯸・鯺)
=Blow -fish
=Puffer fish
=globe -fish
=グローブ-フィッシュ
↓↑ ↓↑ ↓↑
総督ピラトが過越祭の特赦として
イエスの
かわり=換・變・替・孵・蛙・代・逓・遞・還・復・歸
に
生命(いのち)を恩赦された
「ユダヤ熱心党の頭目、
首領、首魁、梟首、梟将、
梟帥=たける=建、党首?」・・・
↓↑
「バラバ」とは聖書には
ペトロ(彼得)の使徒行伝-第3章14節で反乱、強盗殺人の犯罪者
マタイ(馬太)伝は罪状の記述なし
マルコ(馬可)伝は暴動時の殺人
ルカ(路加)伝は殺人
ヨハネ(約翰)伝は強盗・・・
・・・「バラバ・イエス」の「音写」・・・
「バラバ・イエスは自由の身になった」・・・
そして、
「ナザレのイエス」
として
「死して三日後(金~土~日曜日)に生き返った=復活」
と、
マグダレのマリアに吹聴させた・・・
↓↑
「イエス」とは
へブライ語の
Yeshua(ョシュア)を
ギリシャ語で
Iesous(イレシュア)
ラテン語で
Iesus(イエスス)
Yehoshua(ィヱホシュア)
で、
「イエス・キリストは
油を塗られし者・油を注がれし者」
だが、
当時の一般的な呼び名は
「ナザレのイエス」
「ヨセフの子、イエス」
「ナザレの人で、
ヨセフの子イエス」
であった・・・
「バラバ・イエス」とは
「バラバ(父)の子、イエス」
と同意義で・・・
「バラバ・イエス(マタイ27:16-17)」
「ユダヤ過激派-熱心党の一員で党首?」
で、
「イエス・(キリスト)」とは別人だが
同名の
「イエス・(バラバ)」である
「バラバ」は「マリヤ」と
ユダヤから逃亡した・・・?
・・・故に
「マグダラ(ダレ)」の
「マリア」は
「罪深い女」・・・???・・・
ーーーーー
正教会の伝承
イエス磔刑後
生神女(聖母マリア)
使徒達とともに
エルサレム中に
キリストの
復活を伝え、その第一の証人となった
キリスト復活の伝導で、旅し
ローマで
皇帝ティベリウスに会い
紅い鶏卵を献上
ハリストス(キリスト)の
復活
十字架の死
ピラトによる
イイスス・ハリストスの
死刑は不法と皇帝に訴えた
鶏卵を贈る習慣が
復活の記憶(復活大祭)に
鶏卵を贈る習慣が始まった
↓↑
カトリック教会での伝承
四福音書に
マグダラのマリア
と特定されていない女性が登場し
「罪深い女」が
「マグダラのマリア」と同一視され
彼女は
イエスの足に涙を落し
自らの髪で拭い
香油を塗った
図像では
アラバスターの
香油壺を手にする姿が代表的
「らい(癩)病人シモン」の家で
ナルドの香油の入った
石膏の壺を持った女が
イエスの足を
自らの涙の髪で拭い
香油を塗った
↓↑
伝説のマグダラのマリア
ヤコブス・デ・ウォラギネの
『黄金伝説(Golden_Legend)』
などによれば
「マグダラのマリア」は
金持ちの出自で
美貌
快楽に溺れ、後にイエスに出会い悔悛
「罪深い女(the Sinner)=娼婦」
との異名を与えられた
ルネサンス以降
「マグダラのマリアの悔悛
(The Penitent Mary Magdalene)」
を主題とする絵画、彫刻が多く制作された
イエス死後
兄弟ラザロ、マルタ (マリアの姉)
らとともに
南仏マルセイユ
(あるいはサント=マリー=ド=ラ=メール)
に着き
晩年は
サント=ボームの洞窟で隠士生活後、死亡
遺骸は
エクス=アン=プロヴァンス郊外の
サン=マクシマン=ラ=サント=ボーム
に葬られた・・・
ヴェズレーの
サント=マドレーヌ大聖堂には
キリストの遺骸(頭蓋骨)を移葬したと主張し
サン=マクシマン側は
遺骸を保持していると主張
一部は
パリの
マドレーヌ寺院にも分骨・・・
ーーーーー
John Lightfoot
(1602年3月29日~1675年12月6日)
英国の教会員、ラビの学者
ケンブリッジ大学の副学長
ケンブリッジの
聖キャサリン大学の修士
が
「マグダラのマリア」は
「ヘアー・ドレッサー」を意味する
ヘブル語の
「メガデラ・ネシャヤ」に由来し
「身持の悪い女」を暗喩する、と云った・・・
↓↑
「塔」を意味する
アラム語「ミグダル」
ギリシア語「マガダン」
に由来
彼女の揺るがぬ
堅い信仰のゆえに名付けられた「ナマエ」
4~5世紀の神学者
ヒエロニムスの示唆・・・
↓↑
「マグダラのマリア」と
「ベタニアのマリア」
は同一人物・・・
↓↑
ベタニア(ヘブライ語)
新約聖書に登場するエルサレム近郊の地名
マリア・マルタ・ラザロ兄弟の住んでいた土地
オリーヴ山の南東麓にある
パレスチナ人の村
アル=エイザリヤ(al-Eizariya)
↓↑
ヨルダン川対岸の
ベタニア(アル・マグタス)
1138年
十字軍により作られた
エルサレム王国の女王
メリザンド(フールク・ダンジュー王妃)
がこの地に修道院を創立
メリザンドはここで没し
孫娘の
シビーユ
もここで育った
↓↑
ベタニア(Bethany)=ベタバラ(Bethabara)
「士師記7:24」の
「ベト・バラ(Beth-barah)」
「ヨシュア記18:22」の
「ベト・アラバ(Beth-arabhah)」
と同じ
ベタニア(Bethany)=パレスチナ地方の
古都エルサレム近郊の地名
ヘブライ語で
「病む者の家・貧困の家」という意味
↓↑
イスラエル
オリーブ山の東斜面
エルサレム‐イェリコ街道沿いにある村
マルタとマリアの両姉妹と
その兄弟
ラザロの故郷
死んで墓に葬られていたラザロを
イエスが生きかえらせた場所
病のためラザロ死去し
その4日後
布教先から帰ったキリストが
墓の前で祈り呼びかけると
蘇生した
(ヨハネによる福音書・11・ラザロの復活)
さらに
復活したイエスの昇天の場所
(ルカによる福音書・24:51)
当時の名前
ラザリウム=Lazariumは
現在の村のアラビア語名
アザリエ=al‐Azarieh
↓↑
ヘブライ語=ベイトハニヤ
アラビア語=アイザリーヤ
エルサレム近郊の
オリーブ山東麓にある小村
村には
ラザンとその姉妹
マルタと
マリアの家
癩者シモンの家
などがあり
イエスがそれらの家を訪れた場所
3世紀には聖堂が建設
1967年まではヨルダン領で
「六日戦争」以後
イスラエルの占領地
ーー↓↑ーー
マグダラ (Magdala) ・・・「ラリルレロ」・・・
↓↑
タルムードにおいて
ミグダル・ヌナヤ(「魚の塔」)
・・・・魚を問う?・・・ヌナヤ=ヌ名哉=のナカ?
イスラエルのガリラヤ湖北西岸に位置する
古代におけるガリラヤの都市の一つ
現在の
ミグダル(Migdal)=マグダラ (Magdala)
↓↑
「マグダラ(ダレ)」の「マリア」は
恐れながらも
大いに喜び、
急いで墓を立ち去り、
弟子たちに知らせるために
走って行った
(マタイ福音書28章8節)
↓↑
そして、墓から帰って
十一人と
他の人、皆に一部始終を知らせた
それは、
マグダラのマリア
ヨハナ
ヤコブの母マリア
そして一緒にいた
他の婦人たちであった
(ルカ福音書24章9-10節)
↓↑
「使徒たちへの使徒
(the Apostle to the Apostles)」
マグダラのマリア
(ラテン語: Maria Magdalena)は
・・・Magdalena=マグダレ名?
新約聖書中の
福音書に登場
イエスに従った女性
マリヤ・マグダレナ
マグダレナ=マグダレーナ(Magdalena)
ヨーロッパ系の女性名
マグダラのマリアに由来
異形に
マグダレーネ(ドイツ語)
マドレーヌ(フランス語)
マッダレーナ(イタリア語)
マグダ (Magda)
マグダラのマリアに由来
マグダレーナ (Magdalena)
マグダレン (Magdalen)
マドレーヌ (Madeleine)
マデレーン (Madeleine)
マッダレーナ (Maddalena)
等は同根
マリリン (Marilyn)
は
マグダラのマリア
メアリー・マグダレーン(Mary Magdalene)
と
リム(lym)=リンダ(Linda・Lynda)
との合成
マグダレナ・ソフィア・バラ
(1779/12/13~1865/5/25)
己亥(戊・甲・壬)⇔乙丑(癸・辛・己)
丙子(壬・ ・癸)⇔辛巳(戊・庚・丙)
丙戌(辛・丁・戊)⇔戊戌(辛・丁・戊)
午未=空亡
1800年にフランスで創立された女子修道会、聖心会
↓↑ ↓↑
マドリード(スペイン)
マグダレナ川=コロンビア西部の河川
(スペイン語・Río Magdalena)
マグダレーナ県=コロンビア北部の県
↓↑ ↓↑
小西行長の母=ワクサ
洗礼名は
マグダレーナ、マグダレナ
小西ワクサ=豊臣秀吉の正室・おねの侍女
大阪城で
豊臣秀吉の側室などを取り仕切っていた
小西行長の父・小西隆佐=堺の豪商
1585年、羽柴秀吉に仕えた
・・・マグダレナ
馬具拿例名?
眞愚誰 名?
↓↑ ↓↑
正教会・カトリック教会・聖公会で聖人
正教会では
携香女(ケイコウジョ)
亜使徒(アシト)
の称号をもつ聖人
↓↑
香油の入った壷を持った姿で描かれ
これは
墓にあると思われていた
イエスの遺体に塗るために
香油を持って墓を訪れた
との聖書の記述に由来・・・
「携香女(ケイコウジョ)」
の称号もこれに由来・・・
マグダラのマリアは
イエス・キリストが
十字架につけられるのを見守り
イエスが埋葬されるのを見つめ
そして墓の方を向いて
座っていた婦人たちの中で
一番重要な人物・・・と、された・・・
↓↑
マグダラのマリア
聖人とする
西方教会(カトリック教会、聖公会)の
記念日(聖名祝日)は
7月22日・・・蟹(解+虫=かに・カイ)座の最終日
↓↑
正教会では
8月4日
携香女・亜使徒として記念
記憶
(7月22日・・・蟹(解+虫=かに・カイ)座の最終日)
記憶日に加え、
復活祭後
第二主日
「携香女の主日」
↓↑
マグダラのマリア
イエスの死と復活を見届けた証人
西方教会では
教義上
「悔悛した罪深い女」・・・
・・・ナニを「悔悛し、罪深い女」とされるのか?
とした
東方教会(正教会)では
マグダラのマリアは
「罪深い女」ではない・・・
ーーーーー
・・・???・・・
勿論、磔刑にされた
「イエス・キリスト」は
「ユダヤ穏健派-熱心党の一員」だった・・・
思想家は殺される・・・
ーーーーー
・・・???・・・