・・・まさか、謀略事故?・・・「日本時間午後5時50分ごろ、台湾東部の宜蘭県で台湾鉄道の特急列車が脱線事故」?!・・・2018年10月21日(日)、今夜はここ蝦夷地ではハッキリ「十三夜の月」が観える二十一時・・・「十三夜」と「栗(くり)名(な)月(つき・ゲツ⇔月)」、「月=肉(にく・ジク)=舟(ふね・ふな・シュウ・シュ)」・・・「月=ゲツ=解通」?・・・「月=ガツ=臥通」・・・「月=つき・づき=尽・搗・突・撞・衝・着・点・築・槻・付・憑」?・・・「十三夜」が金曜日と重なる時はあるのか?・・・「栗(西+十+八)=リツ・リ・くり・おののく・きびしい・ブナ科の落葉高木・栗子・おそれる・おののく・きびしい・栗烈・異体字は「傈・𡨓・㮚・𣗴・𣡷・𣡼・凓・慄・𠘍・𢢙・𤠫」・繁体字は「凓・慄」・・・戦慄」・・・「名(夕+口)=メイ・ミョウ・な」、異体字は「命・䫤・詺・銘」・・・耶蘇教・基督教・吉利支丹・切支丹・・・
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十三夜の月
・・・栗名月・豆名月⇔円ではない
満月ではない
歪んでいる形の
満月の二日前の月
楕円・勾玉形?
十三夜とは
十五夜の約一ヶ月後に巡ってくる月
旧暦の9月13日頃の月
新暦では10月の中旬から下旬ごろ
「後の月(のちのつき)」
「二夜の月(ふたよのつき)」・・・似よる之(の・シ)通記?
などの異名・・・
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%88%E3%83%A9
↓↑
イワーン=イーワーン・・・・・・・・磐武・意倭務・違和武?
(ペルシア語 eyvān
アラビア語 īwān
英語 Iwan)
イスラーム建築
一方が完全に開き
三方が壁で囲まれ
柱がない大空間で・・・「柱=命」が無?
天井がアーチ状・・・・「鴉蛙地(知)」?
・・・日月知・・・
となっているホール・・・穴・孔・坑・阿那・阿奈
ハトラ神殿
ハトラ・・・鳩羅・斑鳩?・・・ハ虎・葉寅?・・・壬申の乱?
(アラム 語 Ḥaṭrā
アラビア語 al-Ḥaḍr)
座標 北緯35度35分17秒
東経42度43分06秒
ハトラ(イラク)
アルケサス朝・・・有る化指す?
パルティア・・・・葉瑠出意蛙
の領内にあった
ハトラ
イラク北部のモースル州の南西約100km
サルサル・ワジ川・・・猿・申・沙流・和字選?
猿ヶ森砂丘(別名、下北砂丘、青森県)
「鳥取砂丘・猿ヶ森砂丘・庄内砂丘
石狩砂丘・志多見砂丘」
のほとりの
砂漠地帯・・・・・・・鳥取or陸奥(猿ヶ森砂丘)
都市遺跡
ハトラの太陽神殿には
イワーン形式の建物
パルティア帝国の主要都市
↓↑
パルティア(前247年~後224年)
古代イランの王朝
アルサケス朝(アルシャク朝)とも
アルサケス朝パルティア
と表記も
前3世紀半ば
中央アジアの遊牧民の族長
アルサケス1世(アルシャク1世・・・有る差化州・有る釈)
によって建国
ミトラダテス1世(ミフルダート1世)・・・見虎-伊達-州?
在位、前171年~前138年
以降
イラク、トルコ東部、イラン
トルクメニスタン・・・・・取る句女似州譚?
アフガニスタン西部
パキスタン西部
の西アジアの範囲を支配
住民の多くは
セム系の
アラム人やアラブ人
イラン系の人々も住んでいた
前1世紀以降
ローマと衝突
アルメニア・・・有る女似蛙?
や
シリア・・・・・「知り・尻・臀・私利・後」を蛙(かえる)?
メソポタミア
バビロニア
の支配を巡って争った
紀元116年~198年の間
ローマ軍の攻撃
117年
トラヤヌス帝は・・・・・・・虎殺怒州綴?
ハトラの近郊までやってき指揮・・・後、撤退
↓↑
116年のトラヤヌス帝
216年のカラカラ帝
の襲撃をも退けた
ハトラだったが
末期には
王位継承を巡る内乱の中で
自立した
ペルシスの支配者
アルダシール1世(在位226年~240年)
によって滅ぼされ
サーサーン朝ペルシアによって征服・破壊
↓↑
NHKTV
1984年
↓↑
パルミラの「女王」
ゼノビア(ラテン語 Zenobia
Iulia (or Julia) Aurelia Zenobia」
公文書には「Bat-Zabbai=Al-Zabbaの娘の意味」
「戦士女王(Warrior Queen)」
3世紀の
パルミラ王国の「女王」
パルミラにある
ギリシア語・パルミラ語合璧碑文では
パルミラ語(アラム語パルミラ方言)で
「最も傑出した敬虔なる女王
セプティミア=バト=ザッバイ」
273年・・・⇔卑弥呼(生年不明~242年~248年)
↓↑ 景初二年(239年)12月
卑弥呼、難升米らを魏に派遣
正始元年(240年)
帯方郡から魏の使者
詔書、印綬を奉じて
倭王に拝受
正始四年(243年)12月
大夫の伊聲耆、掖邪狗ら八人を
復遣使として魏に派遣
掖邪狗らは率善中郎将の印綬を受けた
正始六年(245年)
難升米に黄幢を授与
↓↑ 正始八年(247年)
倭は載斯、烏越らを帯方郡に派遣
狗奴国との戦いを報告
魏は張政を倭に派遣
難升米に詔書、黄幢を授与
卑弥呼死亡
男王が立つが、国が混乱
卑弥呼の宗女
「壹與・臺與」を
13歳で王に立て鎮定
↓↑ 秦始二年(266年)・・・266年
倭の女王の使者が朝貢(晋書)
287年(三国史記)
倭軍が新羅に攻め入り
↓↑ 一礼部(地名)を襲撃して火攻め
パルミラ王国瓦解
ガリア帝国も
ローマへ統合した
アウレリアヌス
の凱旋式でローマ市内を引き回された
ゼノビアは黄金の鎖で自らを縛り
その美貌と威厳をローマ市民に示した・・・
凱旋式の後
ローマ国内の
ティブル(ティヴォリ)の
ウィッラ・ハドリアナの近郊に
高級な別荘(ヴィラ)を与えられ
社交界で活躍し贅沢に暮らした
ゼノビアは
ローマの元老院議員
と再婚し、数人の娘にも恵まれ
娘達もローマの貴族と結婚した・・・
ゼノビアに勝利した
アウレリアヌス(275年暗殺)・・・秦始二年(266年)
・・・275年⇔266年=秦始二年・壹與=臺與
275-266=9
よりも長く生きた・・・
アウレリアヌス・・・合う例理鴉(蛙)奴主?
↓↑
パルミラ・・・・・・原見等・原観羅・葉留見等?
ベル大神殿・・・・・部留
↓↑
2018/10/21
13:50
あの日 あのとき あの番組
失われた街をたずねて~
シルクロード・シリアの旅
人類共通の遺産・世界遺産が
内戦やテロで危機にさらされている
NHK特集のシリーズ
「シルクロード」に
記録された在りし日の
遺跡や暮らしから、
平和について考える
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アッシュール(アッカド語 Aššūrāyu
アッシリア語 ašsur)
アッシリアの
最初の首都となった
チグリス川西岸の都市
それを中心とする地域
その主神
現在のイラクの
カラト・シャルカト
サラーフッディーン県に位置
↓↑
アッシュール
「都市アッシュール」
それを中心とした地域で「アッシュールの地」
それらを守護する「アッシュール神」が
同一の名前
粘土板文書では
発音されない限定符によって
三者が区別
↓↑
都市アッシュール
𒌷(ウル)・𒀸𒋗𒁺 𐎹(アッシュール)と表記
↓↑
アッシュールの地
𒀸𒋗𒁺 𐎹(アッシュール)・𒆠(キ)と表記
↓↑
アッシュール神
アッシュール市そのものが神格化された神
配偶神は
ムリッス女神
(バビロニアの
エンリル神の
配偶神
ニンニル)・・・人似る?
↓↑
サルゴン二世・・・・「沙流・猿・申」+「言」?
(BC721~705)
アッシュール神が世界創造時からの神
エヌマ・エリシュにおいて
アヌ (メソポタミア神話)の父とされる
アンシャルと習合された
アンシャルが選ばれた理由は
名前の類似による・・・「名前の類似」デス・・・?
↓↑
次代の
センナケリブ(BC704~681)により行われた
アッシュル至上主義的宗教改革により
マルドゥク・・・丸(円)度得句=360度
のものであった
エヌマ・エリシュ
新年祭などでの主神の座を奪い
名実共に最高神の地位に就く
↓↑
治世のほぼ20年間
バビロンより奪われた
マルドゥク神像は
アッシュール市に留め置かれ
バビロニアでは
新年際が開催されることはなかった
𒀭(ディンギル、en:Dingir)・・・出音義留?
・
𒀸𒋗𒁺 𐎹(アッシュール)
と表記
↓↑
紀元前14世紀後半から
アッシュール-ナシルパル2世・・・ナシルパル=名詞留葉流
の世まで
新アッシリア国王の都市
アッシュールナシルパル2世によって
紀元前883年に
カルフ(ニムルド)・・・軽附(似武留土)
へ首都が移された後は
イシュタル(イシス)
と
アッシュールの神殿とともに
アッシリアの宗教的な重要性を維持し続けた
↓↑
アッシュールは
シン・シャル・イシュクン
の治世の紀元前614年に
新バビロニアの
ナボポラッサル
と
メディア王国の
キュアクサレス2世
の連合軍によって征服された
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