「建光」
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「富辰の諫め」
「報者倦矣
施者未厭」
↓↑
「その太后石之日売命、
甚(いと)多く嫉妬(ねた)みたまひき。
故、天皇の使はせる妾(みめ)は、
宮の中に得臨(えゆ)かず、
言立てば、足もあがかに
嫉妬みたまひき」
↓↑
「女の徳は極(準則)がなく
婦人の怨みは終りがない
婚姻は禍福の階段」
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高句麗、第十九代の王(在位391年~412年)
↓↑ ↓↑
「好太王碑文」・・・「諡は國岡上・廣開土境・平安・好太王」
「姓は高」
「諱は談徳」
「広開土王=広開土大王」
「広開土王」=「好太王」=「永楽大王」
・・・「黄帝の曾孫の高辛氏の子孫」
・・・高(たかい・コウ)
辛(つらい・カライ・立十=立足・建拾)・・・
高句麗の韓(加羅・空・漢・華羅)
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391年(ユリウス暦)
干支=辛卯
日本
仁徳天皇七十九年
皇紀1051年
中国
東晋=太元十六年・・・孝武帝 司馬曜の治世2番目の元号
斯波用・詞葉庸?
↓↑
前秦=太初 六年・・・五胡十六国、前秦の苻登の治世元号
前進 艹(久坂)付上る?
↓↑
後燕=建興 六年・・・五胡十六国、後燕の慕容垂の治世元号
好演 簿用誰?
↓↑
西燕=中興 六年・・・五胡十六国、西燕の慕容永の治世元号
声援 簿庸英?
↓↑
後秦=建初 六年・・・五胡十六国、後秦の姚萇の治世元号
誤審 窈窕?
↓↑
姚萇=字は景茂・廟号は太祖
羌 (今日・キョウ) の
姚弋仲 (ヨクチュウ) の子
↓↑
西秦=太初 四年・・・五胡十六国、西秦の乞伏乾帰の治世元号
おほの肆ねん? 政審 乞伏乾帰
(キツプク ケンキ)
記 伏 建 記?
乾(かわく・かわかす・ほす
カン・ケン)
乾燥・乾田・乾杯・乾電池
ウワベだけの・義理の・乾笑
易の八卦で天、天子
乾元・乾像・乾徳
いぬい・北西の方角
乾位
隴西 鮮卑人
流所為 鮮卑人?
乞伏国仁の弟
伏す句似の仁(徳)の音を乞う?
↓↑
北魏=登国 六年・・・南北朝、 北魏の道武帝の治世元号
問語句 補句義同部綴?
↓↑
後涼=麟嘉 三年・・・五胡十六国、後涼の呂光の治世元号
隣家 纂(簒・篹・算)撚 語経 賂項
↓↑
翟魏=建光 四年・・・五胡十六国、翟魏の翟遼の治世元号・388~391年
建項 肆ねん 用義 要領
↓↑
定鼎 元年・・・五胡十六国、翟魏の翟釗の治世元号・391~392年
サダメるカナエ? 要義 用件
(神鼎とも表記)
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朝鮮
391年(ユリウス暦)
干支=辛卯
高句麗=故国壌王 八年(永楽元年)
・・・高句麗の第十八代の王
姓は高
諱は伊速(於尺支)
先代の小獣林王の弟
父は第十六代の故国原王
↓↑
高句麗、第十九代の王(在位391年~412年)
392年(ユリウス暦)・・・ローマ帝国キリスト教の国教化
干支 =壬辰
日本
仁徳天皇八十年
故国壌王 九年
広開土王(好太王)元年(永楽二年)
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391年(ユリウス暦)
干支 =辛卯
百済 =辰斯 王 七年
・・・百済の第十六代の王
第十四代の近仇首王の次男
先代の枕流王の弟
392年(ユリウス暦)
干支 =壬辰
百済 =辰斯 王 八年、阿莘王 元年
↓↑ 莘=艹+辛
異体字「䅸・𦸯・𨐍・𨐕」
「莘莘学子=多くの教え子」
シンシナティ=Cincinnati
莘申那智・辛辛那堤
津津拿地
ジンバブエ=Zimbabwe
辛巴威・津巴布韦
津巴布韋
ミラノネグサ
美良乃弥久散=弥良之禰草
ウマノスズクサ科
サイシンの古名
生薬名=細辛
薄葉細辛(うすばサイシン)
薬用
咳止め・去痰・鎮静・鎮痛・解熱
𣘘=木+莘
異体字「榛(はるな=榛名)」
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391年(ユリウス暦)
干支 =辛卯
新羅 =奈勿 王 三十六年
・・・新羅の第十七代の王
姓は金
別名は那密(尼師今)
第十三代の味鄒尼師今の甥(弟)
王妃は味鄒尼師今の娘の
保反夫人
392年(ユリウス暦)
干支 =壬辰
新羅 =奈勿 王 三十七年
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・・・仁徳天皇七十九年・・・
大雀命(おほさざきのみこと)(『古事記』)
大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)
大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)
↓↑
日本 建=小碓 観拠
↓↑
・・・太元・太初・建興・中興・建初・太初・登国・麟嘉・建光・・・