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ルーブル(留)・イタイジ「榴 𤰛 𤱊 畱 畄 㽞 𤲢 橊」

2024-12-02 20:09:59 | 古事記字源
 ルーブル(留)の
 イタイジ
 「榴 𤰛 𤱊 畱 畄 㽞 𤲢 橊」・・・
 ロシアン「ルーブル(留)」の下落・・・
 だから・・・ドウなる・・・
 「ロシア」の人々の苦難・・・ダレの所為であるのか・・・
 ロシアの「近代文化」を破壊しくまっているチンピラ老人・・・

 ↓↑
 留=刀+田・・・ 畱=丣+田 ⇔由甲申甴
 畄=⺍+田
 畱=丣+田
   丣=丌+ロ+ロ
     ー+ロ+丿+l+コ
     ユウ・とり(酉)
     ひよみのとり=日讀みの酉
     十二支の十番目
     方位は西
     時刻は午後六時・前後の二時間
     動物は鶏(とり・にわとり)
     酉⇔酒・酒樽・酒坩(つぼ・臺・壺)
          ・・・腧(つぼ)=経絡
             絡=糸+各
             からまる
  異体字
    「榴 𤰛 𤱊 畱 畄 㽞 𤲢 橊」
  繁体字
    「㽞 畱 𤱊」
 㽞=吅(ロ+口)+田
   リュウ・ル
   とまる・とどまる
   じっと動かない・とどこおる。
   とめる・とどめる
   動かないようにする・引き止める
   ルーブル・ロシアの通貨単位
   すばる(昂・昴)・星座の名
 𤲢=亞(亜)+田
 𤱊=厸+田

 留 溜 媹 嵧 廇 蒥 㨨 塯 骝 馏
 𠺕 瑠 遛 飗 熘 瘤 罶 磂 䗜 䝀
 蹓 霤 鎦 餾 飀
 鬸=鬲(レキ・リャク・へだてる・へだたる)
   鬲=隔=阝+鬲・・・核融合?
   +
   留
 騮=馬+留
 鰡=魚+留
 鶹=留+鳥
 䶉=鼠+留

 昴=日+卯=すばる=昂=日+
 卯=夘=戼
 梲・卯建(うだつ・うだち)
 梲=梁(はり)の上に立てて
   棟木(むなぎ)を支える柱
  「うだつ=卯建・宇立
=梲(セツ)」
 =木+兌
悦=忄+兌
  兌換(ダカン)
        閲覧(エツラン)
     多説・他説
     増税・減税
      鋭利・鋭角
 ↓↑
 ウダツがアガラナイやつら・・・
 ボクも含むヒトビト・・・
 出世しない・金銭に恵まれない
 生活が良くならない
 「うだつ」=屋根の梁や防火壁をつけたもの
 横木と棟木の間の柱や
 家の棟上げができない境遇を指す
 鳴かず飛ばず・万年若手・萬年平(社員)
 貧困からの脱出条件・・・
 「公務員試験」の合格・・・?
 「公務員からの慈悲」・・・?
 1848年
 フランス
 2月革命
 干支      戊申年
 日本(天保暦)
         弘化五年
         嘉永元年二月二十八日
 中国・清    道光二十八年 
 朝鮮・李氏朝鮮 憲宗十四年

 1月24日
  米国カリフォルニアで砂金を発見
  ゴールド・ラッシュ
 2月02日
  米墨戦争・グアダルーペ・イダルゴ条約締結で終結
 2月21日
  マルクスとエンゲルス
  「共産党宣言」発表
 2月24日
  パリで革命
  国王ルイ・フィリップ追放
 2月26日
  フランス第二共和政宣言
 3月13日
  ウィーン革命
  メッテルニヒ亡命
 3月15日
  ブダペストで革命・・・豚経諏訳?
 3月20日
  バイエルン王国
  ルートヴィヒ1世退位
 3月20日
  オーストリア帝国
  農奴制廃止
 3月21日
  プロイセン革命
  プロイセン王国
  フリードリヒ・ヴィルヘルム4世
  憲法制定を約束
 3月25日
  バイエルン王国
  マクシミリアン2世即位
 4月10日
  ロンドン
  ケニントン・コモン広場
  チャーティスト集会
  第三回国民請願
 4月18日
  第二次シク戦争開始(~1849年)
 5月18日
  フランクフルト国民議会開催
 5月29日
  米国
  ウィスコンシン
  30番目の州となる
 7月3日
  デンマーク領西インド諸島
 (後のアメリカ領ヴァージン諸島)
  総督
  ペーター・ヴァン・ショルテン
  奴隷解放宣言
 7月4日
  米国
  ワシントン記念塔起工(1885年除幕)
  華盛頓
 7月11日
  ロンドン(倫敦)
  ウォータールー駅開業
 8月17日
  メキシコ(墨西哥)
  ユカタン州が公式編入
 8月31日
  ヨハン・シュトラウス1世
  『ラデツキー行進曲』初演
 10月
  ハンガリー独立宣言
 11月7日
  米大統領選挙
  ザカリー・テイラー勝利
 12月2日
  オーストリア帝国で
  フェルディナント1世退位
  フランツ・ヨーゼフ1世即位
 12月10日
  1848年革命
  フランス
  ルイ=ナポレオン
  初代大統領に選出

 誕生
 1月27日(弘化4年12月22日)
  東郷平八郎、海軍軍人(+ 1934年)
 2月18日
  ルイス・カムフォート・ティファニー
  宝飾デザイナー・ガラス工芸家(+ 1933年)
 3月19日
  ワイアット・アープ
  西部開拓時代の保安官(+ 1929年)
 3月29日
  アレクセイ・クロパトキン
  帝政ロシアの軍人(+ 1925年)
 4月13日(嘉永元年3月10日)
  浅野総一郎
  浅野財閥創業者(+ 1930年)
 4月26日(嘉永元年3月23日)
  日高壮之丞、海軍軍人(+ 1932年)
 4月27日
  オットー1世
  バイエルン王(+ 1916年)
 5月10日
  トーマス・リプトン
  リプトン創業者(+ 1931年)
 5月22日(嘉永元年4月20日)
  井伊直憲、第16代彦根藩主(+ 1904年)
 5月23日
  オットー・リリエンタール
  航空技術者(+ 1896年)
 6月7日
  ポール・ゴーギャン
  画家(+ 1903年)
 7月25日
  アーサー・バルフォア
  イギリスの首相(+ 1930年)
 7月26日(嘉永1年6月26日)
  木村鐙子
  教育者
  明治女学院を創設(+ 1886年)
 8月16日
  ヘンリー・ダイアー
  お雇い外国人の教育者(+ 1918年)
 9月18日(嘉永元年8月21日)
  阿部正方
  備後福山藩主(+ 1867年)
 11月8日
  ゴットロープ・フレーゲ
  数学者・論理学者・思想家(+ 1925年)
 11月11日
  ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー
  バルチック艦隊司令長官(+ 1909年)

 死去
 7月13日(嘉永元年6月13日)
  池田慶行、第10代鳥取藩主(* 1832年)
 7月31日(嘉永元年7月2日)
  土井利位
  江戸幕府老中
  古河藩主(* 1789年)
 9月14日(嘉永元年8月17日)
  土生玄碩
  眼科医(* 1762年)
 10月7日
  エドガー・アラン・ポー
  作家(* 1809年)
 12月1日(嘉永元年11月6日)
  曲亭馬琴、読本作者(* 1767年)
ーー↓↑ーー
 ジャン=フランソワ・ミレー
        ・・・見(巳)例絵?
(Jean-François Millet)
 ジャン=フランソワ・ミレー
 「バルビゾン派」
 1830年~1870年頃
 絵画の一派
 フランス
 バルビゾン村
 周辺に画家が滞在や居住
 自然主義的な
 風景画や農民画を写実的に描いた
 「1830年派」とも
 ↓↑
 フランス
 1814年10月4日
 ~
 1875年1月20日
      大運1866年5月(51歳)己卯比肩
 甲┏戌(辛丁戊)正官・劫財 養⇔甲戌正官
  方合申辛
 癸┏酉(庚 辛)偏財・食神長生⇔丁丑偏印
  冲
 己┗卯(甲 乙)  ・偏官 病⇔壬午正財
 乙 丑(癸辛己)偏官・比肩 墓⇔辛丑食神
   申酉空亡
 ↓↑
 フランス・ノルマンディー地域
 マンシュ県
 グレヴィル村(ラ・アーグ)
 グリュシー地区
 コタンタン半島の突端
 の村の農家に誕生
 9人兄弟の長男
 ↓↑
 1835年11月
 父が死去
 画家修業の
 シェルブールから
 実家に戻ったが
 祖母の強い勧めで
 シェルブールに再度出て修行
 ↓↑
 1840年
 肖像画で
 サロン・ド・パリに初入選
 シェルブールで
 肖像画を制作
 ポーリーヌ
 と結婚
 共にパリに移住
 ↓↑
 1844年
 ポーリーヌ
 死亡
 パリから帰省
 ↓↑
 シェルブール
 で家政婦をしていた
 カトリーヌ・ルメール(18歳)
 と交際
 彼女の実家は
 ブルターニュ地方
 ロリアンの貧農で
 ミレーの祖母や母は
 カトリーヌ
 との交際に大反対
 ↓↑
 1845年
 ミレーは
 シェルブール市立大学の
 美術教授に招聘されていたが
 再びパリに出ることにし
 パリ行きの資金を
 ル・アーヴル
 で個展を開いて絵を売ったり
 肖像画の注文を受けたりし
 1年間で900フランをため
 1845年末
 カトリーヌ
 とともにパリに到着
 ↓↑
 1846年初頭
 ロシュシュアール通り
 に住居を定めた
 7月
 第1子
 長女
 マリーが誕生
 ↓↑
 パリでは
 肖像画や
 女性の裸体画を制作
 バルビゾン派の画家同志
 テオドール・ルソー
 コンスタン・トロワイヨン
 支援者
 アルフレッド・サンシエ
 と出会う
 ↓↑
 1847年
 サロンで
 神話画を入選
 ↓↑
 1848年
 2月革命で
 共和派が実権掌握
 ↓↑
 ミレーは政治的支援者を得る
 1847~48頃の油彩作品
 サロンに出品した農民画
 『箕をふるう人』
 が好評を博し
 政府注文を受ける
 ↓↑
 1849年6月
 パリでコレラが大流行
 2万人余り死亡
 ルイ・ナポレオン
 によるローマ侵攻に
 抗議する暴動が起き武力鎮圧され
 ルドリュ=ロラン
 をはじめとする左派の議員が一掃され
 ミレーの政治的支援者が失脚し
 バルビゾンに移住
 ルソーらの仲間入り
 ↓↑
 1850年10月
 第4子(三女)
 マルグリット
 誕生
 同年末から
 1851年
 ↓↑
 『藁を束ねる人』・・・倭蠃を多葉音留?
 『種まく人』
 を提出
 『種まく人』
 入選
 農民の生活の
 政治的なメッセージと受け取られ
 左右両派の激しい論争
 ↓↑
 第二帝政の
 1850年代
 農民画を中心に
 サロンへの応募を続けたが
 酷評された
 ↓↑
 1857年
 サロンに
 『落穂拾い』
 政治的な議論を巻き起こす
 ↓↑
 1860年代
 好評と不評を経験
 ↓↑
 1864年
 サロンに出品した
 『羊飼いの少女』
 が絶賛
 ↓↑
 1865年以降
 コレクターから
 パステル画の注文を大量に受け
 風景画を
 明るい色彩のパステルで描く
 ↓↑
 1867年
 パリ万国博覧会
 一室を与えられて
 9点の代表作を展示
 ↓↑
 1860年代末
 体調悪化
 「四季」連作などに取り組む
 ↓↑
 1870年
 普仏戦争
 ↓↑
 1871年
 パリ・コミューンで
 シェルブールに疎開
 「四季」連作の制作は中断
 亡き親友ルソーへの鎮魂の
 『春』
 を完成
 ↓↑
 1875年
 死亡
 ↓↑
 アルフレッド・サンシエ
 の
 「ミレー伝記」で
 ミレーは清貧の農民画家とされ・・・
 ゴッホも影響を受けた・・・
 ↓↑
 ミレーの絵画
 「種まく人」
 ほぼ同じ構図の2つの作品が存在
 1枚はボストン美術館
 1枚は山梨県立美術館
 に所蔵
 2つの絵は細部まで酷似しているが
 ボストン美術館の絵の方が
 人物の輪郭線がはっきりしている
 山梨の絵は
 絵具が厚塗りで筆使いが荒々しく
 背景の
 黄色が目立つのが特色
ー↓↑ーー
 「岩波茂雄」・・・岩の波・・・磐の余の名見?
 ↓↑     巖・維和(委倭)の葉?
 岩波 茂雄 (いわなみ しげお)
 1881年〈明治14年〉8月27日
 ~
 1946年〈昭和21年〉4月25日

        大運1937年12月(56歳)庚寅・印綬
 ┏辛 ┏巳(戊庚丙)偏印・正財 胎⇔丙戌・正財
干合水 支合・癸
 ┗丙 ┣申(戊壬庚)正財・印綬 死⇔壬辰・劫財
支合・癸
  癸 ┗巳(戊庚丙)  ・正財 胎⇔己巳・偏官
 癸  丑(癸辛己)比肩・偏官冠帯⇔乙丑・食神
   午未空亡
 ↓↑
 岩波書店 創業者
 貴族院多額納税者議員
 次男
 岩波雄二郎
 は
 岩波書店・二代目社長
 長野県
 諏訪郡
 中洲村(諏訪市中洲)の農家で誕生
 父 義質は村の助役

 1901年(明治34年)
 第一高等学校入学
 ボート部で活躍
 在学2年頃
 「内村鑑三」
 の影響を受け
 東京本郷で
 求道学舎を主宰の
 真宗
 大谷派僧侶
 「近角常観」
 から著書
 『信仰の餘瀝』を渡される
 1903年5月
 「藤村操(1学年下)」
 が
 「巌頭之感」
 を遺して自殺し
 衝撃を受け
 試験を放棄し落第
 夏休みの約40日間
 哲学書等を携え
 野尻湖の
 弁天島に1人で篭もる
 1904年
 試験放棄で落第
 高校中退
 1905年
 東京帝国大学
 哲学科選科に入学
 1906年
 結婚
 大学選科修了後
 神田高等女学校(神田女学園)
 に奉職するが退職
 1913年(大正2年)
 神田区
 南神保町に
 古本業
 岩波書店を開店
 破格の正札販売を実施
 「夏目漱石」
 の知遇を得て
 1914年
 「こゝろ」を出版
 自費出版であったが
 岩波書店の処女出版と位置付け
 漱石没後は
 「安倍能成」
 らと「漱石全集」を刊行

 『思想』(1921年)
 『科学』(1931年)
 『文化』(1934年)
 などの雑誌
 1927年(昭和2年)
 「岩波文庫」創刊
 日中戦争について
 「日本はしなくてもいい戦争をしている」
 と日本軍に対して批判的な活動
 軍部の圧力を受ける
 1940年
 財団法人
 「風樹会」設立
 「津田左右吉」
 の著作
 『古事記
  及
  日本書紀
  の研究』
 他4点が発禁処分
 津田と共に
 出版法違反で
 東京地方検事局の取り調べを受け
 3月8日
 起訴、不拘束のまま予審に回附
 1942年
 有罪判決
 上告中の
 1944年
 免訴
 「美濃部達吉」
 の
 「天皇機関説」
 を支持する投稿を
 朝日新聞に行ったが
 不掲載としたため
 「朝日は意気地なしだ」
 と批判
 1945年3月
 貴族院多額納税者議員に互選
 4月4日
 任命
 6ヶ月後に脳出血で倒れた
 翌年には
 雑誌『世界』が創刊
 文化勲章も受ける 
 静岡県
 熱海市で死去
 64歳
 戒名
 「文猷院・・・文の猷の院・・・?
  剛堂
  宗茂
  居士」
 墓所
 鎌倉・東慶寺
ー↓↑ーー
 ミレーの
 「種まきの絵」
 をかりて
 「岩波書店」
 のマークとした
 マークは
 「高村光太郎」・・・高の孫の交足婁?
 (詩人・彫刻家)
 による
 メダル
 をもとにしたエッチング
 ↓↑
 聖書の比喩の中で最も有名なのは
 「種蒔(ま)く人」
 (マタイ伝、第13章、4-9)
 ↓↑
 悔い改めた
 「放蕩息子のたとえ」
 「十人の乙女のたとえ」
 「種をまく人のたとえ」
 などの説話
 ↓↑
 「種をまく人」
 の絵は
 イエスを暗示する人物
 「種」はイエスの言葉・教え
 「土地」はイエスの教えを聞く者の
     心の態度を表している・・・
 「種をまく人のたとえ」
 マタイ福音書・13章
 マルコ福音書
 ルカ福音書
 などに記述
 ↓↑
 マタイ福音書13章
 心を開いて
 言葉を受け入れる者(良い土地)にのみ
 イエスの教えは実を結ぶ・・・
 ↓↑
 「見よ
  種まきが
  種をまきに出て行った。
  まいているうちに
  道ばたに落ちた種があった
  すると
  鳥がきて食べてしまった
  ↓↑
  ほかの種は
  土の薄い石地に落ちた
  そこは
  土が深くないので
  すぐ芽を出したが
  日が上ると焼けて
  根がないために枯れてしまった
  ↓↑
  ほかの種は
  いばらの地に落ちた
  すると
  いばらが伸びてふさいでしまった
  ↓↑
  ほかの種は
  良い地に落ちて実を結び
  あるものは百倍
  あるものは六十倍
  あるものは三十倍にもなった
  耳のある者は聞くがよい」
  ↓↑
 『種まく人』
 ジャン=フランソワ・ミレー
 邪 夢 附亂 素倭 観例意?
 が
 1850年に制作した油彩作品
 ↓↑
 創業者
「岩波茂雄」
 長野県
 諏訪・・・「諏=言+取(耳+叉)の
       訪=言+亠(音)+勹(ク・包)」
 の
 篤農家の出身
 「労働は神聖である」
 と
 「晴耕雨読」
 の田園生活を好み
 詩人
 ワーズワースの
 「低く暮し,高く思う」
 を社の理念とし選んだ
ー↓↑ーー
 干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8



 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?



ー↓↑ー
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
 ↓↑
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