・・・「オランダ・ハーグの仲裁裁判所」の判決・・・現在の大陸中国政府はかっての「日本帝国の満州事変」を大陸中国政府自身の問題として反省すべきだな。かっての帝国日本は「満州事変」で「国際連盟を脱退」、そして「日中戦争」、「太平洋戦争」、結果は敗北だった・・・時代遅れの「大漢民族主義国家」の「帝国主義的覇権」・・・どうやら「古代王朝」気分の政府指導者の脳ミソで、毛頭、他山の石とするつもりはないらしい・・・奴らの脳ミソは「社会的根性(金銭欲・権力欲)」としてコビリついている「個的人間のエゴ」である。このエゴを集約したモノが「国家意思(服従関係・権力秩序)」である。個的エゴの拡大と強制、その行使(暴力)である・・・それは個々人が日常で、暗黙に是としているモノだ・・・権力を担う人間は、時たま相手と妥協もするが、強弱の均衡は意志の弱さを見せたモノが崩れる・・・
「社会的根性」とは、詰まる所、「無自覚、無反省な青年が荒野をメザしたナレの果て」の土壌である。その土壌とは「富(カネ)増殖と、立身(権力)増殖」志向の日常意識である・・・そして、階級社会の枠内での保障のない「自由な選択」である・・・
社会的立身出世、そして、社会的資産長者を目指す・・・人びとの集約されたエゴな脳ミソを媒介にして結果的に荒廃と破壊をメザスのだ・・・社会的な人間同士の生活で共棲、共存、協調は「階級的に疎外」されるし、してきている・・・
なんせ、「集金兵」が階級国家の機能で、国家意思はエゴの極みである・・・その土壌で育った「人間の仕業」が「荒野メザス」のである・・・英雄になれるか、どうかは「運次第」・・・そのプロセスで「国民利益」の幻想を振り撒き、吹聴してきた「国家権力=国家意思=国家エゴ」の立場を国際的に放棄することは自滅を意味するから・・・
「ヒト(国民)」とはダレなんだかは、「平家(紅旗)であらずばヒトにあらず」が、「集金兵」の脳ミソとその思想的な立場である・・・相互の「粛正」が政治目的だから・・・
これは決して「大陸一般中国人の意識」ではないのはアタリマエだが、大陸中国国内で諸外国の国際TV情報が切断されては・・・
大陸中国領土内のフイリピン大使館、領事館を中国人暴徒を警戒して中国国家警察、治安部隊が警護だってか・・・尖閣列島問題が「中国国家の日当で操られた暴徒」であったコトは一般「中流中国人」には今やアタリマエである・・・で、「日当暴動デモ」を有り難く「労働」したのはダレだったんだか・・・ホトンドがその日の「日雇い民工」か、「ルンペンプロリアート(失業者)」である・・・日当給金は生活の糧である・・・彼らはギリギリまで「人参」で動く・・・その日暮らしでも、喰って生きなくちゃ・・・だが「ユメ」は視るコトが出来ても、喰えない・・・
「中流中国人」、彼らはプチブル意識の生活者である。上昇チャンスもあれば、奈落に落ちる恐怖もある。だが、エンゲル係数で生活に余裕があれば、イイモノは「国家」、「民族」を超えて「爆買い」するし、アニメも見るし、日本旅行にも、デズニーランドにも行くのだ・・・だが賃金の函数F(x)=yグラフの安定曲線を常に敏感に感じている階層でもあり、そして「法治の意味」も、道徳、倫理も、国際関係も知識として判断出来る階層である・・・「市民(プチブル意識の)秩序」として・・・「一般中流市民(?)は安定、安全を目指す」、「危険に無自覚」で「危険に満ちた荒野は目指さない」・・・
大陸中国で「カミクズだ」と云っている愚図はダレなんだか・・・2000年間、ダレが南支那海で活動してきたのか・・・確かに東支那海、日本海には「倭寇」の「中国人」も「高麗人」もいたらしい・・・活動と云えば「遣隋使・遣唐使」でもあったが、
「呂宋助左衛門(納屋助左衛門・永禄八年(1565年)?~没年不詳)」は、戦国時代、和泉国堺の貿易商人としてルソンに渡航していた。当時の日本人は彼だけじゃないだろう。
「山田長政(通称、仁左衛門・天正十八年(1590年)頃~寛永七年(1630年)」は、江戸時代前期にシャム(タイ)の日本人町を中心に東南アジアで活躍していた。
アンコールワットには日本人の名前も記されてあるらしい。「アンコールワット十字回廊に残された森本右近太夫の墨書(落書き)、他に も日本人による墨書が13箇所残されている」らしい・・・
兎に角、「日本人町」は東南アジアに多数あり、居住人口も多い・・・当然、南支那海での航海、渡航は「日本人の活動」だろう・・・
で、「岩礁」は島ではないらしいから、日本政府も困った?・・・「南鳥島(マーカス島、マルカス島・Marcus Island)・標高9m・非排他的経済水域」・・・
で、大陸中国政府のイチャモン、批難もスゴイヤクザ以上である・・・「日本人が仲裁裁判所の国際判事4名を任命した」とかは開いた口をどうしたモノか・・・どうやら「科学的唯物論者」ではなく、「唯のタダモノ論者」を超えている・・・
「7月12日、オランダ・ハーグの仲裁裁判所は、中国が南シナ海で主権が及ぶと主張している境界線「九段線」について、同海域内の資源に対する歴史的な権利を主張する法的 な根拠はないとの判断」、
「ブリュッセル時事・オランダ・ハーグの仲裁裁判所は12日、南シナ海問題をめぐる判決で、中国が南シナ海をほぼ囲むように設定する独自の境界線「九段線」について、域内の資源に「歴史的権利を主張する法的根拠はない」との判断を下した」、
「オランダ・ハーグの仲裁裁判所が、中国の南シナ海における主権の主張を否定する判決を出した」、
「南シナ海の領有権に関して、中国の独善的な言動の不当性を指弾する国際司法判断」、
「南シナ海のスプラトリー(南沙)諸島で中国が造成した人工島に対して、排他的経済水域(EEZ)は生じないとの判断も示した」、
「中国は、フィリピンが仲裁裁判を申し立てて以降、南シナ海の南沙諸島(スプラトリー諸島)で次々と人工島を造成、九段線は、中国と領有権を争っていないものの、インドネシアの排他的経済水域とも重なっており、この海域に入った中国の漁船が拿捕」・・・
・・・「オランダ(阿蘭陀)」と「ジャガタラ(カラパ=咬拉吧(カラパー)・咬刺巴・交留吧・咬𠺕吧」・・・
ーーーーー
↓↑
じゃがたら お春(1625年?~1697年)
長崎に在住し、
後に
バタヴィア(ジャカルタ)へと追放された
イタリア人と日本人の混血女性
ジャカルタから日本へと宛てた
手紙
「じゃがたら文」・・・
↓↑
寛永二年(1625年)
ポルトガル商船の航海士であった
イタリア人
ニコラス・マリン
と、
長崎の貿易商の子女
マリア(洗礼名・日本名不明)
との間に生まれた
寛永十六年(1639年)六月
第五次鎖国令により、
同年十月
長崎に在住していた
紅毛人とその家族が
バタヴィアへ追放
母・マリア
姉・お万
と共に14歳で離日
オランダ側の記録では、
お春は「ジェロニマ」
お万は「マダレナ」
とされている
↓↑
同じ便で日本を離れた者の中には、
↓↑
慶長五年(1600年)
ウィリアム・アダムス(三浦按針)
らと共に日本に漂着した
メルキオール・ファン・サントフォールト
もいた
↓↑
追放後
21歳のとき
オランダ人との混血男性で、
平戸を追放されていた
シモン・シモンセンと結婚
夫はオランダ東インド会社へ入り活躍
三男四女を儲け、
1697年4月に72歳で死去
↓↑
じゃがたら文
追放後に
ジャカルタから故郷の人々に宛てた
↓↑
千はやふる、・・・・千早ぶる=荒ぶる
神代も
きかず 龍田川
からくれなゐに=紅葉で
水くくるとは=ミズを絞り染め
在原業平朝臣
(十七番・古今集)
神無月とよ、
うらめしの嵐や、
まだ宵月の、
空も心もうちくもり、
時雨とともにふる里を、
出でし
その日を
かぎりとなし、
又、
ふみも見じ、・・・・・・フミ、モミジ・・・?
あし原の、・・・・・・・蛙詞葉等之?
浦路はるかに、・・・・・有等字
へだゝれど、
かよふ心の
おくれねば、
おもひやる
やまとの道の
はるけきも
ゆめに
まちかく
こえぬ夜ぞなき
・・・略・・・
あら日本
恋しや、
ゆかしや、
見たや 。
じゃがたら
はるより
↓↑
「千はやふる、
神無月とよ・・・
・・・
あら日本
恋しや、
ゆかしや、見たや、見たや」
↓↑
と結ばれた手紙文
↓↑
正徳四年(1714年)
西川如見・・・・天文暦学家
名は忠英
号は求林斎
通称は次郎右衛門
鍛冶業で
鉄器販売の
忠益の子
家業を継いだが
20歳の頃
京都の儒者
南部艸寿
に朱子学
林吉佐衛門に
天文暦学を学ぶ
先儒の諸説や
西洋の説を
参酌して一家の見を立てた
わが国最初の
世界地理の書物
「増補華夷通商考」
「日本水土考」
「四十二国人物図」
「天文義論」
など多数
長崎の地誌として知られる
「長崎夜話草(ながさきやわぐさ)」
は、
如見の談話をその子・・・・如く見る?
正休(忠次郎)が筆録・・・正しく休む?
が著した
『長崎夜話草』第一巻によって紹介
↓↑
明治時代
貴族院議員
竹越与三郎が
じゃがたら文を評し
「『じゃがたら姫』の『じゃがたら文』を読みて
泣かざるは人に非ずと申すべし」
と述べた
昭和十四年(1939年)
じゃがたら文
を下敷きとして
歌謡曲「長崎物語」も作られた・・・
↓↑
蘭学者の
大槻玄沢は、
「疑うべきもなき
西川の
偽文」
と断じ、大槻の門弟であった
山村才助も
「人多くこれを偽作ならんかと疑うべし」
としている
「じゃがたら文」
と
後年
お春によって書かれたとされる手紙との
差異も著しく、
近年では偽作と結論・・・
ジャカルタ古文書館に
お春の遺言書が保存
遺産の分配法などが示され
富裕層の証である
奴隷も所有していた・・・
↓↑
ジャガタラ・・・インドネシア
↓↑
Republik Indo-nesia(印度尼西亜)
ネシア(nesia・島々)
国章
ガルーダ=インド神話に登場する伝説上の鳥
鷹の図柄
翼の羽毛は左右に17枚ずつ
尾の羽毛は8枚
尾の着け根の羽毛は19枚
首の羽毛は45枚
独立宣言の
1945年8月17日の数字
↓↑
18世紀
オランダは
マタラム王国の分割支配により
ジャワ島、
19世紀
アチェ戦争により
スマトラ島をほとんど支配
1799年
オランダ東インド会社が解散
1800年
ポルトガル領東ティモールを除く
東インド諸島のすべてが
オランダ領東インドとなり、
現在のインドネシアの領域全体が
オランダ本国政府の直接統治下に置かれた
↓↑
1795年
オランダ(ネーデルラント連邦共和国)は
フランス革命軍に占領、滅亡し
インドネシアは
バタヴィア共和国(1795年~1806年)
ホラント王国(1806年~1810年)
と政体を変遷
1811年~1815年
ネーデルラント連合王国建国まで
英国領であった
↓↑
1819年
イギリスの
トーマス・ラッフルズが
シンガポールの地政学上の重要性に着目し、
ジョホール王国の内紛に乗じて
シンガポールを
イギリス東インド会社の勢力下に獲得し
オランダが反発
1824年
イギリス・オランダ両国が英蘭協約を締結
オランダ領東インドの領域が確定
↓↑
20世紀初頭
ジャワ島では、
1908年5月20日
ブディ・ウトモ
が結成
植民地政府と協調しつつ、
原住民の地位向上をはかる活動
5月20日は
「民族覚醒の日」
↓↑
1910年代
はイスラームを紐帯とする
サレカット・イスラーム
が
東インドで大規模な大衆動員に成功し、
1920年代
インドネシア共産党が
労働運動を通じて
植民地政府と対立
1927年
スカルノ
による
インドネシア国民党の結成
1928年の
「青年の誓い」
↓↑
インドネシア国民党の運動
民族の独立(ムルデカ)
青年の誓い
唯一の祖国・インドネシア
唯一の民族・インドネシア民族
唯一の言語・インドネシア語
が宣言
1927年末~1928年
インドネシア共産党は反乱を起こし弾圧
スカルノ
ハッタ
が主導する民族主義運動も、
オランダ植民地政府によって非合法化
↓↑
ジャカルタ(Jakarta)
インドネシアの首都
古称はジャガタラ (Jacatra)
↓↑
「ジャカルタ(加拉巴・雅加達)」
爪哇(ジャワ)の
「咬刺巴・交留吧・咬𠺕吧」
「ジャガタラ=カラパ=咬拉吧(カラパー)」
西部ジャワの地域名称が
スンダだったので、
後世になって
スンダカラパ⇒スンダクラパ
という呼称が変化
↓↑
スンダクラパ
1527年
東部ジャワ中部ジャワの
イスラム都市国家連合軍に征服され
ジャヤカルタ
名を変え
オランダ東インド会社に征服され
ジャカトラ
バタヴィア
と名を変遷
バタヴィアは
日本軍の占領によって
ジャカルタ
と変更
↓↑
カラパ
ジャワ
中心地が
中部・東部ジャワ
インドネシアは多民族国家・・・
1942年3月
蘭印の中枢である
バタビア(ジャカルタ)を占領
↓↑
1945年8月15日
日本が連合国軍に降伏
スカルノら民族主義者は
同17日
ジャカルタの
プガンサアン・ティムール通り56番地で
独立宣言
再植民地化に乗り出したオランダと独立戦争
スカルノやハッタら
インドネシアの民族独立主義者に共感し、
軍籍を離脱した一部の
日本人3,000人(軍人と軍属)も
加わって最前列で戦い、
その結果、日本人
1,000人が戦死・・・
↓↑
1949年12月
オランダ-インドネシア円卓会議
(通称、ハーグ円卓会議)
で、
インドネシアはオランダから無条件独立承認・・・
↓↑
1950年憲法で
権限を制約されていた
スカルノ大統領は、
1959年7月5日
大統領布告によって
1950年憲法を停止
大統領に大きな権限を与えた
1945年憲法に復帰
「指導される民主主義」
体制発足
スカルノは、
国軍を牽制するために
インドネシア共産党に接近
国軍と共産党の反目を利用し
国政における自身の主導権を維持
スカルノが喧伝した
「ナサコム(NASAKOM)」は、
「ナショナリズム(Nasionalisme)、
宗教(Agama)、
共産主義(Komunisme)」
が一致団結して国難に対処するスローガン
1961年12月
オランダ植民地のイリアンジャヤに
「西イリアン解放作戦」を決行して占領
1963年5月にインドネシアに併合
↓↑
1965年の9月30日
国軍と共産党の権力闘争
スカルノの
「指導される民主主義」
は終焉
スカルノから
スハルトへの権力委譲
インドネシア共産党の崩壊
↓↑
「指導される
(独裁者による)民主主義の推進」の
スカルノはエラカッタ・・・
↓↑
・・・「您辛苦了!(ご苦労さま)」・・・
「您=なんじ(汝)
しかり(然り・爾)
その(其の)
のみ(已・爾)
ジ・ニ」=you・・・アンタってダレ?・・・
「您」は中国での
書(か)き言葉の
「丁寧(テイチョウ)語」・・・?
ーーーーー
↓↑
「您」=(単数2人称・你の敬称)
あなた・あなた様・you
「ユウ」は日本人なんですか?
↓↑
您 是 日本人(儿)マ?
您 是 日本人(儿)吧?
您 是 日本人(儿)呢?
您 是 日本人(儿)嗎?
↓↑
ーーーーー
・・・前回の「巴」のツヅキ・・・
↓↑
岊=山の湾曲
巴
爬(爬虫類)
耙・・・・まぐわ・耙(䎱)・耙(钯)・耙子
熊手
マグワで掻(か)き集める
カキならす(掻き均す)
耙地=地面を均(なら)す
まぐわ=熊手
釘耙鉄の歯のついたマグワ
靶(靶子)
・・・・ターゲット(靶)
弓や射撃の的(まと)
たづなの人の把る處(轡首革)
把(把握)
笆=いばらだけ
棘(とげ)があり、物に絡みつく竹
荊(茨・棘)のかき(垣)
イバラの垣根(かきね)
竹の垣根(かきね)
豝・・・・二歳の牝豚=「豝」
琶(琵琶湖)
肥(肥後・肥前・肥料・肥糧)
杷(枇杷)
紦(紹紦)
・・・・織りの技法・絹
緊=きつく縒り合わせる
強く締める
堅く引き締める
弛(たる)みがない
隙間がない・余裕がない
鈀・・・・戦車
兵車・鏃の一
いくさぐるま・ハ・ヘ
吧・・・・文末につく勧誘の助詞~しましょう
走吧=行きましょう
文末につく推量の助詞~でしょう
他知道吧=彼は知っているでしょう
皅・・・・
芭(芭蕉)
葩=艹+皅(白巴)=ハ・ヘ
草の白い花・花
「葩」=白いさま
「皅=白+巴」
皅
「芭蕉」って・・・?
ーーーーー
・・・「巴」は「邑(阝)・色・岊・皅・把(把握)・色(七色)」の部分・・・youの国(邑・ユウ)って・・・?・・・
・・・「危険考」・・・タバコが切れてはどうしょうもないが、以前、訪ねてきた近所の中学生だった「Mちゃん」にタバコのパッケージに記録されている健康被害の警告文を読み上げられたコトがあるが・・・「毒なのに、オジちゃん、どうして喫(吸・す)うの?」だった・・・健康に「危険」だョなッ・・・「危=厃+㔾(卩・ふしづくり・わりふ・セツ・セチ・木の節の部分)」であり、「厄(厄介)」、「氾(氾濫)」、「犯(犯人)」、「卮=巵(シ)=酒の器・杯」も、中身は「㔾=卩」で、漢字辞典では「已(既に・~のみ・~だけ)・己(おのれ・よこしま・つちのと・キ)・巳(へび・ミ)・巴」ではないようである・・・
だが、「卮」は「巵」の新字体とあった。ならば「巵」は旧字体である。よって、「㔾=巴」であり、「卩」ではないが、「卩=ふしづくり」で「木の節の部分」であるからこの「節(ふし)」はまさに「渦巻き紋様」である。「卩=㔾=巴」は盛りあがった渦巻き文様の形状でイコール(equal)である・・・
「巴蜀 (ハショク) 」は水が渦巻いた模様。巴は「邑(阝)・色・岊・皅・把(把握)・色(七色)」の部分でもある・・・
そして、「氾(ひろがる・水があふれ広がる・ハン・あまねく広がる・氾濫=洪水」は「うねり上がって流れる水」である・・・ハンランは「叛乱、反乱」で、デモ(demo)を逸脱する法的な秩序、治安を乱す暴動は「犯罪」ではあるカナ・・・
台風の渦も、竜巻の渦も「危険」この上もナイ・・・
「已(やむ・すでに・のみ・やめる・イ」だが、「生滅=滅已(メッイ)」で、「已往・已然形」、「以」で、「ある時・所を起点としてそれより~で、「已下(イカ)=以下・已降(イコウ)=以降・已来(イライ)=以来」として使用される漢字である・・・
「己(おのれ・つちのと・キ)」は問題であるが「よこしま=ム=私」である・・・
いずれも、「蜷局(とぐろ)をマク(捲く・巻く)」で、それらは図形的な文様として共通項でマトメルことが出来るが、「蛇が巻く蜷局(とぐろ)」は戦闘態勢でもあり、尻尾を巻いて逃げるとはチョッと異なるカモ・・・巻き物であったハズの「古事記・日本書紀」はドウか・・・「天武天皇=大海人皇子」は「羽根の生えた虎」であったが・・・
「蝗(イナゴ)
螽(いなご)
稲子(いなご)
飛蝗(バッタ)=Caelifera
螇蚸
蝗虫
Grasshopper
hopper=跳ぶ人、モノ
跳躍者・舞踏者
あちこちと短い旅行をする人
同じような場所を次々に移動する人
bar-hopper=酒場から酒場へハシゴ人
bed-hopper=相手を次々に変える浮気者
砂利、セメントなどを
下方へ落とす漏斗(じょうご)形の装置
の
ムシの
翅(はね)」
だったカモ・・・ボク的なハナシの文章を跳(飛)ばす奴だったかも・・・
で、忍者の巻き物はドウか、腰巻はドウか・・・竹輪のナルト巻きはドウカか、海苔(のり)巻きの鮨はドウか・・・
そして、虎の巻はドウか・・・「六韜三略」・・・
・・・「考えるアシ(芦・葦・葭・蘆→足・肢・脚・疋・趺・尼子・蛙詞・悪し)」って、「生きる(喰う)タメに存在」しながら、「時間的な枠内で活き(動き回り)・そして「終わる」と云うコトを「パンセー Pensee(思索・思惟・考察・思考)するコト」らしい・・・「風(カゼ・几+ノ+中+ム)」に靡(なび)くって・・・?
なるほど、タバコを「嗜好」しながらケムリを靡(なび)かせ、そして煙に噎(む)せ、咳き込んで、シナヤカに床に倒れて終わるってコトなんだ・・・シナヤかでなくても、床でなくてもイイけれどね・・・コロされるよりはアリガタイ・・・
庭で草を毟りながら、草の合間に蟻さんやゾウリムシさんが蠢いている・・・彼らには雑草は共棲する場所なのに・・・草を毟るって、雑草や虫々と共棲できないと思っているボクのエゴだな・・・でも、モモちゃんに寄生する蚤(のみ)や、蜱(だに・蜹・蟎)には困っちゃうな・・・それでもニャンコは共棲でイイって思っているカモ・・・活きているってコトは、何時、何処にいても「危険」がワンサカだと思うョなッ・・・「アシ」だって、人間に切り取られて「カミ」にされてしまうなんて、サッ・・・
で、生きている間は危険(地獄)は娯楽(天国)と表裏一体で、痛みと快楽は身体のツボを指圧するのとオンナジで、人生である・・・数学的には「F(x)=y」の函数グラフか・・・
ーーーーー
で、お借りして居る「無料のHP」は修復メンテナンスが長引きそうである・・・それで、もし、「邪馬台国」の「地図」に興味があるならば、以下のサイトを覗いて下さい・・・「ダイ形のキカ臥句」・・・
ーーーーー
ボクのお借りして居る「無料のHP」が接続不能なため、取り敢えず新たな、以下のアドレスに急きょ移転したが・・・
↓↑
現存・古事記・漢字源の世界(1)・再三考
http://www.ac.auone-net.jp/~kiriya/sub3.html#
モウ君の総合目次
http://www.ac.auone-net.jp/~kiriya/kkmokuji.htm
目次の内容本文が見れるのは
現在的に
現存・古事記・漢字源の世界(1)・再三考
個人メイシキ作成(星の説明文は添付していない」)
支関係表
ボクの動画・YouTube
と
干支暦
六十年月日時干支
干支歴
http://www.ac.auone-net.jp/~kiriya/index.html
ーーーーー
・・・この「自由」とやらが妄想(パンセ)時間としてあることがアリガタイ・・・