・・・前回は「鉄剣の金銀象嵌の銘文」だったが、「鉄剣」以前の武器は「青銅の剣」、それ以前は「棒・木刀」だったろう・・・「ほこ=戈(カ)=矛(ム)=牟・?・𦭷・桙=鉾(ボウ・ム)=鋒(ホウ)」も、その材料から漢字字形も、音符(音読)も変化した・・・「戈(カ・クヮ)=ほこ・横に撃って敵を引っかける武器・銅戈=武器・兵器・戦争=干戈・兵戈」・・・「戈壁 (ゴビ・Gobi)」は「ゴビ砂漠(砂漠)」なら、「語尾・語備・誤尾」の「さばく=裁く・捌く」である・・・
ウイッキペデアの「鉄剣の銘文文字」の「廷」が「かたな(刀・剣)」とヨマれていたが「廷(テイ)」が「カタナ」とは思われない・・・もちろん、「たて=盾・楯(ジュン)」でもない・・・
↓↑
ーーーーー
「廷(テイ)」=「廴」+「壬」
「壬」は「脛・臑・すね」を指し示した会意文字
「廴」と「壬」を合体し、
長く「伸」ばすの意を表す?・・・延長だが、
伸張ではない・・・
「平」らに
地ならしをした土地・・・金箔を「平」に延ばす、である・・・
にわ(庭)
官吏が並ぶ広い庭
政治を行う所
廷臣・外廷・宮廷・禁廷・朝廷
裁判を行う所
廷吏・開廷・休廷・出廷・訟廷・ 退廷・入廷・法廷
たか・ただ・なが
「廷」=政務を行う場
「廷丁」=廷吏(テイリ)の旧称
審判廷(審判室)
廷争面折(テイソウメンセツ)
廷諍面折
面折廷争(メンセツテイソウ)
面折廷諍
朝廷の君主の面前で、
おじけづくことなく、
面と向かって相手の罪を公然と諫めること
「廷諍」は朝廷の君主の前で争論すること
「面折」は面と向かって責めること
「廷争面折」
↓↑
「涎(よだれ・セン・ゼン・エン・流涎」
「氵+延」はあっても「氵+廷」は・・・ない?・・・「涏」はある。「氵の廴の壬」である・・・
「涏=汫(泾寒・jìng)=涏・小水・波流の直」
・・・水の波紋の直径・・・
「涇寒也・汫涏・小水・波の直貌・直波の爲す径(徑)」
「為水細流蜿蜒的樣子(玉篇)=汫涏=小水の貌也」
・・・涇以渭濁(ケイイイダク)」=涇と渭は川の名
涇の水は濁(にごる)
渭の水は清(きよい)=澄(すむ)
「清濁併せ飲む」=「善悪併せ具える」
「徑涏也・音電・涏涏・美好貌・光澤の貌」
「直波の爲す徑・徑涏也」
「童謠、後帝為微行出遊、常與富平侯、張放俱(人名)、
稱、富平侯家人、
過、陽阿主、作樂、
見舞者、
趙飛燕、而幸之、
故曰
『燕燕尾涏涏』、美好貌也」
↓↑
・・・趙飛燕姉妹の波瀾(ハラン)は卑賤の踊り子が皇后に栄達し、その後、皇帝が死んで二姉妹とも自殺した・・・波乱は波がミダレル、波瀾は大波。「回瀾・狂瀾・波瀾」・・・大津波・・・?
・・・「径(徑)=ケイ・みち・円心を通って円周を切る直線・口径・直径・半径・小道・近道・径庭・径路・山径・小径・捷径 (ショウケイ)・まっすぐに(直情径行)」・・・
↓↑
艇(テイ)
↓↑
中古艇=中古ボート
艇(テイ)=細長い小舟・ボート
艇庫・艇身・艦艇
汽艇・競艇
舟艇・漕艇・端艇・飛行艇
こぶね(小舟・ボート・カヌー)
艇=小舟
廷・庭・挺・艇・梃
侹・珽・蜓・頲・娗
鋌・梃・莛・綎
霆
↓↑
霆=まっすぐにのびる、いなびかり
横にのびてひろがる、雷鳴の余韻
雷鳴のとどろき
なりわたる・とどろく
いかづち・ジョウ(ヂャゥ)・テイ(ティ)
雷霆・電霆
雷・電
霆・霹・靂
迤(ホウ)+辵(リョウ)
迤辵(ホウリョウ)=雷神
↓↑
震=シン・ふる・う・ふる・える
激しいかみなり
霅=トウ・霅霅で稲妻の煌めき・雨+言
霣=イン・おちる・かみなり・雨+員
辵=リュウ・雷神・雲の神・雲+隆(降?)
隆=輶=「阝+夂(攵)+一+生」
中央が盛り上がって高い
さかん・盛大・尊重・尊ぶ
身分や位が高い
靇=ロウ・リュウ・雷鳴・雨+龍
・・・アメの日には「雨合羽」が必要だが・・・
↓↑
ポンチョ(スペイン語=Poncho)
主に中南米で着用されている衣類、外套
四角形の布の真ん中に穴があき
アナに首を通し、被(かぶ)って着用する
雨具
ポンチョは、
貫頭衣(布地に頭の通る穴を空けただけの
簡素な衣類の形式)
通常の着衣の上から防寒・防風のために着用され
「リャマ・ラマ・ジャマ (Lama・glama)」の毛を利用した
毛織の上着で、外套、雨具(雨合羽)としても使用・・・「キオニ(寝具)」としても使用した・・・「合羽」って渡世人(ヤクザ)の旅姿・・・「雨天の外出に着るマント状の雨具・レインコート・雨合羽」、「カッパは、ポルトガル語の capa からの外来語、合羽の他に勝羽とも書かれ、宣教師が外套と着ていたので南蛮蓑(なんばんみの)とも・英語(cape)」、漢字の「合羽、雨合羽」は、江戸時代から使われ始めた当て字・・・「オランダ語で、オランダ人の衣服、カッパ」、紙で作った合羽の原料となる桐油紙は、合羽だけでなく、荷物や駕籠の被いや出産の際の敷物(お産合羽)としても使用された。「紙羽織」を人が着ると、「両翼を合わせた鳥」に似るところから「カッパ(合羽)」・・・「雨皮の略語、あまカハの訛り」・・・
ーーーーー
「雨合羽」・・・突然ですが、北海道の「本別」に跳びます・・・
↓↑
本別町(ほんべつちょう)
北海道十勝総合振興局管内の
中川郡にある町
町名の由来
アイヌ語の
「ポン・ベツ(小さい・川)」から・・・
1915年(大正14年)4月1日
本別村(ほんべつ)・・・本を別ける
嫌侶村(きろろ)・・・・僧侶を嫌う
負箙村(おふいぴら)・・箙を負う
箙(えびら・quiver)
矢を入れて肩や腰に掛け、
携帯する容器
矢筒・やなぐい
靫(うつぼ・ゆぎ)
幌蓋村(ほろけなし)・・幌の蓋(ふた)
勇足村(ゆうたり)・・・勇み足
アイヌ語で
「頭が浜の方に出ている河原」
の
「エ・サン・ピタラ」・・・?
押帯村(おしょっぷ)・・帯を押す
が合併し
本別村となる
1921年(大正10年)4月1日
西足寄村(1950年4月1日)から
西足寄町、足寄町)を分村
1933年(昭和8年)5月1日
町に昇格、本別町
1974年(昭和49年)~1976年(昭和51年)
町内の
大字を行政字とし
再編
東本別、
仙美里、仙美里元町、西仙美里
美里別・・・ピリカアンペ=美し里の水
ピリペッ=渦の川・・・毘(へそ)の川
共栄
近隣には
更別村・・・サルペッ・・・アシ原の川
音更町・・・オトフク=毛髪が生ずる
音は更(作等・沙良)
・・・寺の時刻を知らせる鐘衝きの音?
(以上1975年)
↓↑
テンサイ(甜菜・学名=Beta vulgaris ssp.vulgaris)
ヒユ科アカザ亜科フダンソウ属の二年生の植物
別名、
サトウダイコン(砂糖大根)
大根とは別種
イタリア名は
バルバビエートラ (Barbabietola)
というが、
キオッジャ地方で栽培される品種は
「ゴルゴ」という・・・
ビートの砂糖用品種群
寒冷地作物として
中から高緯度の地域で栽培
サトウキビとならんで砂糖の主要原料
根を搾ってその汁を煮詰め、砂糖とする
葉と搾りかす(ビートパルプ)は、
家畜の飼料
全世界の砂糖生産量のうち、約35%を占める・・・
日本では、
北海道を中心に栽培
テンサイから作られた砂糖は
甜菜糖とよばれ、
国内原料による
日本の砂糖生産量の約75%、
日本における砂糖消費量の25%を占める・・・
ーーーーー
泣いては「馬謖」を切らなかった・・・
蝦夷地(北海道)で
泣いて大切な馬を「馬食」したのは入植した酪農農家である・・・
↓↑
謖(ショク・シュク・たつ)=言+畟(そく・ショク・シキ)
謖=ㄙㄨ・釋義は起つ
禮記.祭統
「是故尸謖,君與卿四人餕」
唐. 柳宗元.起廢答
「十有一人,謖足以進,列植以慶」
收斂、整飭的樣子(後漢書・卷六 十下・蔡邕傳)
「飭=チョク・命令して正させる・戒飭
身をつつしむ・引き締めととのえる・謹飭
同じ過ちを犯さないようにいましめる」
「公子謖、爾斂袂而興曰、胡為其然也?」
「收斂=ちぢむこと・ちぢめること
租税を取り立てること・収税」
謖=言+畟=ショク、シュク・立つ、起き上がる
稷=禾+畟=ショク・穀物の一種、こうりゃん(高粱)
禝=示+畟=ショク
溭=氵+・畟=溭淢・水の波・波紋?)
㮨=細理木・松に似る・棘がある・檉(木+聖)松㮨
檉=柽・朾・㨃・揨
檙=朾=撞くという意味=梲(むち)
木の杖、棒状のもの=棓
木聖=孟子
畟=田+儿+夂(ボク・ホク)→(夊=スイ・攵=チ)
畟(そく・ショク・シキ)
畟畟=田畑を深く耕すさま
稷山=あわやま
ーーーーー
・・・弱い人間を護るのが「人間」であるハズだが、多数の無抵抗で、睡眠中、しかも障害もあり、無防備な他人の命を奪い、「警察に出頭」とは・・・自分自身の命の後始末も出来ず、他人にマル投げ・・・砂漠の真ん中か、岩礁の無人島に生きたまま島流しの罪である・・・ソコでも自分自身の「生きている存在価値」すら自覚できない奴かも・・・TVの報道する女性アナウンサーも「間違った正義観で殺人云々・・・」とは驚きだが、「間違っている正義観(社会観・世界観)」って、ナンダ・・・「ナチスの自国民障害者の抹殺」か・・・彼らも、彼も単なる「殺人を確信目的にした殺人犯」である・・・「霍乱」でもあるまいに、當麻を吸っての殺人が「世界の平和」だってか・・・「エゴな殺人で平和を攪乱」している奴らはワンサカである・・・「蟻」や「蜂」以下の「普通の人間の仕業」である・・・「この人間社会の特殊な人間の仕業」ではない・・・
・・・「古事記」に記されている「鳥船」とは、飛行機、飛行船か?、「盥(たらい)舟」とは、「空飛ぶ円盤」か?・・・「鳥=白+丂+灬(㣺)」と「馬=丂+‡(≠・十+丅)+灬(㣺)」の漢字だが・・・「馬」の「灬」は「四足=四脚=四肢」で「下心(㣺)」ではなく「灬」であるのは明白だが、「鳥」の「灬(㣺)」は「四足=四脚=四肢」ではない。「鳥」類の「灬(㣺)」は「足=脚=肢」は「四本」ではなく、「二本=ニホン」である。耳で聞くなら「似本=にほん=日本」でもあるが・・・多分、「鳥」の「灬」か「㣺」の示唆は「両翼=二羽」と「二肢」であろう。そして、「音=おと=嗚訳」からは「奥羽=おうう→おおう=大胡=被う・覆う・蔽う・蓋う・弇・幕」である。「鳥の船」であるのは「櫂を使って舟を漕(こぐ)」という「櫂=木(き)+羽(はね)+隹(とり)」の漢字構成である。「櫂は一般に長い棒状であり、一端の平らな部分を水に入れ、漕ぎ手はその反対側の柄の部分を握って操作するモノ」である・・・「ボートで使用する舟べりに支点を持つものを oar(オール)で、カヌーなどに用いる舟べりに支点を持たないものを paddle(パドル)と区別し、日本語漢字でも、「櫂(オール)」と「橈(バドル)」と区別するコトがあるらしい・・・漢字分解からは「鳥=とり=隹」は既にボク的な理解は出来たが、「馬=うま=午=甜(うま・テン)=宇摩=旨(うま・シ)=右馬」は厄介で、「馬(バ・メ・マ)」で、「め」とも訓んで、「ケンタウロス(Kentauros・ラテン語は Centaurus・ギリシア神話に登場する半人半獣の種族で、馬の首から上が人間の上半身・その下は馬身」もいれば、「翼を有する天馬(ペーガソス・ペガサス・Pegasus, Pegasos)=ポセイドーンの命により、天界にも届きそうになった山を蹴って元に戻した・馬の主ベレロポーンはペーガソスに乗って、怪獣キマイラを退治したが、落馬して足を折った」もいるとか・・・漢字の熟語の名からはもっと複雑になる・・・羅馬、邪馬台国、司馬遷・・・泣いて「馬謖」を斬る・・・「司馬江漢=鈴木春重=安藤峻=上田某」、そして、「聖書」の漢字名の「馬借・馬子」は「瑪拉基(マラキ)・馬太(マタイ)・馬可(マルコ)」・・・
「舟=上弦の月」・・・
「珍敷塚・鳥船塚」古墳にはその壁画の中には条件が揃っているが・・・
ーーーーー
前回書き込んだ、
「円」の「直径・半径」
「円(圓)」=巴の変形だが、
「冂+丄=Π(π)+丄」
「㊀+|」
「○+丄」
「円」=「П+丄」だろう・・
下部の「◡・⋃・u」を欠落した
楕円、半円(∩)に半径(丄)を加えたモノである・・・?
「D」は半円か?・・・「Dの月」が出たならば上弦・・・?
弓の「弦」にあたる欠け際が
上を向く場合を上弦の月
下を向く場合を下弦の月
弦月(ゲンゲツ・half moon・half-moon)=半月
一ケ月には2回
初め半月となる月相7は上弦の月(角度=90度)→☽
月齢は平均7.38日
次に半月となる月相21は下弦の月(角度=270度)→☾
月齢は平均21.15日
1か月を3旬に分けた
上旬・中旬・下旬と同じ用法で
太陰太陽暦(太陰暦)では
上弦の月は上旬
下弦の月は下旬
に現れる
↓↑
上弦の月の運行は
太陽に6時間遅れで
12時にのぼり24時に沈む
夕方や夜浅くに見える
下弦の月の運行は
太陽に6時間進んで
0時にのぼり12時に沈む
深夜過ぎや未明に見える
夜浅くに西の空に見える上弦の月は、
弦の部分(弦月の円周でない直線状の部分)→☽
が上に見え
午前中に西の空に見える下弦の月は、
弦の部分(弦月の円周でない直線状の部分)→☾
が下に見える
↓↑
月の輝き部分
上弦=月の後方半球(公転運動の後ろ側)、
東半球、北を上にしたときの右半分
下弦=月の前方半球(公転運動の前方側)、
西半球、北を上にしたときの左半分
輝いている部分の面積は同じだが、
月の海
月の陸
の配置により、
上弦のほうがわずかに明るい
↓↑
月の
下半分が輝いていて弦が上にあるのが上弦
上半分が輝いていて弦が下にあるのが下弦
「上・下」は単に
出現する順序を表しているだけで
同じ月相の月でも、
昇った直後
と
沈む直前とでは
上下がほぼ逆になる→「☽→☾」・→「☾→☽」
深夜と早朝を除く
時間帯に見える月の形は、
上弦の月の弦は上→☽
下弦の月の弦は下→☾
に観える
↓↑
青=主+月・・・月→(冃・肉・舟)
上弦での
三日月、半月は
「舟」の形に比喩
逭=主+円・・・円→(丹・冄)
太い
円柱を輪切りにした
盥(たらい)のような舟もある
新潟県
佐渡ヶ島
小木海岸の
「たらい舟」の
磯ねぎ漁
↓↑
「たらい舟」の発祥の由来は
地震による沿岸岩礁の変質で
長い舟よりも円形が
岩礁との衝突に
安全で漁業がし易い・・・とか・・・
人間の知恵ってスゴイッ・・・
が、「お椀の舟」は
「一寸法師のお椀の舟に箸の櫂」
室町~江戸時代の
「御伽草子」
寛文年間(1661~1673)
大坂心斎橋の書肆
渋川清右衛門が
「いにしへのおもしろき草子」
を選び、
「御伽文庫」と名づけ
「板行」した23編中の一
↓↑ ↓↑
「舟」には
「蛭子(蛯子)」の
「葦(芦・蘆・葭)舟」→モーゼの芦舟
「出雲国譲り」の
「鳥之石楠船」
「鳥磐橡櫲樟船(とりのいわすふね)」
「山幸彦」の
「駕籠舟・竹舟」
「記紀」の
「天磐舟(諸手船)」
「天鳥舟(天鴿船)」
「ぶんぶく(分福茶釜)茶釜」の
「泥舟」
などがあるが、それらの「形」は?
「鳥船」は
「帆掛け舟
(帆船・ジャンク=戎克・Junk
中国の木造帆船・帆は莚(むしろ)、
麻布の縦帆)」だろう・・・
・・・「鳥=とり=隹=禽=酉(樽=たる・壺=坩=つぼ)」をイメージさせる漢字からは舟(船)に関する「櫂」と「羽根車」だが、
ーーーーー
↓↑
羽根車
水車・タービンなどの回転軸に
羽根を取り付けたもの
水や蒸気などをこれに受け車を回転させる
impeller・vane wheel・runner
インペラー(impeller・impellar)・・・隠経覶蛙?
液体用のポンプや発電機等、
ターボ機械に使用される
羽根車のこと
蒸気タービン(steam turbine)・・・多阿(蛙・鴉)備務
蒸気を、
タービン(羽根車)と軸を介して
回転運動へと変換する外燃機関
↓↑
黒船・四隻
ペリーの蒸気船
外輪式蒸気軍艦
↓↑
古代アレクサンドリアの工学者・数学者の
ヘロン(10年頃~70年頃)が考案した
「ヘロンの蒸気機関」・・・・経論?
蒸気を
円周上のノズルから噴出させ
回転力を得るもの
反動式タービンの原型・・・
↓↑
産業革命期(18世紀~19世紀)
蒸気を動力源とする
蒸気機関が実用化
シリンダ・・・詞理務拿
と
ピストン・・・比素訳務・秘素遁
を使った
往復運動をベースとする
レシプロ式の蒸気機関・・・
↓↑
蒸気タービン
1629年にイタリアの建築家
ジョバンニ・ブランカ (Giovanni Branca)
衝動式蒸気タービンの概念を図に書き記した
1882年にスウェーデンの
グスタフ・ド・ラバル
(Gustaf de Laval,1845年~1913年)
衝動式タービンを開発・試作
1884年にイギリスの
チャールズ・アルジャーノン・パーソンズ
(Charles Algernon Parsons,1854年~1931年)
多段階反動式タービンを開発・試作
1889年に発電用に実用化
1895年にアメリカの
チャールズ・ゴードン・カーティス
(Charles Gordon Curtis)
二段階
多速衝動タービンを開発
1898年にフランスの
ラトーが現在の原型にあたるタービンを実用化
↓↑
蒸気タービン
1894年
舶用原動機として
タービニア号で登場
↓↑
外輪船
水車型の装置である外輪で推進
外車船・パドル船
paddlewheele
外輪式蒸気船
paddle steamer
左右の舷側に外輪を持つ船
sidewheeler
船尾 (stern) に1つの外輪を持つ船
sternwheeler
外輪=paddle wheel (side wheel・stern wheel)
基本的に、機関で外輪を回転させる推進器
↓↑
中国の歴史書『南史』
418年の
王鎮悪・・・・王鎮惡=373年~418年)
東晋の軍人
本貫は北海郡劇県
前秦の
王猛の孫
率いる
水軍の活動として
人力推進の
戦闘艦の記録・・・
明確に
外輪の記述があるものは
552年の
梁の水軍が
侯景の乱に対して使用した
「水車」と呼ばれる
外輪船
同時期に
「双輪」
「歩艦」
とも呼ばれる
船の記録があり、
踏み車を利用していたと考えられる・・・
唐代以後
中国水軍では
外輪船
宋代には
船尾外輪
や
船首に衝角を装備した船や、
舷側外輪一側を20から30付け
戦闘員を200~300人載せられる
「海鰍船」・・・鰍=カジカ(杜父魚・鮖・Cottus pollux)
中国語で「鰍」は泥鰌(どじょう)
日本のカジカとは異なる・・・
と呼ばれる
大型の外輪船が登場
外輪船の発達は
モンゴル(蒙古)軍によって
宋が滅ぼされるまで続いた
外洋航行ができなかったために
元の時代には廃れた
↓↑
ロバート・フルトン
最初期の蒸気船の推進力は外輪
↓↑
・・・「鳥の翼」、あるは「アヒル(鴨・鶩・家鴨・阿比留)の翼と両足」をイメージさせる形態は「ガレー船」の両脇に突き出る「オール」であるが・・・
↓↑
ガレー船(galley)
古代
主として人力で櫂(オール)を漕いで進む軍艦
前700年頃エジプト人、クレタ人などが
帆付きの
ガレー船を軍用と商用に使用
↓↑
ガレー船(galley)
中世から近代まで地中海で用いられた軍用船
低い舷側と細長い船体をもち
多数のオールを備えている
古代以来の伝統をひく軍用船だが
二段櫂船
三段櫂船
のように
漕手の席が上下に段をなしていない
ベンチに2名、3名が並んでオールを漕ぐ
1本から3本のマストを持ち三角帆を備え
小型のものでは40~50本
大型のもので200本ものオールを備え
50tから200t程度の荷を運んだ
↓↑
ーーーーー
中国の帆船(ジャンク)がなぜ、ジャンク(junk)になったのかは
chuan(チャン)中国語
djong(ジョング)インドネシア語
junk(ジャンク)英語
で、外洋船として
この船の様式が18~19世紀に廃れた・・・
「ジャンク=廃品・不要物」になった?
↓↑
兎に角、
「〇形の舟」とは
円柱体に対する視覚的角度の
正面、側面、平面で、
「平面の○」である・・・
↓↑
1802年12月9日
享和二年
十一月十五日(旧歴の満月)
佐渡小木地震
佐渡島小木付近で発生した
マグニチュード M6.5~7.0の地震
「享和佐渡地震」は
「小木町は総戸数453戸が殆んど全潰し、
出火して住家328戸、土蔵23棟、
寺院ニケ所を焼失、死者18名、
湊は、地形変じて干潟となった
(『一話一言』・『佐渡年代記』)
『佐渡年代記』には
巳刻(10時頃)に
所々破損する程度の地震が起こり、
未刻(14時頃)に
大いに震い御役所を始め
人家に至るまで破損に及んだ・・・
金鉱山の坑夫たちは数日前から
異常を察知し坑道に入らず
犠牲者は無かった・・・
小木半島の海岸では
約2mの隆起が生じ
露出した
中新世の枕状熔岩を観察
・・・出来るらしい・・
↓↑
関ヶ原の戦い
石田三成の家臣、
「山田去暦」の娘・・・サンタ去暦?
「おあむ」が、
「たらい(盥=臼+水+皿)」に乗って
落城する大垣城から逃げ延びた
(『おあむ物語』)
↓↑
カンボジアの
トンレサップ湖には
(琵琶湖の3倍、雨季に5倍)
「たらい舟」があるらしい・・・
↓↑
泥船
高橋 泥舟(デイシュウ)
天保六年二月十七日(1835年3月15日)
~
明治三十六年(1903年・2月13日)
徳川慶喜の幕臣
山岡鉄舟(小野鉄太郎)は、
泥舟の義弟
後、骨董鑑定屋
↓↑
「丹後」・・・たんご=単語・譚語・譚漁・・・乙姫浦島
端午・田子・丹呉
反後・・・反語?・版語・判語
tango
アルゼンチンとウルグアイの
境界線の
リバープレートに沿って
1880年代に
クレオールタンゴとして広まった
アルゼンチンタンゴ
単純な4拍子とバイナリ音楽形式
↓↑
「丹」
丹砂(水銀と硫黄が化合した赤色の鉱石)を
採掘する「井戸」の象形
「丹砂」、「赤色の土」、「濃い赤色」
「丹」の文字、字形
U+4E39 U+E0100 ならば、中を点とする「冂+ヽ(ゝ)+一」
U+4E39 U+E0101 ならば、中を縦棒とする「冂+丄」
↓↑
「清」=「芿」
↓↑
「冉(冄)」=あやうい・ゼン・ネン
毛の垂れるさま、柔らかな、弱い
何かが垂れるさまの象形
飾り紐、頬髭(髯の初文)などが垂れるさま
tender, weak, gradually alternating.
冄の構成文字
㚩、𢪈、𨙻、枏、𤴿
蚦、耼、𧧛、䫇、䶲
↓↑
魏冄(ギゼン・生没年不詳)・・・・偽善?
中国戦国時代に秦に仕えた政治家
封ぜられた地から
穣公・陶公とも
秦の
恵文君(恵文王)・武王・昭襄王の
三王に仕えた
丞相、相国
↓↑
丹(に・あか・タン)
辰砂=硫化水銀からなる赤色の鉱物
仙丹=霊力のある薬
丹色=赤・朱系の色
丹土=赤土=赤みがかった土壌
燕の太子、丹=中国戦国時代・燕の太子
地理
丹波国・丹後国・伊丹市・丹生郡・丹南
↓↑
井・丼・円・冃・甘
「丼(どんぶり)」=井戸に物を投げ込む意味
「丼」=井戸の中に落ちた物が水面で発する音
食物を盛るための
厚手で深い陶製の鉢
どんぶりばち
職人などの腹掛けの前部につけた
大きな物入れ
サラサや緞子 (どんす) などで作った
懐中用の大きな袋で
江戸時代、若い遊び人が好んで用いた・・・
丼物 (どんぶりもの)の略
↓↑
「#」=ナンバーサイン (number sign)・スクエア
「井桁(いげた)」代わりのヌメロ(NUMERO号)、NO
シンボル#=番号記号、ハッシュ、シャープ記号
音楽記号のシャープ
「♯」は
五線から見分けるために横線が斜め
縦線はまっすぐ
「#」は
横線はまっすぐで縦線が斜め
##♯
↓↑
井戸の地上部の縁に、
上から見て
「井」の字形に組んだ木枠
井幹(セイカン)
下から見ているなら、
「丼(どんぶり)」の「ゝ・ヽ」は「釣瓶」か「上を見ているカエルの視線」だろう・・・
ーーーーー
・・・ヨッポドのオッタッキーじゃなければ・・・「?」であるカナ・・・
・・・ポケモン騒動・・・ポケモン(ポケットモンスター・POCKET MONSTERS)はナニを望んでいるのか・・・「収集、育成、対戦、交換」の要素って、ナニなんだか?・・・ボクにとってはどうでもイイけれど、知っている「ポケモン情報」とは、むかし、ニュースでTVアニメをみていた子供達が「癲癇状態」になって病院に搬送されたとかだったが・・・「光過敏性発作(Photosensitive epilepsy)で、TV画面から視覚に飛び込んできた光に異常反応する症状らしく、「ポケモンショック」=「光過敏性癲癇」と云う事件だった。調べたら「1997年12月16日」の事件で「患者は約750人、135人が入院」とあった・・・その騒動がおさまっていたのか、今から6、7年前ころ、TVでは「ポケモン」が再度、人気番組になっていて、知り合いの子供のお母さんからモノガタリのアウトライン(outline)を訊いたコトがあるが「友情がテーマ」で、彼女も子供と一緒に観ていてナケルとのコトだった・・・なるほど、「友情」がカネにもなる「社会」なんだ、と・・・生きてきて知らないコトがワンサカだけれど、ドウテイの青二才で若いころには「おんな」を知らずして死にたくないなぁ、がボクも含めたオトコ同士、友人の会話でもあったカナ・・・ゲスで、ゴメン・・・「同綴」の「掛意和」は「音名」を「詞等事詞照」・・・「詞根留」か、です・・・
ソレを知らずして生きていけるか、死んでいけるか・・・「理不尽」な状況は、今現在変えれないカモだが、せめて、その「理不尽の根拠」ぐらいは知っておきたいのが人間だろう・・・起こってしまった過去の「事故・事件」はどうするコトも出来ないが、ナゼ、そうなったのかを知りたいと考えるのは「人間の本質」ではないのか・・・
それを知って反省し、生き方を変えるかどうか別だが、自分自身の納得ができないでは「生きていけない、死にきれない」だろう・・・
・・・だから「生きる」ってか?・・・そんなコト考えないでも生きて行くヒトビトは生きて行く・・・大きなお世話かも・・・
以下、ウイッキペデアからのコピペ・・・
ーーーーー
1868年・慶応四年
↓↑
エドワード・ガントレット
(George Edward Luckman Gauntlett)
1868年12月4日~1956年7月29日
イギリスのウェールズ出身の語学者、音楽家
1941年、日本に帰化
ウェールズのスウォンジ生まれ
父親は英国国教会の牧師
大叔父に「ダビデの村に」を作曲した
ヘンリー・ガントレット
ロンドンの音楽学校に進学し、
建築学、工学、美術等を学んだ
20歳でアメリカに渡り、
その後
カナダに移り、教会に属し、
そこの宣教師として
1890年に来日、
1919年から英語教師
東京商科大学、第六高等学校、
山口高等商業学校などで
英語・ラテン語などを教える
日本での
パイプオルガン普及、
エスペラント語普及に努めた
日本メソジスト教会本郷中央会堂の
聖歌隊を指導
日本人の音楽家を育て
「東京行進曲」を歌った
佐藤千夜子さんはその一人
山口県秋芳洞を学術調査
Royal Geographical Societyの会員として
海外へ初めて紹介
妻は
山田耕筰の姉の
山田恒(恒子)
ガントレット恒の名で
日本キリスト教婦人矯風会の主力メンバー
2人の間には
6人の子供
長男のジョン・オーエン
(進駐軍の教育部に技術顧問)
英語に関する著書多数発刊
長女フランセス(カナダ留学後帰国)
次女キャスリン(英国の修道院附属学校教師)
次男トレバー(記者)
三女ウィニー(旧華族の土井家に嫁ぎ、英語教師)
四女ベアトリス・エイミー
(宣教師の夫とともに
夫の故郷の
南アフリカのヨハネスバーグや日本で教会活動)
日本に残った子孫に
Jackie, David, Saiko
など・・・
ーーーーー
↓↑
慶応二年
五稜郭完成
慶応三年
ええじゃないか起こる
10月14日、大政奉還 の上奏
12月9日、王政復古の大号令
慶応四年1月
戊辰戦争
5月、北越戦争
慶應義塾が芝新銭座へ移転
↓↑
慶応四年(1868)
1月3日
鳥羽伏見の戦い
旧幕府軍が敗退
1月4日(1868年1月28日)
阿波沖海戦
日本史上初の近代軍艦による海戦
旧幕府軍側が勝利
だが江戸に撤退
1月8日
徳川慶喜、大阪城を出て江戸に戻る
1月11日
神戸事件。岡山藩兵、神戸でフランス人を殺傷
2月9日
新政府、有栖川宮熾仁親王を征東大総督
2月13日
徳川慶喜、寛永寺で謹慎
2月15日
堺事件。土佐藩兵、堺でフランス人を殺傷
3月6日
新選組、甲陽鎮撫隊を組織
甲斐の柏尾で新政府軍に敗退
3月13日
勝海舟と西郷隆盛、会談
3月14日
日明治天皇、五箇条の御誓文を発する
4月2日
甲陽鎮撫隊・近藤勇、新政府に投降
4月11日
江戸城、無血開城
4月25日
元新選組局長・近藤勇、斬首
4月
福沢諭吉、慶応義塾を開塾
閏4月8日
近藤勇の首級が京に晒される
閏4月17日
新政府、浦上キリシタンを弾圧
5月3日
奥羽越列藩同盟を締結
5月15日
彰義隊、上野で新政府軍に敗退
7月17日
江戸を東京と改称
8月19日
旧幕府海軍総裁
榎本武揚ら、軍艦八隻を率いて北海道へ
8月23日
新政府軍、会津若松城を攻撃、白虎隊自刃
↓↑
10月23日
(慶応四年九月八日=明治元年9月8日)
元号が慶応から明治に改元(一世一元の詔)
ーーーーー
↓↑
五榜の掲示(ゴボウのケイジ)
慶応四年三月十五日
(1868年4月7日)
太政官が立てた五つの高札
太政官(明治政府)が
民衆に対して出した
最初の禁止令
↓↑
前日に
五箇条の御誓文が発出
施政方針は公卿や大名に示され、
都市で発売されていた
太政官日誌に布告されるのみ
五榜の掲示は、
全ての国民を対象に、
全国各地の高札場で掲示
↓↑
五榜の掲示
民衆への新政府の姿勢表明
第一札から第三札は
「永世の法」
第四札から第五札は
「万国公法の履行」と
「外人殺傷の禁。並びに脱籍浮浪化の戒め
五榜の掲示の内容
君主や家長に対する忠義の遵守
集団で謀議を計ること
徒党・強訴・逃散の禁止、
キリスト教・邪宗門の信仰の禁止
江戸幕府の政策を継承
同時に旧幕府時代の高札の廃棄
五榜の掲示の
第三札(切支丹邪宗門の禁制)は
慶應四年(明治元年閏4月4日=1868年5月25日)
「切支丹宗門」
と
「邪宗門」を別条で禁じ、
密告褒賞を削除
明治四年十月四日
1871年11月16日
には、
第五札が除却
873年(明治六年)2月24日
高札制度が廃止され
同時に
第一札から第四札も除却
五榜の掲示に示された各条は
事実上廃止
↓↑
五榜の掲示
第一札:五倫道徳遵守
第二札:徒党・強訴・逃散禁止
第三札:切支丹・邪宗門厳禁
第四札:万国公法履行
第五札:郷村脱走禁止
↓↑
第一札
定
一 人タルモノ五倫ノ道ヲ正シクスヘキ事
一 鰥寡孤獨癈疾ノモノヲ憫ムヘキ事
一 人ヲ殺シ家ヲ焼キ財ヲ盗ム等ノ惡業アル間敷事
慶應四年三月 太政官
第二札
定
何事ニ由ラス宜シカラサル事ニ大勢申合セ候ヲ
徒黨ト唱ヘ徒黨シテ強テ願ヒ事企ルヲ
強訴トイヒ
或ハ申合セ居町居村ヲ立退キ候ヲ
逃散ト申ス堅ク御法度タリ
若右類ノ儀之レアラハ
早々其筋ノ役所ヘ申出ヘシ
御褒美下サルヘク事
慶應四年三月 太政官
第三札
定
一 切支丹邪宗門ノ儀ハ堅ク御制禁タリ
若不審ナル者有之ハ
其筋之役所ヘ可申出
御褒美可被下事
慶應四年三月 太政官
↓↑
閏4月4日改正
先般御布令有之候
切支丹宗門ハ年來固ク御制禁ニ有
之候處其外邪宗門之儀モ總テ固ク
被禁候ニ付テハ混淆イタシ
心得違有之候テハ不宜候ニ付
此度別紙之通被相改候
條
早々制札調替可有掲示候事
(別紙)
一 切支丹宗門之儀ハ是迄御制禁之通固ク可相守事
一 邪宗門之儀ハ固ク禁止候事
慶應四年三月 太政官
↓↑
第四札
覚
今般 王政御一新ニ付
朝廷ノ後條理ヲ追ヒ
外國御交際ノ儀被
仰出諸事於
朝廷直ニ御取扱被爲成
萬國ノ公法ヲ以條約御履行被爲在候ニ付テハ
全國ノ人民
叡旨ヲ奉戴シ心得違無之樣被
仰付候
自今以後
猥リニ外國人ヲ殺害シ
或ハ
不心得ノ所業等イタシ候モノハ
朝命ニ悖リ御國難ヲ醸成シ候
而巳ナラス一旦 御交際被
仰出候各國ニ對シ
皇國ノ御威信モ不相立次第
甚以不届至極ノ儀ニ付
其罪ノ
輕重ニ随ヒ
士列ノモノト雖モ
削士籍至當ノ典刑ニ被處候條銘々奉
朝命猥リニ暴行ノ所業無之樣被
仰出候事
三月 太政官
↓↑
第五札
覚
王政御一新ニ付テハ
速ニ天下御平定萬民安堵ニ至リ
諸民其所ヲ得候樣
御煩慮被爲
在候ニ付此折柄
天下浮浪ノ者有之候樣ニテハ
不相濟候
自然
今日ノ形勢ヲ窺ヒ
猥ニ士民トモ本國ヲ脱走イタシ候儀
堅ク被差留候
萬一脱國ノ者有之不埒ノ所業イタシ候節ハ
主宰ノ者落度タルヘク候
尤此御時節ニ付無上下
皇國ノ御爲
叉ハ
主家ノ爲筋等
存込建言イタシ候者ハ
言路ヲ開キ
公正ノ心ヲ以テ
其旨趣ヲ
盡サセ依願
太政官代ヘモ
可申出被
仰出候事
但今後
總テ士奉公人
不及申農商奉公人ニ至ル迄
相抱候節ハ
出處篤ト相糺シ可申
自然
脱走ノ者
相抱ヘ不埒出來御厄害ニ立至リ候節ハ
其主人ノ
落度タルヘク候事
三月 太政官
ーーーーー
・・・
・・・「軽々しくしない・重々(おもおも)しい」って、ナニが重いんだか、「重心」ではなく「銃身」だろう・・・「軽=輕(ケイ・キン・キョウ)」は「車+又+十+一」なのに「カルい」って、字面からは「輪(〇)の中の又の十の一」である。図形は「○の中の径の線が十一本(?)」で、戦場で指揮官が乗る「軽戦車の車輪(ホイール・wheel)」である。現代の自転車の「車輪(ホイール)」は「前後輪共に32本、又は、36本のスポーク数が最適で、28本は競技用」らしい。「二十八本」とは「宿曜経の宿座」だが・・・元々は「戦車(チャリオット・Chariot・戦闘用馬車)」だった・・・タロットカードでは大アルカナの7番(THE CHARIOT)で、「王の戦争」である・・・古代の戦車の車輪(ホイール・wheel)の車輻(スポーク・spoke・や・シャフク)は何本であったのか・・・
ブログ記事には「甘粛省甘谷県毛家坪遺跡で、秦朝の戦車が出土。車体、車輪、長柄、軛、これを引く2頭の駿馬の骨、2頭の馬の間には約3メートルの矛があり、約2600-2700年前のものと推測(提供/人民網日本語版・翻訳/YF・編集/TF・Record China 2012年11月30日配信)」と、あったが・・・漢字は旧字で「輕=車+巠」、「巠」=たて・ケイ」・・・「彐(猪、豚の首頭)」も「ケイ」だけれど・・・更に調べれば、「經(経)=糸+一+巛+工」は「機織の縦糸」で、類字は「徑(径)・輕(軽)・頸(頚)・脛・莖(茎)・勁」・・・「経=縦・南北の方向・経緯・経線・経度・東経」、「漢方医学の気血の通路・経絡(つぼ・ケイラク)」、「神経」は「前野良沢、杉田玄白らが『解体新書』を翻訳する際、オランダ語「zenuw」の訳 として「神気」と「経脈」を合わせて造られた造語」で、「神気」は「精神」、「神」は「魂・心」、「経脈」は経路(つぼ)で、「経」は「動脈」、「路」は「静脈」・・・との記載も・・・
で、ボク的に云いたいコトは「近代日本人、幕末~明治人」は漢字構成の部分を分解し、その分解文字で、漢字の意味を考えていた、のじゃぁないのか、と云うコトに尽きる・・・
ーーーーー
「軽々しくしない・おもおもしい」は、軽重の「軽と重」、「輜重(シチョウ)」の「輜と重」である・・・
「輜重兵(シチョウヘイ)」なんてコトバは知らなかったが、「兵站を主に担当する日本陸軍の後方支援兵科の一種・陸上自衛隊においては、輸送業務や輸送統制を行う輸送科。糧食、燃料などの補給を行う需品科に分類される兵団」・・・
「輜」=車+甾(シ)・・・甾=巛(川)+田(た・デン)
田=囗+十
田=水田・動詞で狩猟・狩り
甾=甕・壜・壺・缶器
↓↑
「輜重兵(シチョウヘイ)」
軍隊の糧食・被服・武器・弾薬など、輸送すべき 軍需品の総称
↓↑
輜重
「輜」=衣類をのせる車・・・壜、樽、壺(壷・坩)の車
ならば、
給水車=water wagon(tender)
water truck(cart)
貯水車=水タンク車
水運搬用荷車?
「重」=荷をのせる車・・・・重=千+日(曰)+十+一
重=壬(千一)+申+丄
壬申の上(丄)
荷=ハス(はちす)をノセるクルマ?
荷=草(艸・艹・廾)を背負う(何=イ→人の可)
背負う(何=イ→人の可)の草(艸・艹・廾)
蓮華の花=大乗仏教の人を救済する乗り物
「重」=旅行者の荷物・・・?
「輜重(シチョウ)」は
旧陸軍で、前線に輸送・補給する
食糧・被服・武器・弾薬などの軍需品の総称
↓↑
「輜重輸卒」
旧陸軍で、輜重兵の下で輜重の運搬に従事した兵卒
のち
輜重特務兵と改称
↓↑
「輜(シ)」=荷台に幌をかけて兵糧などを運ぶ車
↓↑
「輜重」
「輜」は衣類をのせる車
「重」は荷をのせる車
旅行者の荷物
旧陸軍で、
前線に輸送・補給する
食糧・被服・武器・弾薬などの軍需品の総称
陸上自衛隊においては、
輸送業務や輸送統制を行う
「輸送科」で、
糧食・燃料などの補給を行う
「需品科」に分類される
・・・いわゆる、「後方部隊の兵站部隊」・・・
↓↑
「輜」=被服を載せる車
「重」=荷を載せる車
ーーーーー
↓↑
大日本帝国陸軍
の
輜重兵聯隊
↓↑
「聯=聯」
書や絵を書き、または彫刻して、
柱や壁などの左右に相対して
掛けて飾りとする細長い板。対聯
漢詩で、律詩の中の対句の称。聯句
詩のいくつかの行をまとめてくぎったもの
中国で対句を書いたり刻んだりした細長い札
装飾として柱に左右対称にして掛けた
対聯・対句や二続きになっている
物の数を数える語
↓↑
「対聯」
一定の規則に従い
文字を3枚の赤い紙に書き、
建物の入り口、
部屋の中のメインの飾り場の
両側と上に張るもの
右側に張るのは「上聯」
左側に張るのは「下聯」
上に張るのは「横批」
「上聯」と「下聯」は対照的な意味
↓↑
「聯」=つらなる・つらねる・レン
一つながりになる・つらなる
聯合・聯盟・聯絡・関聯
対等に並ぶ
二つの詩句・対句
聯句・頷聯 (カンレン)
頸聯 (ケイレン)
尾聯(ビレン)
律詩の
第 1・2句を起聯 (キレン)=首聯
第3・4句を頷聯 (ガンレン)=前聯
第5・6句を頸聯 (ケイレン)=後聯
第7・8句を尾聯(ビレン)=落句
頷聯と頸聯とは対句法で構成
・・・ケイレンは「痙攣」の震えだけれど・・・
↓↑
「聯(聨)」→「連」=車+辶
「連」=つらなる・つらねる・つれる・むらじ
つながり続く・結びつなぐ
連歌・連繋(レンケイ)
連結・連合・連鎖・連続
連隊・連帯・連邦
連盟・連絡
一連・関連
引き続いて・引き続き
「聯」=耳+幺+幺+丱(カン・ケン)
「丱」=あげまき・クヮン・ケン・クヮウ
つのがみ(總角)
小兒の髮を束ねて
兩角(ふたツのツノとする貌)
轉じてイトケなし(幼稚)
あらがね、古の「礦(鉱)」の字
「卝」は異字
丱女・丱童・丱角
字形から
「丱=卝」は「糸巻」である
戦いで敵の耳を切り、紐で繋いだ・・・?
「聯ハ連ナリ、絶エザルナリ」・・・
「絶=絕」で、
「色」ではなく、
「刀+巴」である。
「絕」は糸を刀の
「巴(トモエ)=反り」で断つか
「巴(トモエ→巳→卩→刃」で断つである
「たつ・ゼツ」=断ち切る・中断する・中絶する
さえぎる・止める・とどめる
で、
「聯(聨)=二続きの対」が
「連=車の辶→車道・馬車道=一連になる」に
借字したとしても「不自然」であるカナ?
「耳」と「丱=卝=糸巻」ならば
糸を紡むいで、二つの糸巻棒を回転させて
一方の糸巻の糸を膨らませる音だろう
「耳」は「左右両耳の対」である
あるいは
「耳」の「幺+幺+丱(卝)」ならば
イヤリング(earring・耳飾り)
ピアス(pierced earrings)
耳輪
耳朶(じだ)(耳たぶ)を挟んだり
耳朶に孔をうがって装着する装身具
魔よけなどの呪術的目的や
垂飾付きの黄金製耳飾は
身分の象徴でもあった・・・
古代中国神話の怪物
雨師妾(ウシショウ)は
左耳に有、青蛇
右耳に有、赤蛇(海外東経)
黄帝と争った
夸父(コホ)族は
皆、巨人で
耳には2匹の黄蛇をぶらさげていた・・・
中世のヨーロッパ(?)で
男性は左耳にピアス
女性は右耳にピアス
Pierce=突き通す・穴をあける・貫通する
↓↑
同盟・聯合(聨合)
合従連衡=その時の利害に従って
結びついたり離れたりすること
その時勢を察して、
巧みに謀(はかり)ごとをめぐらす政策
「合従連衡=合従聯衡」なのか?
「衡」=横で、東西の意
均衡の衡(はかり)
「従」=縦で、南北の意
「連」は一列に並んだモノ
「聨」は二列(対)に並んだモノ
↓↑
「円」の「直径・半径」
「円(圓)」=巴の変形だが、
「冂+丄=Π(π)+丄」
「㊀+|」
「○+丄」
「П+丄」だろう・・
下部の「◡・⋃・u」を欠落した
楕円、半円(∩)に半径(丄)を加えたモノである
↓↑
以下はブログ記事で見つけたモノの添付です・・・
↓↑
「老公・老婆」
老公(夫)
老婆(妻)
↓↑
愛新という男が、
科挙試験に合格し、出世した後、
徐々に妻の
「年老色衰」を感じ、
若い美人を新妻にしたいと思い、
「荷敗蓮残、・・・ハスは残らず(腐)敗して荷になる?
落葉帰根成老藕」
「藕(蓮の根・グウ・グ・ゴウ)
「芙蓉(フヨウ)=蜂巣=蓮=藕=荷」
「蓮=艸+連」は株がつらなって生える
と
「対聯(上聯)=詩」を書いた
その「対聯」を読んだ妻は、
夫の
「棄老
納新(古=老を捨て、新を納る)」
の意を察知し、
「禾黄稲熟、
吹糠・・・ヌカを吹き
見米・・・コメを見る
現
新粮」・・・新しい
粮(かて・リョウ)=主食の食料
が現れる・・・?
「下聯」を書いた
夫の愛新は、
妻の下聯から、
妻の愛心(愛情)に感動し・・・ナンで感動?
間道?・勘当?
「棄老(旧)納新」の
念(おも)いを去り
二人の関係は夫婦円満になった・・・
再度、
「対聯」を書いて
妻―「老公十分公道」
夫―「老婆一片婆心」・・・「一片婆心」って?
老婆心
不必要な親切心
必要以上に心配し
あれこれと気を遣う
元々
「老婆心切(景徳傳燈録)」
「親切」ではない
親切は字面とおりのコトバで、
親を切る思いで、忠義?
キリストのコトバに
親を捨てよ、
神こそ唯一の父である、とか?
ちいさな親切、大きな迷惑?
↓↑
夫=丈夫・愛人・先生・我家的那位・我家男人
妻=妻子・愛人・夫人・我家的那位・我家女人
愛人=愛妻・愛夫・・・合い符?
↓↑
スタンザ (stanza)
長い詩を構成する一区切りの単位
イタリア語で「部屋(stanza)」
日本語では節、詩節、
連・聯(レン)などとも
現代詩では、
ストローフィ(自由詩の節、連)と同義語
↓↑
一連=一聯
関係のあることの一(ひと)つながり
穴に糸やひもなどを通して
連(列)ねたモノのひとつながり
「数珠一蓮」
「一聯」=漢詩で、一つの対句
全判の・・・断裁されていない印刷用紙の大きさの呼称
A列全判・B列全判などがある
全紙
洋紙1000枚・・・一聯
ーーーーー
ゼンパン・・・???・・・断裁されていない印刷用紙の大きさ・・・「全般=一般」、「全部=一部」って・・・「全分=一分」じゃぁないョ、ナッ?・・・「戦犯の輪」・・・
・・・心の表裏、裏表って、「コトバ」が矛盾しているように思うが、ココロ自体に「表裏」があるんだか、どうなんだか・・・「内面の心の中のコトバ」と、「外に吐く音声表現としてのコトバ」、それに、「音声表現としてのコトバ」にも裏表があるって・・・「内心」と「外心」って、「心中・心外」って・・・「内心 (ないしん) =表に出さない気持ち・心のうち・心中・副詞的にも用いる」・・・「外面似菩薩・内面如夜叉=外面は菩薩(仏)、内面は夜叉(鬼)・仏教で、修行中の者が女に心を動かされ、修行の妨げになることを恐れていった言葉」ですか。これって、「男に心を動かされない女が居ない世界のコト」なんだか、ホトケさまの世界は「男女の人間社会」ではなく、「男社会」で、その枠内のコトバなんだろう。仏典のなんかの物語に既に悟っていたシャカが「慈悲」で、遊女と寝てやったとかのハナシがあったが、遊女の「誘惑の理由」はナンであったんだか。兎に角、釈迦は「慈悲(?)の実践」で応えた。その時期には既に「釈迦の修業は終わっていた」らしいから「修行の妨げ」ではなかった(?)。それに、遊女の「誘惑」には生活がカカッていたハズだし・・・それに死亡の原因は「猪(豚・ぶた)の肉にアタった」とか・・・このハナシは「正規の仏典」の記録だったか、どうかは記憶にないが、ボクがホトケさまを侮辱しているワケではなく、寧ろ尊敬している。「理趣経(般若波羅蜜多理趣百五十頌)は「正しいセックス(?)の教え(双方の合歓)」だし・・・
ボク的には「女」じゃぁなくて、「おんな・オンナ」=「音名」と「数字」の「誘惑」である・・・三角関係のスリルでもない・・・
「キカガク」の「△と〇」と「ココロ(♡・❤・❥・❦)」の説明・・・「心・忄・㣺(灬)=下心=慕や恭の㣺」・・・
「三角形の内接円の中心・三つの内角それぞれの二等分線が交わる点に一致する点」、「外心=隔てのある心・よそよそしい心・三角形の外接円の中心・各辺の垂直二等分線の交点」・・・幾何学には「三角形の五心=内心・外心・重心・垂心・傍心」の「コトバ」があるが・・・ブログ記事で検索して調べてみた・・・日常生活での「内心・外心・重心・垂心・傍心」も、「幾何学のコトバ」でそれらの「キカ臥句」を説明していると思うのだが・・・?・・・ボクが高校時代に習った「教科書」とブログ記事の説明とには雲泥の解かり易さの相異があった・・・モチロン、ブログ記事(早苗雅史氏のHP・幾何学)がボクにとっては理解しやすいコトバでの説明である・・・コトバも解ればサンスウも楽しくなっちゃうカナッ・・・
で、「日本語」の「和漢混交文」の「ム理解」って、ボク自身の記録文章のコトであるが・・・
ーーーーー
↓↑
重心
三角形の各頂点と対辺の中点を結ぶ線分の交点
物体あるいは質点系において
各部分・各質点に働く重力の合力の作用点
質量中心と一致する
重力の中心
質量中心
重=え・おもい・かさねる・かさなる
ジュウ(ヂュウ)・チョウ
目方がおもい
重量・重力・重金属・加重・荷重・体重・比重
程度がはなはだしい・容易でない
重罪・重傷・重税・重責・重体・重篤・重労働
大切である・大切にする・おもんじる
重視・重大・重鎮・重点・重役・重要
軽々しくしない・おもおもしい
重厚・厳重
かさなる・かさねる
重婚・重箱・重版・重訳・多重
おもい
軽重・輜重(シチョウ)
大切にする・おもんじる
重宝・貴重・自重・尊重・珍重
軽々しくしない
慎重・鄭重(テイチョウ)
かさなる
重畳・重複・重陽・・・重陽(9月9日)のキクの節句
三月三日=上巳・・・聶詞・情死
五月五日=端午・・・単語
七月七日=七夕・・・他名葉多
九重(ここのえ・くじゅう・きゅうちょう・ジュウチョン)
え
幾重(いくえ)・二重(ふたえ)
三重(みえ)・・・三重県ってヤマトタケルの足
十重二十重 (とえはたえ)
おも
重荷・気重・身重
重石(おもし)・・・・・神功皇后(息長足媛)
気長足姫尊
息長帯比売命
大帯比売命
大足姫命
重籐(しげどう) =重籐=滋籐(しげとう)
弓の束(つか)が黒漆塗りで、
その上を籐で巻いたもの
大将などの持つ弓
↓↑
垂心
三角形の各頂点から対辺に引いた3本の垂線の交点
垂=たれる・たらす・しだれる・しずる・なんなんとする
スイ
下の方にたれ下がる・たらす
垂涎 (スイゼン)・垂直・懸垂・胃下垂
上位者が下位者に教えを示す
垂訓・・・・キリストの説教(垂訓)
垂仁天皇・・第十一代・殉死の禁止
崇神天皇の皇子・相撲の初め
活目入彦五十狭茅尊
伊久米伊理毘古
垂廉の政治・・・則天武后
垂示・垂範
「火垂るの墓」=戦時下での妹との死別
野坂昭如の小説・・・
垂氷・垂直・垂足・垂線・白垂・垂水
垂心・垂裳・垂示・垂死
垂語・垂訓・垂教・垂加・垂下
垂井・肉垂・
垂直・直垂・垂範
垂髪
垂柳・垂楊
垂憐・垂露・垂拱・垂撥
↓↑
垂(だれ)
漢字の構成要素である偏旁の区分けの一
漢字の上部から左下にかけて置かれる
部首
「厂(がんだれ)」
「广( まだれ)」
「尸(しかばね)」
「疒(やまいだれ)」
「戸(とだれ)」
↓↑
傍心
三角形の外角の二等分線の交点
傍心は全部で3つ
傍=わき・おか・はた・そば・び
ボウ
イ+旁(かたわら・かたがわ・ボウ・ホウ)
傍観・傍心
↓↑
三角形の一つの内角の二等分線と
他の二つの内角に隣接する
外角の二等分線との交点
↓↑
三角形の一つの内角の二等分線と
他の二角の外角の二等分線の交点
↓↑
三角形の外角の二等分線の交点で、
傍心を中心として
三角形に接する円を
傍接円
↓↑
傍注・傍題・傍線
傍生・傍人・傍親・
傍心
片傍
傍受・傍視・傍聴
傍杖・傍片
傍焼・傍出・傍点
傍(かたわ)ら
路傍・・・・・・路傍の人
傍流・傍続
傍目・傍耳
畝傍・道傍
傍白・近傍
傍屋・傍机
↓↑
傍心は内心と非常に似た性質を持つ
傍心に関する定理は
内心に関する定理と
ほとんど同様にして導くことができる
↓↑
偏旁冠脚垂遶(繞)構・・・変貌観客誰娘功?
偏(へん)
旁(つくり)
冠(かんむり)
脚(あし)
垂(たれ)
繞(にょう)
構(かまえ)
ーーーーー
以下、ブログ記事(早苗雅史氏のHP)で理解しやすいコトバの説明があったので、参照、参考して添付させてもらった・・・公理、定理だから・・・
↓↑
内心
△ABCで
3つの角の2等分線が交わる点を内心
内心を中心とし、
内心Iから3辺に下ろした
垂線の足までの長さを
半径とする円を内心円
↓↑
外心
△ABCで
3つに辺の垂直2等分線が交わる点を外心
外心Oを中心とし、
外心Oと各頂点までの長さを半径とする円を
外接円
↓↑
重心
三角形ABCで
3つの辺の中点と
その辺が向かい合う点をそれぞれ結ぶ(中線)と
1点で交わる点を
三角形の重心
重心は各中線を
2:1の比に内分する
↓↑
垂心
三角形ABCで
3つの各頂点から対辺(またはその延長上)に
下ろした
3つの垂線は1点で交わる
↓↑
傍心
△ABCで
∠Bと∠Cの外角の2等分線の交点(I₁)を中心とし
(I₁)から辺BCに下ろした垂線の長さを半径とする円は
辺BC
及び
辺AB、ACの延長に接する
この交点(I₁)を傍心
この円を頂角Aの内部にある傍接円という
傍心は3つある
また、
傍心(I₁)は
∠Aをはさむ
直線AB、ACから
等距離にある
∠Aの2等分線上にある
ーーーーー
・・・「火垂る」=ほたる=「螢・蛍」の「垂心」って、冷たい光が燈(灯・点)るんだ・・・野坂昭如の小説・・・