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コジキジゲン

ツレズレなるままに、妄想・・・

2016-07-09 22:32:31 | 古事記字源

 

・・・ボクの人生、ずいぶんと「自分自身にウソつき」であり、「他人にも随分とウソつき」であったとは思う・・・しかも、自己反省も軽く、重くはない・・・「ホントウのコト」を云うと、人間関係では色々と問題が起こる「人間社会」ではあるな・・・「嘘もも方便」らしいが、鳥の「うそ=鷽・𪀯」はナゼ「ウソ」の名前がついたんだか・・・由来は「口笛=うそ(古語)」だからそうだが、「口笛」は人間の口笛で、その鳴き声が「口笛(フィフィ?)」に似ているからだそうだが、「古語」自体が通じなくなった結果か、「異言語」のコトバが通じない人物の言語が「ウソ」だろう。それに口笛は「合図の一種」か、「代用楽器」である。しかし、漢字は「鷽」は「学・學」の上の部首「左(E・∈)手と右(ヨ)手のメ乂(XY)で、左手と右手の爻(まじわる・めめ・まじわる・コウ・ギョウ)の冖(わ)」の「鳥(とり)」である。「嘯(うそぶ)く=口+粛=白(しら・士等・氏等・師等・按・新羅?)を切る」の大言壮語(代言相互?)、荒唐無稽(口頭無形)とは異なるだろう・・・ウソでないのは「ホトンドがウソつきだったコト」であるが、「あの時」と「この時」の同音の発されたコトバは、その前後状況を踏まえれば異なるのは当然である。「コトバの時間的な流れの状況的なコトバの使用問題」でもあるな・・・ニャンコのモモちゃんにはマッタク「ウソ」をついたコトはないが・・・
 前回は隋の「杜臺卿」の甥と、その伯父の「杜公瞻」の人物について書き込んだが・・・随書にある「臺キョウ」と「コウ瞻」は「邪馬台の語句」の「靡(なびく)」でもあるカナ・・・
 唐の図書館長になった「阿倍仲麻呂=晁衡=朝衡(文武天皇二年(698年)~宝亀元年(770年)一月)はナニをしてたんだか・・・霊亀三年・養老元年(717年)、多治比県守が率いる第9次遣唐使の随伴で留学生、天平勝宝四年(752年)衛尉少卿、翌年(753年)秘書監・衛尉卿。「秘書監の晁衡」とは「唐代の秘書省で太史、著作の二極を管轄、一時期は蘭台、麟台と改称」したポジションである・・・「吉備真備」には帰国時には尽力した・・・
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 753年に「秘書監・衛尉卿」になった
 「阿倍仲麻呂=晁衡=朝衡」は
 「魏徴(580年~643年)」
 「長孫無忌(?~659年)」
 656年(顕慶元年)、隋書は
  長孫無忌によって「志・三十巻完成」
 「顔師古(581年~645年)」
 「孔穎達(574年・建徳三年)~648年(貞観二十二年)」の
 「隋書」を管轄し、改作、改竄したカモ・・・
 「隋書は
  太宗(李世民)の
  貞観二年(628)、
  四部書(経、史、子、集)を校訂させた・630年とも」
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 「漢字文字」が合致しない「隋書」ではあったし、
 「旧唐書(後晋の劉く (りゅうく) らの奉勅撰
  開運二(945)年に完成)」
 「新唐書(嘉祐六年(1060年)完成」
 がナゼか「二書」・・・歴史書は色々書き洩らしたモノや、誤写が多いから「杜撰(ズサン)」だったんだろう・・・
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  姓が「杜(木十一)」の「杜撰(ズサン)」の漢字の意味・・・
 「杜の撰集・撰修」、「選択」で、コトバを選ぶのは至難のワザである・・・「杜さん」がコトバを選んで批難されるのは不本意だろう・・・
 「杜撰」とは「宋の杜黙(トモク)」という詩人で、彼の作った詩は「律(詩の様式)」に合わないものが多かったかららしい・・・姓名が「杜(もり)の黙(だんまり)」である・・・中国も半島も、日本も「歴史書?」には「おフザケ(不山戯・巫山戯)」の名前が多いが、実在した人物なのかは、ボク的には「?」である・・・個々人のセンスも教養も「過去的経験の範疇」の内であるとは思うが、「著作物で、典拠の正確でないこと、いい加減に書かれていたり、 誤りが多いこと」は、「コピペ」のボク的には当たり前のコトであるカナ・・・
 今現在は「コンピュータ検索時代」である。「文字バケ」がなければ、検索記録のコピー(copy)は「ウソ」も「ホントウ」も間違いなく「正確に転写記録」できる。それでもキイボードを打つ時には間違って、熟語文字の切り取りや、文章の段落範囲の切り取りで原文でないモノもコピーもするだろう・・・
 「著作物の典拠」も辿(たど)れば、その「典拠も転拠の出どころ」は即座に検索できる。「杜撰」と考える人には、それなりの知識も教養も前提である・・・
 「典拠・根拠」・・・哂っちゃうのが、「コレは典拠不明で独自研究が多い」の注意書きである。確かに「原理・定理・定義・公理」と云われるモノには、その「典拠の実証根拠理論の記録」が必要である・・・「日本国憲法」は「人権保障の根拠」を謳った記録文(典拠)ではある・・・「根拠の典拠」ではあるが・・・これって、「大言壮語」なのか・・・「70年」はナントカ・・・
 「一郎」は大言壮語の大法螺吹きと「哂(わら・嗤)われて」て記録を現実的に実現してきた・・・以前的な問題は「典拠不明」ではなく、現前に記録されている「文章の整合的な論理の是非と実証性」である・・・
 コトバと数字が「本」に書かれているから「正しい」と考える人間の「本当(本に当る)」の浅ハカさである・・・もちろん、「信じ込んでしまった専門家、教養人」の吹聴のアサハカさでもある・・・自然界、人間社会に対する「安全・安心」の根拠はない・・・「畏怖」すべきコトを忘れているか、「畏怖」を売り物にしている・・・
 「ビックバン(宇宙創造時、初源の大爆発)」があったなどとは「七夕祭り」以下のモノガタリである・・・無から有は生じないのは「人間認識の原理」である。NHKの「サイエンスゼロ」の天文博士(谷口氏)の論理には納得できる。宇宙法則の現象は、何処であっても「同じ」なのだから・・・個別特殊は現象の本質ではない・・・今のところ「宇宙存在の始原」ではなく、「個々の銀河、星々の存在の終始・始終」である・・・「アルものとしてのアルもの」の変化である・・・
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 また、「杜臺卿」の甥と、その伯父の「杜公瞻」が杜撰にトンでしまった・・・
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 瞻(セン・セム)=目+袪=
          袪=厃+儿+言・・・危険な人の言葉?・・・「袪」は「瞻」の漢字の「右の字」だったハズだが「文字バケ」なのか、どうなのか文字(袪)が変化してしまっている・・・瞻の分解(目+厃+儿+言)を再構成させたモノが望んでいた漢字である・・・ボクの書き込んだ「漢字」には結構、どうような文字バケが多いが、「ブログ事典」と「IMEパッド」で拾った「袪←(目+厃+儿+言)」の「袪に文字バケ」したモノ(袪・袪)である・・・
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 瞻=まばる(瞻る)・観る・セン・セム
 「目 (ま)を 張る」の意
 目を大きく開いてよく見る・注視する
 見る・見上げる・仰(あお)ぎ見る・目を遣る
 ・・・類似の意味漢字に「臣」があるが・・・「大臣」は人民を監視する「支配階級の長官」であるが、「瞻」は観るモノが異なる・・・「天体の星々」である・・・
(目+厃+儿+言)
 慶州の瞻星台
 瞻星臺(センセイダイ)
 須弥山を描いた
 17世紀のインドの絵が描かれてある
 慶州瞻星台=韓国
       慶尚
       北道
       慶州市の建造物
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 この
 建造物が
 天文台であると、
 最初に主張をしたのは
 日本の
 気象学者で
 朝鮮総督府観測所所長をつとめた
 和田雄治
 ↓↑
 瞻星台に関する記事は、
 朝鮮半島の正史
 『三国史記』・・・・新羅の正史
           高麗17代仁宗の命を受け
           金富軾らが作成
           三国時代(新羅・高句麗・百済)
           から
           統一新羅末期までを対象とする
           紀伝体の歴史書
           1143年執筆開始
           全50巻「三国史記」
           1145年に高麗で完成
 には一切ない。だが、
 『三国遺事』・・・・高麗の高僧
           一然(1206年~1289年)によって
           書かれた私撰の史書
           大部分の撰述の時期は
           1270年代後半~1280年代中頃
           一然の没後に
           弟子の
           無極(宝鑑国師の混丘)が
           補筆・署名し、刊行
           書名の「遺事」は
           『三国史記』にもれた事項を収録
 『輿地考』・・・・・「?」、
           「東國文献備考(1770年)」
           にある記録・・・
 には記録
 最初に登場するのが
 『三国遺事』の
 「善徳女王」の記事
 慶州
 瞻星台は
 「善徳女王(632年~647年)・・・・645年は
                  大化の改新
                  対価の掛意晋?
 の治世下に建造された・・・
 「善徳女王」は仏教に力を入れ
 仏教の発展を願い、
 仏教の霊山である
 須弥山を模った祭壇説・・・
 他に
 太陽時計説なども・・・漢字からは「天文台」だろう
 ↓↑
 瞻・・・目+袪
 異体字
 聸・・・耳+袪
     袪・・・儋・襜・檐・膽・䦲・憺・簷
         譫・澹・蟾・黵・擔・贍
 ↓↑
 「杜公膽」は
 「隋の
  杜公瞻
 (玉燭寶典の著者)
  は
  杜臺卿の甥
 ・・・「杜臺卿」→「杜撰(ずさん)」で
          「臺(台)」が
          「経」の
          「笈(おい)」
 ・・・「杜の臺の卿」・・・「杜撰」な「臺=台」の「卿」・・・
 「杜=木(十八)+土(十一)」
 「杜=ずさん・もり・ト・ド・ヅ(ズ)
    ふさぎ止める
   =杜絶・杜甫(詩人)・杜詩・李杜
    木の名のヤマナシ=杜梨(果樹)
    途の代用字」
 ・・・「杜(もり)の鍛冶屋(かじや)」って、「神社の聖域の鍛冶屋→化字哉」・・・「YAHOOの知恵袋」には、
 「杜=森・酒杜氏(サカトウジ)・杜撰・杜漏(ズロウ)、杜宇(トウ)、杜氏(トウジ)、杜翁(トウ)、杜鵑(トケン)、杜鵑花(トケンカ)、杜康(トコウ)、杜衡(トコウ)、杜国(トコク)、杜詩(トウシ)、杜子(トシシュウン)、杜若(トジャク)、杜松(トショウ)、杜如晦(トジョカイ)、杜世忠(トセイチュウ)、杜絶(トゼツ)、杜仲(トチュウ)、杜仲茶(トチュウチャ)、杜父魚(トギョフ)、杜甫(トホ)、杜牧(トボク)、杜預(ドヨ)、白杜(ハクト)、房杜(ボウト)、北杜(ホクト)、李杜(リト)、老杜(ロウト)」
 などの漢字があった・・・加えて、熟字訓・当て字として
 杜若(かきつばた)
 杜夫魚(かくぶつ)
 杜父魚(かじか)
 杜衡(かんあおい)
 杜斤(ちぎばかり)
 杜松(ねず)
 杜仲(はいまゆみ)
 杜鵑=ほととぎす=杜宇(ほととぎす)
 杜鵑草(ほととぎす)
 杜松(むろ)
 である・・・で、「卿=卯の間に良(白旨)」、ORは「斤+即」で、「卯(ウ)」は「タタっ切る」の意味であったが・・・
 卿=かみ・きみ・めでたい・ケイ・キョウ
   政治を行う重臣・大臣
   卿相 (ケイショウ)・九卿・上卿 (しょうけい)
   古代中国の身分の高い階級・貴族
   「卿大夫 (ケイタイフ) 」
   同輩を呼ぶ敬称
   「諸卿(ショキョウ・ショケイ)」
 である・・・
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 「射て座」の「矮小銀河」も書き込んでおきたいが・・・TVの「サイエンスゼロ」で観たコトバの断片・・・
 射て座の「矮小銀河に渦状」に発見された26個の
 縦状の
 「赤い星々が連なったリボンの輪」
 銀河や星の色は
 青・白・黄・橙・赤
 の順で消滅・・・青色は超新星爆発
 個々の銀河はその重力で引き合い合体する
 天の川銀河は
 46億年ころに
 アンドロメダ銀河と衝突合体し、
 分離した後
 30億年後に再合体
 赤くなった銀河は銀河内の星々の生成を止める
 赤い銀河は
 青い銀河の爆発で
 銀河のガスを銀河外に放出して赤色になる
 赤い銀河は重力が重くなり星々を生成しなくなる
ーーーーー
 ・・・???・・・他名葉多の夢想・・・

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