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コジキジゲン

ヒカリあれッ・・・網膜に感じるモノ・・・形(カタチ)と色(イロ)・・・

2016-07-20 18:17:19 | 古事記字源

 ・・・「問題設問」のコトバが難解で曖昧なコト・・・それ以前的に「問題自体の○●・囗■・◇◆・△▲・▽▼」が曖昧か、提議すらされていないのに「ワタシはナントか致したいのです。ワタシの私生活をお願い致します。選挙に勝たせて、税金で居候させて下さい。落選すれば供託金(衆院選挙区は300万円有効投票総数の10分の1がなければ・参院選挙区は300万円有効投票総数と議員定数の商の8分の1がなければ・都道府県知事選挙300万円有効投票総数の10分の1がなければ)が没収されてしまいます。生活が出来なくなります」と云う立候補者はいない。「政治的な志が大きい(?)」のだろうなッ。モチロン、落選して「供託金」が没収されても私生活に影響の無い「資産家」のヒトビトなんだろう。そして、「選挙民」と云われるヒトビトに対する「アンケート(仏語enquête・英語inquiry、survey=questionnaire(クエスティネア)」とは、ほとんどが「1000人たらず」の質問調査の回答結果だが、「どちらともイエナイ」が、およそ、半数である。「どちらとも云えない」って、多分、問題提議の内容を理解していないか、理解しずらいのだろう・・・兎に角、もし、ボクに「300万円」あったら何年生活が出来るのかな?・・・
 日本語での「図形」と「図形を説明するコトバ」との乖離・・・単純なのは「○○・囗囗・△▽」であるが、その図形をコトバで説明するには「○・囗・△」であるコトの条件を述べねばならない・・・そして、そのコトバでの「条件」とは「定理」であり、「定義」である・・・そして「まる=円(圓)・丸」、「しかく=四角・方」、「さんかく=三角」のコトバは内容の本質を含み表す概念・範疇・カテゴリ(category・分類・分野・区分・種類・部門)である・・・兎に角、「○・囗・△」の「内容構成の条件のコトバ」が理解出来ていなければ先に進まないだろう・・・そして、「○・囗・△の図形を、マル、シカク、サンカクであることを証明せよ、の設問」そのモノが理解出来なければ、そもそも「○・囗・△」の図形って、ナぁ~ニ?である・・・多角形の極限が「○」である・・・度数では「○=360°」、「囗=内角の和360°、外角の和360°」、「△=内角の和180°・外角の和360°」である・・・イズレも針金や、紐、糸で「○・囗・△」を造って、それを延ばして「1つの直線」にできる。「直線の度数は180°」だが・・・直線の尺度は「ミリメーター・mm」であるが、「○」の大小によって「(1/360)°」が「(1/360)mm」とはならない。概念が異なっているから当然である。円周率(π = 3.1415・・・無理数・超越数・ヨーロッパの諸言語には漢字の円周率に対応する単語はないらしい?)は、
 「円周の長さ(○=↺)」と「直径(|=◑)」に対する比率
 比率(円の周長を C、直径を d とすると、
 π=C/d
 で、
 「直径(d)=1 」の長さ
  の
 「円の周長は π」で、
 円の直径の長さが
 「1」
 であれば
 円の周の長は
 「3」より
 少し大きい
 (0.1415+∞)・・・
  ↓↑
 「古代には半径 r の円板の面積が「πr²」であることも知られていた。アルキメデスは半径 r の球の体積が 「(4/3)πr³」 であることや、この球の表面積が 「4πr²(その球の大円による切り口の面積の4倍)であることを示した」
 スゴイねッ・・・これらの「計算」、面積は支配領土の増減、体積は収穫量の重さ、容積は収穫貯蔵量の倉庫・・・いずれにせよ、富(人間・領土・産物・官吏・兵士・兵器)を管理(監理)、支配する「王様」には、それらの「数字の増減」を知るコトは必要だった・・・
  ↓↑
 ・・・それを踏まえて、「○」は転がした1回転の長さの距離「○→_+_+_+_+_」が、その円の直径の「3.1415∞」。「囗」は4辺を延ばした長さの距離「―+―+―+―」。「△は3辺を延ばした長さの距離―+―+―」である・・・
 そして、同じ面積の「円」と「方形」はあり得ない・・・?
 1本の針金や、紐、糸で「○・囗」の図形が出来るのに同じ面積にならないって・・・?である・・・
 だが、双方の外角の総和は共に「360°」
 そして、「直線」とは「点」。
 「.+.+.+.+.+・・・」の連結である・・・
 「・・・」とは「人間の認識対象存在」の「原始(原初・始原)の元」で、「微粒子」である・・・
 図形の平面積の大小、球形体、立法体の体積、容積、重さの計算などは、コレラを踏まえての「数字の加減乗除の方法の規矩」でなされている・・・だいたいからして、「有理数」、「無理数」の概念規定自体にどんな「理屈」があるのかは暇人の仕事であるが・・・計算上、無理なモノは無理だが、在るモノは有理である・・・無理なモノは「分数」にすればイイ・・・
  ↓↑
 いずれも基準は「ゼロ(zero・零)」であり、
 現実的な存在物を「唯物論の数」として考えれば、
 「(-1)」←0→「(+1)」である・・・
 「・・・←(-)」←0→「(+)→・・・」で、
 「0」は無くなったワケではない。「モノの総量(元々)」である。
 「(-)と(+)」は、総量の中での「加減、増減の区別」されたモノであり、「総量(0)の中で選り分けられた」たモノの記号である。総量の中の比較された数量である・・・グラフ上では「0」を起点にした上下、左右に示される線であるが、「0」は全面であり、函(箱)の全領域、全空間である・・・
 「数字の計算」とは「点の(増減)加減乗除」に尽きる・・・しかも「点→素粒子」は「物質」としての「球形体」で大小と質量(重さ)を有する。
 ボクは実視で観察したコトがないが、物理学の教科書では「原子」は「原子核(+陽子)+中性子+電子(-陰子)」から構成され、「+・-」は「電荷」と呼ばれているもので、「+ion(イオン)」、「-ion(イオン)」と云われている。このイオンも「物質」であるだろう。もう少し云えば「ある物質構成の部分で、不安定に移動する物質」である。だが、「電気、電荷(イオン)を帯びる」とは物質自体の変化ではあるが、「イオン」は物質なのか・・・「光子」が物質、「放射線」が物質ならば、「イオン自体」も物質だろう・・・ウイッキペデアの説明には、
ーーーーー
   ↓↑
  気相のイオン・・・? 
 「電子の過剰あるいは欠損により
  電荷を帯びた原子、
  または
  原子団をイオン(ion)という。
  ・・・次の記述は「気相のイオン」の説明?らしい・・・
  電離層などのプラズマ、
  電解質の水溶液、
  イオン結晶などの
  イオン結合性を持つ物質内などに存在する。
  陰極や陽極に引かれて動くことから
  ギリシャ語のion(移動)の名が付けられた。
  一部では
  負イオン(負の大気イオン)の意味で
  マイナスイオンが使われる」
 ・・・らしい・・・
   ↓↑
 「ギリシャ語のion(移動)」なら、「イオン」とは物質間を「移動する物質」か、「底存在する物質」を媒介にした「振動・波動」である・・・「振動・波動」も伝播する「物質の存在」が前提であるが・・・
   ↓↑
 「異音(イオン)」も「諸物質相互の衝突」で発生する「音の波」であるならば、聴覚を有する人間、動物、植物、生物には「物質(気体・液体・固体)」を媒介にして、その音響は「伝播」して聴こえるだろうし、触感としても感じるだろう・・・「発声」とは、吐く息を咽喉孔壁にぶつけて調音した「衝突音」の「空気振動」である・・・地震は大地、津波は大海の「振動伝播」である・・・ボク的には「真空」は無ではなく、ナニかの存在自体であると考えるしかない・・・電波を伝播する空間を「磁場」と呼んでいるらしいが、「磁場」で在るならば、その場の「実体」が在るハズだが・・・
   ↓↑
 で、このウイッキペデアの「イオン(ion)の説明」で、「イオン」が理解出来るのなら、「無留理臥句写(ブツリガクシャ)」であるナッ・・・更に説明は続くが・・・
   ↓↑
 「陽イオン
  電子を放出して
  正の電荷を帯びた原子、
  または
  原子団を陽イオン(positive ion)、
  あるいは
  カチオン (cation) と呼ぶ。
  アンチモンSbは
  陰イオンをもつものが存在するが、
  他の金属元素は
  すべて陽イオンである。
  陰イオン
  電子を受け取って
  負の電荷を帯びた原子、
  または
  原子団を
  陰イオン(negative ion)、
  あるいは
  アニオン (anion) と呼ぶ。
  ハロゲンは
  すべて陰イオンとなる。
   ↓↑
  気相のイオンの説明が・・・上の記述だが・・・ナニかの「霊魂=磁気」が「憑依」して変化したなら、「磁気」は物質である・・・「幽霊」を感じ、観るコトが出来るなら、それは「物質」であるハズだ・・・「有得例(零)」である・・・
   ↓↑
 「物理学、
  化学物理学の分野では、
  気相のイオンに対して、
  陽イオンの代わりに
  正イオン(positive ion、カチオン)、
  陰イオンの代わりに
  負イオン(negative ion、アニオン)
  が多く用いられる。
   ↓↑
  大気電気学では、
  気相のイオンを
  大気イオン(atmospheric ion)と呼ぶ。
  なお、
  マイナスイオンという用語は、
  1922年に
  空気中の
  陰イオンの訳語として紹介された
  和製英語である」
 ・・・和製英語だとしても、その意味内容はナンだ?呼称が変わっても「イオン」の内容説明は同じモノなのか、異なるモノなのか?・・・
   ↓↑
 「構成による種類
 単原子イオン
 一つの原子からなるイオン
   ↓↑
 多原子イオン
 複数の原子団からなるイオン
   ↓↑
 錯イオン
 電子を放出したり、
 受け取ったりして
 正または負の
 電荷を帯びた・・・「帯びる」よりも、
           接合(くっつく)いて
          「変化した」だろう・・・
 錯体(complex)を
 錯イオン(complex ion)と呼ぶ」
 「広義には、
  配位結合や水素結合によって形成された
  分子の総称」
 ・・・「放出」とか「受け取る」だから「イオン」は物質そのものだろう・・・
   ↓↑
 じゃぁ「配位結合や水素結合」ってナンだ?
 「(デジタル大辞泉)
  金属または
  金属類似元素の原子・イオンの周囲に、
  配位子とよばれる
  原子・イオン
  または
  原子団が方向性をもって
  立体的に結合し、
  一つの原子集団をつくっているもの」
 「錯イオンはイオンであるため
  +
  又は
  -
  の電気を帯びている
  しかし
  金属は通常
  陽イオンであり、
  陰イオンの
  配位子が結合すると
  電荷が打ち消しあって
  中性になる・・・・・・中性=「+」+「-」=「±」
  この場合は
  イオンとは
  呼べないので・・・・・「+」でも「-」でもない
             「±」だから
  このような中性のものも
  含めて
  錯体と呼ぶ」・・・・・「錯体」であって、
             「錯体イオン」ではない
 ・・・それでも「?」・・・
   ↓↑
 クラスターイオン
 同種の原子、あるいは分子が、
 相互作用によって
 複数個結合した物体が
 電荷を帯びたものを
 クラスターイオン(cluster ion)と呼ぶ」
  で、あるらしいが・・・「クラスター爆弾」は知っている・・・
 そもそも「移動(運動)するイオンの機能・働き」とはナニか?・・・これではボク的には「理解」出来ない・・・が、「電荷を帯びたモノ」だが、じゃぁ「イオン=電荷」ってナニ?・・・ナゼ、「電荷」なんだか、「イオン(ion)」は「核分裂(nuclear fission)と核融合(nuclear fusion reaction)」の機能的条件だろう。要は動的物質構成の部分移動、移転で、物質が「分裂(分離)と融合(結合)」し、その変化で、そのプロセスでの物質であるカナ・・・
 文脈で「ひとつのコトバ」が理解出来なくなれば、調べるより手はない・・・
 「雷光」は「プラズマ(plasma)」で、「固体・液体・気体」に続く物質の第4の状態」である・・・「物質の第4の状態」・・・
 「狭義のプラズマ」とは、
 「気体を構成する
  分子が・・・・「が」なのか、「から」なのか?
  電離し・・・・電離したモノ(分子)が・・・?
  陽イオン
  と
  電子(陰イオン)・・・である・・・ならば、
             分子=(+イオン)+(-イオン)
  に
  別れて運動
  している状態で、・・・分子の部分が
             別れて運動している?
  電離した気体・・・・・気体=(+イオン)と(-イオン)?
  に相当する」
 「狭義のプラズマとは、
  プラズマの3要件をみたす」
   ↓↑
 「広義には、
  プラズマの
  3要件を・・・・・・プラズマは
            イオン・・・・「+」なのか?
                   「-」なのか?
            と
            電子・・・・・電子=「-イオン」
                   ではないのか?
            との混合物で
            電気的に
            中性な物質
            ・・・電子は「-イオン」
               ではないのか?
               混合すれば
              「中性物質=±」になるのか?
            ↓↑
            真にプラズマらしく振る舞う
            3つの要件・・・?
            その物質系の大きさ
             L=大きさ
            が
            デバイの長さ=(Debye length)
                  プラズマ中で
                  それを構成する
                  荷電粒子が動いて
                  電場を
                  遮蔽する現象
                 (デバイ遮蔽)において、
                  その遮蔽が
                  有効になる
                  長さのスケールのこと
            λD
            より充分大きくなければならない
            L≫λD
            現象の時間スケール
            t
            がプラズマ振動の周期よりも
            長くなければならない
            t ≧ 1/ωpe
            半径が
            λD の球の中の粒子数
            Λ
            が充分大きくなければならない
            Λ ≫ 1
            Λ をプラズマ・パラメタという・・・
            ・・・もう、こうなると
            ボクの理解の範疇外である・・・
  一部みたさず、
  非中性プラズマ、・・・「非中性プラズマ」って
              中性のプラズマにアラズなら
              コトバが矛盾している
  強結合プラズマ
 (微粒子プラズマ、
  固体プラズマ)
  を含む)」
 ・・・であるらしいが・・・ボク的にはコイツの云っているコトには「?」で、理解の範疇外であるカナ・・・
  ↓↑
ーーーーー
  ここで、「イオン」をコトバの「異音」として、本来のボクのハナシに戻って「文字霊の歴史研究」に移動したい・・・
  ↓↑
 カミナリ(雷・神成・神也)・・・雷光よりも雷鳴が怖ろしい・・・(蒙古・黒船)来航よりも、その「ラ(蠃・螺)意向(移行・威光・偉功・遺功・以降)」が懼(怖・恐)ろしい・・・
 蠃(かたつむり)だけれど、「蜾蠃・腰細蜂・似我蜂=ジガバチ」・・・蜾蠃少女(すがるおとめ)・・・類字は「瀛・贏・嬴」・・・
 始皇帝=「嬴」の「始」って「女のム口」、
 天武天皇=天「渟」中原「瀛」真人って大海人皇子で、「嬴」の類字は「瀛」であり、「贏(あまり・もうけ)の海人、海女、尼、海部・天・であり・・阿毎・・・雨蛙=蝦蟇・・・「蜑(あま・タン)」は「魚介をとったり、藻塩を焼いたりするのを業とする者、漁師、漁民」だろう・・・「浦の島の太郎」であるかな・・・高橋虫麻呂さん・・・「詠水江浦嶋子(9-1740・1741)」、「見菟原處女墓歌(9-1809~1811)」・・・
   ↓↑
 「渟(ぬ・ぬま・テイ)」だが、
 「ちぬ=茅渟・血沼・千沼・千渟・智努」は「血塗」にヒッ掛けた「漆塗り」、「七度塗り・五度塗り・三度塗り」の「七五三(シチゴサン・しめ→〆縄・注蓮縄)」だろう・・・?
   ↓↑
 「茅」
 茅の輪(茅草・かやくさ)で作られた大きな輪)
     正月~六月までの半年間の
     罪穢(つみけがれ)を祓う夏越しの
     大祓(おおはらえ)に使用
     それをくぐることにより、
     疫病や罪穢が祓われる
     くぐり方は
     「水無月(みなつき)の夏越しの祓する人は
      ちとせの命のぶというなり」
     と古歌を唱えつつ、
     左まわり・右まわり・左まわりと、
     八の宇を書くように三度くぐり抜ける儀式
 「過越(すぎこし・Passover・ペサハ (pesach)」は
  旧約聖書12章に記述され、
  古代エジプトで
  アビブ(ニサン)の月に起こった出来事と、
  その起源を持つユダヤ教の行事である・・・
 「神がエジプト中の初子を殺したとき
  仔羊の血を門口に塗った」・・・
 「過越の小羊の血がイスラエルの罪を贖(あがな)った」
   ↓↑
 「粽(ちまき)や・・・粽=米+宗
  柏餅を食べて
  5月は毒月で
  厄除け・毒除けをする
  菖蒲や
  蓬(よもぎ・艾・蔞・蕭)、
  ガジュマロ(細葉榕)=別名、「しめ殺しの木」
  (沖縄の名護市の守り神のガジュマルの大木
   には、
   キジムナーという
   赤い髪に赤い顔をした
   妖精が棲みつき
   魚の目玉が大好物らしい)
  などの葉を門に刺し、
  薬用酒や肉粽を飲食し健康祈願」
 「茅(ち・ちがや・かや・ボウ・ミウ)=細い穂先の出る稲科の植物の総称・屋根を葺(ふ)くのに利用・根は薬用・屋根を葺(ふ)く丈の高い草の総称」
 「茅=イネ科植物のススキ・ヨシ・チガヤ・カルカヤ・カヤツリグサ科植物のスゲなどの総称」
 「茅葺きの屋根・茅葺(かやぶき・萱葺)」
 「うがやふきあえず=日子波限建-鵜草葺不合命
           彦波瀲武-盧茲草葺不合尊
           天津日高日子波限建-鵜葺草葺不合命
           鵜草葺不合命
           盧茲草葺不合尊)」
   ↓↑
 「茅渟(木の国・紀の国)」の「海の茅渟(ちぬ・海鯽)=黒鯛(関西)」の別称・・・
 「茅渟・血沼・千沼・千渟・智努=大阪府南部の和泉国」にあたる地域・・・
 崇神天皇が多田田根子(オオタタネコ)をチヌのスヱ(陶)村で見つけ大物主の祟りを鎮めた・・・「茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら)」・・・
 和泉国と淡路国の間の海を「茅渟の海(和泉灘)」・・・
 「血(ち)沼(ぬ)」は
 神武天皇(磐余比古)の兄、「彦五瀬命(ひこいつせのみこと・日本書紀・五瀬命(古事記)」の死に場所でもあった・・・
 「孔舎衛の楯津で長髄彦(那賀須泥毘古・登美彦)と戦い、矢傷を受け、紀伊の血沼で死亡」・・・
 「難波に到着、川を遡り、河内国の草香村の白肩之津に到り、生駒山の孔舎衛坂の戦いで、肘を射られ、紀伊の雄水門(男之水門)で死亡」・・・
 「菟原処女を巡って
  菟原壮士(うないおとこ)と、
  血沼壮士(ちぬおとこ)が争い、
  嘆き悲しんだ
  菟原処女が自殺」・・・
 「茅の輪」
   ↓↑
 「始皇帝」は「度量衡=物理量の測定、は物理単位」も「漢字」も統一させた・・・度は「長さ・さし」、量は「体積・枡(升・ます)」、衡は「質量・秤(はかり)」の意である・・・
 だが、「類似の類字」は混乱、誤解の「語化異」を招いた・・・
 「蠃(蝸牛・じが蜂)は虫・嬴(瀛・大海)は女・贏(余り・儲け)は貝・羸(痩せる・疲労)は羊・臝(臝・はだか・躶・裸・果・𧝹)は果」が異なる文字で、「亡口」と「月-凡」が同じである・・・
ーーーーー
   ↓↑
 「雷光・電光」・・・前回は「lights=light+s・ライト(s・ツゥ)」に関するコトバに触れたが・・・ブログ辞典には「家畜の肺臓=猫や犬に与える餌・動物の肺臓・(とさつ)された羊、豚などの肺臓」とあったが・・・ボクは知らんかったが・・・ナゼ、「lights」が「(とさつ)された羊・豚などの肺臓」なんだか、「レーザー(laser)光線(ビーム・beam=光や電子、電波の流れの束)」の「キャトルミューティレーション(cattle mutilation)」?でもあるまいに・・・だが、家畜の「肺臓」が「犬猫の餌」されるのは解かるような気もするが・・・
 「肺=肉+亠+巾」で、
 「呼吸器」、
 英語は
 「lung(ラング)」で、
 熟語は
 「aqua-lung(潜水呼吸器)」、
 「lung cancer(肺癌)」
 である・・・それにナゼ、漢字が「餌=食+耳」で、「耳を食べる、食べる耳」なんだか・・・ミミは「実味・視己」か、「食の耳(ジ・ニ)」、「食時」、「食事」で、「蝕字」か・・・「耳」は限定のコトバで「~のみ・~だけ」でもあるが・・・「餌食(エジキ)」・・・息ができているコト、気を失ったり、溺れて息を吹き返すコトは「light(光)が視えたコト」ではあるが・・・
 「lights」
  発音記号=lάɪts(米国英語)
  文法
 「lights」は動詞「light」の三人称単数現在
 「lights」は名詞「light」の複数形
 意味・和訳
 光
 light and heat=光と熱
 a beam of light=光線
 All colors depend on light
 光がなくては何色も存在しない
 light travels faster than sound.
光は音より速く伝わる
Let there be light.
「光あれ」
Lights out!=消灯!
 映画「ショーシャンクの空に」のセリフらしい・・・
 Lights out=消灯、明かりを消して
 ・・・寝れって云うコトか、眠れって云うコトか、黙れって云うコトか・・・「Lights out」=「肺の外→息をするなッ?」かも・・・希望は「Let there be light!」だろう・・・

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小泉八雲・・・いずむ・いずも・いずみ・・・イズム・・・

2016-07-17 18:57:36 | 古事記字源

 ・・・「トルコ(土耳古・Turkey)」でクーデタ(Coup d'état)ですか・・・不用意で、不十分、中途半端な「政治的暴力」の行使・・・「一部の軍部の反乱により161人が死亡し、1440人が負傷したと発表した。拘束した2839人の軍人の中には一般兵士のほか、幹部も含まれるという。首謀者は拘束された・裁判官2745人を解任(ロイター通信)」・・・「民主主義選挙」で選ばれた権力者が「民主主義制度」を利用し、「人権と言論」を弾圧をしてきた・・・独裁者による「指導される民主主義」と、民主主義制度の「選挙」によって選ばれた大統領の「指導される独裁主義」・・・イズレも「危うい綱ワタリ」だが、「綱」は、その制度を「撚っている様々なヒトビト」である・・・そして、イズレはホグれて「キレル」・・・今のところ「カーボン繊維」と云うワケにはいかない・・・
 「民主」と云うコトバに「主義」を接合する前に、「民主」と、その「民主」である定義と、その「ミンシュ」としての「手技、手法・やり方・方法」を考えるベキであるかな・・・
 ウイッキペデアや、ブログ辞典を参照にすれば、
 「主義(イズム・ism)」は・・・「主義・主張・学説」で、「多く固有名詞の下に付いて、特有な主義・流儀・傾向などの意」であるらしいが、「主義(イズム・ism)」は「正義(ジャステス・justice・ right・righteousness)」とは異なるらしい・・・ボクには「right」も「light」も同じように聴こえる、「lights(家畜の肺臓・犬、猫の餌、食べ物」・・・「right・left」って、両翼、両手、野球の守備位置?・・・
 「イズミ」なら「出水・泉」か、「イズモ」なら「出雲」に聴こえるかも・・・「小泉八雲」に訊いてみたい・・・
 で、北海道では「いづむ」は「歯がいずむ」、「いずむような痛さ」だが・・・「いづむ」とは大和方言で、「いじける・萎縮する」、「差し控かえる」、長野県では「ねたむ・ひがむ」らしい・・・イズム、ナニを妬むんだか・・・
 「主義は人、団体や政府が主張や行動の指針にする原則や思想」、「主義は中国の史記に記録された言葉であり、信じている一定の主張を意味し、明治前期に英語のプリンシプル(principle=モノがよって立つ根本的な原理、原則、公理の・主な・主要な・第 一の・先頭に立つ)訳語で、その後、英語のイズム(-ism=主義・主張・思想・信条)として定着したらしい・・・
 明治以前「君主・領主・国主・船主」と云う概念はあったカモだが、「民主」と云うコトバはなかっただろう・・・
 「民」は「君主の領民で、私有物(生殺与奪)」だったから、この漢字を字面どうりの「主・義」と考えれば、「君主=王」の「主(支配者)の義」である。「僕(下僕・被支配者)の義」ではない・・・そして、「正義」とは「君主のモノだった」・・・当然、「主の義」である。「君臣忠義(忠儀)」の主従関係の「主の義」である。
 これは、「民」への善政、悪政に関係なく「独裁者の主の義」で、「主の戯」でもあった・・・
 そして、戦争、威喝服従を媒介に領土分轄の移譲、土地の支配権利、民の支配権の利権の相互依存関係の契約(封建関係)となっていった。君臣臣従とは貢納・軍事奉仕、命令服従等の義務契約である。そして、依然として君を頂点とする臣下の階級序列支配の中で「民」は彼らの「私有物(生殺与奪物)」であり、生産物を産みだす「家畜→価値躯?」だった・・・
 今現代の「社会的な自由関係」とは「市場」での金銭を媒介にした「売買」である・・・この流通経済関係の枠内でのみ「選択の自由」がある・・・歪(ひずみ)が出れば、立法しようが、しまいが、「政治」が強制介入するか、妥協的介入をする・・・
 この関係は身分制度を残しながらも「カネ」を媒介する「商品(雇用関係の労働も含む)の売買」として、個々人相互の「利害関係(私有財産維持)」の契約となっていったのである・・・当然、カネを蓄積しているモノには有利ではあるが・・・記録された数字上の約束は、確実にソレの「使用価値」を保障しない・・・
ーーーーー
 「不安と恐怖」はダレのモノであるのか・・・「安心と安全」はダレのモノであるのか・・・失うモノで怖れを抱くのはダレか・・・無いモノを欲しいと願望するのはダレか・・・
 痛みと、失ったモノがあるコトを経験したモノ、観て聴いて知っているモノに「不安と恐怖」がある・・・そして、「安心と安全」も・・・生きている、生きてきた人間の自覚と覚悟の問題である・・・「自覚」があっても「覚悟」がなければ「不安と恐怖」は払拭は出来ない・・・そして、それらのレベルは個々別々である・・・
 ボケた人間には「不安と恐怖」はない。それらはボケを観て知っている人間に属する・・・
 泣き叫ぶ赤ん坊は自己存在の危機を訴えるが、子供の「危険」を認識、自覚して感じているのは、それを分身した「母親の不安と恐怖」である・・・
 いずれも、生きて、「自覚」している人間の領域である・・・「自覚」している人間とは「失うモノ」に「不安と恐怖」を感じるのだ・・・そして、それらをマモルには「リスク」が伴う・・・そして、それをマモルこと、マモルモノには個々人で異なる・・・
 「天国」には「安全」と「危険」は無い・・・無いモノは無いのである・・・「地獄」はあるのか・・・在るモノは在るのである。「天のウエの獄」ではない、この「地のウエの獄」にである・・・
 最近では「宇宙空間」にもあるかも・・・
 だが、殆んどは・・・「エゴのレベル」は地上に「生きている社会的人間」にある・・・
 ・・・「なんでも云ってイイ」ケレどねッ・・・イエる時がハナである・・・

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らんず・・・乱事・・・乱図・・・乱亠・・・ミダレル・・・

2016-07-16 11:54:45 | 古事記字源

・・・アツイです・・・収穫は胡瓜一本、ミニトマト六個・・・「暫しも休まずに槌(鎚)打つ響き」って、休まないワケにはいかないだろうが・・・もはや、日本のムラには鍛冶屋は存在しないかも・・・「しばし」は「誌葉詞(司馬氏・斯波氏)」か、「市場司」か、「矢素磨事(ヤスマズ)」、「通知打ちヤマズ」・・・?・・・「暫時(しばし)も止まずに槌打つ響、飛び散る火の花、はしる湯玉、鞴(ふゐご)の風さへ、息をもつがず、仕事に精出す村の鍛冶屋」・・・ウイッキペデアには「作詞者・作曲者ともに不詳・初出は1912年(大正元年)12月・尋常小学唱歌(四)」、「歌詞が当初のものから時代により書き換えられながら、全国の小学校で愛唱されてきた」、「讀本」とは、「1903(明治36) 年4月、小学校令の改正により定められた小学校用の国定教科書である「尋常小学讀本」」・・・「書き換えられる」のはニホン文化です・・・
 ・・・「時代により書き換えられるモノ」とはナニか?・・・この「時代」とはナニか?・・・「時代の主語」が抜けている・・・では、「時代のダレ」によって書き換えられるのか?・・・「階級社会に於ける変遷する権力者(に扈従する知識人)」である・・・「ダレがダレのタメ」に書き換えられるのか?・・・今現在の日本的状況は小説、随筆、評論ならば如何なるモノも書き換えられるのは「自由」である・・・そして、それらをオレやアンタが容認するか、どうかも「自由勝手」である・・・他人の「computer・HP・mail」に侵入して書き換える奴もいるらしいけれど・・・
 で、「日本国憲法」は如何か?・・・書き換えられて困らない?・・・「危機感」がないらしい・・・
 「村(邑・群・斑・羣・叢)の化字哉」は以前にも書き込んだカナ・・・まぁ、「日記」だから、ボクの脳ミソの「記憶の枠内」で右往左往しているから何度も同じことを繰り返し書くのはどうってコトはない・・・
 「踊る」って、「繰り返し」の動作でもあるんだが、「おどる」の同義異字漢字の「躍る」は、ドウ見ても「日本の優雅で動きの遅い盆踊り」とは、チョォと異なると思うが・・・「踊る捜査線」って?
 「躍動」は「フラッシュダンズ」か、「ヨサコイダンス」だろう・・・「躍」は「足」+「羽」+「隹」である・・・
 「隹(ふるとり)」は「尾の短い鳥類の総称・側面から見た鳥の形象(説文解字)」であるらしいが、「雄・集・雇」などの「隹」の称。「鳥(とりへん)・酉(ひよみのとり)と区別して舊(ふる-い・キュウ・旧)の字の中のトリの意でいう(デジタル大辞泉の解説)」とあったが、この説明は「近代日本人の漢字説明(?)」で、「舊」の漢字構成から「隹」を「トリ(取り・採り)出したモノ」と云うコトだな。しかも、これは「舊」=「艹(艸)+隹+臼」が、ナゼ「ふるい(古・昔・故)」なのかの説明ではない。文字構成の部分から「トリトッタ」との説明である。
 「奮闘・興奮」の「奮」は「鳥が力強く羽ばたく」ともあったが、「奮=大(一+人)+隹+田(囗+十)」である。
 「隹(スイ)」を更に分解すれば
 「イ+亠+圭(土+土)」
 で、
 「土+土」は・・・・武士(侍)の「士」も
 「十+一」と「十+一」になる。
 「十(十字-架)」の「一(初め)」で、
 「土」は
 「プラス(+)」と「マイナス(-)」の
 「陰陽」の合体でもある。
 数字にすれば、
 「1111=千(阡)百(陌)十(拾・足)一(壹・壱)」
 で
 「1+1+1+1=4(四・肆)」
 「1x1x1x1=1(壹・壱)」
 である・・・アレッ、「隹(スイ)」をよく見て分解すれば、
 「イ+亠+十+工」=イは音の略字の十の工(事)、たくみ(巧み・匠)・・・「たくみ」の当て字の漢字は「技術・技・伎・藝」の長、頭領、監督、棟梁、神社の禰宜、巫女、覡(神和ぎ・神薙ぎ・神凪)、医者などで、訓読みされる。
  or
 「イ+亠+土(十一)+丄」=イは鍋蓋の十一の丄(ジョウ・上)
 だなッ。ショボ、ショボとショボンだ涙目の老眼のせいだ・・・マッ、体勢に影響ないか、兎に角、「十」と「十一」が構成部分だから・・・足し算と掛け算は、忘れてくれ・・・ココでは「数霊術」そのもの意味は何の意味もない、漢字分解と、その意味の研究だから・・・
 「鳥」扁(偏)の部首漢字の合体構成は必ず「鳥類」である。だが「隹」の部首構成漢字は「鳥類」を必ずしも意味していない。「鶴」は「隺=宀+隹」と「鳥」の合体だけれど、「宀」を被った「隹の鳥」だから「夕鶴」の「おつう(鶴女房)」さんだろう?鰥夫(やもめ)になった「与ひょう」に訊いてみたいが・・・男の「鰥(やもめ)」がナゼ、「魚+眔(罒氺)」なんだか?魚は泪(なみだ・涙・涕)を流すのか?・・・流しても水の中だし・・・
 「魚+眔・魚+𥄳」
 鰥(やまお・やもめ・カン・コン・ケン)の異体字は
 𥉀・瘝・鯀・鯤・𣎕・矜・𥎅
 𧤩・䚪・𩶊・𩹌・𩻲・𩻴・鱞
 らしい・・・「氺」の「冫」が下向きに「〃」、「ヽヽ」になっているのは涙だからであるらしいが、随分と気を浸かっている・・・「罒」は網膜の「あみ(網)」だが、ここでは「目」そのもので、「𥊽=𥄳+弟」は字面から「泪(涙・涕)を流して兄に従う男」らしい・・・なるほど「涕(なみだ)=氵+弟」である・・・「氵+妹」ではない・・・「増殖難読漢字辞典」さんのブログには、
 まるく太った大魚の名?
 やもお。年をとって妻のない男
 やむ(病む)。なやむ
 男鰥(やもめ)に蛆(うじ)が湧き
 女寡(やもめ)に花が咲く
  ↓↑
 男性後家には
 ボロ(襤褸=ぼろ=襤・繿・褸)が下がり
 女後家にはハナ(花・華→洟)が咲く
  ↓↑
 「眔(トウ)」は涙の象形で、老いて妻がいないのを鰥という
 「魚(まな)」は「女(おんな)」の象徴とされ、
 「眔」をそえて老妻を失った意をあらわす
 「妻を娶 (めと) らず、独身で暮す男」
  らしいが、
 「眞名=まな=漢字」で、
 「女=おんな=音名」である・・・弘法大師は空海
                「眞魚」・・・佐伯氏
  ↓↑
 「得鰥魚焉=鰥魚(カンギョ)を得たり
       鰥(カン)という魚を釣り上げた
      「鰥(カン)」は
       荘子・逍遥遊篇に出る巨大な海中の魚」
 ・・・「巨大な海中の魚」なら「鯨・鯢」だろうが、「魚類」ではなく、「哺乳類」だな・・・デッカイ魚って、「鯤(コン・典拠は爾雅)=鯀=北冥の魚」らしいけれど、じゃぁ「鯤」って?・・・魚の「鰥=やもお・典拠は(釈名)」・・・餌にした「魴(ホウ)」は「赤い尾の魚(説文)=川魚」らしいが、「鰥」である実体の説明がない空想上の魚。別に「鯤」は「魚卵、腹ら子・魚の子也。鮞(魚+而)の未成魚の也・魚類の産卵前の卵・すじこ・はらこ・たらこの類・特に、サケの卵巣」らしい・・・「魚類で最大級はテンジクザメ目のジンベイザメで。15メートルくらい」・・・「天竺鮫・甚平(袖無し羽織)鮫」・・・甚兵衛羽織のサメ?・・・「口は目の前方に開く。目に瞬膜がない。目の後ろに噴水孔がある。5対の鰓裂のうち、後ろの2~4対は胸鰭原基(胸鰭の始まり)の上方か後方にある。棘のない2基の背鰭をもつ。臀鰭をもつ」・・・「目に瞬膜がない」である・・・甚兵衛羽織が筒袖となって普及したのは大正時代で、似たモノに「作務衣(さむえ)」があるらしく明治以降の坊主の作業着で発祥は「永平寺」・・・「さめ-る(覚め-る・醒め-る」ですか・・・「さ-む」=「眠っている状態から、意識のはっきりした状態に戻る」で「サメ」と「鰥→鯤→鮫→テンジク(点字句・典字句)→甚平(羽織)→作務衣→紺青(混乗・混乗)色に染め→怎(なんで?サム)」・・・サメたカナ、「珈(王+加)琲(王+非)・蘭豆・coffee・和欄豆→ワラン事(図・亠)」・・・男鰥・・・
 で、・・・目先の人生には「確(石+隺→宀+隹)」かなモノはない・・・石で造った城(宀・家)も崩壊する・・・
 手塚治虫のマンガに「鳥類社会」を舞台に「鳥人大系(鳥人のキリスト)」で揶揄ったモノがあったが・・・なるほど、深読みすれば、「トリのキリスト」は「鳥(チョウ)」ではなく、「隹(スイ・추=chu)」であるカナ。手塚治虫先生の仕事もエラカッたカナ(傷官格)・・・
 キリストの「人生と履歴」の一文字(比訳摸字)が「隹(ふるとり)=振る訳理(裏)」で、その部首の合体構成漢字のスベテの文字を視て推理せよッ、かも?・・・
ーーーーー
 「隹」が「とり」である漢字は
 「隼・雀・雅(鴉)・鶴・雉・雁・鷹
  雕(くまたか)・雎(雎鳩=みさご・ショキュウ)
  雚(鸛專・畐蹂・鵂・梟=ふくろう
    䧿の如く短尾、之れを射れば
    矢を銜(ふく)みて人を射る
    鳥に従ひ、雚を聲とす
    頭部に耳状羽毛を有する隹(とり)
    ミミズク(木菟、木兎、鵩、鶹、鵂
         角鴟、鴟鵂、耳木菟、耳木兎)
    horn owl; eared horned owl
    ミネルウァ(ラテン語: Minerva)
  雞(鷄)
  雛(ひな)
  雌・雄
  隺=硬い(確実?)・高く飛ぶ(とり・鶴?)
    寉とは別って?
  ↓↑
  以下の漢字は「とり」を意味しない・・・
 「隻(雙)
  雅(優雅・雅楽←鴉・烏?)
    ギリシャ語のカラスが転嫁?
  雇(雇用)
  誰(誰彼)
  確(確実)
  集(集合)=雧=雥+木
  焦(あせる)・・・ナゼ、「焦点」なのか?
  憔(憔悴)
  進(前進・漸進・進化)
  惟(惟神・随神)=おもう・たもつ・イ・ユイ
  帷(とばり・帳・戸張)
  萑=おぎ・マット(mat)・カン・スイ
  維(維新)
  准(准将・准尉)=冫(氷)+隹
  淮(淮南子)=氵(水)+隹
  準(準備)
  唯(唯一)
  隺=宀+隹(?)
  催(催促・催眠・催涙・開催・共催・主催)
  崔(たかい・まじわる・サイ)
  騅=あしげ・白のなかに黒の斑点の毛色の馬
    あしげの馬・スイバ・楚の項羽の愛馬の名
  蕉(芭蕉)
  錐(きり・錐体・円錐・角錐・三角錐)
  雋(隽・すぐれる・セン・シュン、)
  雍(ふさぐ・やわらぐ・いだく・ヨウ・ユ)
  擁(擁護)
  雖(言えども)
  雜(雑・雑文・雑貨・雑巾)
  難(難・難事・難治・難字)
  携(携帯)
  離(離反)
  推(推理・推測・推古)
  雚(鸛專・畐蹂・鵂・梟=䧿の如く短尾、
              之れを射れば
              矢を銜(ふく)みて
              人を射る、
              鳥に従ひ、雚を聲とす
  灌(灌漑・灌木
    灌頂= 水を頭の頂に注ぐ・バブテスマ=洗礼)
  罐(かま・つるべ=釣瓶・缶灌)
  𩁧(逃れる・避ける)=兆+灌
  曜(曜日)
  耀(輝)」
 ・・・「スズメ」、いい加減にやめた・・・
 「阿波踊り」は「ええじゃないか」と繋がっているみたいだけれど、七十年代半ばころ、添乗員として淡路島に行ったコトがあるけれど、旅館内の座敷で踊る阿波踊りのプロのダンサー(?)、一所懸命に笑顔をもみせ、「踊るアホウに、観るアホウ」だったが・・・暗くみえた・・・
 とにかく、「ええじゃないか」は、これもウイッキペデアからだが、「江戸時代末期、慶応三年(1867年)八月~十二月にかけて、 近畿、四国、東海地方などで発生した騒動・天から御札(神符)が降ってくる、これは 慶事の前触れだ、という話が、民衆が仮装などして囃子言葉のエエジャナイカ等を連呼し、集団で町々をナニかに憑依されたようにオドッてネリ巡った」、「京の都下において、神符がまかれ、ヨイジャナイカ、エイジャナイカ、エイジャーナカトと叫んだ・八月下旬に始まり十二月九日王政復古発令の日に至て止む(岩倉公実記)」・・・らしい・・・「エエジャナイカ」・・・
ーーーーー
  ↓↑
 各地の歌詞
 「今年は世直りええじゃないか(淡路)」
 「日本国の世直りはええじゃないか、
  豊年踊はお目出たい(阿波)」
 「御かげでよいじゃないか、
  何んでもよいじゃないか、
  おまこに紙張れ、
  へげたら又はれ、
  よいじゃないか(淡路)」
 「長州がのぼた、物が安うなる、えじゃないか(西宮)」
 「長州さんの御登り、えじゃないか、
  長と醍と、えじゃないか(備後)」
 など・・・
 「もともと御札降り、ええじゃないか、御蔭参りはまったくの別個のものである」らしい・・・?
 「近畿や四国などの西日本圏では、ええじゃないか、という掛け声が見られるものの、東海地方ではそうした掛け声はなく、御札降りのみ共通点が見られる。また、東海地方では、狂乱騒動を御鍬祭りや御蔭参り(伊勢神宮参拝)に結び付けて、共通点とするという解釈がなされている」・・・らしい・・・
 ・・・どっちにしても、薩長の倒幕派が騒動を「政治的に煽動(扇動)し、その煽動に乗った民衆がいた」・・・だが、コレは「暴動」だったのか・・・
ーーーーー
 「村の鍛冶屋」
 一、
 暫時(しばし)も止まずに槌打つ響
 飛び散る火の花 はしる湯玉
 ふゐごの風さへ息をもつがず
 仕事に精出す村の鍛冶屋
 二、
 あるじは名高きいつこく老爺(おやぢ)
 早起き早寝の病(やまひ)知らず
 鐵より堅しと誇れる腕に
 勝りて堅きは彼が心
 三、
 刀はうたねど大鎌小鎌
 馬鍬に作鍬(さくぐは) 鋤よ鉈よ
 平和の打ち物休まずうちて
 日毎に戰ふ 懶惰(らんだ)の敵と
 四、
 稼ぐにおひつく貧乏なくて
 名物鍛冶屋は日日に繁昌
 あたりに類なき仕事のほまれ
 槌うつ響にまして高し
ーーーーー
 昭和17年の改定後の歌詞    昭和22年改定後の歌詞
 一、            一、
 しばしも休まず槌打つ響   しばしも休まず槌うつ響き
 飛び散る火花よ はしる湯玉 飛びちる火花よ はしる湯玉
 ふゐごの風さへ息をもつがず ふいごの風さえ息をもつがず
 仕事に精出す村の鍛冶屋   仕事にせい出す村のかじ屋    
 二、            二、
 あるじは名高いいっこく者よ あるじは名高い働きものよ
 早起き早寝のやまひ知らず  早起き早寝のやまい知らず
 鐵より堅いとじまんの腕で  永年きたえたじまんの腕で
 打ち出す刃物に心こもる   うち出す鋤鍬 心こもる
ーーーーー
 コトバの意味は認識対象の変化で変わる・・・「おつき」さま・・・
  ↓↑
 太陰暦・太陰太陽暦
 月の長さは
 天体の月の満ち欠けにほぼ一致
 月の長さの平均は満ち欠けの周期である
 29.530589日
 大の月は30日
 小の月は29日
 その比率はほぼ
 半々、正確には
 53対47
  ↓↑
 太陰太陽暦
 常に朔が1日
  ↓↑
 もし仮に、
 朔望月が常に
 29.530589日なら、
 大の月
 と
 小の月はほぼ交互に現れ、
 16.346か月に1度、
 大の月が
 2か月連続する
 平朔は、
 朔望月を一定と仮定していた
 しかし実際は、
 29.530589日
 は平均であり、
 朔望月には
 年間の変動
 不規則な変動がある
 これを基準とする
 定朔の
 大小の月の出現パターンは
 複雑になり、
 「大四・小三」、
 すなわち、
 大の月は
 最大4連続、
 小の月は
 最大3連続
 する
  ↓↑
 麟徳暦(日本では儀鳳暦)
 を作成した
 李淳風
 の提案により、
 大の月が4か月連続する
 「大四」は不祥であるとして、
 その場合には
 大小を入れ替えるなどの
 改暦(人為的な月の配置の入替など)
 を行って対処し、
 日本でも室町時代までは
 大四の際には
 こうした措置が行われていた
 次第に暦の正確さを維持しながら
 複雑な操作を行う手間を避けるために
 こうした改暦は行われなくなった
  ↓↑
 宣明暦が採用された
 862年(貞観4年)
 から
 太陽暦が導入された
 1873年(明治6年)までの
 1011年間
 に
 平年では
 130通り、
 閏年300通り以上の
 大小の配列例が存在した
 1月から大小の月が交互に
 12か月連続で並んだのは
 888年(仁和4年)
 のたった1回
 江戸時代の人々は
 今月が大小いずれの月か
 忘れないように
 商店などの店先に
 月の大小を示す
 大小板をつるしたり、
 大小の月だけを表記した
 大小暦などが作られた
  ↓↑
 暦の売買
 江戸幕府
 及び
 陰陽道の
 土御門家によって厳しく規制
 専ら金品の対価を伴わない
 贈答品として作成された
  ↓↑
 太陰太陽暦
 月の満ち欠けの周期(約29.5日)
 を元に
 大の月・小の月を決定
 朔(新月の瞬間)の日付によって
 毎年、
 大小の月の配置が変わってしまう
 また
 閏月が追加される年もあるため、
 暦を見ないとどの月が
 大の月となるかが不明となり、
 毎年発行されるカレンダーで
 確認する必要性があった
 大小暦は
 漢数字を巧みに配した絵で
 大小の月を読者に知らせた
  ↓↑
 絵の他に
 俳句などの形式を採った
 語呂合わせも利用された
 「西向く   士(さむらい=十+一
  2・4・6・9・11月)」
 とし
 天保8年(1837年)
 大小暦を覚えるために作られた
 語呂合わせ
 大小絵暦の絵の部分が発展し
 錦絵となり、
 浮世絵の元となった
  ↓↑
 俳人
 宝井其角
 が
 元禄10年(1697年)
 の大小を表すために作った
 「大庭を しろくはく 霜  師走かな
  (2・ 4・6・8・9・11・12月
  が大の月)」
 という句が残されている
 「士」と書いて
 「さむらい」と読ませるのは
 11の漢数字縦書き表記が、
 「士=十+一」という字に由来
 漢字表記である「侍」を用いると
 語呂合わせの意味が不明になる・・・そんなコトはない・・・

         侍(さむらい・さぶらい・ジ・シ

         はべる・さぶらう)

        「作務等意」で、
        「侍」=「イ+十一+寸」である・・・
             意(人)は十一月を寸(はかる)
        「寸」=長さ・ごく わずか
            寸時・寸借・寸前・寸断・寸評
            寸寸 (ずたずた)
            一尺の十分の一
            1寸=3.03センチ
              周代では、 2.5センチ
              約 30.303 mm(日本・台湾)
              約 33.333 mm(中華人民共和国)
              正確に(1/33) メートル
                 (1/10)尺
              親指の厚み
              掌の下端から脈を計る位置まで
              の長さ、距離

  「二四六九士(にしむくさむらい
  二(に)四(し)六(む)九(く)士(十+一=さむらい)
  ↓↑
 同様の配置は
 享和元年(1801年)にも発生しており、
 この時には
 「大小と順に数えて 盆踊り」
  (奇数月が大、
   偶数月が小
   を交互に繰り返すが、
  旧暦の
  お盆がある7月で踊る
  (繰り返すという意味
   踊り字と同じ語源)
  ↓↑  ・・・躍り字(おどりじ)=踊り字
         日本語の表記で
         使用される約物(特殊記号)
         繰り返し符号
         反復符号
        「々、ヽ、ゝ」=(同の字点)
        「おどり、
         繰り返し符号
         重ね字
         送り字
         揺すり字=「〻(二の字点)」
         重字
         重点
         畳字(じょうじ)
        「ゝ・ヽ」=(一の字点)
        「〱」=(くの字点)
        「ゞ・ヾ」=濁点
         殷代で「子子孫孫」を
  ↓↑        「子=孫=」と書いた
         各        屡
         〻        〻
         各々(おのおの) 屡々(しばしば)
         「々」=反復記号の一で漢字ではない
            「ノ+マ」とも・・・
            「ク+丶」ではないらしい・・・
             同・仝・・・「〃」
             馬鹿々々しい
  ↓↑
  ↓↑
 8月も大となり、
 以下
 奇数月が小、
 偶数月が大
 を交互に繰り返す)
 という
 語呂が用いられた・・・
ーーーーー
 ・・・ゴロゴロ、ニャァ~って、イツもは食べ物を催促するモモちゃんは暑さでマイッて、ぐったり・・・
 二時過ぎ、札幌の従妹の息子が約束の件で訪ねて来てくれた・・・紋別の彼の姉の子供(女の子)にオフクロが遺していった人形をもらって貰い、届けてもらう為・・・

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カンナ・ヅキ・・・関連性が「あるんだ、と、よう~」・・・神無月・・・

2016-07-15 11:25:21 | 古事記字源

 ・・・「千早(ちはや)ぶる」が、ナゼ「荒(あら・コウ)ぶる」なのかは「千早(センソウ→撰想・撰叢・撰奏→千艘・千層・戦争)」であるからだ・・・「神無月とよ」は「じゃがたら-おハル」にある文だが、「神(かみ)が、無(いない・存在しない)、月(つき・ガツ・ゲツ)・肉(にく・ジク)・舟(ふね・ソウ)」である。神無月(かんなづき・かみなしづき)は、旧暦十月の異称である。ブログ辞典などで調べたら「醸成月」の説や、沖縄では「飽果十月」であるらしいが、「太陰太陽暦(旧歴)は月の日数が(大の月30日、小の月29日)が年により異なり、小の月は10月29日までで、大の月となる10月30日は存在しない年もある」・・・旧歴の十月(神無月)と云ってもカミのいない出雲出張期間は「旧歴の十月十日~十月十八日」らしいから、多分、その月間の「月齢の形(楕円形・餅の形)」も、「時刻の空の位置・見える角度」も問題だろう・・・「諏訪の神」は肥満体(太っチョ・別格)で参加免除であったらしい・・・慶応三年(1867年)十月の事件は、「出雲」ではなく、「京都の二条城」であった・・・
ーーーーー
 ↓↑
 慶応三年(1867年)十月三日
 土佐藩の
 山内豊範
 は単独で
 「大政奉還の建白書」
 を
 将軍・徳川慶喜に提出
 10月13日
 徳川慶喜は
 京都・二条城に上洛中の
 40藩の重臣を招集・・・・欠席した人間はいるのか?
 ↓↑         「諏訪の守」かも?
            「諏訪忠誠(すわ ただまさ)」
             譜代大名、老中
             信濃諏訪藩(高島藩)
             第九代藩主?
 ↓↑          明治元年(1868年)
             戊辰戦争で新政府軍に与し
             甲州勝沼の戦い
             北越戦争
             会津戦争に参戦
 ↓↑          ↓↑
             重臣
             諏訪図書家(二之丸家)断絶
          ・・・ナゼ、図書家(二之丸家)なのか?
             千野家(三之丸家)
 ↓↑          千野家(御櫓脇家)???
 ↓↑           ↓↑
             真田家松代藩も
             新政府に恭順姿勢
             戊辰戦争で
             官軍として
 ↓↑          奥羽戦線で戦功をあげた・・・
 大政奉還を諮問
 10月14日(11月9日)
 「大政奉還上表」を朝廷に提出
 摂政の
 二条斉敬ら朝廷の上層部は困惑し
 薩摩藩の
 小松清廉、
 土佐藩の
 後藤象二郎
 らの働きかけで
 翌15日
 徳川慶喜を加えた
 朝議で勅許が決定
 大政奉還勅許の
 沙汰書を授けられ成立
ーーーーー
 ↓↑
 で、
 神無月・・・神奈川(神奈河・神名川・上無川・三浦半島・横須賀・横浜・相模)・・・神流川(かんながわ・利根川、荒川の水系)・・・「難名臥話」である・・・
 「カンナ(Canna)=檀特(ダンドク)の花。開花時期、6/20~10/10頃」は
 ケルト語で「アシ(葦)のCan」
 ギリシア語で「アシ(葦)のKanna(葉)」
 を意味するって、「Can na」・・・
 「I can na(not available, not aplicable)」、
 「could be nah」、
 「na=natron=曹達(ソーダ)=ドイツ語の元素記号 Na
        炭酸ナトリウム
        炭酸ソーダ・ソーダ灰・炭酸塩
ラテン語(natron)」
 ・・・漢名で、「鉋(かんな)」は梳る、「銫(セシウム)」は元素、「寛和(985年~987年・花山天皇、一条天皇の年号」で、「寛和の変(かんなのへん)=寛和二年六月二十三日(986年7月31日)、花山天皇の退位、出家、及びそれに伴う政変)」・・・今上の「民主主義天皇の譲位」も「自由が無く」大変である・・・「象徴」は「日本国憲法の人権庇護」に反して矛盾している・・・
 ↓↑
 で、
 上旬にある弦月(半月)を上弦の月、
 下旬の弦月を下弦の月
 十日夜月(とおかんやのつき)・・・訳於巻哉の椄記?
                  投函也の解通?
 午後に昇り、
 日没ごろ東の空に見え、
 夜に入って一番高くなり、
 未明に沈む
 上弦の月より膨らんだ焼き餅形の月?
 旧暦十月の十日に「十日夜」と呼ばれる
 観月の慣習もあった
 ↓↑
 十八夜月・・・?「おはこヤのつき」だけれど、出番
 居待月(いまちづき)
 夜に入って昇り、
 未明に一番高く、
 日の出前は
 西の空にあり、
 午前中に沈む
 下弦の月より膨らんだ焼き餅形の月?
 ↓↑
ーーーーー
 「在原業平」が詠んだ和歌は、
 「神代もきかず」、
 「龍田川」、
 「からくれなゐ=唐紅(韓紅)→もみじ=栬・紅葉・椛→揉観字・摸見字」に、
 「水(みず・スイ・氵=さんずい→纂髄(瑞・隋)・推(スイ)」、
 「くくる(括る・摎る・撿る・操る(傀儡=カイライ・くぐつ・推古)」
 で、
 「てくぐつ(手傀儡)=手であやつる人形・あやつる芸」は、
 「八千独楽 (やちこま) 、
  蟾舞 (ひきまひ)をアヤつる」
 ↓↑
 「くくる=矩句留→九九留=八十一)」・・・海女が「潜(くぐ)る」は「もぐる」でもあり、鳥居を「潜(くぐ)る」は「潜(くぐ)り抜ける」でもある・・・
 この和歌の「くくる」は「絞(しぼ)り染める」が現代語(?)訳らしいが、「搾(しぼ)り初め」はどうか?・・・搾るとは菜種油か、年貢である・・・この「唐紅=韓紅=からくれない=紅葉」が字面どうり「赤紅色」で、「濃い紅色・深紅色」、口紅。「韓紅」ならば「中国→朝鮮→日本」へヤッテきた「紅」で唐辛子の色?・・・辰砂は「赤丹(あかに)」で、水銀の丹(タン)ならば「血の色」である。「たったがわ」は「血の色」に染まったのである・・・多分、和歌の裏は美辞麗句の賛美ではない。怨み、恨みの歌かも?・・・作者は「在原業平(平城天皇の孫・贈 一品・阿保親王の五男・六歌仙・三十六歌仙の一人・別称は在五中将・略無才学、善作倭歌)」→「ザイゲンゴウヘイ・ザイゲンギョウヘイ」の「朝臣(あそん・チョウシン)」の「十七番・古今和歌集に三十首」である・・・「ありはら之なりひら」、「罪の源の業」を「平ら」にするって・・・彼の経歴は、縁戚も、事件も、数字も、ボク的には「そんな奴がいたのか?」である・・・
 ↓↑
 「蟾舞 (ひきまひ・センブ)」の「蟾(セン)」とは、「蟾蜍(ひきかえる・センヨ)=蟇蛙(バクア)」であり、「かえる(蛙)」の名詞である・・・「蝦蟇(がまかえる・カバク)・雨蛙(あまかえる・ウア)」も「かえる」である・・・
 同類の漢字は、「贍(たす・すくう・たりる・たすける・めぐむ・贍給・たりる・ゆたか・富贍・セン)」で、「瞻(みる・みあげる・セン)」でもあった・・・
 ↓↑
 「龍田川」にある「龍田神社(奈良県生駒郡斑鳩町)=崇神天皇時代の創立?法隆寺の鎮守・風の神」は「持統天皇」が頻繁に参拝していた場所である。「元々の社名は、龍田-比古・龍田-比女-神社・大正十一年三月に龍田大社より独立」・・・
 薬師寺の東塔の銘文「東塔檫銘(とうとうさつめい)」に・・・
 「天武天皇の発願から持統天皇が天武天皇の遺志を継いで寺を完成させた」・・・
 「日本書紀」には
 「天武天皇が美濃王と佐伯廣足を派遣し、龍田の立野に風神を祀らせた」、
 「天武天皇四年(676)四月癸未・祠風神于龍田立野・天武天皇は十九回、持統天皇は十六回、遣使奉幣」・・・
 「壬申の乱(日本書紀巻二十八(壬申紀)」に
 「天武天皇元年6月24日~7月23日、
 (ユリウス暦
  672年7月24日~8月21日)」、
 「天武天皇死亡」
 は
 「朱鳥元年九月九日
 (686年10月1日)」
 であり、
  ↓↑
 壬申の乱・・・・・「人臣(大海人皇子)の乱」?
 672年7月24日~8月21日
ーーーーー
 「則天武后」は
 「唐の第三代皇帝、
  高宗の皇后に就き、
  監禁していた
  王氏(前皇后)
  と
  蕭氏(前淑妃)を処刑
  高宗死亡後、
  国号を
  周とし、
  女帝
  (在位 690~705)に就任・・・
  ↓↑
  天武天皇
  壬申の乱
  672年7月24日~8月21日
  ↓↑
  676年
  龍田神社へ参拝
  天武天皇・持統天皇
  ↓↑
  武側転
  武則天
  則天武后の
  父は
  利州都督
  ↓↑
  武士彠(尋+蒦・艹+隻)
  武士彠
  ↓↑
  則天武后の
  姓名は
  武照(曌=明+空)
  幼名は
  媚娘
  武則天は
  狄仁傑・・・・狄仁傑・・・テキジンケツ?
  を宰相」
  ↓↑
 「686年10月1日」は
 天武天皇の死亡であった・・・
  ↓↑
 「665年
  唐使
  劉高徳・・・・・劉高徳
  郭務悰・・・・・郭務悰
  来日
  ↓↑
  667年
  唐送使
  司馬
  法聡・・・・・法聡
  が
  遣唐使を送って来日
  ↓↑
  671年
  百済鎮将
  劉仁願・・・・・劉仁願
  が
  李守真・・・・・李守真
  らを
 (日本)に派遣
  ↓↑
  壬申の乱
  天武天皇元年6月24日~7月23日
 (ユリウス暦
  672年7月24日~8月21日)
  ↓↑
  779年
  唐使
  孫興進・・・・・孫興進
  秦怤期・・・・・秦怤期
  来日
 (帰国する
  遣唐使一行の船に同乗、
  中使
  趙宝英・・・・・趙宝英
  は遭難死)
  ↓↑
  780年、唐使 ...」
 「天智四年(665)九月~12月
  唐が
  朝散大夫
  沂州司馬
  上柱国
  劉高徳・・・・・劉高徳
  右戎衛郎将
  上柱国
  百済弥軍
  朝散大夫
  柱国
  郭務悰・・・・・郭務悰
  254人を派遣
  7月末に
  対馬に至り、
  9月下旬に
  筑紫に到着
  10月11日
  莵道で閲兵」
  ↓↑
 「686年10月1日」は天武天皇の死亡で
 その死亡後の
 「龍田(リュウデン)神社(ジンジャ・シンシャ)」
 の役割は
  ↓↑  
 「劉仁願(リュウジンガン)」
 の
 進駐、駐屯司令部だった・・・?
  ↓↑
 なんせ、「龍神に願う」である・・・
  ↓↑
 「金春秋」
 武烈王(602年?~661年)=太宗-武烈王
 新羅の第29代の王(在位、654年~661年)
 姓は金
 諱は春秋
 父は
 第25代
 真智王の子の
 伊飡(二等官)の
 金龍春(龍樹・文興葛文王)
 母は
 第26代
 真平王の長女
 天明姫(文貞太后)
 王妃は
 金舒玄の娘の
 文明夫人(文姫)
 655年1月
 高句麗・靺鞨・百済の連合軍(麗済同盟)
 に北部辺境の33城をが奪われ
 唐に救援を求め
 唐は営州都督
 程名振
 右衛中太将
 蘇定方
 を派遣して高句麗を攻撃
 659年
 百済が攻め込んでき
 唐に出兵を求め
 660年3月
 唐は
 百済討伐の出兵
 左武衛大将軍
 蘇定方
 を
 神丘道行軍大摠管とし、
 劉伯英将軍に
 水陸13万の軍を率いさせ、
 新羅も従軍
 ↓↑
 副大摠管は
 唐に宿衛していた
 武烈王の息子の
 金仁問とし
 新羅王に
 嵎夷道行軍摠管とする勅命
 唐と新羅との連合軍で
 百済討伐
 同年
 7月18日
 義慈王の
 百済は滅び、
 11月
 武烈王は凱旋し、
 論功行賞を行なう
 ↓↑
 661年
 斉明天皇、邦の津で急死
 中大兄皇子は称制
 朴市
 秦造
 田来津
 を司令官に任命
 倭国軍は
 三派で朝鮮半島南部に上陸
 第一派
 1万余人。船舶170余隻
 安曇比羅夫
 狭井檳榔
 朴市秦造田来津。
 第二派
 2万7千人
 上毛野君稚子
 巨勢神前臣譯語
 阿倍比羅夫(阿倍引田比羅夫)
 第三派
 1万余人
 廬原君臣
 (廬原国造の子孫)
 ↓↑
 661年5月
 第一派倭国軍出発
 安曇比羅夫
 狭井檳榔
 朴市秦造田来津
 豊璋王を護送する先遣隊で、
 船舶170余隻、兵力1万余人
 ↓↑
 662年3月
 第二派倭国軍出発
 上毛野君稚子
 巨勢神前臣譯語
 阿倍比羅夫(阿倍引田比羅夫)
 ↓↑
 663年(天智2年)
 百済
 豊璋王
 が
 鬼室福信
 と対立、惨殺
 百済復興軍は、
 百済南部に侵入した
 新羅軍を駆逐
 ↓↑
 唐は
 劉仁軌
 率いる水軍7,000名を派遣
 唐・新羅軍は、
 水陸併進し
 陸上部隊は、
 唐の将
 孫仁師
 劉仁願
 新羅王の
 金法敏(文武王)が指揮
 劉仁軌
 杜爽
 ↓↑
 元百済太子
 扶余隆の
 170余隻の水軍は、
 熊津江に沿って下り、
 陸上部隊と会合し
 倭国軍を挟撃
 ↓↑
 倭国・百済連合軍
 白村江への到着が
 10日遅れ
 唐・新羅軍の
 白村江河口に対して突撃
 海戦
 倭国軍は三軍編成
 4度攻撃
 火計、干潮の時間差などで
 唐・新羅水軍に大敗
 ↓↑
 663年(天智二年)8月
 白村江の戦い
 (はくすきのえのたたかい
  はくそんこうのたたかい)
 ↓↑
 壬申の乱・・・・・「人臣(大海人皇子)の乱」?
 672年7月24日~8月21日
 ↓↑
 676年
 「天武天皇四年(676)四月癸未
  祠風神
  于
  龍田立野
  天武天皇は十九回
  持統天皇は十六回
  遣使
  奉幣」
 ↓↑
ーーーーー
 じゃがたら オハル
 じゃがたら文
 追放後に
 ジャカルタから故郷の人々に宛てた
 ↓↑
 千はやふる、・・・・千早ぶる=荒ぶる
           神代も
           きかず 龍田川
           からくれなゐに=紅葉で
           水くくるとは=ミズを絞り染め
           在原業平朝臣
           (十七番・古今集)
 神無月とよ、
 うらめしの嵐や、
 まだ宵月の、
 空も心もうちくもり、
 時雨とともにふる里を、
 出でし
 その日を
 かぎりとなし、
 又、
 ふみも見じ、・・・・・・フミ、モミジ・・・?
 あし原の、・・・・・・・蛙詞葉等之?
 浦路はるかに、・・・・・有等字
 へだゝれど、
 かよふ心の
 おくれねば、
 おもひやる
 やまとの道の
 はるけきも
 ゆめに
 まちかく
 こえぬ夜ぞなき
 ・・・略・・・
 あら日本
 恋しや、
 ゆかしや、
 見たや 。
     じゃがたら
     はるより
 ↓↑
 「千はやふる、・・・千早(センソウ=撰想・撰叢・撰奏
           千艘・千嫂・千層・船倉
              戦争)
              ↓↑
           センソウ フ     ル
           戦 争、 負(フ・附)る
           戦(いくさ)
               者(は・もの・シャ)
                負(まけ・フ)る  
           戦争負(フ・附)留
           戦者(は・もの・シャ)也、
              風(フ)に留(ル)る
           戦頗(は・かたよる
              よこしま・すこぶる)
              家(いえ・ヤ)
             (斁・邪・鰥)破流
             「斁」=いやになる=厭(嫌)
                 エキ・セク・ト・ズ
             「邪」=「耶」・・・ム=私
             「鰥」=魚+眔(トウ)
                  眔=目から流す涙
                    死者の胸元に
                    眔(なみだ)する
                 妻のいない男
                 男やもめ
                「鰥寡(カンカ)」
                 鰥=カン・ケン・コン
                「矜寡(カンカ)」
                「孤独鰥寡」
やもめ=鰥夫・寡婦
                「矜持(キンジ)=あわれむ
  神無月・・・・神なんかは
         無(イナイ)、
         つき=通飢・椄記(紀)
  とよ     とよ=臺與・・・壹與?
            登与
            利世
            豐代・・・豊後・豊前・豊國の代
            豊與
           「~だとよ」
            他からの伝聞
            揶揄(やゆ)する意
            …と、いうことだよ(な)
            …だ、そうな
            …で、あるらしいな
  ・・・
  あら日本・・・・荒(あら)、日の本 
  恋しや、・・・・故意詞邪(耶・哉・埜・也)
  ゆかしや、・・・有化史也(邪・耶・埜・焚)
  見たや、
  見たや」
 ↓↑
 と結ばれた手紙文・・・?
ーーーーー
 ・・・と、いうことだよ(な)・・・

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「指導される民主主義」・・・「ちはやぶる独裁者の民主主義」・・・

2016-07-13 23:17:30 | 古事記字源

 ・・・「オランダ・ハーグの仲裁裁判所」の判決・・・現在の大陸中国政府はかっての「日本帝国の満州事変」を大陸中国政府自身の問題として反省すべきだな。かっての帝国日本は「満州事変」で「国際連盟を脱退」、そして「日中戦争」、「太平洋戦争」、結果は敗北だった・・・時代遅れの「大漢民族主義国家」の「帝国主義的覇権」・・・どうやら「古代王朝」気分の政府指導者の脳ミソで、毛頭、他山の石とするつもりはないらしい・・・奴らの脳ミソは「社会的根性(金銭欲・権力欲)」としてコビリついている「個的人間のエゴ」である。このエゴを集約したモノが「国家意思(服従関係・権力秩序)」である。個的エゴの拡大と強制、その行使(暴力)である・・・それは個々人が日常で、暗黙に是としているモノだ・・・権力を担う人間は、時たま相手と妥協もするが、強弱の均衡は意志の弱さを見せたモノが崩れる・・・
 「社会的根性」とは、詰まる所、「無自覚、無反省な青年が荒野をメザしたナレの果て」の土壌である。その土壌とは「富(カネ)増殖と、立身(権力)増殖」志向の日常意識である・・・そして、階級社会の枠内での保障のない「自由な選択」である・・・
 社会的立身出世、そして、社会的資産長者を目指す・・・人びとの集約されたエゴな脳ミソを媒介にして結果的に荒廃と破壊をメザスのだ・・・社会的な人間同士の生活で共棲、共存、協調は「階級的に疎外」されるし、してきている・・・
 なんせ、「集金兵」が階級国家の機能で、国家意思はエゴの極みである・・・その土壌で育った「人間の仕業」が「荒野メザス」のである・・・英雄になれるか、どうかは「運次第」・・・そのプロセスで「国民利益」の幻想を振り撒き、吹聴してきた「国家権力=国家意思=国家エゴ」の立場を国際的に放棄することは自滅を意味するから・・・
 「ヒト(国民)」とはダレなんだかは、「平家(紅旗)であらずばヒトにあらず」が、「集金兵」の脳ミソとその思想的な立場である・・・相互の「粛正」が政治目的だから・・・
 これは決して「大陸一般中国人の意識」ではないのはアタリマエだが、大陸中国国内で諸外国の国際TV情報が切断されては・・・
 大陸中国領土内のフイリピン大使館、領事館を中国人暴徒を警戒して中国国家警察、治安部隊が警護だってか・・・尖閣列島問題が「中国国家の日当で操られた暴徒」であったコトは一般「中流中国人」には今やアタリマエである・・・で、「日当暴動デモ」を有り難く「労働」したのはダレだったんだか・・・ホトンドがその日の「日雇い民工」か、「ルンペンプロリアート(失業者)」である・・・日当給金は生活の糧である・・・彼らはギリギリまで「人参」で動く・・・その日暮らしでも、喰って生きなくちゃ・・・だが「ユメ」は視るコトが出来ても、喰えない・・・
 「中流中国人」、彼らはプチブル意識の生活者である。上昇チャンスもあれば、奈落に落ちる恐怖もある。だが、エンゲル係数で生活に余裕があれば、イイモノは「国家」、「民族」を超えて「爆買い」するし、アニメも見るし、日本旅行にも、デズニーランドにも行くのだ・・・だが賃金の函数F(x)=yグラフの安定曲線を常に敏感に感じている階層でもあり、そして「法治の意味」も、道徳、倫理も、国際関係も知識として判断出来る階層である・・・「市民(プチブル意識の)秩序」として・・・「一般中流市民(?)は安定、安全を目指す」、「危険に無自覚」で「危険に満ちた荒野は目指さない」・・・
 大陸中国で「カミクズだ」と云っている愚図はダレなんだか・・・2000年間、ダレが南支那海で活動してきたのか・・・確かに東支那海、日本海には「倭寇」の「中国人」も「高麗人」もいたらしい・・・活動と云えば「遣隋使・遣唐使」でもあったが、
 「呂宋助左衛門(納屋助左衛門・永禄八年(1565年)?~没年不詳)」は、戦国時代、和泉国堺の貿易商人としてルソンに渡航していた。当時の日本人は彼だけじゃないだろう。
 「山田長政(通称、仁左衛門・天正十八年(1590年)頃~寛永七年(1630年)」は、江戸時代前期にシャム(タイ)の日本人町を中心に東南アジアで活躍していた。
 アンコールワットには日本人の名前も記されてあるらしい。「アンコールワット十字回廊に残された森本右近太夫の墨書(落書き)、他に も日本人による墨書が13箇所残されている」らしい・・・
 兎に角、「日本人町」は東南アジアに多数あり、居住人口も多い・・・当然、南支那海での航海、渡航は「日本人の活動」だろう・・・
 で、「岩礁」は島ではないらしいから、日本政府も困った?・・・「南鳥島(マーカス島、マルカス島・Marcus Island)・標高9m・非排他的経済水域」・・・
 で、大陸中国政府のイチャモン、批難もスゴイヤクザ以上である・・・「日本人が仲裁裁判所の国際判事4名を任命した」とかは開いた口をどうしたモノか・・・どうやら「科学的唯物論者」ではなく、「唯のタダモノ論者」を超えている・・・
 「7月12日、オランダ・ハーグの仲裁裁判所は、中国が南シナ海で主権が及ぶと主張している境界線「九段線」について、同海域内の資源に対する歴史的な権利を主張する法的 な根拠はないとの判断」、
 「ブリュッセル時事・オランダ・ハーグの仲裁裁判所は12日、南シナ海問題をめぐる判決で、中国が南シナ海をほぼ囲むように設定する独自の境界線「九段線」について、域内の資源に「歴史的権利を主張する法的根拠はない」との判断を下した」、
 「オランダ・ハーグの仲裁裁判所が、中国の南シナ海における主権の主張を否定する判決を出した」、
 「南シナ海の領有権に関して、中国の独善的な言動の不当性を指弾する国際司法判断」、
 「南シナ海のスプラトリー(南沙)諸島で中国が造成した人工島に対して、排他的経済水域(EEZ)は生じないとの判断も示した」、
 「中国は、フィリピンが仲裁裁判を申し立てて以降、南シナ海の南沙諸島(スプラトリー諸島)で次々と人工島を造成、九段線は、中国と領有権を争っていないものの、インドネシアの排他的経済水域とも重なっており、この海域に入った中国の漁船が拿捕」・・・
 ・・・「オランダ(阿蘭陀)」と「ジャガタラ(カラパ=咬拉吧(カラパー)・咬刺巴・交留吧・咬𠺕吧」・・・
ーーーーー
 ↓↑
 じゃがたら お春(1625年?~1697年)
 長崎に在住し、
 後に
 バタヴィア(ジャカルタ)へと追放された
 イタリア人と日本人の混血女性
 ジャカルタから日本へと宛てた
 手紙
 「じゃがたら文」・・・
 ↓↑
 寛永二年(1625年)
 ポルトガル商船の航海士であった
 イタリア人
 ニコラス・マリン
 と、
 長崎の貿易商の子女
 マリア(洗礼名・日本名不明)
 との間に生まれた
 寛永十六年(1639年)六月
 第五次鎖国令により、
 同年十月
 長崎に在住していた
 紅毛人とその家族が
 バタヴィアへ追放
 母・マリア
 姉・お万
 と共に14歳で離日
 オランダ側の記録では、
 お春は「ジェロニマ」
 お万は「マダレナ」
 とされている
 ↓↑
 同じ便で日本を離れた者の中には、
 ↓↑
 慶長五年(1600年)
 ウィリアム・アダムス(三浦按針)
 らと共に日本に漂着した
 メルキオール・ファン・サントフォールト
 もいた
 ↓↑
 追放後
 21歳のとき
 オランダ人との混血男性で、
 平戸を追放されていた
 シモン・シモンセンと結婚
 夫はオランダ東インド会社へ入り活躍
 三男四女を儲け、
 1697年4月に72歳で死去
 ↓↑
 じゃがたら文
 追放後に
 ジャカルタから故郷の人々に宛てた
 ↓↑
 千はやふる、・・・・千早ぶる=荒ぶる
           神代も
           きかず 龍田川
           からくれなゐに=紅葉で
           水くくるとは=ミズを絞り染め
           在原業平朝臣
           (十七番・古今集)
 神無月とよ、
 うらめしの嵐や、
 まだ宵月の、
 空も心もうちくもり、
 時雨とともにふる里を、
 出でし
 その日を
 かぎりとなし、
 又、
 ふみも見じ、・・・・・・フミ、モミジ・・・?
 あし原の、・・・・・・・蛙詞葉等之?
 浦路はるかに、・・・・・有等字
 へだゝれど、
 かよふ心の
 おくれねば、
 おもひやる
 やまとの道の
 はるけきも
 ゆめに
 まちかく
 こえぬ夜ぞなき
 ・・・略・・・
 あら日本
 恋しや、
 ゆかしや、
 見たや 。
     じゃがたら
     はるより
 ↓↑
 「千はやふる、
  神無月とよ・・・
 ・・・
  あら日本 
  恋しや、
  ゆかしや、見たや、見たや」
 ↓↑
 と結ばれた手紙文
 ↓↑
 正徳四年(1714年)
 西川如見・・・・天文暦学家
         名は忠英
         号は求林斎
         通称は次郎右衛門
         鍛冶業で
         鉄器販売の
         忠益の子
         家業を継いだが
         20歳の頃
         京都の儒者
         南部艸寿
         に朱子学
         林吉佐衛門に
         天文暦学を学ぶ
         先儒の諸説や
         西洋の説を
         参酌して一家の見を立てた
         わが国最初の
         世界地理の書物
        「増補華夷通商考」
        「日本水土考」
        「四十二国人物図」
        「天文義論」
         など多数
         長崎の地誌として知られる
        「長崎夜話草(ながさきやわぐさ)」
         は、
         如見の談話をその子・・・・如く見る?
         正休(忠次郎)が筆録・・・正しく休む?
 が著した
 『長崎夜話草』第一巻によって紹介
 ↓↑
 明治時代
 貴族院議員
 竹越与三郎が
 じゃがたら文を評し
 「『じゃがたら姫』の『じゃがたら文』を読みて
 泣かざるは人に非ずと申すべし」
 と述べた
 昭和十四年(1939年)
 じゃがたら文
 を下敷きとして
 歌謡曲「長崎物語」も作られた・・・
 ↓↑
 蘭学者の
 大槻玄沢は、
 「疑うべきもなき
  西川の
  偽文」
 と断じ、大槻の門弟であった
 山村才助も
 「人多くこれを偽作ならんかと疑うべし」
 としている
 「じゃがたら文」
 と
 後年
 お春によって書かれたとされる手紙との
 差異も著しく、
 近年では偽作と結論・・・
 ジャカルタ古文書館に
 お春の遺言書が保存
 遺産の分配法などが示され
 富裕層の証である
 奴隷も所有していた・・・
 ↓↑
 ジャガタラ・・・インドネシア
 ↓↑
 Republik Indo-nesia(印度尼西亜)
        ネシア(nesia・島々)
 国章
 ガルーダ=インド神話に登場する伝説上の鳥
 鷹の図柄
 翼の羽毛は左右に17枚ずつ
 尾の羽毛は8枚
 尾の着け根の羽毛は19枚
 首の羽毛は45枚
 独立宣言の
 1945年8月17日の数字
 ↓↑
 18世紀
 オランダは
 マタラム王国の分割支配により
 ジャワ島、
 19世紀
 アチェ戦争により
 スマトラ島をほとんど支配
 1799年
 オランダ東インド会社が解散
 1800年
 ポルトガル領東ティモールを除く
 東インド諸島のすべてが
 オランダ領東インドとなり、
 現在のインドネシアの領域全体が
 オランダ本国政府の直接統治下に置かれた
 ↓↑
 1795年
 オランダ(ネーデルラント連邦共和国)は
 フランス革命軍に占領、滅亡し
 インドネシアは
 バタヴィア共和国(1795年~1806年)
 ホラント王国(1806年~1810年)
 と政体を変遷
 1811年~1815年
 ネーデルラント連合王国建国まで
 英国領であった
 ↓↑
 1819年
 イギリスの
 トーマス・ラッフルズが
 シンガポールの地政学上の重要性に着目し、
 ジョホール王国の内紛に乗じて
 シンガポールを
 イギリス東インド会社の勢力下に獲得し
 オランダが反発
 1824年
 イギリス・オランダ両国が英蘭協約を締結
 オランダ領東インドの領域が確定
 ↓↑
 20世紀初頭
 ジャワ島では、
 1908年5月20日
 ブディ・ウトモ
 が結成
 植民地政府と協調しつつ、
 原住民の地位向上をはかる活動
 5月20日は
 「民族覚醒の日」
 ↓↑
 1910年代
 はイスラームを紐帯とする
 サレカット・イスラーム
 が
 東インドで大規模な大衆動員に成功し、
 1920年代
 インドネシア共産党が
 労働運動を通じて
 植民地政府と対立
 1927年
 スカルノ
 による
 インドネシア国民党の結成
 1928年の
 「青年の誓い」
 ↓↑
 インドネシア国民党の運動
 民族の独立(ムルデカ)
 青年の誓い
 唯一の祖国・インドネシア
 唯一の民族・インドネシア民族
 唯一の言語・インドネシア語
 が宣言
 1927年末~1928年
 インドネシア共産党は反乱を起こし弾圧
 スカルノ
 ハッタ
 が主導する民族主義運動も、
 オランダ植民地政府によって非合法化
 ↓↑
 ジャカルタ(Jakarta)
 インドネシアの首都
 古称はジャガタラ (Jacatra)
 ↓↑
 「ジャカルタ(加拉巴・雅加達)」
  爪哇(ジャワ)の
 「咬刺巴・交留吧・咬𠺕吧」
 「ジャガタラ=カラパ=咬拉吧(カラパー)」
 西部ジャワの地域名称が
 スンダだったので、
 後世になって
 スンダカラパ⇒スンダクラパ
 という呼称が変化
 ↓↑
 スンダクラパ
 1527年
 東部ジャワ中部ジャワの
 イスラム都市国家連合軍に征服され
 ジャヤカルタ
 名を変え
 オランダ東インド会社に征服され
 ジャカトラ
 バタヴィア
 と名を変遷
 バタヴィアは
 日本軍の占領によって
 ジャカルタ
 と変更
 ↓↑
 カラパ
 ジャワ
 中心地が
 中部・東部ジャワ
 インドネシアは多民族国家・・・
 1942年3月
 蘭印の中枢である
 バタビア(ジャカルタ)を占領
 ↓↑
 1945年8月15日
 日本が連合国軍に降伏
 スカルノら民族主義者は
 同17日
 ジャカルタの
 プガンサアン・ティムール通り56番地で
 独立宣言
 再植民地化に乗り出したオランダと独立戦争
 スカルノやハッタら
 インドネシアの民族独立主義者に共感し、
 軍籍を離脱した一部の
 日本人3,000人(軍人と軍属)も
 加わって最前列で戦い、
 その結果、日本人
 1,000人が戦死・・・
 ↓↑
 1949年12月
 オランダ-インドネシア円卓会議
 (通称、ハーグ円卓会議)
 で、
 インドネシアはオランダから無条件独立承認・・・
 ↓↑
 1950年憲法で
 権限を制約されていた
 スカルノ大統領は、
 1959年7月5日
 大統領布告によって
 1950年憲法を停止
 大統領に大きな権限を与えた
 1945年憲法に復帰
 「指導される民主主義」
 体制発足
 スカルノは、
 国軍を牽制するために
 インドネシア共産党に接近
 国軍と共産党の反目を利用し
 国政における自身の主導権を維持
 スカルノが喧伝した
 「ナサコム(NASAKOM)」は、
 「ナショナリズム(Nasionalisme)、
  宗教(Agama)、
  共産主義(Komunisme)」
 が一致団結して国難に対処するスローガン
 1961年12月
 オランダ植民地のイリアンジャヤに
 「西イリアン解放作戦」を決行して占領
 1963年5月にインドネシアに併合
  ↓↑
 1965年の9月30日
 国軍と共産党の権力闘争
 スカルノの
 「指導される民主主義」
 は終焉
 スカルノから
 スハルトへの権力委譲
 インドネシア共産党の崩壊
 ↓↑
 「指導される
 (独裁者による)民主主義の推進」の
 スカルノはエラカッタ・・・
 ↓↑
 ・・・「您辛苦了!(ご苦労さま)」・・・
 「您=なんじ(汝)
    しかり(然り・爾)
    その(其の)
    のみ(已・爾)
    ジ・ニ」=you・・・アンタってダレ?・・・
 「您」は中国での
 書(か)き言葉の
 「丁寧(テイチョウ)語」・・・?
ーーーーー
  ↓↑
 「您」=(単数2人称・你の敬称)
      あなた・あなた様・you
 「ユウ」は日本人なんですか?
   ↓↑
  您 是 日本人(儿)マ?
  您 是 日本人(儿)吧?
  您 是 日本人(儿)呢?
  您 是 日本人(儿)嗎?
  ↓↑
ーーーーー
 ・・・前回の「巴」のツヅキ・・・
  ↓↑
  岊=山の湾曲
  巴
  爬(爬虫類)
  耙・・・・まぐわ・耙(䎱)・耙(钯)・耙子
       熊手
       マグワで掻(か)き集める
       カキならす(掻き均す)
       耙地=地面を均(なら)す
       まぐわ=熊手
           釘耙鉄の歯のついたマグワ
  靶(靶子)
   ・・・・ターゲット(靶)
       弓や射撃の的(まと)
       たづなの人の把る處(轡首革)
  把(把握)
  笆=いばらだけ
    棘(とげ)があり、物に絡みつく竹
    荊(茨・棘)のかき(垣)
    イバラの垣根(かきね)
    竹の垣根(かきね)
  豝・・・・二歳の牝豚=「豝」
  琶(琵琶湖) 
  肥(肥後・肥前・肥料・肥糧)
  杷(枇杷)
  紦(紹紦)
   ・・・・織りの技法・絹
       緊=きつく縒り合わせる
         強く締める
         堅く引き締める
         弛(たる)みがない
         隙間がない・余裕がない
  鈀・・・・戦車
       兵車・鏃の一
       いくさぐるま・ハ・ヘ
  吧・・・・文末につく勧誘の助詞~しましょう
       走吧=行きましょう
       文末につく推量の助詞~でしょう
       他知道吧=彼は知っているでしょう
  皅・・・・
  芭(芭蕉)
  葩=艹+皅(白巴)=ハ・ヘ
    草の白い花・花
   「葩」=白いさま
   「皅=白+巴」
    皅
   「芭蕉」って・・・?
ーーーーー
 ・・・「巴」は「邑(阝)・色・岊・皅・把(把握)・色(七色)」の部分・・・youの国(邑・ユウ)って・・・?・・・

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