浅井氏による用水秩序「餅ノ井落とし」に関わる由緒地や、これに関わる浅井氏・井口氏らの遺跡・由緒地をめぐります。
講師:滋賀県観光交流局(滋賀県教育委員会文化財保護課併任)北村圭弘氏
戦国大名浅井久政の時代から約400年続いた餅の井の「井立て」や「井落とし」は、高時合同井堰(昭和初期)さらには国営湖北農業水利事業による高時川頭首工(昭和40年代)が完成するまで続いた、他に例を見ない水利慣行です。
現在、高時川頭首工から取水された農業用水は、地域の農地のみならず各集落内を流れ、生活用水として、また防火用水として、さらには、コイや花で飾られた集落を潤す水となっています。
昭和37年の餅の井の井立て
浅井氏領国経営の真髄&戦国の奇習「餅ノ井落とし」を歩く 1
現在の高時川頭首工
昭和40年度から昭和61年度にかけての「国営湖北土地改良事業」により造成されました。
以来、計画的な農業用水の供給により、安定した農業経営を図ることができるようになっています。
今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました