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城郭探訪

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八幡山城(東近江ブロック交流・研修会 現地研修 2011.12・08

2011年12月08日 | 観光ボランティアガイド

東近江ブロック交流研修会 20111208

東近江ブロック交流研修会

Bコース 3班 「秀次の文人としての歴史と山頂からの蒲生野の絶景をみる。」

  近江八幡城は、JR近江八幡駅の北西約2.5キロメートルにある独立丘の鶴翼山、通称八幡山の南半分に築かれた城で、比較的急峻な山城である。八幡山山頂へはロープウェイが通じており、約5分で到着できる。

 標高271.9mの八幡山最頂部に本丸をもうけ、二の丸、西の丸、出丸が配置された一大要塞であったと推測されます。
 往時の城下町は安土城城下町を移住させて形成し、琵琶湖の水を引いて作られた八幡堀を配して、戦闘の用をなすだけでなく運河の役割も果たしていた。

 現在は石垣を残すのみですが、本丸跡には、秀次の母・豊臣秀吉の姉の日秀(智)が開基の村雲門跡瑞龍寺が昭和36年(1961年)に移転されている。
 また、平成13年(2001年)には山麓で豊臣秀次の館跡が発見された。


 近江八幡城は、1585(天正13)年に豊臣秀吉の甥の豊臣秀次によって築かれた。秀次は43万石を領して入封し、安土城の一部と城下町を移転させて形成した。

 秀次は、1590(天正18)年の“小田原征伐”の軍功により、戦後、移封を拒否して改易された織田信雄の旧領である尾張、伊勢北部5郡などに100万石の大領を与えられて尾張清洲城に入る。
 替わって、近江八幡城には京極高次が2万8千石で入城したが、高次は、1595(文禄4)年に
大津城へ移ったため、近江八幡山城は廃城になった。

ロープウェーの山上駅前で・・・!

 

本丸跡には、秀次の母・豊臣秀吉の姉の日秀(智)が開基の村雲門跡瑞龍寺が・・・

城下町絵図で・・・!

西の丸から、琵琶湖と長命寺・・・!

雨で・・・蒲生野も瓶割山城址や雪野山も

八幡公園の秀次館・家臣屋敷跡!

八幡城の縄張り・・・!

従一位 関白 豊臣秀次公の銅像(八幡公園)

日牟礼神社~

絵馬も「そろばん」??

現地ガイドを終了して、

  

 近江商人塾で、昼食コース班毎に

その後、班毎に研修討議~~アンケートを提出して、班毎に解散!

雨の中、ガイドを大変勉強になりました。

  また、研修後のミーティング各ボランティアさんの、意見や感想など参考になることがたくさん有りました。

 ***近江八幡観光ボランティアガイド協会の皆様、お世話になりました。

 

 

今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました