城郭探訪

yamaziro

「城跡から探る永源寺の戦国時代」

2012年02月24日 | 歴史講座・フォーラム

ふるさと文化体験学習館(市原野町)で二十四日午後七時半から歴史講演会「城跡から探る永源寺の戦国時代」が開かれる。中井均・県立大学准教授を講師に招き、一色城、和南城、高野城を中心に同地区の戦国時代を読み解く。受講料百円(資料代)。

中井均・県立大学准教授を講師

レジュメ・・・

城跡から探る永源寺の戦国時代・・・一色城・和南城・高野城を中心に・・・

◆はじめに

・今、お城が白い⇒14世紀から17世紀の300年間に日本列島で約3~40,000カ所も築かれる【中世は大築城】

・古代の城は国家が築城、中・近世は武士階級が築城

・戦国時代の城は「土」から「成」もの⇒土木(普請)施設

◆近江の城 

永源寺町内の中世城館跡分布図

城跡周辺図・高野館遺跡(お鍋の方の屋敷=信長の側室)の石垣

高野館遺跡検出遺構平面図

和南城跡の縄張り概要図「石井 均作図」2012.1.12踏査

 講聴者約60名

     本日も訪問、ありがとうございました!!感謝!! 


野寺城(川守城・横山城) 近江国(蒲生)

2012年02月24日 | 平山城

野寺城跡俯瞰図

お城のデータ

別 名:川守城、横山城

所在地:東近江市(旧蒲生郡蒲生町)横山町/蒲生郡竜王町川守 map: http://yahoo.jp/3yfT6u

現 状:山林+山頂

遺 構:竪堀、低土塁、犬走り、現地説明板

築城者:古田氏一族

築城期:織豊期(年元亀元年(1570年)前後)

標  高:204m  比高差:104m

城 域:東西100m南北100m

訪城日:2012.2.23

お城の概要

 野寺城は雪野山から南側に延びる尾根上に連なる3つの小峰のうち、もっとも北側の標高204mの峰に位置しています。この城の築城時期は不明ですが、伝承では、雪野寺(現在の龍王寺の前身と考えられる寺院)付近の山に六角氏の家臣で、弓道の一派を創始したといわれる吉田氏が居城を有していたと伝えられており、野寺城をその吉田氏の城とする説もあります。参照「近江の城」

また、郭の虎口と明確に捉えられる遺構も原状では明確に確認できません。山頂部の郭の東および南側の下部には帯状の平面を呈する郭とも考えられる平坦面がいくつか構築されています。郭跡以外に城跡として残存する遺構のうち、明確なては竪堀があります。竪堀は斜面に山頂部の郭に向かっていくつか構築されています。特に東側斜面には複数の竪堀が畝状に配置されています。この竪堀を多用して斜面を防御しようとする野寺城の縄張りは六角氏の勢力下にあった蒲生・神崎郡の山城としては珍しい手法だといえます。

 城跡の西側にも山腹の斜面を雛壇状に削平し造られた平坦面群(竜王山遺跡)が存在しますが、その形態からは寺院跡である可能性が高く、野寺城とは直接結びつかない遺構群と考えられます。

 

歴 史

  この地域の軍事的な緊張、及び軍事行動は元亀元年(1570)の六角軍と織田軍の落窪の戦いまでで、六角軍と織田軍の戦いの中で築かれた城であると考えられています。近江源氏・佐々木六角氏に仕え、代々弓馬の武功に名高い古田氏一族の居城と伝えられています。

 野寺城の築城者、経緯等については、文献等の記録にほとんど登場しないため詳らかではありません。この城跡は永禄11年(1568)の織田信長の近江侵攻によって引き起こされた織田・六角両家の軍事的緊張の中で構築されたものではないかとも考えられます。

  妹背の郷の第二駐車場に車を置いて。

 山の北東の里山整備のイノシシゲートから 案内版に沿って

     竜王山遺跡・・・? 

 

山頂部を楕円状に削平され、その周囲を囲むように、東・南・北斜面に犬走りや竪堀などが設けられています。

 

その北側隅に貯水池と思われる凹地がのこされています。

野寺城跡縄張図

 主郭30m×40m野寺城跡俯瞰図

 

 主郭から西に、鏡山、三上山・・・眼下に日野川が琵琶湖へと・・・。

   野寺城へは麓の龍王寺付近から城跡に通じる道があり、ハイキングコースとして整備されています。公共交通機関の場合、近江八幡駅からのバスを利用すると、川守停留所で下車後、登り口まで徒歩10分程度で向かうことができます。自動車利用の場合、国道8号線からは竜王町方面へ通じる県道を利用して城跡へ向かうことになります。川守の集落から日野川を渡り、登山口付近の雪野山の山麓にある龍王寺を目標として向かいます。国道8号線から約20分で着くことができます。名神高速道路を利用する場合は、竜王ICからおよそ10分です。車の駐車には龍王寺あるいは竜王町雪野山史跡広場妹背の里の駐車場を利用することができます。

 野寺城では、平成22年度に竜王町が実施した里山森林と遺跡整備を兼ねた事業により、城跡内部が間伐され、残存する郭跡へ向かう通路・案内看板が整えられました。郭の形状も捉えやすく、見学し易くなりました。城跡から周囲の見通しがきくことで、周辺に残る城跡も望むことができます。また、一帯には中世の城跡だけでなく、雪野山古墳に代表される大小多数の古墳や白鳳寺院である雪野寺跡も立地し、古代から連綿と続く歴史に触れることができます。(上垣)

妹背の里(南西)から、直登は無理!    植林されたヒノキの森は・・・急で途中で登山道無くなる。

  

参考資料:遺跡ウォーカー(東近江市 横山城)、滋賀県中世城郭分布調査、近江の城、現地説明板

   本日も訪問、ありがとうございました!!感謝!!


竜王山遺跡(野寺城下屋敷?)  近江国(竜王)

2012年02月24日 | 館跡

竜王山遺跡

お城のデータ
所在地:蒲生郡竜王町川守 map:http://yahoo.jp/-3djMZ
現 状:山林・山腹
区 分:山麓屋形
築城期:織豊期(元亀元年(1570年)前後)
築城者:古田氏一族
標 高:140m  比高差30m
遺 構:平坦地・現地説明板
目標地:龍王寺・妹背の里
駐車場:妹背の郷の第二駐車場
訪城日:2012.2.23
お城の概要
『滋賀県中世城郭分布調査4(旧蒲生・神崎郡)』の竜王山遺跡の解説には、 雪野山山系の南端に一番高い山頂部に野寺城の遺構が鮮明に残る。この西側の登城路に数多くの平坦地が残る、野寺城の下屋敷(山腹屋敷・山麓館」か? 雪野山の南側は、東西に横切るいくつかの鞍部のうちでも、「シナド超え」「奈良路」は古く(白鳳期)から利用されてた。平坦部は「シナド超え」を中央を野寺城への城道)通る。から北西50m前後の箇所に雛壇状に始まり、さらに西に150m・南西に200m程度に広がる。

お城の歴史

  この地域の軍事的な緊張、及び軍事行動は元亀元年(1570)の六角軍と織田軍の落窪の戦いまでで、六角軍と織田軍の戦いの中で築かれた城であると考えられています。近江源氏・佐々木六角氏に仕え、代々弓馬の武功に名高い古田氏一族の居城と伝えられています。

 野寺城の築城者、経緯等については、文献等の記録にほとんど登場しないため詳らかではありません。この城跡は永禄11年(1568)の織田信長の近江侵攻によって引き起こされた織田・六角両家の軍事的緊張の中で構築されたものではないかとも考えられます。

 妹背の郷の第二駐車場に車を置いて。

 山の北東の里山整備のイノシシゲートから 案内版に沿って

     竜王山遺跡・・・? 

 

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、近江の城、淡海の城

本日の訪問ありがとうございす!!