聖徳太子孝養像 百済寺再建時の寄進者の一人『春日局』の遺品が家光将軍より落慶時に寄贈されたと伝わる極彩色の太子像の逸品で歴女・仏女の方々には必見頂きたいお姿です。
近江 百済寺は天正元年(1573年)4月11日に織田信長の焼討で一千坊が消滅しました。 一方、お江の子「家光」将軍による百済寺再建許可後、ようやく慶安3年(1650年)に本堂、山門、仁王門等が復興されました。 この太子像は家光の乳母春日局(斎藤 福、1643年没)が生前に大奥で大切に拝んでいた像であると言われております。 残念ながら、翌1651年に家光将軍も48歳の若さで病没しました。 |
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以上のご縁から、聖徳太子創建の百済寺では、家光の「生みの親/お江」よりも「育ての親/春日局(お福)」に重きを置いております。 春日局は、書道、歌道、香道、茶道等の教養に加えて、大奥の組織編制、朝廷との交渉など難問解決に辣腕を振るう『スーパーウーマン』だったようです。
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