城郭探訪

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太古の森「老蘇の森」と奥石神社

2013年02月03日 | 探訪「近江水の宝」

 

 

  万葉の昔から多くの歌に詠まれてきた「老蘇の森」は、杉、檜、松などが鬱蒼と茂る太古からの森だ。伝説によるとその昔、この地域は地が裂け、水が湧いて人の住めるところではなかった。石部大連(いしべのおおむらじ)という人が木々の苗を植えて神々に祈願したところ、すぐに大きな森となって、石部大連が百数十歳になるほど長生きしたため、いつしか「老蘇森」(老いが蘇る)と呼ばれるようになったと伝えられている。一説には、元は老蘇、武佐、平田、市辺の4つの村にまたがる大森林で、現在の何倍もの広さがあったといわれている。

  旧中山道沿いにある大きな石鳥居をくぐり、杉の大木に覆われた参道を進むと「奥石神社」がある。「奥石」と書いて「おいそ」と読み、藤原氏の祖である天津児室根命(あまつこやねのみこと)を祭神として祀っている。この神社は「延喜式内社」という神社のなかでも格式の高い神社とされ、平安時代には朝廷から重要視されていた。
 伝説では、東夷征伐に向かった日本武尊を危機から救うために、弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)が身代わりとなって上総の海で暴れる海神を鎮めるために海に身を投げた。そのとき弟橘姫命は懐妊していたが、「我胎内に子在すも 尊に代わりてその難を救い奉らん。霊魂は飛去りて江州老蘇の森に留まり、永く女人平産を守るべし」と言い残したという。この話から奥石神社の神様は安産の神とされ、人々に厚く信仰されている。
奥石神社は、中世以降「鎌宮」と呼ばれ続けていたが、延喜式神名帳に「奥石神社」という表記があることに従い、大正13年に本来の名前に戻された。
 
 神社の中心にどっしりと構える本殿は、天正9年(1581年)、織田信長が家臣柴田家久に命じて造らせたもので、国の重要文化財に指定されている。唐草紋様ほか美しい装飾が施された三間社流造の檜皮葺で、安土桃山時代らしい優美な建築だ。その完璧なまでの宮大工の仕事ぶりには、誰もが驚くに違いない。
 

長享・延徳の乱 (別に鈎の陣とも)

2013年02月03日 | 平城

長享・延徳の乱(ちょうきょう・えんとくのらん)とは、室町時代後期の長享元年(1487年)と延徳3年(1491年)の2度に亘って室町幕府が行った近江守護・六角高頼に対する親征で、六角征伐とも称される。なお、1度目の出陣は近江国栗太郡鈎(まがり)(滋賀県栗東市)に在陣したため、別に鈎の陣とも称される。

応仁・文明の乱が収束したのち、各地では守護や国人らが寺社領などを押領して勢力を拡大していた。山名宗全率いる西軍に属した近江守護・六角氏も荘園や将軍・義尚近臣の所領を押領するなど反抗的態度を表していたため、幕府は威信回復を企図して六角氏討伐を行った。

鈎の陣

長享元年(1487年)、9代将軍・足利義尚は六角高頼の征伐を決し、奉公衆を中心とした軍を率いて近江坂本へ出陣する。9月には管領・細川政元をはじめ、若狭守護・武田国信や加賀守護・富樫政親を近江に召集して高頼を攻撃する。高頼は観音寺城を放棄して撤退するが、やがて甲賀郡山間部でのゲリラ戦(甲賀忍者)を展開したため、戦闘は膠着状態に陥った。

翌年には、幕府が頼みとする富樫政親が加賀一向一揆の激化によって加賀へ帰還するが、帰還した政親は一揆勢に敗れて討たれる。さらに義尚は、本願寺や一揆勢をも討伐する意向を示すが、六角氏討伐を理由とする政元から反対されて断念する。同年、義尚は側近の結城尚豊を近江守護に任命する。一方、越前守護の朝倉貞景と美濃守護の土岐成頼は、地理的にも加賀も富樫氏よりも参陣しやすい条件にありながら、次の標的とされる事を危惧して動かなかった。貞景は自らは本国越前に留まりながらも、一門の朝倉景冬を近江坂本に派兵して協調姿勢は見せたものの、成頼は美濃で挙兵して幕府軍を威圧した。

延徳元年(1489年)、義尚は近江鈎の陣中で死去した結果、六角討伐は中断となった。側近であった結城尚豊は近江を出奔し、高頼は一時的に赦免されるに至った。

第二次六角攻め

義尚の従弟で後を継いだ足利義材も、延徳3年(1491年)に再び高頼討伐を行った。高頼に替えて細川政元を近江守護に任じたが、斯波義寛・赤松政則の両軍が六角一族の山内政綱を討ち取った他は戦果を挙げられず、高頼が甲賀郡から伊勢国へ逃れたため、幕府軍は討伐を断念。政元に替えて六角虎千代(六角政堯の養子)を守護に任命して近江から撤退した。


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2013年02月03日 | 番外編

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