城郭探訪

yamaziro

”新発見!山城(仮称)見学会+佐生城見学会 2013.2.26

2013年02月26日 | 戦国山城

東近江 伊庭山城(仮称)、北須田山城(仮称)見学会+佐生城見学会
日 時 2013226日(火)10時~16時頃
場 所 東近江市猪子町北向岩屋十一面観音駐車場集合にて受付
『時空散歩の会』会長の村田眞次郎氏

内 容 伊庭山城(仮称)、北須田山城(仮称)を縦走する現地見学会

講 師 長谷川博美氏(城郭研究家、元滋賀県中世城郭分布 現地調査員)

主 催 東近江能登川『時空散歩の会』村田眞次郎氏

参加費 500円 硬貨 JR琵琶湖腺能登川駅から岩屋観音まで徒歩40分。

参加対象者 弁当持参、低登山が可能な体力のある方なら男女を問わず。

要予約 予約先 長谷川080-5307-3651 wwmy29831@maia.eonet.ne.jp 

 

地元のk氏・・・

繖山系で、現地見学会での説明を受け改めてこの地域の歴史の深さ!
 
探訪は《伊庭山城(仮称)→北須田山城(仮称)→佐生城》見学
 集合は、北向観音・駐車場・・・残雪の猪子山道路。氷って上り道ツルツルでした。
 
 
琵琶湖側は、谷になっています。・・・車幅の山道です。
 
《点呼》・・・参加費・参加者登録・資料配布。
 
繖山・・・観音寺城址(くぼみは、地獄越え 石馬寺~須田へ)
 北須田山城址(仮称)・伊庭山城址(仮称)・北向観音・佐生城址
 
 
 
 
 
先ずは、北向観音へ 

急な雪山道、足元注意を!       「坂上田村麻呂」の名前が

  扉を開けて、見学会の無事をお願いしました。
サルが来る為必ず扉を閉めておくように書かれていました。

東近江市(能登川)の猪子山、北向十一面岩屋観音をご案内します。
北向十一面岩屋観音は能登川駅から徒歩約8分の猪子山の頂上付近にあり、能登川病院の南側、能登川高校の東側、電車に乗っていると、大津方面から来ますと能登川駅到着前に、左側に見える山です。

 能登川西部、びわ湖が一望できます。

事前、概要説明。講師:長谷川博美氏

そして講議。

新発見のお城ですから、予定時間一杯解説が聞けると思っていたんですが、雪のためか30分くらいで切り上げ、「後で配布資料を読んでおいてください」となり、現地見学に行く事になりました。

資料もたくさんいただいていますので、熟読させて頂きます。

・わかり易く専門的なことを、説明・勉強。
 
本日の探訪予定は、《伊庭山城(仮称)→北須田山城(仮称)→佐生城》
 

伊庭山の山城へ

繖山系、現地見学会での説明を受けこの地域の歴史の深さに感涙。
北向観音から、さぁー出発しますよ。

    古墳です尾根歩道に古墳有り、石積みの研究されている、誰だったかな。

ここから、新発見(仮称)伊庭山城へ。

   

「伊庭氏320年の支配のうちに、伊庭本郷の居館だけでなく伊庭山に山城があってしかるべきではないか?」との仮説に基づき伊庭山一帯を調べてこられたそうです。その結果石垣後や土塁など発見したというのです。城郭研究家:長谷川氏を講師に。
 
           縦走路の両側は低土塁・・・の説明。

     縦走路も、2つもの山城があったとは!石積の様なこちらは、縦走路の土止め石積ヵ。

                  先生の方からの説明がみなさん熱心に聞きいてておられました。                       

ここから、新発見(仮称)北須田山城

            ハイキング尾根路も伊庭山城(仮称)を縦走

          主郭・石積み

 しゃがんで見れば「低土塁」もはっきりと解ります            切岸の下から        

北向観音寺に戻り

 能登川西部、びわ湖が一望。

南側・・・中山道・箕作城(清水山)・小脇城(箕作山)を一望!

  

 

佐生城へ

石段を下りる中程の琵琶湖側に平削地・切岸ヵ

現地説明会を通じて、改めて「土塁」&「堀切」「犬走」「主郭」等理解が深められました。
ただ 写真を何枚も写しましたが説明しにくいものばかりで、雪が溶けたらおさらいします。
このような素晴らし条件に「山城」が、なぜないか不思議に・・・
  まさかハイキングコースが2つもの主郭を・・・山城に興味の無い人には!満悦感。
 
《資料より学ぶ》
天正11年当時・長浜城主柴田勝豊の主要な近江系家臣は
  • 徳永石見守寿昌)=東近江市・能登川伊庭伊庭庄領主。
  • (山路将監正国)=東近江市・能登川山路山路城出身。
  • (小川土佐守祐忠)=東近江市・能登川小川小川城出身。
  •   いずれも東近江市能登川出身と初めて知りました。
 
 
・長浜城主柴田勝豊=?−1583 織豊時代の武将。柴田勝家の姉の子、養子。越前(えちぜん)(福井県)丸岡城主。天正10年本能寺の変後の清洲(きよす)会議で、近江(おうみ)(滋賀県)長浜城主となる。
 
・徳永 寿昌=戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。美濃高須藩初代藩主。生涯 はじめ柴田勝豊に仕え、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでは羽柴秀吉に協力した。
 
・山路将監正国=天文15年(1546年) - 天正11年4月21日(1583年6月11日)戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。柴田勝家の家臣
 
・小川土佐守祐忠=近江出身ではじめ織田信長に仕え、1582 年、明智光秀の反乱に加わり山崎の合戦に出陣。                                         光秀敗滅後は柴田勝家に属して 勝家の養子勝豊の家老を務めた。
 

佐生城へ

六角氏重臣後藤氏の城

佐生城(さそうじょう)

別 名:佐野山城・佐生日吉城
所在地:東近江市五個荘日吉町~佐野町
   旧:神崎郡五個荘町下日吉
      ~神崎郡能登川町佐生

目 標:北向十一面観音(岩屋観音)

区 分:山城

標 高:160m   比高差:60m 

現 状:山林・公園・宅地

遺 構:郭・土塁・石垣・碑

築城期:室町期

築城者:後藤氏

放上日:2013.12.23

 北向十一面岩屋観音参道口
 北向十一面観音への直下の駐車場より尾根沿いに歩ける細い道があります。<佐生日吉城370mの標識あり>

 

   西の大石

   西の虎口ヵ大石の内側に

縦堀        南西隅は算木積みもしっかりとした石垣。

  城は基本的には単郭の城です。但し、石垣の城で、主郭の南側に高さ3m程度で30mほどと、及び、主郭には後藤氏の御子孫が建てられた城址碑があります。城址碑は南側山麓の日吉神社の横(旧五箇荘町側)にもあり、「佐野山城址碑」と刻まれています。何と言っても、突然現れる石垣は嬉しいです。

南西側石垣東側石垣 ・・・・東へは佐生集落へ(大同川沿いの墓地に手前の佐生橋へ)

 東側に虎口の大石の石垣が残ります。

東の虎口 城主は、佐々木六角氏の重臣で、東近江市中羽田に居館を構えていた後藤氏であった。石碑は子孫が、南方向(中羽田に居館)に立っている

六角氏の重臣後藤氏が城主の城ですが築城時期は定かではありません。 永禄六年(1563年)に後藤堅豊親子が六角義弼に謀殺された事に端を発した観音寺騒動が起こっています。

   北西側石垣

           

  西側に2カ所に10mほどの大石。

   最後に、探訪記念撮影・・・・お疲れ様!

本日の歩数  11,376歩   2時間23分    7.9km

消費カロリー 727.7kcal    脂肪消費量 104.7g

 

 

今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました。

 


佐生日吉城 近江国(能登川・五個荘)

2013年02月26日 | 戦国山城

佐生城へ

六角氏重臣後藤氏の城と伝わるが【実際は後藤氏は佐々木観音寺城の在番(守備隊長)・・・居城は雪野山城・後藤屋敷】

観音寺城の北方防衛を担う築城(出城)、石垣によって築かれた城。繖山の尾根続き、堀切はない。

佐生城(さそうじょう)

別 名:佐野山城・佐生日吉城

所在地:東近江市五個荘日吉町~佐野町   map:http://yahoo.jp/ipIgOS
   旧:神崎郡五個荘町下日吉
      ~神崎郡能登川町佐生

目 標:北向十一面観音(岩屋観音)

区 分:山城 

標高:190m  比高差:60m

現 状:山林・公園・宅地

遺 構:郭・土塁・石垣・碑

築城期:室町期

築城者:後藤氏

訪城日;2013.2.23

 北向十一面岩屋観音参道口

北向十一面観音への直下の駐車場より尾根沿いに歩ける細い道があります。<佐生日吉城370mの標識あり>

   西の大石   西の虎口ヵ大石の内側に竪堀        南西隅は算木積みもしっかりとした石垣。

  城は基本的には単郭の城です。但し、石垣の城で、主郭の南側に高さ3m程度で30mほどと、及び、主郭には後藤氏の御子孫が建てられた城址碑があります。城址碑は南側山麓の日吉神社の横(旧五箇荘町側)にもあり、「佐野山城址碑」と刻まれています。何と言っても、突然現れる石垣は嬉しいです。

南西側石垣東側石垣 ・・・・東へは佐生集落へ(大同川沿いの墓地に手前の佐生橋へ) 

 東側に虎口の大石の石垣が残ります。

東の虎口 城主(在番)は、佐々木六角氏の重臣で、東近江市中羽田に居館を構えていた後藤氏であった。

石碑は子孫が、南方向き(中羽田に居館)に立っている

歴 史

六角氏の重臣後藤氏が城主の城ですが築城期は室町期で織田信長の近江侵略の東の防衛出城。 

永禄六年(1563年)に後藤堅豊親子が六角義弼に謀殺された事に端を発した観音寺騒動が起こっています。

   北西側石垣

            

  西側に2カ所に10mほどの大石。

  

 

今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました。