城郭探訪

yamaziro

彦根城の外堀探検隊  近江国(彦根)

2015年12月18日 | 平山城

彦根城の外堀探検会に参加しました。

彦根城外堀探検会 2012.12.21

彦根市民会館集合

出発式・・・参加社約100名

  江戸時代、徳川譜代大名筆頭格として知られる彦根藩主井伊家歴代の居城として営まれた近世城跡。一六〇四年に築城が始まり、約二十年かけて完成した。今回、城跡の南東部に位置する外堀の一角、土塁が良好に遺存する地点が追加指定されるもの。
 市教育委員会によると、彦根城の外堀は一六一五~二二年の第二期工事後半に完成したと考えられ、総延長は三・八キロ。
 このうち今回、追加指定されるのは、土塁が良好に保存された同市錦町、中央町一帯の約千三百平方メートル。
 明治維新後、埋め立てが進む中、土塁と堀が認識できる唯一の遺構だった。
 市教委の今年三月末から七月にかけての発掘調査で、高さ五・五メートル、上端幅四メートル、下端幅十七メートルの台形状の土塁が二十三メートルにわたって存在していることが判明し、市教委は文化庁に報告書を申請していた。
 彦根城跡は昭和三十一年(一九五六年)に特別史跡に指定後、初の追加指定で、外堀の指定も初めてである。

外堀切通口御門

商工会議所前の植え込みの中の油懸口御門

 

市営駐車場の北側に外堀の土塁が残っていた!

今回の「城跡南東部の外堀の土塁が良好に遺存する」一角(山の湯の浦庭)を見学

外堀の外側石垣の一部

隣の私有地に外堀遺構が残っていた!

山の湯(銭湯)

高宮口御門

 アーバン銀行(元びわこ銀行)

本町口の碑(正しくは池洲口)碑の裏(彦根史談会)

当日の資料

~~探検会はここまで

 

彦根城を通って戻る

佐和山城からの移築門

彦根城大手門~

京橋口の砕石ノミ跡

京橋口の説明板

石塁(石垣)の上から城内・中堀・横矢

家老長野伊豆屋敷彦根東高校

内堀大手口

内堀で、食事中!

佐和口御門中堀の向こうに佐和山城が

いろは松井伊直弼公の句碑

外堀

  本日も訪問、ありがとうございました!!感謝!!

 

彦根城、全体の保護へ前進 外堀跡一部、特別史跡指定へ

特別史跡に追加指定された外堀土塁の一部=4月、彦根市内で(市提供)

 文化審議会が二十日、史跡や天然記念物に指定するよう馳浩文部科学相に答申した中に、特別史跡の追加指定として彦根城外堀跡(彦根市)の一部が盛り込まれた。天守や石垣など中堀より内側の遺構はすでに特別史跡に指定されており、関係者は「本来の城としての価値が見いだせる」と喜んでいる。

 彦根城は一六〇四年に築城が始まり、約二十年かけて完成した近世城郭。一九五一(昭和二十六)年に金亀(こんき)町など約四十八万八千平方メートルが史跡となり、五六年に特別史跡にランクアップした。

 市によると、今回の追加指定の対象は錦町と中央町にまたがる外堀最南端の約千三百平方メートル。明治維新後、埋め立てが進む中、土塁と堀が認識できる唯一の遺構だった。

 今年三月末から七月にかけての発掘調査で、高さ五・五メートル、上端幅四メートル、下端幅十七メートルの台形状の土塁が二十三メートルにわたって存在していることが判明し、文化庁に報告書を申請した。

 市教委文化財課の担当者は「城というと一般的に天守周辺が注目されがちだが、本来の城構えは外堀から内側全体で意味をなす。今回、外堀の一部でも指定されたことで城の全体像を把握することにつながる」と話す。

 追加指定を前に、市は今月、外堀跡全体を「埋蔵文化財包蔵地」と決めた。今後は開発の際に届け出が必要となり、外堀遺構の確認が進むことも期待される。十二月十九日には外堀跡を巡る「彦根城外堀探検隊」も催し、市民の理解を図っていきたい考えだ。

 大久保貴市長は「三重の堀に囲まれた広大な彦根城全体の保護に向けて大きく前進した。市民の皆さんとともに、文化財の保護と活用を図り、まちづくりに生かしたい」とのコメントを発表した。

 

史跡追加指定へ=

今回の追加指定対象地(外堀に伴う土塁断面を発掘調査する状況、今年4月)

◇彦根   滋賀報知新聞4■平成27年12月6日(日) 第17365号
 国の文化審議会はこのほど、特別史跡彦根城跡(彦根市)に、城跡南東部の外堀の土塁が良好に遺存する一角を追加指定するよう馳浩文部科学相に答申した。今回の追加指定により、県内の史跡は四十七件となる。
 江戸時代、徳川譜代大名筆頭格として知られる彦根藩主井伊家歴代の居城として営まれた近世城跡。一六〇四年に築城が始まり、約二十年かけて完成した。今回、城跡の南東部に位置する外堀の一角、土塁が良好に遺存する地点が追加指定されるもの。
 市教育委員会によると、彦根城の外堀は一六一五~二二年の第二期工事後半に完成したと考えられ、総延長は三・八キロ。
 このうち今回、追加指定されるのは、土塁が良好に保存された同市錦町、中央町一帯の約千三百平方メートル。
 明治維新後、埋め立てが進む中、土塁と堀が認識できる唯一の遺構だった。
 市教委の今年三月末から七月にかけての発掘調査で、高さ五・五メートル、上端幅四メートル、下端幅十七メートルの台形状の土塁が二十三メートルにわたって存在していることが判明し、市教委は文化庁に報告書を申請していた。
 彦根城跡は昭和三十一年(一九五六年)に特別史跡に指定後、初の追加指定で、外堀の指定も初めてである。