お城のデータ
所在地:甲賀市(旧甲賀郡)甲南町下馬杉字谷出 map:http://yahoo.jp/d72g1V
区 分:丘城
現 状:竹林・森林
築城年:室町期
築城者:馬杉丹後守か?
遺 構:土塁・曲郭・堀切
目標地:下馬杉バス停
訪城日:2014.12.5・2016.1.31
お城の概要
谷出城は、甲南町下馬杉集落の東側に迫る丘陵縁辺部に立地し、北から西出城、谷出城、小池城が尾根尾根続きに位置している。
西へ張出す丘陵先端部の背後に南から一つ、北から二つの谷が食い込み、取り残されるように南北に細長いY字状の丘陵が形成されている。
谷出城は、その軸部の南端に南西以外の三方を土塁囲みとした約25m四方の主郭を置き、北東側の尾根筋に対して堀切を設けている。土塁は北隅が最も高く、郭面から3mを超えているが、南東面の土塁は約50cmと低く、堀切底面と地続き状態である。
この堀切北側の尾根筋にも小さな平坦地が約150mに亘り連旦し、中間には堀切状の地形も見られるが、後世の墓地利用が進んでおり、城郭遺構か判定が難しいようである。
歴 史
在地土豪の馬杉氏に関係する城。
下馬杉・島神社・・・社伝によれば当神社は延徳二年四月に安芸の厳島神社の御分霊を勧請し時の領主馬杉丹後守が氏神として奉祀す。安永八年正月災害に依り破損甚しく同年六月改築し現在に至っている。
水口町新城の永福寺の境内に子孫が建立した新庄兼重君記念碑(明治35年2月)があります。そこには新庄伊勢守宗重が康永年間(1342年~)に軍功を建て新庄と馬杉を領有し・・と記されていて新庄と名乗ったとされています。新庄家はその後、廃されますが、嘉吉年間(1441年~)に三木又右衛門が城を築き村名を新城と改めたと
駐車位置
谷出城・・・遠景
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市史(甲賀の城)、淡海の城
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