付録【新城発見踏査に同行】見学
日 時 4月13日(日) 4月14日(月) 両日同内容 定 員 約20名(不定) 少雨決行 講師 長谷川博美氏 (愛知中世城郭研究会) 内容 鮎河館、高尾山城、中ノ尾城、鮎河山城見学 集合 土山歴史民俗資料館(丘陵上駐車場/トイレ有) 時間 10時〜16時 各自弁当水筒持参
主催 米原市文化協会 教養部 城歩会 Eメールwwmy29831@maia.eonet.ne.jp 長谷川氏
集合場所で事前「座講」
鮎河館へ
鮎河館虎口(城館の址)に石碑が残る
所在地:甲賀市土山町鮎河 map:http://yahoo.jp/c6J-_q
遺構等:土塁、碑、説明板
現状:鮎川小学校の裏手丘陵地
築城年:建武年間(1334-38)
築城者:頓宮弥九郎
歴代城主:頓宮氏
区分:居館
訪城日:2014.2.24 2014.4.13
現地駒札説明板には【鮎河城】
南北朝時代に南朝に属していた頓宮弥九郎(鮎河弥九郎)が南朝軍反撃の拠点とした城です。
建武5年(1338)、頓宮弥九郎は兵を挙げ鮎河城に立て篭ったが、北朝軍の佐々木秀綱に従った山中橘六、小佐治右衛門、美濃部兵衛三郎らの軍に攻められ落城した。
鮎河城の北にある鷲尾城は当時の砦跡と伝えられる。(現地説明板より)
近江には中世の城館跡が大変多く、約1300ヶ所以上といわれていますが、特に甲賀郡はそれが密集している地域で約300ヶ所もあります。 これは甲賀五十三家と呼ばれるように主家、分家、親戚などからなる同名中惣(地侍の運命共同体のようなもの)が多数存在したからです。土山町には現在判っている城館跡だけで土山城址、音羽野城址、山中城址、頓宮城址、黒川城址、鮎河城址、それに大河原氏砦址と7ヶ所もありますが、そのうち鮎河地域に3ヶ所もあります。山中城址以外はいずれも頓宮氏の同名中惣と思われます。
城といっても、近世の天守閣をもつ大きなものではなく、土塁のようなもので石垣も一部使われていたようです。
鮎河の東端の山すそにあります。南北朝の頃、南朝に属していた頓宮肥後弥九郎が反撃の拠点として築いた要塞跡で、ここで二度にわたり北朝側と戦いましたが、いずれも武運つたなく敗れ去ったそうです。現在は有志の方が小公園として整備されています。
鮎河館の北にある鷹尾山にも砦があり、鷹尾城と呼ばれた。
甲賀の城より
虎口・・・行き止り(郭跡は現状、水田) (民家の上に)大河原氏城が (民家の上に)大河原氏城が (ウグイ川の桜の上に)黒川氏城が!
県道9号沿い「鮎川小学校」から300m程山の麓が館跡です。
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市誌(甲賀の城)
本日も訪問、ありがとうございました